Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

12月31日のパリ

2011-01-08 18:50:07 | 年末年始のPARIS
12時間余りの航空時間の後に着くのは早朝のパリ。
朝からばりっと動けるように機内では睡眠をしっかり取りたい。
しかしまた悪い癖が出た。映画をせめて一本、そして後もう一つぐらいならと見始める。
いよいよと眠くなってきたが話のオチ、あるいは犯人が分かる前には眠るわけにはいかない。
日本未公開に終わったりすると永遠に結末を知ることができない。
着陸寸前に朝食とのことだったが、離陸して間もなくクロックムッシュ、またその直後に和風蒸しパン2種。
断る予定だったのにお摘み代わりに完食してしまう。ちょっと自分が情けなくなった。

冬の朝のパリが明るくなるのは8時半ごろからだろうか。
真っ暗な中、ホテルへと到着。
ほぼ同時に着いたイタリアからの女性達のグループがある。
チェックイン、少しでも早くできないかと尋ねると午後1時には部屋に入れると言う。
夫がエクストラチャージを払っても早く入りたいと言ったが断られた。
それまでロビーの奥で荷物を預かってくれるとのことなのでスーツケースを置き、
夫は煙草を吸いに外に出る。

フロントデスクの前の椅子に座ってしばし待つ。
「ルーブルって開くの9時半でしょ?」
"Oui"
「ギャラリーラファイエットも開くの9時半よね?」
"Eh...ouais..."
「私達、どうしたらいいのかしら。どこか時間をつぶせるカフェ、この近くにある?」
フロントマンは無言でパソコンの画面を見つめている。
「このホテルに3泊するんだね?」
「そうよ。」
「わかった。一部屋空いているから入っていい。」
「えっ、今?」
「そうだ。」
「追加料金はどれくらい?」
「いらない。」
1泊ならともかく3泊もするのなら特別に配慮してあげようということのようだ。
最も私にずっとフロント前に座りこまれてはたまらないと思ったのかもしれない。

30年前、パリで泊まったホテルは窓がなかった。
その次の年はコンコルドラファイエット、団体旅行で良く使われる大型ホテルだった。
その二年後、泊まったホテルは家族経営の10室余りのホテル。
浴槽はあったがお湯が途中から水になった。
今回のホテル、部屋数は30室余りスタンダードなタイプだが下町の風景を見下ろす窓とバルコニーがある。
三階の部屋から目の前のバス停が見える。
エレベーターは手で開けるタイプで約3人乗り。
ベッドとバスルーム、カーテンが掛かった小さなクローゼット、その下には小型の冷蔵庫だけの部屋。
壁やドアを素人が塗ったような跡がある。
冷蔵庫の横には先人が置き忘れたと思われる下着の入った袋があった。
確かに清潔とは言えないかもしれないが簡素で
何しろ部屋に入れただけでもありがたいという状態だったので、
文句のつけようもない。
最初、寒く感じたのだがすぐに来てくれたメードさんがスティームのハンドルをひねると
暖かくなってきた。
これはエアコンほど乾燥せず、そしてとても柔らかく暖かくなるので日本でも欲しくなる。
念のため、エクストラの毛布も頼む。
ホテルの悪口をずいぶんネットで読んだので覚悟していたが、皆感じがいいじゃないの。
拍子抜けした。

早速リンダに電話しようとドコモの携帯を取り出すと圏外。
ブリュッセル、ニューオリンズ、と続きまたしてもドコモが役に立たないのか。
海外でドコモの携帯メールは日本人のドコモを使っている同士でしか意味をなさない。
しかし電話までしかもゲントとかブリュージュでなくパリで使えないなんて。
夫のiPhoneは通じている。
帰国して毎回、どうにもならないと思いつつ取敢えず苦情は伝える。
が今回はもうdocomoにほとほと愛想が尽きた。
現地で慌てないようにと東京からリンダと山下さんにこの電話から連絡しておいたのに。

部屋の電話からリンダに電話することに。
携帯に入っていた国際電話の番号、国番号を取り地域番号に0を足すが通じない。
階下のフロントに聞きに行くと電話の仕方を丁寧に教えてくれた。
部屋に戻って電話するがやはり通じない。
するとフロントから電話が掛かってくる。
「ごめんなさい、部屋から外線に通じるようになっていませんでした。
もうだいじょうぶです。」
リンダは3時にホテルに来てくれることになる。
リンダが来るまでの間、取敢えず今日しか開いていないデパートに繰り出すことにする。

9時15分頃、フロントに降りて行きギャラリーラファイエットの場所を確認する。
歩いて10分ほどだと道を教えてくれた。
歩き始めても人通りは少ない。
そしてまだ薄暗い。
ギャラリーラファイエット、本館をざっと見て食品館もチェック。
外も中も年末のディスプレイが綺麗だ。
しかし食品館を見たものの今一つ、しっくりこないので、有料の化粧室を使った後、
やはり皆に薦められたボンマルシェへと地下鉄で移動することにする。