昔、農村地域の働き手たちは、仕事と稼ぎという言葉を使い分けていたという。
仕事とは、畑で作物を作ったり、木を伐採したり、狩りでイノシシを捕ったり、薪を割ったり、家の補修をしたりなどという家族を養うために行う行為だけではなく、村の祭りを準備したり、水路を清掃したり・・・など、お金にならないようなことも仕事と言っていたそう。
そして、方や、稼ぎとは、それでは賄えない時に、村の外に出て行って、お金をゲットするためにするというようなニュアンスだったという。
自営業かサラリーマンか。
仕事か稼ぎか。
稼ぎには、人生感が入っていなかったから、シンプルだったのかな。
今の時代、ほとんどの人が、就職するという選択をするわけだから、稼ぎ人だ。でも、そこに人生を詰め込もうとするから、しんどいのかな?
鼻から、仕事が稼ぎなら、仕事に幻滅することはない。お金さえもらえればいいのだから。でも、稼ぎから帰ってきても、そこに仕事がない。
お祭りの準備とか、村を維持するための水路の管理とか、畑もないし。
なんとなく、昔の仕事をしている人って、男の匂いがする。男社会と村社会は重なっていると思う。
先日、夕方、火事があった。
地元の消防団も駆け付けた。
消防団って、飲みも多い。
人が苦手な人にとっては、大変かもしれないけれど、あれって、仕事なのかもなぁって、今、思った。
今の時代の男性たちで、人生を感じられない仕事に就いている男性が、家に帰って育児を義務としてしないといけないような感じで生きているとしたら、稼ぎしかない人生となる。稼ぎだけで仕事のない人生って、男性のDNA的にしんどいかもしれないなぁって思ったり。
女性は、おそらく、昔から、子育てや家のことをして、時々、井戸端会議で息抜きや情報収集するというような感じで生きてきたから、今の時代、仕事が稼ぎであっても、家に帰れば、家事育児という昔からやってきたことをやって、バランスが取れる。
最近は、男性も中性化しているといわれるので、変化しているのかもしれない。稼ぐだけの仕事をしている夫の妻となった人は、夫に仕事をちょこっとでも与えてあげていいかもしれない。
例えば、お祭りの準備に張り切って、家のことをしてくれないとか、スポーツ少年団の野球の監督を引き受けちゃって、ワンオペ状態になっているとか・・・。きっと、そんな夫は、仕事をしているのだ。生きているのだ。
毎日そうだと、恨みになってしまうから、そこは、話し合って、時々、稼ぎだけの仕事をしている夫に、仕事をさせてあげよう。
DIY大好きなヒロミさん。一時期、芸能人をやめて、ジム経営をされていた。そして、また、芸能界に復帰されている。
ヒロミさんにとって、ジム経営やDIYこそ仕事だったのかなぁ。ひな壇でおしゃべりするのは稼ぎだったのかもしれない。