世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

驚異的“みちのくダルマ”の力量、小沢一郎の「物語性」が好きだ

2010年12月03日 | 日記
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驚異的“みちのくダルマ”の力量、小沢一郎の「物語性」が好きだ


今夜は小沢一郎と云う政治家について、筆者の個人的思いを語りたい。きわめて個人的独白なので、異論反論の類は受けつけかねる。(笑)

正直、小沢一郎と云う一人のふてぶてしい政治家が、この平和ボケした、物欲と危うい平等思想を生活の糧にしている日本で、よくもまあ生き永らえてくれたものだと、岩手の人々に感謝する。

衆議院議員の父(小沢佐重喜)の急死により急遽選挙に立候補、27歳の若さで衆議院議員となり、当時自由民主党幹事長だった田中角栄の木曜会に所属、小沢一郎の政治家人生が始まった。

自民党時代の角栄、金丸、竹下、中曽根康弘、海部俊樹、羽田孜、梶山静六、宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博、小渕恵三、橋本龍太郎をはじめ、それ以降も細川護煕、市川雄一、亀井静香、村山富一、岩国哲人、武村正義、野中宏務、二階俊博、横路孝弘等々懐かしい政治家が顔を揃える。

政権与党・自民党を割り、新政党を立ち上げて移行、日本の政局に常に君臨し、新政党、新進党、自由党、民主党と一定期間の野党時代はあるのだが、常に政権と関わり合う地位を確保してきた。40年以上にわたり、日本の政治を渦中にいながら見つめてきた、数少ない歴史の生き証人である。

上記に列挙した政治家の多くは既に鬼籍であり、或いは政治を離れ、時に力を失っているかだ。現役で頑張っているのは亀井静香一人と云う事だ。

自民党時代の若き幹事長時代のエピソードから、角栄と若き小沢と真紀子嬢、金丸信とのかけ合いコンビなど、非常に絵になる。新党結成、解党とめまぐるしい政治権力闘争を時には自ら仕掛け、時には仕掛けられ、何度となく窮地に追い込まれながら、生き残った政治家は稀だろう。

これだけの政治的パワーを維持する為に、金が必要だったことは言うまでもない。どうして小沢一郎は40年にわたり、日本の政治の中心にいたのか、どうして人々が離合集散するのか、どうして小沢の元に金が集まるのか。

たしかに、東京地検特捜部ではなくても、興味津津だ。ついつい怪しげなストーリーを描いてみたくなる素材である。多くのノンフィクションライターや小説家が小沢一郎本を執筆するのも頷ける。 まぁ検察のストーリー創作は、現実の人間に多大な迷惑をかけ続けているのだから、慎むべきシナリオだが、彼等が常々疑問を抱き、きっかけさえあれば、小沢一郎の謎と云う絡まっている糸がほどけると期待した気持は判らないではないが、公権力が謎解き遊びに興ずるのは大罪である。

一時、一議員になった時代、1993年に小沢一郎は「日本改造計画」を上梓している。政治本等と云うもの、1万冊も売れればおんの字の時代に70万部以上を売り上げたのだから、小沢一郎と云う男、乃至は政治家に興味と関心を日本人が示していることは明らかだ。

1993年新政党時代から、日本の記者クラブに巣食うマスメディアとの関係は悪化したようで、20年近いマスメディアとの確執は年季が入っている。しかし、世論政治と揶揄される時代の政治家で、マスメディアを半分敵に回し続けている政治家と云うのも興味深い。過去に吉田茂、橋本龍太郎などがマスメディア嫌いだったようだが、小沢のように20年になんなんとするも、雪解けしない政治家は貴重だ。

こう云う頑固さも魅力の一つである。 剛腕、辣腕、壊し屋と評するのが日本のマスメディアなのだから、悪意が込められての渾名であることは言うまでもない。「壊し屋」である前に「創り屋」でもあった事実を無視してはいかん。小沢一郎の政治手法や選挙における読みなどは極めて繊細な感覚が現れ、とても力づくで、ことを解決するだけという評価は奇妙だ。

現在の政治家をテーマにした様々な本が出ているが、「小沢一郎」が断然抜きんでている。菅直人、谷垣禎一、仙谷由人、石原伸晃、渡辺喜美、山口那津男等々が主人公の小説を書く奇特な作家は居ないだろう。亀井静香は書けそうだが・・・。 つまり、作家連中が書ける素材と思われる政治家は、単に政治家としての経歴以上のモノを、オーラとして醸しているということだろう。

このように、小沢一郎の存在は日本の政治を考える上で際立ったものであり、小沢一郎の文字を紙面に載せることは読者の求めるものでもあるのだろう。テレビも同様の要求があるのだろう。最近では仙谷とか前原が時折紙面を賑わすが、到底小沢の足元にも及ばない。1年で消えてゆくお笑い芸人の類かもしれない。朝日などは、小沢ネタでどれだけ社説を書いたのだろうか?民主党の一兵卒議員を相手に、全社挙げて闘いを挑んでいるわけだから、小沢一郎って政治家の大きさが反面的に判る。

小沢の父、小沢佐重喜は吉田茂の側近で運輸大臣、郵政大臣、建設大臣等を歴任した大物政治家だったが、岸内閣においても安保改定の特別委員長に就任、川島正次郎と共に安保改定を行った人物である。経済万能主義に反発し、リベラル体質でありながら保守本流に属するなど、個人的資質で生き抜いた政治家だ。“いなかっぺ大将”との渾名がったようだが、小沢一郎に重なる部分も多い。

佐重喜は幼少時は貧乏との闘いの日々であり、田中角栄、鈴木宗男などと同様貧乏を味わった点で小沢一郎が親近感を憶えるのも至極自然だ。また、佐重喜が歩んだ運輸、郵政、建設、そして日米安保と、小沢一郎の足跡と何処か似ている。何やら輪廻を感じさせる。

このような物語性がある政治家は魅力的だ。 小沢一郎が父・佐重喜の生きざまを、知らず知らずに、なぞっているようで興味深い。彼が今後どのような政治家としての運命を辿るか判らないわけだが、今後これほどの実力があり、理念があり、熱烈な支持を受ける政治家は出現しない予感がある。

「米国が最も怖れた日本の政治家・小沢一郎」が内閣総理大臣になる事が物語の終わりとして相応しいのか、米国や日本の既成勢力・マスメディアに敗れ江藤淳の言葉通り故郷に帰るのか、どちらにしても物語は書けそうだ。

昨今の小沢一郎を観察する限り、いたって意気軒昂だ。マスメディアとネトウヨが目論む「小沢は終わった」の標語は幾度となく裏切られ、恥じの上塗りをしている。筆者の美意識から行くと、小沢一郎は最期まで内閣総理大臣にならない21世紀世界NO1の政治家と云うのが一番かっこいい。最期まで影の総理ってのが物語性がある。一方支持者としては、縦横無尽に既成勢力の問題点を火あぶりにして貰いたい願望も捨てがたい。特にマスメディアをヒ~ヒ~言わせて欲しいものだ。 今夜は愉しんで書かせて貰った。不愉快なお人が居たら黙ってスル―していただこう。では、オヤスミなさい。


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