世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

茨城県議選・大惨敗!民主党議員に告ぐ 頭と心で何をすべきか考えろ!

2010年12月13日 | 日記
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茨城県議選・大惨敗!民主党議員に告ぐ 頭と心で何をすべきか考えろ!


茨城県議選の結果が出た。定数65議席の県議会で、民主党は6議席を占めるのみ、泡沫政党のような状況だ。

今回は10議席で大勝利だ、と意味不明な事を言い出していたがそれも適わず、完璧な大敗北だ。民主は推薦含め24人を擁立、二桁の議席を狙っていた。しかし、政権与党の追い風をまったく得られない状況で、6議席に終わった。現有維持だからチャラではない、24人擁立で6人しか当選していない。自民党は33議席、無所属保守を含めると39人だ。39対6です。もう菅民主党の凋落に歯止めはかからない。

判ったろう、菅を愛する馬鹿民主党議員206人ども!君達に明日はない!

保守王国茨城県とは言うものの、先の衆議院選では、選挙区ごとに1名の議員を誕生させた。勿論、民主党と云う風が吹いていたが、小沢一郎の指揮命令による選挙運動が功を奏した部分も大きい。来春の統一地方選はもっと厳しくなる。民主党と旗を立てた途端に落選だよ。これも岡田君、小沢一郎の所為かね?

菅直人政権になって以降、選挙と云う選挙はすべて敗北である。国民・県民・市民が直接意志表示する公職選挙法に基づく選挙こそが「民意」であるとするならば、6ヶ月間にわたり「民意」は民主党に「絶大的NO」を突きつけたことになる。 先に行われた松戸市議選などは、とても政権与党の選挙とは思えない無惨な結果で、共産党5名の半分にも満たない2名しか当選させられなかった。それもビリ当選、現役すべてが落選と云う笑い話のオマケまでついている。

菅直人が民主党の顔となって以降選挙をするたびに、結果は惨状の度を強めている。しかし、菅総理・岡田幹事長・渡辺選対委員長は責任の「せ」の字に言及することも無く、ホテルで飯を喰らい、小沢一郎の所為にし、野党の生贄の準備に勤しみ、テレビ画面で恩人の悪口を言い募る。

流石の菅民主党もあまりにもマズイ選挙結果に、茨城県議選にはそれなりの力を注いでいた。鳩山由紀夫前首相、枝野幸男幹事長代理、海江田万里経財相、江田五月前参院議長、馬淵澄夫国交相、蓮舫行政刷新相、岡田克也幹事長、松原仁衆院議員、 石井一参院議員、鹿野道彦農相、長妻昭副幹事長、谷亮子参院議員、とさながらオールスターキャストなのだが、それでも結果は大惨敗だった。政権与党が65議席の内6議席?これって何なのと正常な神経の持ち主なら、即座に判断のつく現象である。

この菅直人民主党の儘で、次回の衆議院選挙に勝てると思っているのだろうか?菅や仙谷はわが世の春を謳歌すれば、それはそれで満足だろう。負けても構わないと腹を括っているだろう。なにせ、どうすれば国政選挙に勝てるか、その手法さえ知らないのだから、打つ手はない。手法があるとすれば、民主党代表選で行った「人事の餌」「官房機密費の現ナマ」位のもので、「小沢では解散総選挙のデマ」は使えない。

小沢のような選挙戦略も応援布陣もなく、ただオールキャストで街頭演説するしか方法を知らない。組織票のまとめ・どぶ板・辻立ちで票の掘り起こしをする地道な努力を彼等は嫌いなのだから、選挙には絶対に勝てない。真似する小沢が何か言わなければ、抱きつく言葉すらないのだ。

故に菅直人は代表選で、心にもない理念政策を小沢に抱きつく事で誤魔化した。補正を通し閉会を迎えると福島みずほ、亀井静香に抱きつき、舌の根も乾かぬ状態で、今度は公明党に抱きつき、自民党にまで抱きつこうと云う勢いだ。

政治理念も政策も無い菅直人。彼には国家を運営する器量も度量も、矜持も知恵も無い。否、抱きつく知恵だけは磨きがかかっている。 考えてみると、菅は過去において、市川房江に抱きつき、伸子夫人に抱きつき、某女性にも抱きつき、小沢と鳩山に抱きつき、前原誠司や仙谷に抱きつき、ヒッチャカメッチャカの「節操無き抱きつき魔」なわけだ。忘れるところだったが霞が関と腐れマスメディア、米国にも抱きついている。

まぁ「節操無き抱きつき魔」であっても選挙に強く、次回衆議院選で全員を国会に無事帰還させる器量があるのなら、それなら抱きつきも悪くない。しかし、悉く行われる選挙で惨敗に継ぐ惨敗の戦歴を見て、衆議院選だけは違う風が吹く、と云う神頼みはやめた方が良い。

このままの菅政権の運営能力では自公との協力も期待できない。眺めているだけで沈没する底割れの難破船に乗船する馬鹿は居ないだろう。最長持ったとしても4月の統一地方選までだろう。その頃には、菅政権の支持率は10%台前半になっている。末期も末期、臨終間際だ。その時点で「解散・総選挙」をせざるを得ないのが参議院のネジレ状態だ。本予算が通っても、予算の執行法案が通らない、万事休すわけである。

民主党の衆議院議員の諸君、来年5月か6月の総選挙の準備は出来ているのかね?国会に戻ってくる自信はあるのかね?誰が応援してくれるのかね?どのような選挙戦術をするべきか判っているのかね?街頭演説にオールキャストで臨めば勝てるとお思いか?

君たちは09年の夢あふれる国民に約束した民主党マニュフェストを語ることは出来ないのだよ。真逆の政策の実績を語るんだよ。隷米の価値を語り、官僚の良さを語り、消費税増税の意義を語り、法人税減税の意義を語り、「国民生活は二の次だけど清き一票を」とマイクに向かって叫ぶんだよ。 国会に戻ってこられる衆議院議員は間違いなく半数以下だ。下手をすると松戸市議会のような様相になるかもしれない。3人に一人が戻ってきたら「勝利宣言」してしまいそうな政権が菅直人民主党政権だ。

ここに至っても、「小沢の問題が・・・」と小選挙区で落選、比例で復活するであろう菅直人自身が語るに違いない(笑)かくして民主党は下野、或いは運が良ければ、自公政権に抱きつく民主党が誕生、自公民政権が生まれているかもしれない。大臣枠は多くて2席ってところか。 まぁこんな縁起でもない想像はしたくはないのだが、菅の反動的政権運営や岡田の選挙下手を見ていると、あながち妄想と云うレベルのものではなく、推測出来る範囲の未来図だ。

民主党議員の諸君よ、無職になるんだよ。国民の失業率は5%程度だけど、君達の失業率は70%だぜ!政治家廃業するかね?今後の生活はどうするのかね?3人に2人が落ちるんだよ。判るね、判っているよね、僕だけは大丈夫は通用しないよ。君たちは国会議員として、有権者に胸を張って、政治でこれをしてきた、こう云う実績を挙げたと主張する何ものかを持っているのかね?胸に手を当てたら、歳費だけ頂いていた税金泥棒な自分に気づくのではないのか?一生後悔することになるよ。

自立し、自分の力を分析せよ。頭と心をフル回転させて、日本の将来、自分の将来の見取り図を描け。高邁な政策ビジョンも良いだろうが、足元を見つめる事だ。一歩前の君の道は泥沼だ、底なし沼だぞ!政治をする前に生活者として落ちこぼれるぞ。勿論、そういう体験も人生の肥やしにはなる。それを敢えて実践するのも政治家の矜持だ。しかし、落選議員の日々は過酷だぞ。政界に戻る地道な努力は精神的に・肉体的に・金銭的に生半可なものではない。その事だけは確実にたしかだ。

筆者は早急に民主党内で、現在の脱小沢なオリジナル純化路線が正しいのかどうか必死で考えるべき時点に差し掛かっていると考察する。現在の菅政権の政治の方向性が自分の政治信条と離反していないか、政権交代時の民主党と何処がどのように違っているのか、その点の検証をすべき時だと思う。国民の「民意」は鳩山・小沢ラインのマニュフェストは支持した。菅・枝野ラインのマニュフェストは拒否された。その拒否は、菅・仙谷・岡田ラインでも他の選挙を通じて継続している。この元凶が小沢一郎の「政治とカネ」と主張する現政権の人々の認識が正しいかどうか、一議員、一人間として論理的に分析し、最期は心に尋ねてみる事だ。

政倫審の委員会議決があろうが無かろうが、それを決めるのは小沢一郎個人だ。強制力を持たせようとするなら、離党勧告がセットにならなければならない。しかし、それでも判断は小沢一郎個人に帰する。

そんな事よりも、民主党両院に所属する議員は自分の政治生命を考えるべきである。全議員総計412議員、その1/3の137議員以上の請求により臨時の両院議員総会は開催される。そこで民主党がどうあるべきか、五臓六腑を曝け出して議論すべき時だ。

09年政権交代時の民主党と現在の菅政権は、何処が同じで何処が違うのか、明確に確認すべきだ。そして、今後の菅直人で与党政権として行うべき何が出来るのか?出来ないのか問うべきである。 この議論がなされずに鳩山から菅に政権が移った事で民主党内に混乱が起きているのが現実だ。挙党態勢を再構築するのかしないのか?それをせずに野党に秋波を送るのか?党内野党は政党上の野党より野党だと言うのか?その辺を明確にしないと、民主党の再浮上は不可能だ。そして、現衆議院議員は半数以上の討ち死にを、座して待つかどうか決定しなければならないだろう。


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両院議員総会開催の条件、議員総数の1/3確保が雌雄を決す

2010年12月12日 | 日記
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両院議員総会開催の条件、議員総数の1/3確保が雌雄を決す


ここ数日のマスメディアの論調は、“菅・岡田の小沢包囲網強し” “小沢陣営は防戦一方”と云う潮流を作り上げている。森元総理の「小沢抜きの連立なら…」などと云う発言を鬼の首を取ったように報道している。

未だにマスメディアの報道を信じる議員が存在する以上、浮足立った民主党の体たらく議員に一定の揺さぶりを掛けることは事実だ。 しかし、先の参議院選挙以降、菅民主党政権は国政、首長、地方選全てで、連戦連敗な選挙結果を招いている。

現時点の民主党の責任者は菅直人だ。NO2が仙谷。選挙を仕切ると云う意味では幹事長の岡田克也であり、幹事長代理の枝野幸男だ。オマケで言えば選対委員長の渡辺周だ。この渡辺周に至っては、選挙対策委員長として、生きているか死んでいるか判らないほど存在感がない。多分何もしていない、出来ないのだろう。テレビの画面で反小沢広告塔の役目だけを仰せつかっているようだ。

実際問題、現民主党にはあらゆる選挙を指揮指導する司令塔がいないのだ。誰が責任者かさえ曖昧で、当然誰も責任を取らない組織であり、且つそのような精神構造になっている。この部分を見ると、極めて社会主義者集団のように見える。しかし向かおうとしている、隷米・TPP・消費税増税路線を見る限り、ネオコンである。

一体全体、この菅直人民主党政権の性格は保守なのか革新なのか?表の顔は親米で、裏の顔は親中だ。何処に向かっていくのか、筆者は気持の悪いモノを見ている気分だ。

小沢一郎排除の論理だけが政権の絶対的座標軸になっている。政権与党が何をすべきか、何がしたいのか、そんな事は二の次三の次、当然選挙に負けようが勝とうが知ったことではないという事だ。

最近の岡田の言動がすべてを語っている。人類の健康被害が“すべてはタバコに原因あり”と云った「魔女狩り的元凶操作」と同様で、「すべての問題の原点は小沢一郎の政治とカネだ」という魔女狩り元凶を操作し、小沢一郎にすべてを擦りつけ、それでなんとか打開の道が見えてくるのではないか?と云う、いい加減にして超甘い見通しの素人与党政権だという事になる。

こんな政権なら壊れた方がマシだろう。国益に反する政権与党だ。もし、国益に適う政権与党でありたいのであれば、それなりの責任の在処を明確にし、常に責任が取れる体制を準備しなければならない。小沢の政倫審招致を議決したいならするが善かろう。しかし、その結果招くかもしれない政局の責任、落とし前もつけて貰おうではないか。

仮に政倫審に小沢が出て事が解決するなら、小沢は出るだろうが、出たら次に証人喚問だという話に必ずなる。政倫審であろうと証人喚問であろうと、野党は民主党を追い込む為の材料としているのだから、何をやっても無駄である。おそらく、現時点で政倫審出席が菅民主党の試金石的マスメディアの論調だが、次には仙谷の問責決議案の落とし前がついていないと攻め立てるだけである。 試しに実行するわけにはいかないが、小沢が政倫審に出ても、支持率は上昇しないだろう。今度は離党勧告も出来ないのかと来る。菅仙谷の事だから、渡りに船と離党勧告を出す事も視野にはあるだろう。

しかし、マスメディアの取材能力なんて糞みたいなものだ。ナベツネ・中曽根・森・与謝野等が反小沢で動いているような論調になりつつあるが、彼らが反小沢か親小沢かは峻別出来ない。 マスメディアだけは歴然たる「反小沢陣営」だが、自民党やみんなの党の連中がこぞって、親菅反小沢の如きインタビュー報道に徹しているが、おそらく態勢は半々だと思われる。

現時点の民主党内も親菅、親小沢に二分されている点も彼等は報道しようとはしない。兎に角、小沢一郎が不利になる事をほじくり出してでも報道しようという腹が出来ている。腹が据わっている点では、民主党議員より、マスメディアの団結度が数段上だ。(笑)この事に、民主党議員が踊るか踊らないかで、第二ラウンドの雌雄は決する。

13日月曜日が民主党にとって、天下分け目の忘れられない記念日になるかもしれない。小沢一郎への政倫審出席議決。茨城県議選の敗北と緊急両院議員総会開催の1/3議席確保は相当の鍔迫り合いになるものと思われる。

両院議員総会の開催が決まれば、9分9厘、菅直人の更迭も決定するだろう。1/3議席確保が小沢陣営の最大の難関だ。しかし、分党とか離党が目的ではない。選挙に勝てる党、挙党一致態勢を再生しようという「大義」があるのだから、賛成は得やすい。原口・樽床・輿石らの奮闘を期待したい。

ここで踏ん張りを見せないと、松野頼、原口、樽床、海江田、川内、大塚、小沢鋭、階、三井、松本剛、細野ら、次代を担う政治家にあらずというレッテルが貼られ、腐った政権与党民主党と共に埋没す危険に晒されるだろう。1/3議席確保を見て、小沢は明確な意見を表明するのではないか?小沢は民主党内で待ちの態勢を強いられている。ここは、親小沢や小沢を理解する民主党議員の心意気を見せつける場面だ。この場面で意志表示を躊躇う政治家は信用できない。筆者はその点に強く興味を抱いている。さぁ誰が1/3議席確保に動き、民主党挙党一致政権の再構築に立ちあがるか、それを見せて貰おうではないか。


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菅の連立話はガセだろう、それよりも緊急両院議員総会開催が見物だ

2010年12月10日 | 日記
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菅の連立話はガセだろう、それよりも緊急両院議員総会開催が見物だ


平沼赳夫率いる「たちあがれ日本」でどうにも身の置き所に苦慮する与謝野馨、自民党での影響力を削がれた元首相・森喜朗、政治フィクサーに成り下がった右翼系ジャーナリスト・ナベツネ。この三人の年齢を足して3で割った平均年齢は77歳、もう彼等の時代ではないと見るのが妥当だろう。

森は一丁上がりの人間であり、与謝野は議員でありながら準浪人のような身、ナベツネに至っては老害メディア人としての誉れが高い。このような人種が昼日中から、「民自連立」を話題に、政治の周辺をウロウロ徘徊し、それでなくても大混乱している政局を引っかき回すとはオソレイ入る。ほとんど、騒乱罪適用と非難すべき行動だ。

馬鹿げた政局話と不問にふすことも可能だが、瓢箪から駒という方向に行かないとも限らないのが、酩酊状態の現在の菅民主党政権だ。この3人に与えられた役目は、単に目立つように動き回れと云うものかもしれない。仮に本気で動いているのなら、裏で糸を引くのは中曽根康弘と米国だろう。

この話、面白い事に三人が目立つようにわざわざ動いている。そして、現時点で菅民主と谷垣自民の連立の話なのか、小沢一郎と一部自民党との連立なのか、どちらとも判断がつかないモラトリアム状態になっている。場合によると、老害3人組の政局アソビと云う事もある。

しかし、民主党内が小沢と仙谷を材料に綱引きをし、両者が脅し合いをしているのは事実だ。謂わば、乱闘になる前に牙を剥き、恫喝の唸り声を挙げあい睨みあっている状況だ。

ただ、冷静に考えると、小沢への政倫審への国会議決は決議があっても、出る出ないは小沢の自由である。また、出席拒否で離党勧告、除名などの強硬手段を講じることが、現在の菅政権に出来るとは思えない。 仮にあるとすれば、公明党との連立握りが完璧に成就し、且つ自民党の一部乃至は他の野党との連立までウィングを拡げないと、勝算なき「離党勧告・除籍」と云う間抜けな寸劇を演じることになる。

菅・仙谷・岡田にそのような芸当が可能なら、現在のような崩壊寸前の政権が出現していること自体が怪になる。 問責で辞任を迫られている仙谷の更迭は任命責任の菅直人の命運でもある。これを、12日の茨城県議会選挙の結果を受け(概ね民主党の惨敗が予想されている)緊急に開催を要求される両院議員総会が菅政権の修羅場であり、小沢派の第一回の勝負どころと見ることが出来る。

小沢側としては17日の金曜日に両院議員総会の開催を目論んでいるようだ。 勿論、痩せても枯れても3か月前に小沢を破り、代表・首相である菅直人の方が理屈上有利だ。しかし、両院議員総会には過半数で、代表の更迭を決する機能があるので、議員だけの議決で決まる。つまり、検審の「強制起訴」の噂も使えないし、代表選時の姑息なマジックは通用しない。

また代表選で菅直人に投票した議員の中の相当数が小沢だと「解散総選挙だ」と云う仙谷・前原・枝野に騙されたと気づいている者が存在するので、概ね小沢側の勝利が見えている。

双方の陣営のハードルを勘案すると、菅首相の連立協議の方が数段高い。小沢・鳩山グループの離脱の頭数を把握しなければならない。それに見合う人数の連立が必要なので、何処と何処、誰と誰と云う具合で、菅・仙谷・岡田では能力不足だし、相手も足元を見透かすので、容易に事は運ばないだろう。

それに比べて、小沢側の方向は明確だ。民主党を再生させなければならない。国民のための政治が出来る党内挙党態勢が最重要、国民の信頼を取り戻し、地方を応援しなければならないのだと主張するだけで良い。あくまで主張は民主党の挙党態勢の構築、菅・仙谷排除などおくびにも出さないで充分なのだ。

当然、菅直人更迭となれば、代表の選出が必要になる。そこで小沢一郎が推薦されるか、原口、樽床等々が推されるか、思案のしどころだ。ダークホースに鳩山、松本(剛)等も考えられる。仮に小沢一郎代表の場合、代総分離で亀井静香、マスゾエを総理にするウルトラCもあり得る。奇妙な具合だが、民主党議員の政治成熟度が今ひとつだと云う事が、こう云う事を考えると如実に現れるのが悩みだ。

政権与党を動かすと云う事は本当に難しい。 小沢支持の筆者としては、小沢一郎が強制起訴されようと、代表で総理が理想だが、今は一歩退く方がベターな選択に思われる。直近の統一地方選の支援と云う命題を抱えている以上、所謂マスメディア対策も視野に入れざるを得ない。その点では、6月の代表選で名乗り出た樽床の目が一番手、原口が二番手だろう。筆者は亀井が面白いと思っているのだが、やはり選挙では烏合の一票も一票、この点は考慮せざるを得ない。 今夜はマスメディアが、真偽不明の連立政局報道に煽られて、筆者もチョイと考えてみた。その結果、小沢の政倫審議決云々に口をする余裕など到底ない菅直人の事情が見えてきた。少なくとも、政倫審議決が菅の自殺行為である可能性は高そうだ。

菅直人はどうも、小沢と鳩山の動きが心配で仕方ないらしく、昨夜はマスゾエを呼び出した。案外、与謝野や森を呼び出したのも菅直人側かもしれない。つまり、与謝野、森、マスゾエ等は菅に呼び出される前に小沢一郎と接触しているし、ナベツネも鳩山と会っている。その前には、稲盛・小沢・鳩山会談もあった。つまりは、菅直人は再び小沢一郎の戦略に、後追いで抱きつくような戦術に出たようだが、首相と云う立場になった場合、その抱きつき効果は無効だろう。


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げに怖ろしき翼賛会首謀朝日新聞 検察と朝日の地位は既に逆転している

2010年12月09日 | 日記
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げに怖ろしき翼賛会首謀朝日新聞 検察と朝日の地位は既に逆転している


我々国民の意志と云うものは、マスメディアなどが行う「世論調査」に示される「世論」と民主主義の基本である選挙によって示される「民意」がある。(*世論、民意などの言葉は曖昧に使われるが、筆者はこう云う区別にしている。朝日などは、自社の調査の傾向を軽々に民意などと語るが、読者が誤解を招く表現だ)

世論と民意、どちらが優位にいるかと言えば、当然だが「民意」だ。民主主義の基本中の基本、特に国政選挙で示された「民意」を政治の原点としない限り、民主主義は成立しえない。 国民が国政選挙において政党や政治家を選択する判断基準情報は、個人レベルでマスメディアの報道に頼らざるを得ない。

最近はネットメディアや個人ブログなど、それなりに活躍しているが、マスメディアの拡散度には到底及ばない。本来、このマスメディアの報道が公平公正であり、あくまで事実を事実として客観的報道を拡散するものでなくてはならないが事実は相当の乖離がある。 筆者は、個々のマスメディアの単体が、自社の主張を語る権利は当然認める立場だ。思う存分、言論の自由、報道の自由の範囲で自らの主張や政党の支持や政策への賛否を報道する自由を認める。気に入らなくても、その分析・解説を認めようと思っている。

ただ、我が国の新聞5社、6テレビ局の計11社が源流において、立ち位置が“金太郎アメ”になった時、それは大政翼賛報道機関となるわけで、単なる機関紙化するわけである。 この大政翼賛報道は残念ながら、国民の大多数を同一の方向に導く能力を有しているので、常に国家の暴走と紙一重の危険を内在している。歴史を遡る限り、この国家の暴走と云うか、挙国一致・一致団結の方向性が、結果的に国民に負の遺産を残しているのが事実だ。

直近で言えば、菅民主党政権の誕生、小泉政権礼賛、自社55年体制、第二次世界大戦等々と云った具合だ。 しかし、このようなマスメディアの大政翼賛報道は現在においては、ネットメディア、個人ブログ、掲示板等々で一定の歯止めは効いている。勿論、国民自ら、その情報を求めない限り入手は出来ないが、機会は与えられている。

また、政党や実際の政策への支持と云う問題は、単にその時の大政翼賛報道で決定されるわけではない。国民一人ひとりの固有の思想信条や生活環境で選択されることも多いので、すべてをマスメディアの罪だと断罪するのは、言い過ぎでもある。

しかし、この「大政翼賛報道」が一個人に向けられた時、その“金太郎アメ報道”は名前のような微笑ましさとは裏腹に、悪魔となるのだと思う。この我が国のマスメディアが行った大政翼賛報道・個人版で時代の潮流を変えてしまうような個人を葬り去った、葬ろうとしている状況は見逃しがたい。

筆者の記憶の範囲だが、ロッキードの田中角栄、リクルートの江副浩正、ライブドアの堀江貴文、検察裏金の三井環、そして民主党政権交代の立役者・小沢一郎だ。勿論、彼等は公人であるとか、公益性の高い経営者と云う立場ではあるが、最終的には個人攻撃で社会的制裁乃至は法的処罰を被ったわけだから、結果的に個人攻撃な大政翼賛報道がなされた。

この個々の大政翼賛報道の功罪を詳細に解析することは控えるが、概ね既存の流れ(国家の秩序)に混乱を犯す危険がある、あったと云う原因で貶められた。これらの一種隠れた「国家騒乱的個人を裁く」メカニズムは国家の秩序を維持したい個人や集団は、検察、特に特捜検察を利用することで行使されてきた。

ここで見逃してはイケナイのが、マスメディアと特捜検察の共同歩調とも言うべき現象である。 マスメディアと特捜検察の共同歩調が最も際立って観察出来るのが、小沢一郎と云う政治家、及び小澤一郎と云う個人に向けられた疑惑の溢れんばかりの報道であり、捜査だった。否、未だに継続中である。

筆者はこのマスメディアと特捜検察の共同歩調でも、朝日新聞とテレビ朝日の特捜検察との共同歩調に注目してきた。筆者の第六感は、朝日新聞と特捜検察のどちらが先にリークしたのか、卵と鶏のような現象を見守っていた。 小沢一郎の大久保隆規秘書をいきなり逮捕した西松建設事件は日本国民をマスメディアの虜にした。おそらく新聞も売れたであろうし、テレビの視聴率も稼げたのだろうと推測する。この西松建設事件において最も注目されるのが麻生政権の隠れた指揮権発動の疑惑である。疑惑と云うより、ほぼ真実に近いだろう。麻生太郎首相・漆間巌官房副長官・森英介法務大臣によって行われた可能性は極めて高い。

このトライアングル国策捜査の源流を遡ると、小沢の筆頭秘書であり、後に衆議院議員になり、国会内での態度の横柄さに激怒した小沢が関係を絶ったT橋氏に行きつく。この小沢に逆恨みするT橋氏はA紙に、陸山会において自分が行った行為をあたかも大久保らが行っている行為のように装いリークした。或いはネタ代が動いたのかもしれない。

A紙を仲介人として、T橋氏は盛岡地検のT川検事と知り合い、シナリオが描かれはじめた。 漆間巌が情報を入手したのはA紙からと云うより、T橋氏自身かT川検事からの可能性が高い。この流れに途中から顔を出したのが東京地検特捜部だ。東京地検特捜の大久保隆規秘書緊急逮捕は異様な行動だった。絶対的後ろ盾が存在しないと実行できない暴挙だった。

そこには麻生政権の承認があったと推察するのが妥当だ。逆に状況の把握に努めていた検察を急げと麻生側が急かした結果かもしれない。時は小沢民主党代表による政権交代が目前に迫っていたのである。 このままでは、民主党が自民党に代わって政権を握る。民主党が政権を握っても、日本の政治は変わらない筈だった。しかし、小沢一郎が首相になる場合だけは別だと認識する人々、集団が存在した。日本の秩序維持が根本的に壊され、パンドラの箱をひっくり返されたら、トンデモナイことになると危惧した集団や個人が、小異を捨て大道につき、砂鉄が磁石に吸いつけられて行くように、小沢一郎抹殺に集合した。

日本の明治維新後の歴史の中で、日本国の秩序を維持してきたのは官僚だ。戦後の政治の秩序を維持してきたのが自民党だ。その日本国の秩序維持を強烈な力で抑え込んでいたのが、戦前の英国であり、戦後の米国だ。官僚、自民党、米国が民主党の政権は問題ないが、小沢一郎の政権は国家の秩序が乱されると考え、合法・脱法・違法の限りを尽くし、小沢抹殺に動きだした。

この動きに連動して、ちょうちん的立場の多くの日本人層が烏合してきた。経団連やJAに代表される利権集団、日本のマスメディア、公明党・共産党。そして、民主党内の反小沢勢力も、その烏合の動きに参加することとなった。

ところが、大久保隆規秘書の西松事件がT橋氏の売込み情報に反して、事実無根に近いものだったと云う事が判明するに至り、東京地検特捜部とA紙は苦境に立つ。そこに飛び込んできたのが、収監中で一日も早く保釈を望む水谷建設の元社長・水谷功氏の収監中の検面調書の内容に俄然注目が集まった。

同氏が虚言癖と云うか、自らの立場を寸分デモ良好にする為には、どのような偽証も平気の平左な人物であることは、周知の事実だったが、地検特捜はこの証言に縋りついた。朝日新聞も当然のように縋りついてでも、検察が小沢一郎の手足を緊縛することを望み、弱気になる検察の尻を叩く報道、記事や社説で煽るように追い込んだ。

元福島県知事・佐藤栄佐久氏を冤罪に追い込んだ偽証を行った水谷功氏の「石川秘書に紙袋に入れた5000万円、大久保秘書にも料亭で5000万円、合計1億円を小沢側に賄賂として渡したと云う収監中の弱い立場の同氏の唯一の汚職事件に繋がるような雰囲気捜査に乗り出している。

検察側は、公判維持が不可能になった西松事件を、陸山会政治資金規正法虚偽の疑いに切り替え、放棄した。そして、来年からは公判において、1億円賄賂の証明を行うと見栄を切った。それを朝日新聞が核となり、大々的報道する構図が現れた。

この水谷功氏の人脈を確認すると、凄いものだ。一種政界のタニマチ的意味合いのある人物だが、何が目的であると云うより、有名人と懇ろになりたい権力欲がいびつに現れたモノのように見える。石原慎太郎、石原宏高、佐藤栄佐久、亀井静香、糸山英太郎、前原誠司、野中広務、川崎二郎等々である。トンデモナイ有力証言者なのだが、この藁に縋れと朝日新聞は検察を煽っている。

法的に立証不可能な疑惑であっても、公判で立証してみせると強がりを言わざるを得ない検察の立場は、大阪地検特捜部不祥事による、引くに引けない立場に追い込まれた検察の危機が存在するのだ。おそらく、こんな赤っ恥公判に水谷功氏のトンデモナイ1億円賄賂証言を持ちだす事に検察が積極的とは思えない。朝日新聞(毎日も加担)に強制的に汚職事件であるが如き公判の方向に持っていくべき、持って行け、と強制されている感じさえ受ける。ここが味噌だ。

もしかすると、検察とマスメディア、特に朝日新聞との関係が逆転しているのではないかと疑問を抱くのである。考え過ぎもあるのだろうが、検察裏金問題のテレビ朝日と大阪地検の大不祥事と朝日新聞報道は検察に深く関与している可能性を示唆している。つまり、朝日新聞筋は検察庁に大きな貸しがある。 その貸しを、小沢一郎陸山会事件で返せと朝日新聞が検察の尻を叩いている様子が覗える。

裁判の結果がどうのこうのと云うよりも、小沢一郎及び陸山会関係者を政治上、身動き出来ないように縛り上げておく目的なのが透かしのように見えている。 問題は、朝日新聞がなぜ必要限度を超えて、小沢一郎の政治力を抹殺しようとしているのか?

一般論としては、報道機関への政治関与を嫌って、既得権益を温存したいが為という事もあるだろう。まかり間違っても、小沢の政治理念が日本を滅ぼす、と教条的に思った国益的姿勢で云々と云うのは考え難い。朝日新聞が新聞単独の経営が頓挫しており、経営上、これ以上の経営マイナス要因を避けようとしている、と云う話も奇妙だ。現に朝日新聞の不動産を営む完全子会社・朝日ビルディングとの連結でみれば、まだまだ経営の糊代は充分で、右往左往する段階ではない。

同社の誕生の歴史は、政府と三井銀行から出資を受けた御用新聞社だった。大政翼賛報道とか大本営発表報道で名誉の虚言報道の燦然たる歴史を持つ朝日新聞の事だ、何処かに裏があるのだろう。まかり間違っても、義憤だと云う朝日の論調だけは大嘘である。ネット上で「アサヒる」という言葉が同新聞による捏造報道の呼称として流行し、一世を風靡したが未だに「アサヒる」は健在であることを証明している。

また、船橋洋一主筆になってからの隷米指向は一方通行状態になり、星浩のような政局捏造記者を花形にするなど偏向度を高めた点を考慮に入れると、CIAの協力者である以上に、米国国防総省や国務省、通商代表部、ジャパンハンドラーズ等との関係が密なのが如実に現れており、今やそれをカモフラージュする面倒な操作もしなくなっている。

兎に角、小沢一郎にだけは、政治をさせないの一点張りで喚き、声を張り上げている。とてもジャーナリストの論調の影も形も見られない。 一種のメディアファッショの状況を呈しているが、NHK、朝日新聞の若手の中には、そのような大政翼賛的報道姿勢に反旗を翻す意欲はあるのだが、どうも上層部に行くに従い、その意志は薄められ、トドノツマリは逆さまの論調に書きかえられているのが現状のようだ。

朝日新聞がこのような報道姿勢をあからさまに行っている現象は、第一に米国の年次改革要望書にこそないが、日米同盟は今さら動かせない檻のようなものだ、と米国の強面から通達されている。第二に広告スポンサーの獲得領域を電通に握られ、電通を通じて、外資系企業の意向が報道に反映している。第三に、既得権益の代表である官僚組織、特に財務省と外務省と法務省(検察含む)の意向も反映している。第四に、マスメディア自身が持つ既得権(記者クラブ、クロスオーナーシップ、廉価な電波使用料、押し紙・再販制度等々)の温存がある。第五に、国内経済団体等プレッシャーグループの意向も考慮する立場、つまりスポンサーが不快になる論調を慎む。

まだまだ、原因はあるのだろうが、この程度で充分だろう。以上五つの勢力が得ている利益に、根本的見直しを果敢に行う危険がある小沢一郎には死んでも政権を渡せないと云う、強い意志を表明している。このような朝日新聞の論調は変わることはないだろう。嘘は嘘と判っても見過ごす腹まで固まっている筈だ。逆に弱気になる既存勢力は、錆ついたペン先でサド侯爵並の残忍さで希有の政治家を切り刻もうとしている。げに怖ろしき報道機関である。


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米国支配に殉ずるか?独立国をめざすのか?国民の選択肢がみえてきた

2010年12月07日 | 日記
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米国支配に殉ずるか?独立国をめざすのか?国民の選択肢がみえてきた


9月8日、最高裁は民主党代表選の最中、突然のように鈴木宗男前衆議院議員の刑を確定させ、これを受けて検察がすかさず収監の手続きを行った。幸か不幸か、食道に悪性腫瘍が見つかり、同氏は暫く収監の時期を遅らせざるを得なかったが、12月6日に収監された。鈴木氏の事件が国策捜査であり冤罪だと評価する筆者としては忸怩たる思いなのだが、如何ともしがたい。早々に刑期を終え、無事帰還し、更なる政治活動に邁進される事を心より願う。たしか公民権停止期間もあるので、即議員活動は出来ないだろうが、彼ほどのキャラクターと馬力があれば、在野においても充分な政治活動が行える人物と考える。再びあのムネオ節を聞かせて貰らいたい。

鈴木氏の判決が確定した二日後の9月10日には、大阪特捜部の大不祥事に発展した村木厚子事件に“無罪判決”が言い渡されている。無関係といえば無関係だが、同氏の上告棄却と村木無罪判決には、民主党代表選の結果が判明する前に、面倒な問題は片付けておこうと云う最高裁事務局(日本の裁判所のシナリオを作成支配している事務局)の思惑があったような気がする。まして、仮に小沢一郎が代表選に勝った場合には、政治的プレッシャーを受けるに違いないと最高裁事務局が判断した結果と推察する。これとは別に、民主党代表選当日に検察審査会の「幽霊議決」が出たことも、最高裁事務局と検察庁の関与が疑われる。

 一昨日のコラムでも言及したが、我が国の刑事司法制度及び組織の信頼度は相当酷いものである。公民権停止も含めれば、一人の小沢一郎と政治的に良好な関係を持つ鈴木宗男氏の手足を縛ることは有効であるし、これ以上検察や裁判所への追求言論を続けて貰いたくないと云う最高裁事務局の意志を感じる。過去にまで遡って特捜検察が扱った事件全体に国民の意識が向かわないように、最高裁事務局と最高検は必死の作業を行っていると云う事だ。

我が国の刑事司法の核をなす検察官と裁判官へのリクルートは、司法研修所における成績優秀者並びに安全牌な人格の持ち主をセレクトするようだ。その所為かもしれないが、法律には精緻しているが、生身の人間としての経験が乏しく、無味簡素な人間性を形成し、また上に対して従順であり、上昇志向だけが人生の価値観になっている者が多いようだ。

また、法律に携わる人生を送ると云う事は、無理からぬことだが、相当の範囲で法律の枠内で生きること、考えることを強いられる。この点は、高級官僚にも言えることで、前例主義に陥るのである。司法の場合なら判例主義になるのである。つまり、或る程度の自由裁量は認められるが、定められた範囲から逸脱することを許されない思考経路を持ち、人間的にも保守的にならざるを得ない運命にあるものなのだ。

このような人間達が集団をなした組織に、自ら改革せよなどと馬の耳に念仏を唱えることは愚の骨頂だ。彼等は、改革するだけの力量はあるのだが、出来ないようになっている。改革を唱えた時点で、組織の異端として貶められるようになっている。彼等は現実主義者なのだ、理念や理想で動けない人間であり、組織と断言しておこう。

理念の強い政治家や理想主義者を忌み嫌う傾向がある。或る意味で畏れてもいる。特に政治家に対する評価が極めて低い。評価が低くても致し方ない政治家、政治屋が多いだけに筆者としても頭を痛める部分である。しかし、民主主義国家が行政の職業人や司法の職人に支配されて良いわけではない。やはり、主権在民を実現させるのが民主主義だ。その為には、どうしても政治が主導して、国家の舵取りをすべきである。

この舵取りを政治家などに任せていたら、船が山に登り出すと云う不安が多くの国民の中にも存在する。我が国に対する米国支配は歴然たる事実だが、その支配は巧妙で狡猾なものだから、文字を読まずテレビに洗脳された国民層には、荒唐無稽な言葉にさえ感じられるものだ。

また、多くの日本の支配層に対しては、米国はそれなりの隷属黙認料を支払っているので、文句は出ない。又その日本の支配層のおこぼれに与かっている国民層も多いので、米国支配による利益配分はそれなりに機能している。

この米国支配の善悪や損得を生活人として肌で感じることは殆ど不可能だ。国民が自らの意志で真実の情報を求め動かない限り、その情報は入手できない。10年前に比べれば、自助努力で米国支配の情報は入手できるようになったが、一般的市民権を本当に得たとは言い難い。やはり、新聞テレビのマスメディアが報じる情報に真実を求めるので、広く知れ渡る状況にはない。マスメディアが真実を報道する気になれば、出来るのだが、それこそ彼等のポジショニングがそれを許さない。

故に、国民は常に歪曲、拡大解釈、曲解な情報に晒されるのである。 結局、国民が自ら目覚めない限り、米国支配は継続されることになる。米国支配の継続は、日本の真の独立はあり得ないし、普通の国にさえなれない。勿論、正しい民主主義が根づくこともない。

09年に起きた政権交代も、有権者が真の民主主義とか、真の独立とか、そんな大仰な理念に基づいて選択選挙をしたのではないのかも?と云う疑念が強く感じられる。それもその筈だ、政権選択して与党となった民主党が完全に二分化しているのだから、本来の政権交代を期待したと云うより、宝くじを買うような淡い期待に過ぎなかったと評価するのが賢明だろう。

鳩山由紀夫前首相の稚拙な政権運営が小沢一郎を内閣から排除した時点で頓挫していた。多くの主たる閣僚が新人首相を舐めてかかったのだから、継続する筈がない。あの時点で、何故鳩山が小沢を排除したのか、その意図を鳩山は語っていないが、それこそが民主党の重大な欠点なのである。さらに、鳩山の後を継いだ菅直人の政権は、小沢排除が主たる目的の内閣なのだから、もうどうにも手のつけようがない。筆者があまり菅政権を叩かないのは、叩く価値すら認めないからだ。

ただ、民主党の混乱を観察していて、我が国の政治にとって外交防衛と云うものが、最も際立った選択基準の一つだと云う事が見えてきた。小泉純一郎が勝ち誇ったように「日米同盟の大切さを知っただけでも、政権交代した意味がある」なんて事を口走っていたが、それこそが課題なのである。

日本の選択は「隷米」か「親米」かと云う選択肢が突きつけられている。「隷米」は何処までも属国・敗戦国であり、世界的に独立国家としての正式な地位を与えられることはない。それでも、それなりに“のんべんだらりん”と生きては行けるだろう。ただ、米国の衰退以上に衰退する覚悟は必要になる。

「親米」は「親中」であり「親露」であり「親アジア」でもある。この場合米国の衰退から受ける影響は一定の範囲で収まるが、あらゆる面で自主独立の精神と行動が求められる。この自主独立の精神の延長線上に小沢一郎の政治理念が繋がっている。だから筆者は彼の理念を支持する。小沢一郎が今後どれだけの政治手腕を発揮するかどうか未知数な部分もある。権力闘争で勝ち抜けるかどうかの不安要素もある。しかし、彼の理念は永遠に支持出来る。

ここまで平和ボケし、テレビに洗脳された日本人に、自主独立の心構えが出来、「欲しがりません独立するまでは」と云うレベルに達することは、容易だとは思えない。本来であれば、このような選択肢をマスメディアが国民に伝えるべき義務があるのだが、到底それを望める状況にはない。微力ながら、日々このようなコラムを書き続ける原動力を提供してくれた小沢一郎に感謝する。また、その政治理念を強く支持する。


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日本の司法制度は異様である 刑事司法は検察の匙加減がすべて

2010年12月05日 | 日記
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日本の司法制度は異様である 刑事司法は検察の匙加減がすべて


小沢一郎と陸山会政治資金虚偽記載問題で、多くの国民が“国策捜査”という言葉を認識するようになった。筆者のように、多少法律を噛んだ人間でも、これ程までに我が国の刑事司法制度が民主主義国家の中で異端児である事を理解したのは、小沢一郎の秘書逮捕が事前の事情聴取もなく、突然になされた事への違和感から発している。

逮捕起訴された秘書諸君には申し訳ないのだが、筆者に限らず多くの国民が、何が問題だった?大なり小なり政治家ならやっていそうな事象を、政権交代を目前にした民主党小沢一郎代表だけを標的に捜査がなされたのか、正常な目線を持つ人間なら疑問を持つのが当然だ。

そして、この一連の捜査に誘発されるように大阪地検特捜部が無計画な捜査起訴で大不祥事を惹起させたのだから、小沢一郎の秘書諸君は日本の特捜の在り方を顕在化させた功労者と見ることが出来る。皮肉にも、大阪地検の前田検事も検察の存在にスポットを当てた意味で功労者?である。

勿論、小沢の秘書たちは、トンデモナイ被害者ではあるが、その無実は是非公判で明確に証明して貰いたい。ただ、貴方がたの犠牲は、広い意味で日本の司法制度そのものに、風穴を開けたと云う意味で貴重な犠牲である。このような被害の発生がなぜ起きるか、司法に関わる人々だけの問題ではなく、我々一人ひとりの問題として理解する義務があるのだと思う。

ただ、刑事司法と云うもは刑事訴訟法と云う無味簡素な条文に構成される法律であり、決して面白い法律ではない。まして一般の市民が手にとってスラスラ理解できる類のものでもない。そこがつけ目とでも云うか、日本の刑事司法は驚異的に検察のフィールドになっている。

こと細かな話は抜きにするが、一般的に警察が捜査逮捕し、それを検察に送検、検察が最終的に起訴または不起訴を決定する。日本の検察が行った刑事裁判の有罪率は99.9%と云う事だから、極論、その辺を歩いている子供に裁判官をさせても、「有罪」と言えれば裁判官は職をまっとう出来ると云う事だ。

つまり、日本の刑事司法では検察の力が絶対的であり、判事の仕事も概ね兼ねていると云う事だ。 日本の裁判官の仕事は、検察や警察が目立った違法な捜査や取調べにおいて脅迫暴力が無かったとか、確認作業は行うが、後は判決要旨を上級審の判例に則し、自白調書等を参考に書くだけと云う代書屋化していると言っても過言ではない。

一概にこのような流れがケシカランと云うものでもない。何故かと云うと、極めて経済的合理性があるのだ。何といっても裁判官の数が最小で済む。公務員の数は無限に拡大するが、裁判官と云う公僕の数は極めて抑制的に推移している。彼等の多くは日々証拠調書(自白調書)との格闘であり、机の上は書類の束で壁が出来ている。一種文字の職人で法の番人として機能しているとは思えないのが実情だ。

我が国の刑事司法制度では、主に各都道府県の警察が犯罪の発生、被害者の存在を持って捜査に乗り出す。捜査の結果、犯罪者を逮捕勾留取調べとなのだが、我が国の勾留(拘禁)期間と云うのが異様に長い。当然警察の請求により、裁判所が逮捕状も勾留も決めるのだが、問題はこの拘禁され取調べを受ける期間(勾留期間)が最大で23日間もあると云う事だ。

多くの諸外国の場合、この勾留期間は多くても72時間程度しか認められていない。また、弁護士の同席どころか、接見自体制約を受け、まともに弁護士と被疑者が意思疎通できないシステムになっている。これは民主主義国家としては異様なのだ。 なぜこのようなシステムを刑事司法が好んだのか云うと、やはり戦前からのお上意識の警察国家の仕組みが生き残った為だと思われる。

*「特捜検察は、自ら捜査し、逮捕し、起訴してしまうので、警察対検察と云う唯一のチェック昨日までネグレットしてしまうので、そこに国策捜査と云う政治等による恣意的権力行使の疑いが生じるのである。ただ汚職事件や広域暴力団の経済事犯等、被害者が存在しない犯罪の捜査においては、一定の価値はあるので、その機能をどういう形で残すのがベターかが問題だ。筆者のイメージではFBI組織が思い浮かばれる。」

「自白主義」は刑事訴訟法上、厳に慎むべきと表向きなっているが、何々、裁判官はこの自白調書の齟齬がないかどうかに重きを置いて、調書を確認し、判決を言い渡す事が多いのだ。 このように我が国に戦前の司法意識が生き残ってしまったのは、戦争を通して裁かれた筈の官僚組織の中で、法務官僚組織だけは生き残った証左でもある。

この辺の理由はまだ勉強不足だが、事実は存続したのである。GHQによる検察官の選挙による任命を、死に物狂いで抵抗したのが法務官僚であり、現在に至っている。特高警察が特別拷問の専門警察だったわけではなく、刑事警察事態も同様の傾向を持っていた。 この検察官公選制の導入拒否の代わりに登場したのが小沢一郎を密室で起訴相当を決した検察審査会だ。

この司法でもない行政でもないと云う、極めてコウモリ集団の秘密結社のようなものが、民主主義を標榜する法治国家において、堂々と存在し機能しているのだから、異様の中にもう一つの異様がある。

司法じゃないよ、行政じゃないよ、だったら何なのよ?実際は検察が刑事警察の頂点にある我が国においては、検察の下部組織と考えて間違いないだろう。 裁判所は曲がりなりにも、裁判員制度の導入で検察と仲良しグループでは済まされない改革に一歩前進した。また、裁判員の存在も明らかであり、公式に記者会見を行う事もある。つまり裁判員が幽霊ではないのは確かだ。

しかし、検察官公選制の逃げ道として組織した検察審査会は、すべてが密室であり、開いたかどうかまで密室だ。司法でも行政でもない機関、こりゃなんだ!まさか立法ではないだろう。日本は三権分立だったはずだが、これでは四権分立になっしまう。 こんな馬鹿でも判りそうな、重大な国家の闇の権力の存在を論評しないマスメディアなどと云うものは、ゴミどころの話ではない。放射線物質を包含するヘドロのような存在だ。

誰がどのように、この第四の権力を行使しているのか?辞めさせられた柳田稔前法相が残念がっていた「検察の在り方検討会議」の議題の中には入っていなかったようだ。民主党の国会議員で頑張っているのは森ゆうこ議員一人に見えるのだが、国会議員は何をしているのだろう。日本が四権になった事実を解明するくらいやって欲しいものだ。

学芸会のような事業仕分けをする暇があるなら、検察審査会を徹底的に洗うべきだ。国政調査権の限界まで洗い出せ。政敵である小沢一郎が被害者だから、見て見ぬふりしようと云う魂胆のようだが、必ず君達をも裁く検察の第二の機関となり、法治国家を根こそぎ破壊する爆発力を持っている点心してほしいものだ。

とまぁ元気に怒ってみたのだが、今の民主党、自民党議員には馬耳東風、蛙の面に小便だろう、言うだけ無駄と云うものだ。筆者は日本の刑事司法改革は根が深く、現在行われている司法制度改革のようなお茶濁しでは、絶対に改革出来ないと断言しておく。

そもそも、司法試験に合格した者たちが、司法研修所で同じ釜の飯を食う事からして気にいらん。俺達は選ばれた民だと云う驕りの集団が法律をあらためて、国民の税金で学ぶのである。そして時に、その国民を苦しめる司法を形成するのだから、如何ともしがたい。

その中で、成績優秀者が判事と検事にスカウトされる。勿論在野の法曹界船出する弁護士の中にも当然優秀な人材は行くのだが弁護士の場合は玉石混交だ。 法律に精通していると云うだけで、社会人として世間を知る機会もなく、判事は裁判所の中で暮らす。検事は検察官であると同時に法務官僚の顔も持つ。つまり行政官だ。

その法務官僚と思しき検察官と司法の中枢にあるべき判事は、司法研修所のエリート集団であり、仲間意識が強い。さらに判検交流が盛んで、相当数が判事と検事を経験する。同じ経験させるなら、在野の弁護士を経験させるのが見識を深める最高の経験ではないのか?

世間に背を向ける司法制度は生き残るのが容易ではない。 しかし、正しい刑事司法が機能しないのも怖ろしい話だ。筆者など素人レベルは解決策など考えられないが、重大な組織的瑕疵が存在することだけは指摘できる。現在可視化が話題になっているが、取調べ時点での弁護士の同席が全面可視化の欠点を補うだろう。取調べ時間も一日6時間とか厳しく制限すべきだ。

被疑者を疲労困憊、心身耗弱状態にして自白調書では法律に精通したプロの名折れと云うものだろう。 刑事裁判の有罪率99.9%ってのがオカシイト思う事だ。だから推定無罪の原則すら歪められる。起訴便宜主義で刑事司法を完結しようと云う合理性が、法を歪めている。

信頼されない検察、裁判所の存在は心から不安である。小手先の改革をしても、元の木阿弥になるだろう。しかし、小沢がこの検察や検察審査会の被害者であるだけに、自ら改革を主張するのも憚られるだろうから、他の議員が声を大にすべきなのに、悪法に身を守られている輩も多く、刑事司法の改革の道筋は見えてこないのだと思う。

今夜は少々虚しいコラムになってしまった。まぁ現時点では、検察官や判事たちの倫理・道徳観念に期待しておくほかはない。では、オヤスミなさい。


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日本の病巣をぼんやりと眺めてみる ウンザリするほど悩みは多いのだが

2010年12月04日 | 日記
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日本の病巣をぼんやりと眺めてみる ウンザリするほど悩みは多いのだが


今夜は与党野党の別なく、日本の政治が立ち向かわなければならない問題を何となく考えてみようと思う。政治の課題ってことは、最終的に日本の課題であり、国民一人ひとりの課題ってことになる。

政治家のリーダーシップや決断で解決できる課題も数々あるのだが、時には政治家だけに責任を押しつけられない病巣とも言うべき課題も多いのが現実のようだ。 デフレ経済、雇用問題、円高、低経済成長、少子高齢化、需給不均衡、財政赤字、地方分権、公務員制度改革、税制改革、食料安全保障、資源安全保障、教育改革、観光立国、内需拡大、格差是正、司法改革、国会改革、メディア改革、日米安全保障、中露東アジア外交等々、と思いつくまま書きだしただけで、これだけの課題が日本は抱えている。

これらの問題の多くは、いずれかの部分でリンクしている。すなわち、あちらを立てれば、こちらが立たないものなのだ。イデオロギー政治の時代には、一定の方向を優遇する政策が簡単に成立した。他方にしわ寄せが行っても知らん顔で済む政治の時代もあっただろう。

今でも、そのような負の遺産が残った状態で「政権交代」が起きたのだから、負の遺産の是正だけでも数年乃至は数十年掛かるのかもしれない。

まず、絶対的経済力と軍事力と頭脳を抱えていた米国の経済が崩壊しかけ問題を非常に複雑にしている。そして、中国やインド・ブラジルが自らの資源や可能性を秘めた市場を背景に、世界の経済に相当以上の影響を与えはじめている。特に中国・インドの経済成長は世界経済の希望の星状態なのだが、国家体制が安泰なものかどうか、危うさを残している。

特に中国の海洋進出が東アジアに波風を立てているのは事実だが、単に米国の真似をしているだけだよ、と言われると、米国が何も言えなくなるのだろう。 ロシアも石油産業で一時の経済危機を乗り越え、覇権的裏の顔を垣間見せている。経済の復興が気を強くさせているのだろうが、基本的経済はぜい弱なのだから、何時再び経済危機が訪れないともいえないし、政治的に民主主義国家としては不安定国家である。ユーロ圏・英国も経済では四苦八苦だ。ユーロの先行きだって予断は許さないのだろう。韓国もヒュンダイが素晴らしいどうのこうのと言っても、地続きで北朝鮮が存在するのだから、安泰の筈もない。

こうして考えていくと、なにも内憂外患なのは我が国だけでないのは判るのだが、だからこのままで良いと云う話にはならない。特に筆者は評論家連中が「日本の危機」と様々なジャンルで叫ぶほど危機だとは思っていない。危機だと叫ぶことで、マスメディアの情報が求められたり、本が売れたり、専門家たちがコメディアンよろしく稼げる状況を危機だとは思っていない。

だから国会なんてあんなものだと蔑んで溜飲が下がるものでもない。危機ではないにしても、国家の根本的な部分の是正には時間がかかる。早目に手を打てば、それだけ是正が早まるのだ。

マスメディアが「本格的議論がなされず、熟議は絵空事だった」と菅直人を馬鹿にするが、正直そのような方向に仕向けたのは、マスメディアそのものなのに、それを棚に上げるのが上手だ。まぁ菅政権が本格的に熟議をされたら、「伸子が、そのように申しました」みたいな答弁になり、それはそれで恥をかいた事だろう。

野党の多くも本格的論戦を挑んだとは言い難い。あげ足とりに忙しく、議論すべきテーマは殆ど素通りと云う状況だった。或る意味で、今回の臨時国会は菅内閣の戦術勝ちだったのではないか、と思う事がある。マスメディアは菅、仙谷、柳田、レンホーの謝罪と弁明に終始したと論評しているが、それが仙谷の国会乗り切り戦術だった部分もあるような気がする。 枝葉末節な話に持ち込む事で、菅政権の骨太な理念や政策の無さを目立たせない点では、成功だった。

前述の日本の病巣的課題を解決する糸口は個別の政策同士の整合性に着目すると、その政権の政治理念、基本政策が確固たるものでないと、舵取りが容易ではない事を示している。 これら日本の病巣的課題(デフレ経済、雇用問題、円高、低経済成長、少子高齢化、需給不均衡、財政赤字、地方分権、公務員制度改革、税制改革、食料安全保障、資源安全保障、教育改革、観光立国、内需拡大、格差是正、司法改革、国会改革、メディア改革、日米安全保障、中露東アジア外交)を自らの言葉で明確に語ったのは、小沢一郎だけである。

谷垣や山口や渡辺が口にするのは、その断片に過ぎない。だから魅力もヘッタくれもないのだ、人格的印象を国民に与えていないのが気の毒だ。おそらく、小沢一郎が首相であれば、目には目ではないが、根本的政治理念が国会で論議される可能性はある。人間社会でも、国会でも同じだろうが、人が人を育てるのだ。相手が強ければ、誠実であれば、それに見合う考えを持って議論に望むものである。

そうして議員も成長する、それを聞いて国民も成長する。それが理想的民主主義であり、議会制民主主義なのだ。

財政問題も本気で論議をしたら良い。財政赤字と国家資産のバランスシートの問題を議論すべきだ。そして、税制論議の正しい土台を作るべきである。赤字の家計であっても、積立生命保険料に金を回せば、どんな家でも赤字の家計になる。

国家の安全保障は自分たちで守るのか、米国と共同で守るのか、等距離外交を基軸に専守防衛するのか、そういう問題を論議すべきだ。日米安保の深化はそれからだろう。

少子高齢化社会の到来に望むべき社会はどのようなものか、自立をどこまで自助努力とし、どこからセーフティーネットにするのか、高齢者医療、延命の意味するところ、移民の受け入れと民族の自立との関係など、高度で微妙な議論に踏み込む必要性も出てくるのだろう。

このような国家の本質的議論を政治家にさせる前に、本来であれば論壇と云うものが、激しい論戦を繰り広げ、国民に考えさせる機運を提供するものなのだが、現在の論壇にそれを望むのは無理なようである。勿論、その論戦を企画し、紙面や電波を通じて世間に拡散すべきマスメディアは世界金融勢力と経済界のプロパガンダ機関紙的存在であり、望むべきもない。

筆者としては、必死で自説を持って野党議員を説得する小沢一郎が壇上に登っている姿を夢では見るが、果たせぬ夢かもしれない。しかし、時代は変わった。その昔、社会党委員長の村山富一氏が首相になった事を思い起こすと、腐れ検察審査会等と云う幽霊組織の起訴など糞喰らえで、総理となり国家の本質を丁々発止と論ずるような国会をみたいものである。今夜も最期は筆者の語らいになってしまった。


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驚異的“みちのくダルマ”の力量、小沢一郎の「物語性」が好きだ

2010年12月03日 | 日記
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驚異的“みちのくダルマ”の力量、小沢一郎の「物語性」が好きだ


今夜は小沢一郎と云う政治家について、筆者の個人的思いを語りたい。きわめて個人的独白なので、異論反論の類は受けつけかねる。(笑)

正直、小沢一郎と云う一人のふてぶてしい政治家が、この平和ボケした、物欲と危うい平等思想を生活の糧にしている日本で、よくもまあ生き永らえてくれたものだと、岩手の人々に感謝する。

衆議院議員の父(小沢佐重喜)の急死により急遽選挙に立候補、27歳の若さで衆議院議員となり、当時自由民主党幹事長だった田中角栄の木曜会に所属、小沢一郎の政治家人生が始まった。

自民党時代の角栄、金丸、竹下、中曽根康弘、海部俊樹、羽田孜、梶山静六、宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博、小渕恵三、橋本龍太郎をはじめ、それ以降も細川護煕、市川雄一、亀井静香、村山富一、岩国哲人、武村正義、野中宏務、二階俊博、横路孝弘等々懐かしい政治家が顔を揃える。

政権与党・自民党を割り、新政党を立ち上げて移行、日本の政局に常に君臨し、新政党、新進党、自由党、民主党と一定期間の野党時代はあるのだが、常に政権と関わり合う地位を確保してきた。40年以上にわたり、日本の政治を渦中にいながら見つめてきた、数少ない歴史の生き証人である。

上記に列挙した政治家の多くは既に鬼籍であり、或いは政治を離れ、時に力を失っているかだ。現役で頑張っているのは亀井静香一人と云う事だ。

自民党時代の若き幹事長時代のエピソードから、角栄と若き小沢と真紀子嬢、金丸信とのかけ合いコンビなど、非常に絵になる。新党結成、解党とめまぐるしい政治権力闘争を時には自ら仕掛け、時には仕掛けられ、何度となく窮地に追い込まれながら、生き残った政治家は稀だろう。

これだけの政治的パワーを維持する為に、金が必要だったことは言うまでもない。どうして小沢一郎は40年にわたり、日本の政治の中心にいたのか、どうして人々が離合集散するのか、どうして小沢の元に金が集まるのか。

たしかに、東京地検特捜部ではなくても、興味津津だ。ついつい怪しげなストーリーを描いてみたくなる素材である。多くのノンフィクションライターや小説家が小沢一郎本を執筆するのも頷ける。 まぁ検察のストーリー創作は、現実の人間に多大な迷惑をかけ続けているのだから、慎むべきシナリオだが、彼等が常々疑問を抱き、きっかけさえあれば、小沢一郎の謎と云う絡まっている糸がほどけると期待した気持は判らないではないが、公権力が謎解き遊びに興ずるのは大罪である。

一時、一議員になった時代、1993年に小沢一郎は「日本改造計画」を上梓している。政治本等と云うもの、1万冊も売れればおんの字の時代に70万部以上を売り上げたのだから、小沢一郎と云う男、乃至は政治家に興味と関心を日本人が示していることは明らかだ。

1993年新政党時代から、日本の記者クラブに巣食うマスメディアとの関係は悪化したようで、20年近いマスメディアとの確執は年季が入っている。しかし、世論政治と揶揄される時代の政治家で、マスメディアを半分敵に回し続けている政治家と云うのも興味深い。過去に吉田茂、橋本龍太郎などがマスメディア嫌いだったようだが、小沢のように20年になんなんとするも、雪解けしない政治家は貴重だ。

こう云う頑固さも魅力の一つである。 剛腕、辣腕、壊し屋と評するのが日本のマスメディアなのだから、悪意が込められての渾名であることは言うまでもない。「壊し屋」である前に「創り屋」でもあった事実を無視してはいかん。小沢一郎の政治手法や選挙における読みなどは極めて繊細な感覚が現れ、とても力づくで、ことを解決するだけという評価は奇妙だ。

現在の政治家をテーマにした様々な本が出ているが、「小沢一郎」が断然抜きんでている。菅直人、谷垣禎一、仙谷由人、石原伸晃、渡辺喜美、山口那津男等々が主人公の小説を書く奇特な作家は居ないだろう。亀井静香は書けそうだが・・・。 つまり、作家連中が書ける素材と思われる政治家は、単に政治家としての経歴以上のモノを、オーラとして醸しているということだろう。

このように、小沢一郎の存在は日本の政治を考える上で際立ったものであり、小沢一郎の文字を紙面に載せることは読者の求めるものでもあるのだろう。テレビも同様の要求があるのだろう。最近では仙谷とか前原が時折紙面を賑わすが、到底小沢の足元にも及ばない。1年で消えてゆくお笑い芸人の類かもしれない。朝日などは、小沢ネタでどれだけ社説を書いたのだろうか?民主党の一兵卒議員を相手に、全社挙げて闘いを挑んでいるわけだから、小沢一郎って政治家の大きさが反面的に判る。

小沢の父、小沢佐重喜は吉田茂の側近で運輸大臣、郵政大臣、建設大臣等を歴任した大物政治家だったが、岸内閣においても安保改定の特別委員長に就任、川島正次郎と共に安保改定を行った人物である。経済万能主義に反発し、リベラル体質でありながら保守本流に属するなど、個人的資質で生き抜いた政治家だ。“いなかっぺ大将”との渾名がったようだが、小沢一郎に重なる部分も多い。

佐重喜は幼少時は貧乏との闘いの日々であり、田中角栄、鈴木宗男などと同様貧乏を味わった点で小沢一郎が親近感を憶えるのも至極自然だ。また、佐重喜が歩んだ運輸、郵政、建設、そして日米安保と、小沢一郎の足跡と何処か似ている。何やら輪廻を感じさせる。

このような物語性がある政治家は魅力的だ。 小沢一郎が父・佐重喜の生きざまを、知らず知らずに、なぞっているようで興味深い。彼が今後どのような政治家としての運命を辿るか判らないわけだが、今後これほどの実力があり、理念があり、熱烈な支持を受ける政治家は出現しない予感がある。

「米国が最も怖れた日本の政治家・小沢一郎」が内閣総理大臣になる事が物語の終わりとして相応しいのか、米国や日本の既成勢力・マスメディアに敗れ江藤淳の言葉通り故郷に帰るのか、どちらにしても物語は書けそうだ。

昨今の小沢一郎を観察する限り、いたって意気軒昂だ。マスメディアとネトウヨが目論む「小沢は終わった」の標語は幾度となく裏切られ、恥じの上塗りをしている。筆者の美意識から行くと、小沢一郎は最期まで内閣総理大臣にならない21世紀世界NO1の政治家と云うのが一番かっこいい。最期まで影の総理ってのが物語性がある。一方支持者としては、縦横無尽に既成勢力の問題点を火あぶりにして貰いたい願望も捨てがたい。特にマスメディアをヒ~ヒ~言わせて欲しいものだ。 今夜は愉しんで書かせて貰った。不愉快なお人が居たら黙ってスル―していただこう。では、オヤスミなさい。


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小沢の復権に脅えるマスメディア、小沢の価値が3カ月遅れで…

2010年12月02日 | 日記

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小沢の復権に脅えるマスメディア、小沢の価値が3カ月遅れで…



もっと早く、浮き草もようの民主党議員や民主党員・サポーターが小沢一郎の価値に気づいていれば、菅直人と云う男が此処まで生き恥を晒す事もなかった。政治の世界で兄貴分でもある小沢一郎にしてみれば、菅直人君の身の上を案じているのだろう。

しかし、不正だとか、低能議員だとか、仙谷の陰謀だとか、なんの所為だか判らんが、菅直人、仙谷由人、前原誠司、岡田克也等々は、政権与党政治がまったく出来ない人間達だ、と日本国中に、否、世界中に開陳したことは、後々の為に良い事なのかもしれない。

自民党も、公明党も、みんなの党も、あの小泉純一郎までが、「菅政権」ありゃ駄目だと太鼓判を押すに至っている。だから小沢一郎ならイイ、とならないのが悩ましいが、一足飛びに、小沢一郎で大同団結ってわけにも行かないのが政党政治なのだろう。

ここ1か月ほどの小沢一郎の動きをみていると、筆者の夢である「小沢新党」と云う構想の影も形も未だ見えていない。つまり、当面はそのような動きが無いが如き様相になっている。政界の常識を尊重すれば、そう云う事になるのも致し方がない。急がば回れと云う言葉もある。

しかし、12月1日の動きを追いかけてみると、相反するような意味深長な言葉が語られている事に気づく。

12月1日、小沢一郎は地元奥州市の式典で「私も政治活動40年を超え、これから先、何十年もやっていけるわけではない。民主主義の定着と日本国中が安定した生活が送れる社会を何としても築き上げることが最後のご奉公だ」、  「政治は国民の生活を守ることだという理想の旗を高く掲げ、実現のため抜本的な改革を進めていきたい」、  「地方の人が自分たちの知恵を生かしたふるさとづくりをやっていくことが私の夢だ」と力強く語った。

また小沢は同日夜の「一新会」の会合で、
「鳩山政権のときも内閣支持率は落ちたが、党の支持率は自民党よりよかった。それが今では自民党よりも悪くなっている」。
和歌山知事選で民主党推薦候補が大惨敗した状況に「こんな状況ではしょうがない」、「党大会が行われる来年1月13日がポイントだ。せっかく政権をとったんだ。国民の期待に応えなきゃ。党を割るのはダメだ」、「無職の風来坊だからみんなと一緒に勉強したい」。
23年度予算について「誰が仕切って、どのようにしているのか。しっかりと国民にお応えができる、それだけの予算を組めるのか」。
4月の統一地方選についても「よほどしっかりやらないと大変だぞ。地方議員が困るぞ」等と述べた。

先ず、地元の支援者に対し『民主主義の定着と日本国中が安定した生活が送れる社会を何としても築き上げることが最後のご奉公だ』『政治は国民の生活を守ることだという理想の旗を高く掲げ、実現のため抜本的な改革を進めていきたい』と自らの政治家としての目標を改めて確認するように語っている。本来なら、一枚岩で、その実現に邁進したいところだろうが、現実はそれほどシンプルではないだろう。

 一新会のメンバーを相手にした場合、党を割る意見が出たのであろう、『鳩山政権のときも内閣支持率は落ちたが、党の支持率は自民党よりよかった。それが今では自民党よりも悪くなっている』、  『党大会が行われる来年1月13日がポイントだ。せっかく政権をとったんだ。国民の期待に応えなきゃ。党を割るのはダメだ』、  『(予算を)誰が仕切って、どのようにしているのか。しっかりと国民にお応えができる、それだけの予算を組めるのか』 と血気にはやる議員を前に、民主党内改革を強調したようだ。

小沢一郎の煙幕と読む事も出来るし、未だ民主党内改革を捨てていないとも読める。まぁ一寸先が見えないのが生き物の政治なのだろうから、状況は日々変わるのだろう。 しかし、地元での発言が小沢一郎の政治目的であるとするとき、『政治は国民の生活を守ることだという理想の旗を高く掲げ、実現のため抜本的な改革を進めていきたい』と云う、政治家として当たり前のような目標が政治の理想になってしまうところがこの国の情けなさだが、小沢一郎は単に普通のことをしようとしている。しかし、現実には「普通のことが」「理想の実現」になると云うのだから、小沢も辛いことだろう。

現時点では何とも言い難いが、小沢一郎の政治感でさえも、現状は両睨みの選択しかないと読んでいるような気がする。ただ、小沢自身が陣頭指揮を執る政権体制は考えていない感じだ。どうしても法廷闘争が小骨のようにひっかかるのだろう。ただ明らかな事は、菅内閣の能力で予算を本国会に出すことには、大いに疑問を持っているようだ。

両院議員総会の開催を1月13日以前に要求し、代表更迭と云う方向性を暗示している感じがする。そして、13日に党大会で、両院議員総会が決めた新代表の採決が行われる可能性は充分ある。そして、小沢派が勝てる要素は着実に増えている。

筆者の勘だが、岡田の代表もあり得る。民主党内改革をするなら岡田が一番無難なのだ。煮ても焼いても食えそうにない原理主義で隷米だが、民主党内改革となると、有力候補だ。

ウルトラCは民主党代表岡田克也又は小沢一郎、総理大臣・国民新党・亀井静香だ。聞かなかったことにして貰おう。(笑)

以上の分析が的外れでない証左ではないが、腐れマスメディア「小沢ネガキャン」のキャンペーンを思い出したように張りだした。菅政権の体たらくは「脱小沢」が全てである、という世論が形成されているような気になった恐怖を、腐れメディアが感じたのである。

何度も、しかもどんな手段で転ばしても起き上がる“みちのくダルマ”に悲鳴を上げている。 特に目につくのが、NHKと朝日新聞だ。論調のバカバカしさと云うか、愚にもつかぬ難癖を必死でつけている。日本の大報道機関だと自称する、2大メディアが意味不明、適正な政治資金報告書を不法な資金流用のように言いふらし、書き散らすことは、到底許されることではない。

まぁ、徐々に騙される国民の数が減少したり、あまりに酷いので、チョット変?と思うレベルに達しているようだ。追々答えは出るだろう。朝日は船橋洋一の退陣、星浩の退職。NHKは経営委員会と別に運営委員会が国民の代表によってチェックされる放送局になるリスクを冒している。今のうちだよ、嘘八百が言えるのは大越君!


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