今の教育に一番必要なのは、できないことそれ自体は、へっちゃらというのびのびした他人の目線のない空気の中で、できたら自分がうれしいという感覚になれるような授業展開だと思う。四男もできない、あるいは、できそうにないことを人前でやらなくてはならないという事態が生じると、『しない』となって、非常に困る。他の子は、できるようになろうとして必死に頑張るのに、四男は、恥をかきたくないのだろう、頑なに断固『しない』という選択をする。
先日も、参観日で、大縄跳びがあった。縄跳びを回す先生の距離が縮まったら難度が上がる。四男は、どうもタイミングが合わず、毎回、縄がひっかかってしまい、4回目のトライで失敗してしまったとたん、『しない』を選択してしまった。先生は、知ってか知らずしてか、四男のことはおかまいなしに他の生徒たちとせっせと大縄跳びにいそしんでいた。四男は、ふてくされた様子でしゃがんでいる。途中、仲のいいお友達がやってきたけど、本人も、保護者の前で、もうこれ以上恥をかきたくなかったのだろう、結局、最後までしゃがんでいた。
親としては、『頑張れよ。』と言いたくもなったが、大勢の保護者の前でもうこれ以上恥はかきたくないだろうとも思い、彼の切なく苦しい心境を察すると胸がキュンとした。
タイミングをとれないということは、運動神経がイマイチなのだろう。
ただ、一つ、もしかしたらそれも関係あるかもと思い当たる節もあり、先生に伝えてみたけど、即、却下だった。
つづく
四男は、小学校に入るころまで、この子は右利きだろうか?それとも左利きだろうかとずっとわからなかった。お箸やハサミや鉛筆は左手で持つので左利きだろうと思うのだけれど、スポーツをするときの踏み足は右だし、野球のバットも右手で持つ。右か左かはっきりしない感じがずっとしていた。
だからと言っては言い訳がましいけれど、右か左か定まっていないカラダだから、タイミングをうまくとれずに、大縄飛びに飛び込むタイミングをとれずに、ひっかっかってしまうのではないかと、つい思ってしまって、それを先生に伝えてみたのだ。
『できないこで落ち込む』に慣れよう。
確かに、四男は、できないことに落ち込むことに慣れているかもしれないけれど、下手をすると苦手意識と恥ずかしい気持ちの増幅により、できないことのマイナス面を増強してしまう可能性もあるので・・。
つづく
心配。
と思っていたら、今日は、またまたダメ押しのように、二者面談で担任に想定外のことを言われてしまった。
「あなたのお子さんは、落ち着きのない子です。正直言って、あなたのお子さんにより授業が滞ることもあり、困っています。」
私は、四男が生まれてこのかた、落ち着きのない子だと思ったことは一度もない。というより、むしろ、集中力のある子だと思っていた。といっても、保育園までの話だけれど・・・。2センチ四方に細かくペンで絵を描くのが大好きで、その集中力には感動していた。
要するに、自分のしたいことや興味のあること(つまり、遊ぶこと)には、誰にも負けないくらいの集中力を発揮する。しかし、それは、裏を返せば、自分のしたくないこと(お勉強・・とくに、地道に覚えようと努力しなければならない読み書き)には、とことん、しないという選択をしてしまうということになる。やりたくない束縛だらけの空間に(つまり、教室に)7時間も拘束されてごらん。苦しくなるよね。だから、自分の世界に入っていく。その結果、授業中、先生の話はあえて聞かない。その結果、手遊びをする。空想にふける(つまり、ぼ~っとしている)。そして、最近は、離席するようになった・・・・らしい。もう一人、離席の先輩がいるので平気な気持ちで席を立つようになったのだと思う。
その姿を見て、先生からすれば、四男は、胸を張って何の迷いもなく”落ち着きのない子”と自信を持っておっしゃるのだ。
私が、いくら、それは、ほんとうの落ち着きのない子とは違うのではないでしょうか?と訴えても、聴く耳を持ってくださらなかった。
つづく
そして、こうおっしゃた。
「正直に申し上げて、○○くんは、テストの成績はこの学年で一番最後です。国語が、特に、漢字が書けないのが心配です。ひらがなもかけない時もあります。どうでしょうか。○○くんは、今の状況だと全然授業を聞こうとしないので(授業に参加していないので)難しいと思います。私も○○くんに合わせていくわけにはいきません。無理です。でも、○○くんは、1対1だとできる力があるので、3年生になったら、国語だけは特別支援クラスで授業を受けるという形にした方がいいように思うのですが・・・・・。」
え~~~~~~~~~~~~~~~~。特別支援クラス~~~~~~~~~~!!!!!
と内心、びっくり。
でも、5秒後に、その方が彼のためにはいいかも・・・とありがたい気持ちにもなった。
マンツーマンで個人レッスンしてくださるというのだから・・・・。ちょっとショックだけど、物は考えようだ。ありがたいじゃん。
四男は、学校というシステムに全然同化しようとしていない。
でも、今の日本では、彼の居場所は学校しかないのだ。今の学校をいうシステムの中で学力を身に着けていくしかないのだ。どうにかして、それなりに同化し、それなりに最低限の学力は身に着けていってもらうしかない。
つづく
担任の先生は、正直言って迷惑と言いたげな余韻を響かせながら、こうおっしゃった。子どもたち全体の学力をつけてあげたいのに、四男のせいでそれができいない。四男にかまっていたら他の子の授業の弊害になるというような冷たい視線を、親としては感じた。親がもっと叱りしてもらわないと困るというようなやや批判的な視線をチクリと感じた。
私は私で一生懸命やっているんですけどねぇ。この四男ときたら、ほんとうに扱いにくい子なんだもの。やる気モードになるまでに相当な時間を要するし、先生は先生で宿題をドバっと相手かまわず出されるし・・・・。もう少し、相手によって宿題の量を調整してくだされば、四男のやる気モードも短時間でウォーミングアップされるのに・・・・・。そこらへんのところを訴えても耳を貸そうとしてくださらない。こりゃ、ダメだ…と思った。
それで、先日の講演会で右脳左脳のお話をされた澤口教授を師とする支援学校の先生に、家庭での対応の仕方などのコツをお聞きしたいと相談すると、「それもいいかもしれませんが、直接はダメです。児童相談所に相談してきちんとしたルートにのっとってください。」とおっしゃった。
校長先生が、ぜひにということで、先の講演会が実現されたという。四男の先生は、一番前の席でその話を聞いていらした。ときどき、こっくりこっくりと頭で舟をこいでいたけれど・・・。あの右脳左脳のお話は、この担任の先生にはどう聞こえたのだろうか?まさにまさに、四男のような子どもへの対応の仕方をちょこっと変えるだけで、成績もぐ~ンと伸びる話だったのではなかろうか。自分のクラスに自分にとって非常に困った扱いにくい子どもがいる。どうにかしたい。と思えば、その先生のお話をもっと詳しく聞いて、四男に試してみようという風には思われないのだろうか?
先生との面談は、先生から、『私は彼を見捨てました。』という最後通告だった。
つづく
親は親なりに精いっぱいやっているのに、先生から『お宅のお子さんにはほとほと困っています。』と言われたら、親はどうしたらよいのだろう。せめて、アドバイスくらいしてほしいし、そんな気になる子についての対応の仕方についてのノウハウを学ぼうという気持ちでいてほしいものだ。わかるよ。わかる。うちの子だけが生徒ではないし、時間は限られているっていうのは。でも、それならそれで、ゆっくり対応する余裕がないので、対応の仕方について私も学んでお伝えしますので協力をお願いします・・・などなど、言ってくださればありがたいのに、私が、仮面落ち着きのない子だと訴えても、聴く耳を持たず、私が持っていて先生が知らない四男の情報についてちっとも興味を持ってくださらなかった。何が残念かって、それが一番残念だった。
自分の情報が一番だという過信は、怖いなと思った。
あ~~~、この先生は、人間には興味ないんだろうなぁ。仕方ない。
もっと、人間に興味のある先生に出逢えますように。
つづく
先日も、参観日で、大縄跳びがあった。縄跳びを回す先生の距離が縮まったら難度が上がる。四男は、どうもタイミングが合わず、毎回、縄がひっかかってしまい、4回目のトライで失敗してしまったとたん、『しない』を選択してしまった。先生は、知ってか知らずしてか、四男のことはおかまいなしに他の生徒たちとせっせと大縄跳びにいそしんでいた。四男は、ふてくされた様子でしゃがんでいる。途中、仲のいいお友達がやってきたけど、本人も、保護者の前で、もうこれ以上恥をかきたくなかったのだろう、結局、最後までしゃがんでいた。
親としては、『頑張れよ。』と言いたくもなったが、大勢の保護者の前でもうこれ以上恥はかきたくないだろうとも思い、彼の切なく苦しい心境を察すると胸がキュンとした。
タイミングをとれないということは、運動神経がイマイチなのだろう。
ただ、一つ、もしかしたらそれも関係あるかもと思い当たる節もあり、先生に伝えてみたけど、即、却下だった。
つづく
四男は、小学校に入るころまで、この子は右利きだろうか?それとも左利きだろうかとずっとわからなかった。お箸やハサミや鉛筆は左手で持つので左利きだろうと思うのだけれど、スポーツをするときの踏み足は右だし、野球のバットも右手で持つ。右か左かはっきりしない感じがずっとしていた。
だからと言っては言い訳がましいけれど、右か左か定まっていないカラダだから、タイミングをうまくとれずに、大縄飛びに飛び込むタイミングをとれずに、ひっかっかってしまうのではないかと、つい思ってしまって、それを先生に伝えてみたのだ。
『できないこで落ち込む』に慣れよう。
確かに、四男は、できないことに落ち込むことに慣れているかもしれないけれど、下手をすると苦手意識と恥ずかしい気持ちの増幅により、できないことのマイナス面を増強してしまう可能性もあるので・・。
つづく
心配。
と思っていたら、今日は、またまたダメ押しのように、二者面談で担任に想定外のことを言われてしまった。
「あなたのお子さんは、落ち着きのない子です。正直言って、あなたのお子さんにより授業が滞ることもあり、困っています。」
私は、四男が生まれてこのかた、落ち着きのない子だと思ったことは一度もない。というより、むしろ、集中力のある子だと思っていた。といっても、保育園までの話だけれど・・・。2センチ四方に細かくペンで絵を描くのが大好きで、その集中力には感動していた。
要するに、自分のしたいことや興味のあること(つまり、遊ぶこと)には、誰にも負けないくらいの集中力を発揮する。しかし、それは、裏を返せば、自分のしたくないこと(お勉強・・とくに、地道に覚えようと努力しなければならない読み書き)には、とことん、しないという選択をしてしまうということになる。やりたくない束縛だらけの空間に(つまり、教室に)7時間も拘束されてごらん。苦しくなるよね。だから、自分の世界に入っていく。その結果、授業中、先生の話はあえて聞かない。その結果、手遊びをする。空想にふける(つまり、ぼ~っとしている)。そして、最近は、離席するようになった・・・・らしい。もう一人、離席の先輩がいるので平気な気持ちで席を立つようになったのだと思う。
その姿を見て、先生からすれば、四男は、胸を張って何の迷いもなく”落ち着きのない子”と自信を持っておっしゃるのだ。
私が、いくら、それは、ほんとうの落ち着きのない子とは違うのではないでしょうか?と訴えても、聴く耳を持ってくださらなかった。
つづく
そして、こうおっしゃた。
「正直に申し上げて、○○くんは、テストの成績はこの学年で一番最後です。国語が、特に、漢字が書けないのが心配です。ひらがなもかけない時もあります。どうでしょうか。○○くんは、今の状況だと全然授業を聞こうとしないので(授業に参加していないので)難しいと思います。私も○○くんに合わせていくわけにはいきません。無理です。でも、○○くんは、1対1だとできる力があるので、3年生になったら、国語だけは特別支援クラスで授業を受けるという形にした方がいいように思うのですが・・・・・。」
え~~~~~~~~~~~~~~~~。特別支援クラス~~~~~~~~~~!!!!!
と内心、びっくり。
でも、5秒後に、その方が彼のためにはいいかも・・・とありがたい気持ちにもなった。
マンツーマンで個人レッスンしてくださるというのだから・・・・。ちょっとショックだけど、物は考えようだ。ありがたいじゃん。
四男は、学校というシステムに全然同化しようとしていない。
でも、今の日本では、彼の居場所は学校しかないのだ。今の学校をいうシステムの中で学力を身に着けていくしかないのだ。どうにかして、それなりに同化し、それなりに最低限の学力は身に着けていってもらうしかない。
つづく
担任の先生は、正直言って迷惑と言いたげな余韻を響かせながら、こうおっしゃった。子どもたち全体の学力をつけてあげたいのに、四男のせいでそれができいない。四男にかまっていたら他の子の授業の弊害になるというような冷たい視線を、親としては感じた。親がもっと叱りしてもらわないと困るというようなやや批判的な視線をチクリと感じた。
私は私で一生懸命やっているんですけどねぇ。この四男ときたら、ほんとうに扱いにくい子なんだもの。やる気モードになるまでに相当な時間を要するし、先生は先生で宿題をドバっと相手かまわず出されるし・・・・。もう少し、相手によって宿題の量を調整してくだされば、四男のやる気モードも短時間でウォーミングアップされるのに・・・・・。そこらへんのところを訴えても耳を貸そうとしてくださらない。こりゃ、ダメだ…と思った。
それで、先日の講演会で右脳左脳のお話をされた澤口教授を師とする支援学校の先生に、家庭での対応の仕方などのコツをお聞きしたいと相談すると、「それもいいかもしれませんが、直接はダメです。児童相談所に相談してきちんとしたルートにのっとってください。」とおっしゃった。
校長先生が、ぜひにということで、先の講演会が実現されたという。四男の先生は、一番前の席でその話を聞いていらした。ときどき、こっくりこっくりと頭で舟をこいでいたけれど・・・。あの右脳左脳のお話は、この担任の先生にはどう聞こえたのだろうか?まさにまさに、四男のような子どもへの対応の仕方をちょこっと変えるだけで、成績もぐ~ンと伸びる話だったのではなかろうか。自分のクラスに自分にとって非常に困った扱いにくい子どもがいる。どうにかしたい。と思えば、その先生のお話をもっと詳しく聞いて、四男に試してみようという風には思われないのだろうか?
先生との面談は、先生から、『私は彼を見捨てました。』という最後通告だった。
つづく
親は親なりに精いっぱいやっているのに、先生から『お宅のお子さんにはほとほと困っています。』と言われたら、親はどうしたらよいのだろう。せめて、アドバイスくらいしてほしいし、そんな気になる子についての対応の仕方についてのノウハウを学ぼうという気持ちでいてほしいものだ。わかるよ。わかる。うちの子だけが生徒ではないし、時間は限られているっていうのは。でも、それならそれで、ゆっくり対応する余裕がないので、対応の仕方について私も学んでお伝えしますので協力をお願いします・・・などなど、言ってくださればありがたいのに、私が、仮面落ち着きのない子だと訴えても、聴く耳を持たず、私が持っていて先生が知らない四男の情報についてちっとも興味を持ってくださらなかった。何が残念かって、それが一番残念だった。
自分の情報が一番だという過信は、怖いなと思った。
あ~~~、この先生は、人間には興味ないんだろうなぁ。仕方ない。
もっと、人間に興味のある先生に出逢えますように。
つづく