Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

The Long Good-Bye

2009-08-26 00:00:23 | 私の日々
昨日、マイケル・ジャクソンの死因が薬物の大量投与による他殺とされた。

レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」
Raymond Chandler "The Long Good-Bye"
最初に読んだのは30年近く前、弟が持っていた古本、1972年版の早川書房、
『世界ミステリー全集 5』「さらば愛しき人よ」「長いお別れ」「プレイバック」
三作品が収められた清水俊二訳だった。
一昨年、翻訳権が50年を切る前にと多くの新訳書籍が出版された。
「長いお別れ」も村上春樹の新訳が発売された。
待ちきれず2007年ミステリマガジン4月号、先行掲載があり入手し、
新訳本も発売まもまく購入した。

他の翻訳者のレイモンドチャンドラーの作品、探偵フィリップマーロウのシリーズで、
一人称が『俺』となっているものがあり、
主人公、マーロウのキャラクターがかなり違って感じられる。
村上春樹作品は清水俊二と同様に『私』で落ち着く。

しかし「『しょうがねぇな。』と男はとげのある声で言った。」
が『あのね、ミスタ』になっている冒頭から違和感があった。
これでは村上春樹節になってしまう。

中でも「私たちは朝食を食べるためにとくに作られている小食堂で食べた。
そんな小食堂がかならずつくられていた時代に建てられた家だった。」という部分が、
「キッチンについた朝食用の小さなテーブルで我々はそれを食べた。
どの家にもそういうささやかな一角が設けられていた。よき時代に作られた家屋なのだ。」

朝食用の部屋とは何と素敵なのだろう、
朝陽が入る位置にあるのかと想像していたたものが、
朝食用の小さなテーブルではまるで台所作り付けのカウンターだ。
ここで我慢ができなくなり原書を買いに神保町まで出掛ける。

オリジナルの文章はこうだった。
"We ate in the breakfast nook.
The house belonged to the period that always had one."
村上春樹訳がおそらく正しいと思うが、私の中で長い間、
フィリップ・マーロウが住んでいるとイメージしていた家が崩れた。

この小説の中でロサンジェルス近郊のセレブ御用達の精神科医や
診療所、リハビリセンターなどが登場する。
1954年、この作品が出版された当時のハリウッドにはこういう怪しげなドクターが、
はびこっていたのだろうと思っていた。

現在のハリウッドにもこの手の医者が依然として存在しているのだろうか。
Michael Jacksonのような過酷な生活をおくるハリウッドスターは、
こういったドクターの助けを求めるより他ならない運命へ
と導かれてしまうのかもしれない。

「事件のことも僕のことも忘れてしまってほしい。
ただその前に<ヴィクターズ>に行ってギムレットを一杯注文してくれ。
そして次にコーヒーをつくるときに僕のぶんも一杯カップに注いで、
バーボンを少し加えてくれ。
煙草に火をつけ、そのカップの隣に置いてほしい。
その後で何もかもを忘れてもらいたい。テリー・レノックスはこれにて退場だ。
さようなら。」(村上春樹訳より)

"So forget it and me....
Terry Lennox over and out. And so good-bye."

マイケルジャクソンも天国からそんな風に思っているのではないだろうか。
事件のこと、自分の最後についても忘れてほしい。
でも一緒に輝いた時代のことは、心に留めておいてもらいたいと。

「長いお別れ」では、死んだと思ったテリー・レノックス、
別人となってある朝、フィリップ・マーロウを突然に尋ねて来る。
「ギムレットにはまだ早すぎるね」と。

「今の君の姿は今までの君とは違う。
僕が知っていた君は遠くへ去ってしまった。」
というマーロウにテリーは「これはただの見せかけだ」
「見せかけを楽しんでるんだろう?」
「もちろんだ、なにもかもただの演技だ、そのほかにはなにもない、
ここには―。かつては何かがあったんだよ、ここに、
ずっと昔、ここにはなにかがちゃんとあったのさ」