Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

PNG最終日

2011-08-26 00:00:23 | パプアニューギニアへの旅
朝起きると、夫の体調も回復しているようで安心した。
そのまま、水着を着て食事前に一人で泳ぎに行くことにする。
誰もプールにはいない。
食事をしている人も少ないから見ている人もいないと思い、
泳ぎ始めたら、調子が出てきてしまった。

部屋へと戻りシャワーを浴び、二人で朝食に出掛ける。
誰も見ていないと思っていたのに、オーダーを取りに来たサービスの男性に、
「さっき泳いでいたでしょう?
今日の水はちょっと冷たすぎませんか?」と聞かれる。


前日は暖かい卵料理を含むコンティネンタルブレークファーストにしたので、
この日はビュッフェにしてみる。
冷菜ばかりなのとジュースも生ではなくて出来合いの物。
パンをごっそり盛りつけてテーブルに持って来てくれたので、
これをお持ち帰りにすることにした。

「フィリピンから来たのですか?」と会計の時に聞かれる。
日本からの観光客はこのホテルには余り泊まらないらしい。

旅程表によると、最終日の飛行機は午後2時40分発。
ホテルまで旅行社から迎えが来ると書いてある。
が、何時とも書いてないし、行きの空港で会った時に特に時間の話もなかった。
現地の支店へと電話してみる。

帰りはオーストラリアから乗り継いで来る乗客も多いこと思うので、
早めにチェックインしたい。
でも空港には時間を潰すようなお店もレストランもない。
先方は「じゃあ、10時に迎えに行って空港でチェックインをして、
またホテルに送って上げますから、2時前頃までホテルで過ごしたらいかがですか?」
チェックアウトが11時、それだとちょっと慌ただしいかと思い、
11時にピックアップ、空港のチェックインを済ませ、またホテルへと戻る、
ホテルへは余裕を持って1時半に迎えに来てもらうことになる。
ほんとうにこんなんで大丈夫なのかと思ったが、ホテルと空港間は5分ほど。
空港も空いていて何の問題もなかった。

意外にセキュリティーが厳しくて、空港の入り口、
搭乗口待合室前、飛行機に乗る寸前と三カ所になっている。
空港まで送ってくれた旅行社のKさんの他に搭乗口までは別の係の人、
Nさんが付き添ってくれた。
ほんとうにこの旅行社は至れり尽くせりで行き届いている。

搭乗口前の土産物屋で私はへまをやった。
欲しいピアスを見つけてしまったのにPNGの通貨、キナはもう手持ちがない。
「米ドルで払ってもいい?」と聞くと計算してくれた。
12.5ドル。10ドル札と20ドル札しかない。
お釣りは出せないとのことなので、
「それなら10ドル分を米ドルで払って、
残りの2.5ドルはキナで払うから計算して。」
おばちゃんは計算に手こずって、レジは渋滞してしまった。
Nさんが「どうしました?」と飛んで来てくれて、
キナで払ってくれて、私はNさんに日本円で返した。
あ~恥ずかしい。

着いた時に空港で両替、足りなくなったのでエアウェイズホテルでも両替をしたが、
ホテルでは一桁少なく金額を間違えて計算されていた。
両替のレシートも出してくれなかったので、
金額の訂正とレシートの発行をして貰うように言った。
一流ホテルのエクスチャンジでさえ、
この有様なのにお土産物屋さんでめちゃくちゃな要求をしてしまった。
並んで待っていた人達、皆さんにお詫び。
Nさんにも迷惑を掛けてしまった。

空港の通路で、いきなりすれ違いざまに男性が私にぶつかってきた。
日本のサーファーかダイバー風の男性。
PNGで混雑しているところにもたくさん行ったが、
人に突き飛ばされたりはしなかった。
ホテルの中でも男性は皆、ドアやエレベーターで女性を優先してくれたので、
空港で突然、日本の男性にぶつかってこられて、挨拶もないことに私は動揺した。

PNGに行く前に危険な国、治安の悪い場所とあちこちに書かれていたが、
日本や日本人の方がよっぽど危ないかもしれない。

物を売る母親の傍に裸で座っている子供は気の毒だろうか。
母親と一緒にいることができて、
暑いから裸の方が気持ちが良いかもしれない。
靴を履いていないから、
家がないから、その人が不幸であるとは言えない。
日本の尺度で物事を簡単に計ることはできない。

もしも空腹で栄養が行き届かない、きちんとした医療が受けられないために命を落とす、
教育を受けていない為に職業に選択肢がないとすれば、
子供達にとってそれは未来が閉ざされていることになるかもしれない。

PNGは生活物資が意外に高い。
街のスーパーや野菜市場での物価はかなり高めだった。
また首都のホテルの宿泊費、安全な地域にある家屋の家賃が急騰しているそうだ。

Rから2年振りで帰国したら、車の交通量が増えていることに驚いたと聞かされた。
この国では今、多くの産業が発展しつつあるとも聞いた。

帰国した翌日、早速ご馳走になった料理を自分の出来る範囲で作ってみた。
ココナッツミルクは缶詰、芋類は長芋と里芋を使った。
青菜は空心采と水菜。
丸くて大きい焼く為の石などは持っていないので大きな鍋をガスに掛ける。
バナナは固い物を選んだがとろけて繊維だけになってしまった。
とてもビッグママの料理には及びもつかないが、旅の余韻に浸ることができた。
焼けた石を入れることで料理に香ばしい味が加わっていたことも作ってみてわかった。

パプアニューギニアで私が出会ったのは、みんな、気が良くて穏やかな人ばかりだった。
海や緑豊かな島、潮の香りのする風、ゆったりと流れていた時間、青い空も忘れられない。