最近、私が過去に読んだ本たちをかき集めて見えてきた『ある法則』の話をする。
骨が歪む人は、自分が感じたよくない感情をよくないと判断し、負の感情を感じないように捻じ曲げて感じようとする人であると、山口純子さんはいう。
つまり、私みたいに。
ほんとうは、『ひどいことを言われて傷ついた。言い返したいけれど、相手は上手だから、さらに追い打ちをかけるようなひどいことを言われたら、さらに言い返すなんて勇気はない。だから、言い返せない。そんな自分が情けない。』なのに。
自分の気持ちを訴える勇気のない私は、
『あんなひどいことを言う人ってかわいそうな人ね。』って無理やり判定し、かわいそうと思おうと努力することで、自分の心が傷つかないようにする。 それだけなら、まだいい。追加で『あんな人間にはなりたくない。』と心の中で軽蔑する。
ただ、ひどいことを言われて、心が傷ついた。
その気持ちをもっと丁寧に受け止めて、傷ついた自分の気持ちを味わい尽くすだけで、骨は歪まないらしい。
相手に負の感情をぶつけられなければ、誰もいない海や山で、大声で叫ぶといいのかもしれない。
くそ~~~日記みたいなものを作って、書きなぐってもいいのかもしれない。
誰か信用のおける弱みを見せられる人に、ひたすら聴いてもらえたら、最高だ。聴いてもらううちに、自分の気持ちが明確になり、整理されてくる。すっきり。
要は、瞬間瞬間に湧き出てくる自分の気持ちを消すと歪むし、消さないと歪まない。
つまり、『自分の(ほんとうの)気持ち実況中継アナウンサー』になるっきゃないってこと。
人生、自分の今感じている、今の気持ちに名前を付ける旅だ。きっと。
上手に名前を付けることができるようになればなるほど、つまり、本当の自分の気持ちをしっかり感じとることができるようになればなるほど、人生が上向きになるようだ。
いろんな本を読むごとに、何のために生きるのかという問いの答えの一つが、いい体験だろうが苦い体験だろうが、いろんな体験をしたときに感じる自分の気持ちを充分に味わい尽くすために生きるのだろうということが、うっすらと見えてきた。
私の人生は、いい人を目指してしまって、自分の気持ちを消しすぎて、おかげで、随分遠回りをしてしまった。
その象徴が、胃がんであり、右股関節の激痛であり、子どもたちの健やかな成長へのダメージであった。
自分の気持ちスルー癖が半端ない私は、そうそう簡単に自分の本当の気持ちに到達できにくい。
本格的なリハビリが必要だ。
ウっと感じた時に、すぐに、メモする癖をつける。
今日から。
携帯しやすいメモ帳を今日、買おう。
今日は、こどもの日だ。
自分の気持ち実況中継アナウンサーになれる子どもが、一人でも増えますように。
子どもが、ギャーギャー喚いたときに(自分の気持ち実況中継を始めた時に)、穏やかに耳を傾けんとする親が何人いるかな?
親や大人のせいで、道は険しい。