Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

金子三勇士@米沢ユアタウンコンサート 8/20

2011-08-22 09:58:07 | ピアニスト 金子三勇士
東北新幹線、正確には福島から山形へと向かう路線は「山形新幹線」と呼ばれるらしい。
車窓の風景は米沢へと近づくにつれ、ぐんぐんと緑が濃くなっていく。
しかし木々が茂った暗い森というよりも、すっきりと伸びた杉や檜の林に囲まれた明るい山道を、
列車は進んでいく。

米沢のイメージとして浮かんでくるのは、上杉謙信、上杉鷹山、
または米沢牛。
上杉鷹山が地元の産業として推進させた米沢織物、
てんぷらにしたりお茶としても飲まれているウコギも有名だ。

米沢駅に着くと駅の周辺には米沢牛専門店の看板が目につく。
この日のコンサートが開かれる場所は伝国の社(でんこくのもり)の中、
米沢市上杉博物館と併設される置賜文化ホール。
「伝国の社」とは上杉鷹山の「伝国の辞」に由来し、
「人々のために残し伝え豊かにする」という鷹山の精神を受け継いだネーミングだそうだ。

鷹山の残した言葉として伝国の辞と共に良く知られているのは、
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
国を治める者としての心構えを後世へと伝えたとされるが、
これは人生訓としても充分生かせる言葉だ。

また同じ松を見ながら鷹山が側室の豊と詠んだ「色はえぬ松に契りて
今日よりは猶幾千代の老いがわくすえ」
それに応えてお豊の詠んだ「ちとせふる松に契りて 今日よりぞ 老いの坂ゆく
末ぞ久しき」
今までも一緒に頑張って来た、これからも仲良く年を重ねていきましょう、
と夫婦の仲睦まじいあり方を詠っている句もある。
夫婦として座右の銘にしたい言葉。
「天下の本は国、国の本は家なり」の言葉と共に国を治めるだけでなく、
家庭を大切にした鷹山の人柄が偲ばれる。

金子三勇士の演奏会のために地方都市へと向かうのは初めての経験。
東京とは異なった場所、地元のオーケストラやホールの雰囲気、
観客の反応を見るのをとても楽しみにしていた。

実は少し前にこんな夢を見てしまった。
早めにホテルに着き、うたた寝をしてしまう。
気が付くとコンサートの始まっている時間。
目が覚めて「今からでも駆け付ければ間に合うだろうか。
いや、もう終わってしまったかもしれない。」
と途方に暮れている夢だった。

夫と一緒にホテルに着いたのは4時過ぎ。
コンサートの開始時刻は6時半。
ホテルのフロントで場所を確認すると
伝国の社はホテルから歩いて10分ほど。
後1時間半ほどあると思い、横になりかけたが、
先述の夢のこともあり、しっかり起きていることにする。
ここまではるばるやってきて寝過ごしてしまったら、いったい何のために来たのやら。

伝国の社の脇には上杉謙信を祀った上杉神社、
かつては共に上杉神社に祀られていたが今は独立し、
上杉鷹山は隣の松岬神社に祀らている。
米沢城跡の松岬公園も近くにあり、
この一帯は緑と運河に囲まれた美しいテーマパークとなっている。

置賜ホールが見えてきた。
和と洋が調和した近代的な建物。
能舞台もある。
併設の米沢上杉博物館も翌日、観覧したが見応えのある物だった。
地元の特産の和菓子、うこぎ茶が飲めるカフェも寛げる。


ホールは木調でゆったりとした造りになっている。
席は500席余り。
この規模のホールでオーケストラの演奏を聴くことができるのは地方都市ならではの贅沢。
スタッフの方達も皆、感じが良くて家庭的な雰囲気だ。

観客は老若男女、ご家族やお友達、ご近所の方達が連れだって集まってくる。
ホワイエでの会話が耳に入ってくるが、
このホールで行われるイベントを近隣の方が大切にされていることがよくわかる。
一方、私達のように遠方から、車や電車などを使っていらした金子三勇士ファンの方も。

後方の席に座り前方へと目を向けた時、女性達の後ろ姿、髪型を素敵にアップにして、
お洒落な髪止めをされた方が多いことに気づく。
織物が盛んな着物の町ゆえだろうか。

開演前に指揮者、ピーター・ルバート氏より通訳を交えて、
これから演奏されるメンデルスゾーン:交響曲「イタリア」
リスト:「ピアノ協奏曲:第2番」
リスト:交響詩「ハムレット」の解説が始まる。
ルバート氏の心遣い、穏やかな人柄が感じられた。

リスト:ピアノ協奏曲第2番
リストがこの譜面を最初に書いたのは1839年。
それに何度か手を加えられ現在演奏されているのは1863年に加筆されたものとのこと。
クラリネットの夢想的な導入部から始まり、ピアノの演奏はオーケストラを引率するような形で、
途切れることなく常に奏でられていく。
曲はしだいにダイナミックになり、後半はマーチ風にさえなる。
そしてクライマックスに達したところでフィナーレを迎える。

金子三勇士がこの曲を弾くのを聴いたのは2008年、
彼が大学一年生の11月、東京音大の定期演奏会。
指揮者は広上淳一氏だった。

今回はピーター・ルバート氏の指揮、またコンサートホールの場所柄か、
演奏はゆったりと牧歌的な響きがある。
聴いているとこの地に至るまでに見た景色、
鬱蒼とした森ではなく、気持ち良いばかりにすくっと伸びた杉や
ヒノキの雑木林の優しげな風景が浮かんでくる。

金子三勇士の演奏は、オーケストラと見事に調和している。
8/3にトッパンホールで「スペイン狂詩曲」「メフィストワルツ」を聴いた時に、
より力強くなってきていると感じたが、今回の演奏にもそれが反映されている。

振り返ってみると、金子三勇士のオーケストラとの共演を聴くのは、
一昨年の国際フォーラムでの新日本フィル、小林研一郎指揮のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、
昨年4月のオペラシティー、東京フィルとの共演、広上淳一指揮でのショパン:ピアノ協奏曲第1番。
そして昨年7月の葛飾シンフォニーフィルズ、ガーシュイン:ピアノ協奏曲から数えても、
約一年振りになる。

山形交響楽団、コンマスは凛とした女性の方だ。
オーケストラとリハーサルを重ね前日には山形市で公演もしているので、
山形フィルのオケの方達との和合の中、金子三勇士も伸び伸びと演奏をしているのがわかる。
後方の席から観ていたが、ここのところ、演奏のアピアランスが、
更に表現力豊かになりステージで映える。

演奏終了後も続く拍手。
近くの席の若い女性二人は「ブラボー!」と掛け声も。
ステージに戻って来た金子三勇士は「では短くて、静かな曲を。」
とバッハ:フランス組曲「サラバンド」を聴かせてくれた。

鳴りやまない拍手。
三たび、ステージへと戻った三勇士は恒例のピアノを閉める儀式で幕を下ろし、
客席からは暖かな頬笑みの声が漏れた。

休憩時間中に楽屋を訪ねて近況を聞く。
これからもスケジュールが詰まっていること、もっと練習したいと思っていることなど。
更なる精進を重ねていく意気込みを聞かせてくれた。

終演後、サイン会が始まる。
CDの販売もあり、多くの方が並ばれていた。
後方から様子を見守っていると、サインを頂かれた方が、
「握手してもらったよ!」とか「ほんとにカッコイイ!」
と目を輝かせて感動を語っている様子に、こちらも口元が綻ぶ。

金子三勇士、この地にたった一人でやってきた。
マネージャーも付き人もなく、自分でこの日に着るワイシャツにアイロンを掛け、
サイン会に一人で臨み、並んで下さった一人一人の方に丁寧に挨拶、
サインをしている後ろ姿を見ながら、思わず目頭が熱くなった。

地元の山形新聞には「金子さんが独奏・協奏曲 端正な音で表現」というタイトルで、
記事が掲載されていた。