ここのところ、繰り返しWOWOWで放映されているジャスティン・ビーバー
"Never Say Never"そして"All Around the World"
ずっとブログを読んで下さっている方は私がジャスティンのことを書き出したら、
呆れるかも知れない。
しかしドキュメンタリー映像を観ている内に何とも言えぬ親しみが、
沸いてきてしまった。
曲に共感できるとまではいかないがライヴ映像などを見ると惹きつけられるものがある。
それもそのはず、ジャスティンはスティーヴィー・ワンダーやアッシャー、
ニーヨ、マイケル・ジャクソンの曲を子供の頃からカヴァーし動きを真似てきた。
リズム感の根底にR&Bが刻まれているのかもしれない。
何人かのアーティストを応援してきて、業界の状況などを垣間見る内に、
ファンとしてではなく、アーティストの立場、目線で、物事を見たりするようになった。
あるアーティストが大きなホールに出演した時に前日にリハーサルの日が設けられていた。
「どうだった?」と尋ねると「名刺交換でほとんど終わってしまった。」という返事が返ってきた。
ジャスティン・ビーバーのドキュメンタリーを見ていても、
やはり大きな会場でのコンサート前、裏方やゲスト、プロデューサー、
様々な人にジャスティンが紹介され挨拶していく場面がある。
喉を使うアーティスト(本番前には余り話さない方が良い)、
そしてまだ18歳にもならない若者が、一人一人に気の利いた言葉を掛けていく。
共演するジェイデン・スミスはこの日が初舞台、ジャスティンよりも後輩で若いが、
ジャスティンに対して決して謙虚には接してこない。
「両親がヘリで駆けつけてくる。」と話している。
ウィル・スミスの息子として育ったジェイデン、14歳からデビューし、
家族を養っているジャスティン、二人の環境は対照的だ。
ジャスティンのファンでずっと応援している難病の子供には、
抱き上げて自分の家族のように深い愛情を表している。
ドキュメンタリーの中でジャスティン・ビーバーの日常と、
そこに至るまでが映像と言葉で語られる。
12歳から小さな町の公会堂の階段でギターを持ち歌っていたジャスティン。
地元のコンペに出て2位に終わるが、その後母親がその時の映像、
またその他の映像も遠くの親戚達に見せたくてyoutubeにアップし始めた。
それを見た当時はマーケティングの仕事をしていたスクーター・ブラウン、
ジャスティンの母、そして学校へも連絡をする。
両親を説得して二人で売り出していくことになるが、中々巧くいかない。
偶然会ったアッシャーの前でファンだったジャスティンは彼の曲を歌おうとして、
スクーターに止められる(失礼だからと)
いき詰まった時に再びアッシャーと面会し、彼の前で歌ってきかせる。
その後、ジャスティン・ティンバーレイクも興味を示し始め、
アッシャーとティンバーレイク二人からのオファーを受ける。
ジャスティン・ビーバーがパートナーとして選んだのはアッシャーだった。
そこからはぐんぐんとトップへの階段を上っていく。
ファンを大切にし、サーヴィス精神旺盛。
若くして自分が大所帯を担っているという責任感も持っている。
子供の頃からの映像を観ているともちろんたいへんな努力もしているが、
やはりマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーがそうだったように
「神童」と言えるだけの特別な光を放っている。
ツアー前にアッシャーから特別ドリンク、青汁を勧められる。
まずくて飲めないというジャスティンに周りの人は先輩であるアッシャーから
頂いたんだからと最後まで飲ませる。
知り合いのアーティストから「風邪をひいて咳が出る、熱が出たとしても演奏はできる。
でもお腹に来てしまった時ばかりはそうはいかない」
と聞いていたので、コンサートを前にして青汁を飲み干すジャスティンの姿に、
こっちが心配してしまう。
嫌々ながらでも素直に飲むジャスティン、飲ませる周囲の人も、
普通の子供としてジャスティンにあるべき姿を教え自然体で接しているのかもしれない。
ジャスティン・ビーバーの今後についての話になる。
スクーターは「一時的なブームだとの批評もあるが、ずっとそう言われ続けながらも、
残っていくと信じている。」
アッシャーは「ジャスティンが続けたいと思う限り、この状況は続いていくよ。」
確かにアッシャーの言う通り、アーティストにとって大切なのは、やり続けるという気力だ。
もちろん一般人にとっても。
モティヴェーションを失わない限り、ジャスティンは今の人気を保ちつつ、
きっとファンと共に年を重ねていくことができるはずだ。
"Never Say Never"そして"All Around the World"
ずっとブログを読んで下さっている方は私がジャスティンのことを書き出したら、
呆れるかも知れない。
しかしドキュメンタリー映像を観ている内に何とも言えぬ親しみが、
沸いてきてしまった。
曲に共感できるとまではいかないがライヴ映像などを見ると惹きつけられるものがある。
それもそのはず、ジャスティンはスティーヴィー・ワンダーやアッシャー、
ニーヨ、マイケル・ジャクソンの曲を子供の頃からカヴァーし動きを真似てきた。
リズム感の根底にR&Bが刻まれているのかもしれない。
何人かのアーティストを応援してきて、業界の状況などを垣間見る内に、
ファンとしてではなく、アーティストの立場、目線で、物事を見たりするようになった。
あるアーティストが大きなホールに出演した時に前日にリハーサルの日が設けられていた。
「どうだった?」と尋ねると「名刺交換でほとんど終わってしまった。」という返事が返ってきた。
ジャスティン・ビーバーのドキュメンタリーを見ていても、
やはり大きな会場でのコンサート前、裏方やゲスト、プロデューサー、
様々な人にジャスティンが紹介され挨拶していく場面がある。
喉を使うアーティスト(本番前には余り話さない方が良い)、
そしてまだ18歳にもならない若者が、一人一人に気の利いた言葉を掛けていく。
共演するジェイデン・スミスはこの日が初舞台、ジャスティンよりも後輩で若いが、
ジャスティンに対して決して謙虚には接してこない。
「両親がヘリで駆けつけてくる。」と話している。
ウィル・スミスの息子として育ったジェイデン、14歳からデビューし、
家族を養っているジャスティン、二人の環境は対照的だ。
ジャスティンのファンでずっと応援している難病の子供には、
抱き上げて自分の家族のように深い愛情を表している。
ドキュメンタリーの中でジャスティン・ビーバーの日常と、
そこに至るまでが映像と言葉で語られる。
12歳から小さな町の公会堂の階段でギターを持ち歌っていたジャスティン。
地元のコンペに出て2位に終わるが、その後母親がその時の映像、
またその他の映像も遠くの親戚達に見せたくてyoutubeにアップし始めた。
それを見た当時はマーケティングの仕事をしていたスクーター・ブラウン、
ジャスティンの母、そして学校へも連絡をする。
両親を説得して二人で売り出していくことになるが、中々巧くいかない。
偶然会ったアッシャーの前でファンだったジャスティンは彼の曲を歌おうとして、
スクーターに止められる(失礼だからと)
いき詰まった時に再びアッシャーと面会し、彼の前で歌ってきかせる。
その後、ジャスティン・ティンバーレイクも興味を示し始め、
アッシャーとティンバーレイク二人からのオファーを受ける。
ジャスティン・ビーバーがパートナーとして選んだのはアッシャーだった。
そこからはぐんぐんとトップへの階段を上っていく。
ファンを大切にし、サーヴィス精神旺盛。
若くして自分が大所帯を担っているという責任感も持っている。
子供の頃からの映像を観ているともちろんたいへんな努力もしているが、
やはりマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーがそうだったように
「神童」と言えるだけの特別な光を放っている。
ツアー前にアッシャーから特別ドリンク、青汁を勧められる。
まずくて飲めないというジャスティンに周りの人は先輩であるアッシャーから
頂いたんだからと最後まで飲ませる。
知り合いのアーティストから「風邪をひいて咳が出る、熱が出たとしても演奏はできる。
でもお腹に来てしまった時ばかりはそうはいかない」
と聞いていたので、コンサートを前にして青汁を飲み干すジャスティンの姿に、
こっちが心配してしまう。
嫌々ながらでも素直に飲むジャスティン、飲ませる周囲の人も、
普通の子供としてジャスティンにあるべき姿を教え自然体で接しているのかもしれない。
ジャスティン・ビーバーの今後についての話になる。
スクーターは「一時的なブームだとの批評もあるが、ずっとそう言われ続けながらも、
残っていくと信じている。」
アッシャーは「ジャスティンが続けたいと思う限り、この状況は続いていくよ。」
確かにアッシャーの言う通り、アーティストにとって大切なのは、やり続けるという気力だ。
もちろん一般人にとっても。
モティヴェーションを失わない限り、ジャスティンは今の人気を保ちつつ、
きっとファンと共に年を重ねていくことができるはずだ。