総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

42才。3時間45分!驚異のマヨネーズお産

2011年12月11日 | エッセー
 「もう、いつ生まれてもいい状況です。もしかしたら、今夜かもしれません。」
 7月20日火曜日、おりものにうっすら血液が混じって(おしるしのこと)受診したら、そう言われて気合が入った。が、しかし、待てど暮らせど来るもの(陣痛)が来ない。
 水曜日、来ない。木曜日、来ない。金曜日、来ない。土曜日、来ない。
 『ここまで来たら、来週の月曜日まで待ってほしい。日曜日の夜中にきたら入院費も高くなるし・・・・・。』と祈っていたのに、ついに願いは届かなかった。
 日曜日の午後5時10分。うっすら~とした例によって例のごとくズーンとした生理痛もどきが発生した。それでも、最初は確信が持てないくらいうっすらな感覚で、クリニックに電話するのも躊躇した。
 とりあえず、ポテトサラダを三日分くらい作ろうと思いたった。しかし、いざ作ろうと思うとマヨネーズが少ししか残っていない。ハムもない。せっかくだから、陣痛促進剤を打とう!と歩いて10分のスーパーまでマヨネーズを買いにテクテクと歩いて行った。(つまり、歩くことが陣痛促進剤ってこと!)
 不思議なもので歩きだしたら、陣痛がぐ~んとグレイドアップする。みるみるうっすらから軽い生理痛に変化していったので、スーパーから帰ったら、すぐ、クリニックに電話を入れた。(日曜日の夜勤帯なので早めに連絡していたほうがいいかなと思ったので)
 夫に満潮の時間を聞くと、夜の9時と明け方の6時だと言う。今までの体験を踏まえて(これがあてにならないのだけれど・・)三男のお産から9年使わずじまいだったので、老化も手伝って子宮筋も硬くなっているだろうと勝手に想像して、まぁ、きっと明け方の6時だろうと予測した。これが、またまた大きな誤算だった。私もこりないよねぇ~。
 ということで、私は再びポテトサラダ作りに挑んだのだ。午後6時30分。どうにか夕食ができあがった。
 次の安産メニューは、腰湯と30分のソフロロジー式イメージトレーニングだ。陣痛にんぷは忙しい。
 が、しかし、湯船に浸かったとたん、陣痛がいきなり、グワワワ~ンと信じられないくらい一気に強力になった。やはり、入浴陣痛促進剤の威力はすごい。おまけにウンチ大作戦ときやがった。
 「やばい、今夜生まれそう。」と夫に叫びながら、湯船から飛び出し、トイレに直行した。
 そして、かわいくて清楚なお気に入りの下着をちゃっかり選んで(ここは冷静なのだ)身支度をした。
 陣痛は、私の予想とは裏腹にどんどん成長していった。もう、笑ってなんかいられない。本格的なブランド陣痛の到来だ。
 子どもたちを分娩に立ち合わせるべきかどうかずっと悩んでいたが(男の子だからどうかなぁ~。ショックを受けないかなぁ~ということで)、なんのことはない、この日は、実家の父と母が海水浴に連れていってくれ、まだ、帰ってこない。縁がなかったとあきらめた。
 午後8時。他人様が家に入っても見苦しくない程度にやっとの思いで居間と台所を片付けて、さぁ出発しようと夫が車のアクセルを踏み込んだその瞬間、バックミラーに父の車が見えた。
 危機一髪。否、間一髪。子どもたちが間に合った。あと、5秒遅かったら間に合わなかった。神様が、本当にいるような気がした。
 道中の30分間、いつもは騒いで父親の怒声を浴びるのに、彼らもただ事ではない空気を感じたのだろう。ピーンと張りつめた空気のなか、それはそれは静かで不気味なくらい静寂の中を車はひたすら走った。
 ただ、静寂と思ったのは私だけ。4人の男衆は、ひっきりなしに押し寄せてくる陣痛大津波の痛みをこらえて呻く私の吐息に、しゃべっちゃいけない空気を察知したのだろう。息を詰めていたのだ。

 私も、「今日は楽しかった?」という言葉を発する、ただそれだけでもものすごいエネルギーを消耗するので、「きょ・う・は・・・・、ウ~・・・た・の・・し・・か・・った~・・?」と隣に座っている長男に息も絶え絶えやっとの思いで聞くのが精一杯だった。
 ところで、ソフロロジー式分娩とは、自分の好きな風景、あるいは、自分が今まで一番幸せと感じた時のことなどをイメージすることでリラックスし、痛みを和らげ筋肉を緩めることで安産に導くお産のことをいう。
 私は、沖縄の太陽光線によって七変化するコバルトブルーの海を妊娠中も腰湯しながらイメージしていたので、道中も、必死でその海をイメージした。確かに、確かに痛みが恍惚感に変わる瞬間が一瞬だけどあった(ような気がする)。
 ラマーズ法は、ヒーヒーフーウンという呼吸法で痛みをそらすお産。一方、ソフロロジーは、幸せのイメージで痛みを包むお産とでもいうのだろうか。私の場合、陣痛が最高潮に達したとき一瞬オブラートに包まれたって感じがしたようなしないような・・・。本格的な教室に通ったわけではなく、DVDをクリニックで紹介され、購入して自分なりにやっただけなので、まぁ、こんなもんかなって感じだったけれど、ちゃんとしタところで体験するとかなり違うみたい。
 歯医者さんでギーギーやってもらっている時って、顔は平静を装っているけれど、全身の筋肉はコチコチだ。ピリッとした神経を触る痛みにいつでも対応できるようハンカチを握り締める手の握力は汗が出るくらい・・・・だ。
 ブランド陣痛は、握力もさることながら、アソコの筋肉もギューっと縮みあがる。リラックスして産道の筋肉を緩めなきゃいけないと頭ではわかっている。わかっているけれど、アソコは言うことを聞いてくれない。そこで、ソフロロジーのイメージトレーニングの成果が発揮されるはずだった。
 しかし、沖縄の海を必死でイメージしながら、筋肉を緩めるなんで至難のわざだ。歯の治療中に神経に触れてピリッときた、その瞬間、歯医者にニッコリ微笑めって言われているのうなものだもの。

 そうこうしているうちに、クリニックのシンボルである三角屋根が見えてきた。もう少しの辛抱だ。
 と思いきや車一台通るのがやっとの細い路地を向こうから救急車がピーポーピーポーとサイレンを鳴らしながらやって来た。おまけに運の悪いことにクリニックの一歩手前で停車したではないか。そっちも大変だろうが、こっちももう生まれそう。夫が、ドアを開けて出てきた隊員さんに大声で
「妻が産気づいて、もうすぐ産まれそうなんです。通してくださ~い。」と必死に叫んだ。そして、やっとの思いでクリニックにたどり着いた。
 助産師さんたちは、救急車で私が運ばれてきたのかと勘違いをされたらしく、飛び出して待ち構えていらした。で、着いたと同時に私を抱きかかえて分娩室へ直行。
 途中、「トイレに行きたい。大きい方が出そうなんですー。」
と、訴えても、即、却下。 否、無視され、分娩台に寝かされた。スタッフは、かなり慌てて文明の利器を私に巻きつけたり、刺したり、なんだりしてきた。
「あ、もう出ます。」と叫ぶと同時に、大きい方がビリビリビリ~。」超恥ずかしいけれど、スッゲー気持ちいい。快感。三男を産んでからの8年間、お腹にたまったウンチが根こそぎ対外に噴出していく快感は病みつきになりそうなくらいいい気持ちだった。大げさかもしれないけれど、バケツ1杯分くらい出たような気がする。
 そんなこんなしているうちに、助産師さんが、「心音が低下しています。吸引を・・」と医者に向かって宣うではないか。(え~、吸引なんていやだ~。)医者も、「そうだね。じゃぁ、吸引。」とこれまた二つ返事で指示を出す。
 思わず、「吸引したくありませ~ん。頑張りますから~。」と何を頑張るか自分でもわからないくせに、事もあろうに医者に指示しちゃった。
 分娩台から、医者の指示を拒否する妊婦なんて前代未聞なのではなかろうか。
「だったら、もっと上手にリラックスして産道を緩めなさい。」
(チクショー。これでも必死で沖縄の海を武器に痛みで硬直したカラダをほぐそうとしているんだい。緊張と弛緩という相反する筋肉の働きを同時にするという無理難題に挑んでいるこっちの身にもなってよ!同時に怒って笑え!と言われているようなものなんだから。)
 すると、今度は助産師さんが、
 「ハイ、のけぞっちゃだめよ。アゴをもっと引いて。もっと。もっと。もっとアゴを引いて。そして、腹式深呼吸をして~。ほら、また、アゴがのけぞってきたわよ~。足の方を見るようにして~。そんなに緊張したら、赤ちゃんが苦しいよ~。」と半ば呆れた顔で私を励ましてくれる。

 もう、身も心も否頭もカラダもちぐはぐでわけわかんなくなってきた。
 と、まさに、その時。
 アソコがスーっとした。
 『やったー。出たのね。念願の会陰切開しない自然なお産ができたのね。』と安堵した。
 しかも、陣痛を感じてから、たった3時間45分という快挙だ。ソフロロジー式分娩としては落第点かもしれないけれど、私的には90点のいいお産だった。
 最近、私の周りでは、40才前後でお産をする人も増えた。そんな人に、私は、こうアドバイスをしている。
 「陣痛かな?と思ったら、近所のスーパーに歩いてマヨネーズを買いに行ってね!」と。

 これを、愛咲くら流『マヨネーズお産』といいます。



追伸
 最近、読んだ渡辺淳一さんの本『夫というもの』に、夫が立会い分娩で赤ちゃんが出てくる瞬間を見ることの是非について『一度見てしまうと妻を女性として見れるかなぁ~』というような疑問を投げかけていらした。そうかもなぁ~とも思った。
 実は、私は、クリニックに午後8時30分に着いて、45分には四男が産まれた。すぐ産まれた。
 私が分娩台に寝かされ、大きい方の噴出による快感を感じていた頃、4人の男衆たちは、荷物を病室に持っていってくれていた。そして、さぁ、立ち会おうと分娩室に入った時には、時、すでに遅し。すでにお産は終わり、四男は産まれたままの状態で私のお腹の上でゆったりしていた。彼らは、生まれたての赤ちゃんを恐る恐る抱く体験はできた。でも、結果として立会い分娩は果たせなかった。
 その時は、ちょっと残念だったかなぁと思ったけれど、渡辺淳一さんの本を読んで、今は、それでよかったかも・・・・とほっとしている。母親の傍らにいて励ますのはいいかもしれない。でも、まさにその瞬間を見ることは、思春期前後の男の子にはきついことかもしれない。


 次は、『いいことだらけのうふふのお話』  です。
  

 
 
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強い陣痛と後産の痛みは反比例?

2011年12月09日 | エッセー
 初産婦と違って、二人目三人目になると陣痛はたいしたことないけれど、陣痛よりもお産後の子宮の収縮(後産)の痛みの方が激しくて涙がでそうになったという人もいる。人によっては、痛みで眠れなくて痛み止めをもらったという人もいるくらい。
 でも、私は、なぜか、4人とも後産の痛みは全くなかった。陣痛がいっちょ前だっだからだろうか。四人目を生んだクリニックでは、お産直後からしつこいいくらい『痛みはないか?』と聞いてくるのでイヤになった。
 どうやら、子宮が収縮するたびにキューっと痛みが走るのが正常なようで、痛みがないということは、もしかして、子宮が収縮していないんではないか?ということになり、黄色信号が点滅するらしい。
 子宮は、握りこぶし大の大きさで、筋肉の塊だ。それが、お産直前になると10倍20倍と膨張するんだから、すごい。お産後、赤ちゃんが外に出て勤めを果たしたら、ぽっかり空洞になる。で、すぐにギューッと一気に収縮をし始めるのだ。もし、収縮しないと出血が止まらなくなり母体の命にも関わることになるので、看護師さんもしつこく聞くわけ。
 けれど、ない袖は振れない。否、ない痛みはあると言えない。
 一般的には、子を産むたび陣痛は軽くなり、後産の痛みが強くなるということはどういうことなんだろう。
 子宮は、赤ちゃんの部屋という子宮体部と赤ちゃんの通り道である子宮頚部に分かれている。もし、子宮の筋肉が、買ってきたばかりのパンツのゴムのようにビヨーンビヨーンと伸び縮みするような弾力性があれば、赤ちゃんが出たあとは、反動で一気に縮むから痛くないのではないだろうか。
 しかし、何度もお産するうちに子宮筋が何度も洗濯したゴムのようにビローンと伸びきってしまうと、反動だけでは収縮できなくって、なんかよくわかんないけれど痛みを伴う方法でギューっとむりやり収縮させるのではないだろうか。
 だとすると、私は、なぜ、陣痛が4人とも同じように強く、後産がまったく痛くなかったのか?個人差の世界の話だろうと思うが、西式の本などには、肉・卵・牛乳などの動物性たんぱく質を摂りすぎると筋肉が硬くなりやすいと書かれている。嗜好的にも経済的にも粗食への道をまっしぐらの私。そのせいかしら・・・・。でも、お肉をいっぱい食べていても後産が痛くなかったという人もいるだろうし・・・。不思議。


 次は、『42才。3時間45分!驚異のマヨネーズお産』  です。
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妊婦ヨガ  やった分だけ 安産度アップ

2011年12月08日 | エッセー
 42才。42才。42才。
 42才の不安を安心に変えるために、産休に入って「生命の貯蓄体操」を毎日真面目にやろうと決心した。
 生命の貯蓄体操とは、丹田呼吸法によるヨガみたいな体操。私は仕事がらみで、生命の貯蓄体操の指導補という免許を取らせていただいた。だから、1回30分はかかるこの体操を最低週2回はやって、体が忘れないようにしていた。子育てが終わったら「カラダサラダ会」なるものを発足し、気の置けない仲間と楽しくワイワイやっていけたらいいなと思っているところ。
 ところで、妊娠前からやっていた運動は、妊婦なりにやっていいのだそうだ。でんぐり返りみたいなこともやるので少々不安だったけれど、ブランド骨盤がブランドお産への早道と確信していた私は、ひるまずチャレンジした。お腹がつっかえて少々苦しかったが、それもこれもブランドお産のためだ。勇気をだしてゴロンとしたら意外といけた。ゴロンとでんぐり返りもどきをすると背骨がシャキッとしてとってもすっきりする。肩こりなんかが吹き飛んでいくようなすっきりさだ。

 実は、長男が陣痛が始まってからわずか7時間で生まれたのは、一日2時間のウインドショッピングとカエル体操のおかげだと思っている。
 カエル体操とは、西式の本に載っているヨガみたいな体操の一つで、合掌合足体操のこと。とっても簡単でシンプルで効果的な腰痛体操。別名、安産体操ともいわれている。いい骨盤になると赤ちゃんのの体位が正常になるから結果、安産になるという。
 生命の貯蓄体操は体操の種類が約四十種あり難易度が高いけれど、、カエル体操はたった一種類。両手両足の腹をなるべく屈曲して合わせ、息を吐きながら両手両足の腹を合わせたまま、なるべくピーンと伸ばすだけのシンプルなもの。私は、長男の産休中は一日150回やった。
 この体操は、にんぷさんだけでなく、腰痛で大変な思いをしている人にもホントおすすめ!以前、膝が痛くて階段を杖なしでは昇れなかったおばあちゃんにおすすめしたら、半年後くらいには、杖なしで身軽に昇ってこられてびっくりしたことがある。ヘルニアで何ヵ月も入院されていたおばあちゃんも1年くらいしてお会いしたとき、今は、どうもないと喜んでいらした。ちゃんとやった人にはちゃんと結果がついてくると感動した。
 しかし、次男三男の時は、産休に入っても上の子も一緒にみていたので、それどころではないかった。で、ついつい運動とか体操という類のものをやらず終いになってしまった。そのせいかどうか科学的根拠はないけれど、次男は20時間(10分間隔では16時間)、三男が16時間(10分間隔では3時間)と陣痛の時間が長引いた。
 だから、四男の時は、せめて、産休中は生命の貯蓄体操を毎日やると心に決めた。結構、ぜーぜーしんどいので、やりたくない気持ちと日々闘いながら、がんばってどうにかやり遂げたって感じだった。
 結果的に、四男は3時間45分のお産。もしかしたら、この体操のおかげかもとも思ったりした。しかし、いいことはそれだけではなかった。やろうと決めたことを頑張ってし続ける体験から大事なことを学んだ。

 やっぱ、しんどい。
 しんどいからやりたくはない。
 でも、やり終えたらカラダもスッキリし、何か気力が湧いてきて『元気』になる。
 そして何より、「やった!」という達成感は「そんな自分が好き!」っていうシアワセな気持ちにさせてくれた。


逆に、やろうと思ったことを自分の怠け心のせいでズルズル先延ばしにして、結局やらないで一日が終わると、何かモヤモヤしたものが胸につかえていい気分になれない。
 でも、陣痛開始から4時間弱で四男が生まれたという事実から、生命の貯蓄体操はスゴイ!と確信した。別に、生命の貯蓄体操でなくてもいいと思う。ただし、ふつうの体操だけではダメなんじゃないかな。丹田呼吸法を取り入れたヨガや骨盤体操みたいなもの・・・・。

 産休中だけだけど、生命の貯蓄体操をやり続けたという体験で、日々しんどい気持ちを乗り越えて、『し続ける』という達成感と、し続けたことによる成功体験は、自分に対する自信、誇り、好きという感情をもたらすということがわかった。
 当たり前のことだけれど、継続は力なり。
 ただし、それは、人から「やりなさい。」と命令されたことではなく、自分でやろうと決めたことに限る。
 それも、やれそうだと思うことが大前提。
 そして、できれば毎日し続けられことが大大前提。

 妊娠して、まだ、仕事をしている時の平日にこの体操をすることは、『残業』と『子育て』と『何もしない夫』の3拍子が揃った私には、無理な話だった。で、土日の2回やると決めて、どうにかクリアという状態だった。でもねぇ~。土曜日の朝になると、どんより曇り空になった。「しなきゃ。」「あ~もう昼だ。」「あ~ら、もう4時だ。」とず~っと心にひっかかって、日曜日をクリアするまではなんか憂うつだった。
 産休に入って、『毎日やる』と自分で決めたのに、最初の1週間くらいはゲロが出そうだった。
 が、しかし、不思議なもので、その後は、しんどさが激減した。
 な~ぜ?


 毎日すると体が柔らかくなり筋力もついて、なんだか体操するのが楽チンになり、ちょっとワクワクさえしてくる。心がしんどくなくなる。これが、週に2回だと次の土日までに体がややもとに戻ってしまうから、しんどさは旧態依然。だから、心のしんどさも旧態依然。
 ありゃぁ~。
 こんなことなら、毎日、せめて一日おきにでも体操をしておけばよかったとマジに思った。
 土日しかしないと、ずっと富士山は富士山のまま。土日が来るたびに「ハァ~。」とため息が出る。でも、毎日し続けると難易度がそこら辺の山登りのレベルまで下がるから、そんなに苦痛じゃなくなるのだ。(子どもの勉強もそうなのかなぁ・・・。) 
 あ~なりたいという憧れが、苦労を伴うものである場合、どうしても挫折しやすいけれど、毎日こつこつし続けるうちにいつの間にかカラダに馴染んでくる。そうするとなんだか自分も捨てたもんじゃないな~て自信みたいなものが湧き出てくる・・・。

 
 で、短時間でパワーのある陣痛造成器・・・・それが、妊婦ヨガ・・・・でした。


 次は、 『強い陣痛と産後の痛みは反比例?』 です。























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リラックスとへその緒の不思議な関係

2011年12月04日 | エッセー
 なんせ、42才の超高齢出産にもかかわらず、4人目もブランドお産をめざそうというのだから、にんぷができる努力はできる限りやるとこころに決めた。だって、全面的に信頼していたイワバーはもうこの世にいないのだから。甘えてばっかりはいられない。自立しなきゃ。
 クリニックの助産師さんは信頼できる方だったけれど、医者であるお兄さんは、わびさびの空気が匂わない左脳人間って感じと見て取った。
 不安を安心に変える方法は、一つしかない。やるだけのことをやる!それだけだ。
 しかし、一難去って、また、一難。
 妊娠6か月の健診で、へその緒が1回巻いていることが分かった。
 お医者さんに「何かいい方法はありませんか?」と聞いても、特にないらしい。
 「自然分娩できますか?」と不安げに聞いても、「大丈夫でしょう。」と素っ気ない。
 おうちで、お風呂に入るたんびに、「ねぇ~、へその緒が巻いていると窮屈でしょう?元に戻りましょう。」と話しかけてみたりしたけれど、相変わらず、1回巻いたままだった。
 9か月に入ると、クリニックより、『胎動チェックカード』なるものを渡された。1分間に何回胎動を感じるかチェックっするカードだ。へぇ~。こんなこともするのか・・・。ということは、胎動が少ないと黄色信号ってこと?
 上3人の時も、あんまり胎動を感じる方ではなかった。妹なんか、夜眠らせてもらえないくらいお腹をけられてげっそりしていた。だから、人それぞれかな?くらいにしか思っていなかったのに、「3分間に1回も感じなかったら受診してください。」だ。
 四男は、8月3日が予定日なのに、7月に入って胎動はめっきり少なくなった。な~ぜ。
 きっとへその緒が1回巻いているから、窮屈なんじゃないかなぁ~とかわいそうに思えてならなかった。
 お産そのものは、努力の甲斐あって、なんと陣痛開始から3時間45分で産まれ、自分に花丸つけちゃいたいくらいだった。でも、産まれてきた赤ちゃんを見てびっくりした。
 

頭と顔が左耳上部に向かって、ギュッと圧縮されたように変形しているのだ。額のしわ、左の眉、目は左下向きに斜めになり、口は左上向きに、そして、後頭部は、ただでさえ、絶壁なのに、左側はペシャンコになっている。
 1回へその緒を巻くことで、とても窮屈なポジションで胎内に数ヶ月もいたのかと思うと不憫でならなかった。三男は逆子だったため、産まれて2週間くらい朝も昼も起きてる時も寝ているときもず~っと前屈姿勢だった。4男も2週間くらいは、顔が変形していた。
 後日、S先生に「逆子の場合は、骨盤の歪みと関係あるみたいですが、お臍がまくって何か原因があるんでしょうか?」と尋ねると
「あるかもねぇ~。コンを詰めて前のめりでお仕事したりしているとなりやすいかもねぇ~。」と答えてくださった。 
 そうかもなぁ~。
 今回は、クリニックが、ソフロロジー式分娩を取り入れており、そのCDをお風呂に入ったときはゆったりと聴いたりして、上3人のにんぷ生活の時よりは、意識して『おうちリラックス』を心がけていたつもり。けれど、仕事はねぇ~・・・・・4人の中で一番ハードだった。やっぱり、息つく暇もないほど必死だった。冗談言いたくても聞く余裕も言う余裕もなかった。
 リラックスは、お風呂で腰湯をしている時だけだったかも・・・。起きてる残りの時間は必死だった。これじゃぁ、赤ちゃんがおへそを巻いてもおかしくないかもね。
 何ごともバランスが大切だ。24時間リラックスっていうのも、フニョフニョになりそうだし・・・・。やっぱりやっぱり、バリバリにんぷだからこそ、あえて1時間に1回、5分くらいホ~っと寛ぐ、そんな働くにんぷになろうではないか。否、ならねばならぬ。
 赤ちゃんが、『そんなんじゃカラダ壊すよ!』とママにメッセージを送ってくれたと感謝して、にんぷでなくても、緊張と弛緩の調和のとれた仕事生活ができるよう、感謝を行動に変えよう。
 実は、女性は、子どもを産み育てるという経験の中で、調度いい生き方の軌道修正ができるんじゃないかなぁ。けれど、男性は、それがないから、自分のカラダを大切に扱うことがヘタで40代50代で体のトラブルが出てきやすいのかも。
 
 体を張って、私に欠けているものを教えてくれた四男。 
 私に欠けているもの・・・・・それは、リラックス。
 ありがとう。


 逆子、へその緒が巻くことなどにかぎらず、アトピー、夜泣き、便秘、その他諸々赤ちゃんの気になることは、お母さんの目に見えない気になること・・・・かもしれない。
 「赤ちゃん、教えてくれてありがとう。あなたの警告をムダにしないようにするわね。」と自分を責めるのではなく、感謝して自分の人生に生かしていけるようなお母さんになれたらいいね。

 『なぜかしら、ゆったりできない 文明病』


 次は、『妊婦ヨガ やった分だけ 安産度アップ 』  です。


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オチンチンから産まれてきた三男 その2 それにしても、なぜ、逆子になってしまったんだろう?

2011年12月03日 | エッセー
 昼過ぎ病院を後にし、陣痛の合間にあっちこっち用を済ませて、家にたどり着いたのが午後2時30分。
 どうにかお産グッズを備え終わり、見苦しくない程度におそうじをすませたのが午後4時。
 いくら病人ではないとはいえ、陣痛の合間合間にする作業だ。さすがにクタっときて布団を敷いてしばらく横になった。
 夜のお仕事(?)の夫が、「今なら送っていけるからそろそろ出発しようか。」と申し出てくれたのに、タラリンコ無気力陣痛初体験の私は、今夜の満潮でなく明朝の満潮とにらんで、その申し出を断ってしまった。
 それが災いした。
 夕方5時を過ぎた頃から、タラリンコ無気力陣痛が突如高度成長し「運命」陣痛になった。
 ♪ジャジャジャジャ〜ン♫
 ♫ジャジャジャジャ〜ン♪
 「やば〜い。」
 明朝の満潮でなく、今夜の満潮に生まれそうな強さに陣痛がみるみる成長していった。
 夫はすでに仕事に出かけた。
 仕方ない。母親に連れて行ってもらうしかなさそうだ。車で10分の実家に電話すると、父が出て、母は外出中という。父に頼んだが、「店を閉めてまでして連れて行く気はない。」と冷たいことを言う。
 じっとしてられないので、母の帰りを待つべく、とりあえず実家に向かった。陣痛に負けるもんかとハンドルを強く握りしめ「どうか母が帰ってきていますように!」とひたすら祈りながらの運転だった。
 しかし期待とは裏腹に母は帰ってきていなかった。
 午後6時、本当にヤバくなってきた。
 陣痛が津波のようにバンバン押し寄せてきて、人と話すこともままならなくなってきた。
 ダメだ。
 限界だ。
 母は帰ってこない。
 父はつれない。

こうなりゃ、最後の手段だ。まだ、塾(夫の仕事)は始まっていない。夫にどうにかしてもらうしかない。
 さっそく、夫の仕事場に電話した。
 夫は飛んできた。
 どうやら怒っている暇などなさそうだ。ほっ。
 午後6時40分。実家を出発し、7時8分に高速道路のインターに入る。
 そして、いきなり時速1??キロの猛スピードでひたすら疾風のように走る、走る、走る。さすがー、レガシーBスッペクツインターボ250馬力・・・だそうです。(夫の自慢はここだけ)
 隣で今にも死にそう否生まれそうな形相で「ヒーヒーフー、ウン」と陣痛と格闘している声を出された暁にゃ、そりゃあー、どんな人間だってスピード狂になっちやうってもんだ。
 そうは言いながらも、『塾が急遽休みになったことを何とかして生徒に知らせないといけない』という大きな課題が助手席の私には残っている。私は、津波のように押し寄せてくる陣痛の合間に、携帯電話の電話番号をプッシュしては、夫に渡す作業もせねばならず、『超必死』だった。
 夫ときたら「なんという安定感、さすがレガシー」とルンルン気分。(ホント夫の自慢はこれだけなのであります。)
 揺れる車の中で「ヒーヒーフー、ウ〜~~ン」と叫びながらも名簿の電話番号を探し、プッシュしては夫にケータイを渡す作業は、かなりの集中力が必要で、はっきり言って地獄だった。電話が出なかったり、小さな子どもしかいないと疲れがどっと押し寄せて、全員かけ終わったときは、本当に、本当にホッとした。
 しかし、それも束の間、陣痛はいよいよ佳境に入っていった。

 
 午後7時28分。高速のインターを出て、イワバー助産院に着いたのが、7時38分。
 最後の15分は、今にも赤ちゃんが出てきそうで、必死でアソコをキューっとギューッと締めまくったぜ。そして、「どうか車の中で生まれませんように。」とひたすら祈る。祈る。祈る。
 だから、イワバー助産院の看板が見えた時のうれしさといったらなかった。
 さっそく、分娩台に横になると、イワバーがショッキングなことをのたまうではないか。
 「逆子だから、時間がかかるかもね。」
 「え~。この『運命』陣痛はブランド陣痛だ。間違いない。いつ生まれてもおかしくないくらいのパワーがある。私ももう十分しんどい。このしんどさがまだまだ続くの?うそ、嘘、ウソでしょう~。」と心の中で絶叫した。
 が、しかし、イワバーの予想に反して、うんこちゃんもじゃんじゃか溢れ出し、午後8時40分、三男は、かわいいオチンチンをチラチラさせながらお尻から産まれてきた。長引きそうと言われて、早く生まれるって、こんな幸せなことはない。
 ただ、逆子だったので、顔よりもオチンチンを先に見る羽目になり、「あ~、やっぱり私は男の子を産む体質なんだわ。」と諦めの境地のような気分をかみしめた。
 
 産まれたあと、イワバーはニコニコしながら「それにしても随分ゆっくりして来たわねぇ~。お昼に電話があってから、いつ来るか、いつ来るかとずっと待っていたのに、なかなか来なくてどうしたのかと思っていたのよ。」とおっしゃるではないか。
 「え~。ゆっくり来なさいとおっしゃったので、のんびり構えていたら、急に陣痛が本格的になったので慌てて来たんですよ~。」というと、
 「私は、道中気をつけてという意味で、ゆっくりと言ったつもりだったのよ~。ア~、ハッハッハ・・。」
 日本語は難しい。
 まぁ、結果、オーライだ。

 それにしても、なぜ、逆子になってしまったのだろうか?
 この疑問は、ず~っと私の脳裏から離れずにいたのだが、ある時、野口晴哉氏の整体の本を読んでいたら、その答えに出会えた。
 赤ちゃんは、お母さんお骨盤の状態に合わせて、一番居心地のいい体位を自ら選ぶのだそうだ。
 つまり、赤ちゃんの体位の異常は、母親の骨盤の歪みと大いに関係があるらしい。
 「なるほど。」
 私は、9ヶ月に入って、長男が足の骨折をした時、ギブスをはめて身動きできなくなった彼を幾度となく抱きかかえた。身重の体で6才の子どもをどう抱っこしたのかもう忘れてしまったが、きっとそのせいで骨盤が歪んで、その結果、三男がたどり着いた居心地のいいポジションが、『逆子』だったのだ。きっと。赤ちゃんが大きくなって骨盤の恥骨がちょっとしたことでズレやすくなっているので、6才児を抱きかかえたらあっという間にズレちゃったんだろうなぁ。
 教訓。にんぷは重いものを持っちゃダメね。
 それにしても、三男は、立て付けの悪いおうちに住むことになり、さぞ窮屈だっただろうなぁ。
 三男のお産体験で、ブランドお産を手にしたいなら、骨盤がズレないようお手入れすることが、まず、第一だと痛感した。 
 それにしても、お産は一人一人違うものなんだなぁ~・・・・・。何度体験しても想定外の出来事が起きる。


追伸
 四男を産んだクリニックで、「三男は逆子だったけど、すそも切らずに助産院で産みました。」と医者にイワバーの話をしたら、「逆子は、異常分娩に分類されるから、病院で産ませるもんだ。まぁ、ベテランの助産師さんは経験も豊富だから産ませちゃうんだろうねぇ。」と苦笑いされた。
 「え~、知らなかった。でも、知らぬが仏だったわ。知っていたら悩んだよ。きっと。」と心のどこかでホッとする私がいた。
 こりゃ、ブランドお産をしようと思ったら、本気でブランド骨盤にしておかなきゃいけないとしみじみ思った。(ブランド骨盤づくりのコツについては、また、あとで・・。)



 次は、『リラックスとへその緒の不思議な関係』  です。
 
 









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