以前、アール・クルーのファンサイトを見た時に、ギターの演奏法の質問などが多く、
エリック・ベネイのファンサイトとは、ずいぶん雰囲気が異なっていた。
金子三勇士のブログにもここのところ、ピアノを専攻している人達からの質問が続く。
「古典の装飾音はどうやって曲に取り込むのか?
独自の解釈で良いのか?」
『装飾音』とは?
彼は丁寧に答えている。
「場所、作曲家、作品、時と場合による。
あまり早くトリルをしないこと。メロディーとして歌える位の速さ。
きれいな響きを大切にする。
バッハなどでは書いていない場所にも装飾音を入れたりする。」
別の学生から三勇士がフランス組曲に楽譜にない装飾音を入れていたことに、
指摘が及ぶ。
彼等は自分も同じ曲に取り組み、楽譜は暗譜していて、
金子三勇士の演奏を聴きながら、どう表現するべきかと、
新しい発見に耳を傾けながら、少しでも吸収しようとしているようだ。
クラシックに詳しいだけでなく、ピアノをかなりなレベルで学んだ人達の世界だ。
演奏法にこのような定義があることも知らなかった。
大前提のルールがあり、その中で曲を表現するということ。
ヨーロッパでの授業においては、古典の時代やその年代の演奏法も学ぶようだ。
クラシック音楽の演奏家とは作曲家の時代や音楽の歴史を踏まえた上で、
そこに自分の解釈を加えていくことになる。
そんなやり取りを読んでいると、
自分は一体彼の演奏の何を理解できているのかなぁと思ったりもする。
6/27、シャネルでの金子三勇士のリサイタル、30分掛かる大作、
フランツ・リスト唯一のピアノソナタの演奏を聴いた時、
私の心は悠久の彼方へとタイムスリップして行った。
それは、デルフォイの神託に書かれた古代ギリシャでも
ベツレヘムのキリストの誕生でもなく、
ブッダが悟りを開いたブッダガヤの地へとだった。
甘い囁き、心地良いこと、美しいものでブッダを迷わせようとした悪魔、
それが通用しないとなると今度は武器や火や水で攻め立てる。
それでも屈しなかったブッダは遂に菩提樹の下で悟りを開く。
そんな物語の世界へとその曲は私を誘っていった。
私は音楽のプロではないので、そこにどのような技巧が凝らされ、
いかに曲についての解釈がなされたかまでは、わからない。
それでも自分の感性で、その曲、そして演奏者の魂を感じることができたなら、
充分にメッセージを受け取ったと言えるのではないか。
8/7の「Eric Benet、Femininity」のブログ、
身内から「何が言いたいのか、よくわからな~い!」
と言われてしまいました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0162.gif)
身近な人でさえ、意味不明だったなら、
私を知らずにこのブログを読んで下さっている方はなお更、
わけわからなかったでしょう。
エリックのライブを現地で観て、アメリカのアフリカ系のファン達と自分、
違うと思う瞬間がありました。
しかし、それもまた良し、と今は考えています。
日本のファンは日本のファンなりのエリックの音楽の捉え方、
そして、それぞれ個人としての感じ方の違いがあって当然だと。
エリック・ベネイのファンサイトとは、ずいぶん雰囲気が異なっていた。
金子三勇士のブログにもここのところ、ピアノを専攻している人達からの質問が続く。
「古典の装飾音はどうやって曲に取り込むのか?
独自の解釈で良いのか?」
『装飾音』とは?
彼は丁寧に答えている。
「場所、作曲家、作品、時と場合による。
あまり早くトリルをしないこと。メロディーとして歌える位の速さ。
きれいな響きを大切にする。
バッハなどでは書いていない場所にも装飾音を入れたりする。」
別の学生から三勇士がフランス組曲に楽譜にない装飾音を入れていたことに、
指摘が及ぶ。
彼等は自分も同じ曲に取り組み、楽譜は暗譜していて、
金子三勇士の演奏を聴きながら、どう表現するべきかと、
新しい発見に耳を傾けながら、少しでも吸収しようとしているようだ。
クラシックに詳しいだけでなく、ピアノをかなりなレベルで学んだ人達の世界だ。
演奏法にこのような定義があることも知らなかった。
大前提のルールがあり、その中で曲を表現するということ。
ヨーロッパでの授業においては、古典の時代やその年代の演奏法も学ぶようだ。
クラシック音楽の演奏家とは作曲家の時代や音楽の歴史を踏まえた上で、
そこに自分の解釈を加えていくことになる。
そんなやり取りを読んでいると、
自分は一体彼の演奏の何を理解できているのかなぁと思ったりもする。
6/27、シャネルでの金子三勇士のリサイタル、30分掛かる大作、
フランツ・リスト唯一のピアノソナタの演奏を聴いた時、
私の心は悠久の彼方へとタイムスリップして行った。
それは、デルフォイの神託に書かれた古代ギリシャでも
ベツレヘムのキリストの誕生でもなく、
ブッダが悟りを開いたブッダガヤの地へとだった。
甘い囁き、心地良いこと、美しいものでブッダを迷わせようとした悪魔、
それが通用しないとなると今度は武器や火や水で攻め立てる。
それでも屈しなかったブッダは遂に菩提樹の下で悟りを開く。
そんな物語の世界へとその曲は私を誘っていった。
私は音楽のプロではないので、そこにどのような技巧が凝らされ、
いかに曲についての解釈がなされたかまでは、わからない。
それでも自分の感性で、その曲、そして演奏者の魂を感じることができたなら、
充分にメッセージを受け取ったと言えるのではないか。
8/7の「Eric Benet、Femininity」のブログ、
身内から「何が言いたいのか、よくわからな~い!」
と言われてしまいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0162.gif)
身近な人でさえ、意味不明だったなら、
私を知らずにこのブログを読んで下さっている方はなお更、
わけわからなかったでしょう。
エリックのライブを現地で観て、アメリカのアフリカ系のファン達と自分、
違うと思う瞬間がありました。
しかし、それもまた良し、と今は考えています。
日本のファンは日本のファンなりのエリックの音楽の捉え方、
そして、それぞれ個人としての感じ方の違いがあって当然だと。