世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安倍の終わり 本土に根づかず、沖縄に根づいた民主主義

2018年10月02日 | 日記
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国権と民権: 人物で読み解く 平成「自民党」30年史 (集英社新書)
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●安倍の終わり 本土に根づかず、沖縄に根づいた民主主義

台風24号直撃の影響で、投票率の低下、玉城候補不利?と云う本土的な予測は、見事に覆された。前回が64.13%にたいして、63.24%だったのだから、見事な投票率だ。先ずは、今回の翁長沖縄県知事の急逝により実施された、沖縄県知事選挙の結果は、接戦が報じられていたが、翁長氏同様に、辺野古に基地はつくらせないと訴える玉城デニー氏が大差を持って圧勝した。

安倍政権は、一地方戦の結果に一喜一憂しないと、顔を引き攣らせて語る、安倍、麻生、菅の言葉は、まさに引かれ者の小唄に聞こえた。安倍政権は何を隠そう、嘘の公約、虚偽情報、バラマキ政策等々何でもありの総力戦で敗れたのだ。たしかに、政権与党の候補者・佐喜真氏の知名度や「日本会議系政治家」であったことなど、不利な面もあったが、翁長氏の病状等々を睨みながら、着々と知事選の準備をしていた割には脆かった。

自民党総裁選で、威圧的支配で、国会議員を恫喝し、3選を果たした安倍首相だが、一つ目のハードルに脚をひっかけたのは、先行きの多難を予感させるに充分な選挙結果だ。前回・前々回のコラムで「胃の痛みが消えた 安倍政権は参議院選後に終わる」「むくんだ顔、ねっとりした声がテレビから消える日」で書いた予測が、さらに確度を増したことを裏づける。安倍首相にとって、一つ目のハードルが一番低いと見ていただけに、正直、沖縄での惨敗は尾を引きそうだ。

ニューヨークタイムズ、ロイター、ガーディアン等々海外メディアでは、“米軍基地に反対している米海兵隊の息子が沖縄県知事になった”と云う趣旨の報道を“U.S. Marine’s Son Wins Okinawa Election on Promise to Oppose Military Base.”の見出しでセンセーショナルに報道している。間違いなく、玉城デニー沖縄県知事が、ニューヨークやワシントン、ロスアンジェルスで、沖縄の現状を訴えれば、翁長氏以上のインパクトを持つ可能性に期待できる。

しかし、ここでザワワザワワと歓んでもいられないのが、米国ケツ舐めに日本と云う国が別にあることを忘れてはならない。沖縄には琉球人の誇りがあり、民族的なアイデンティティも備わり、日本軍による最後の戦場にされた歴史的悲劇の歴史を持ち、且つ、米国に差し出され、日本と米国による“銃剣とブルドーザー”歴史を持ち、日本のほとんどの米軍基地を引き受けているような現実がある。そして、ボロボロの普天間を返還する代わりに、100年は活用可能な辺野古新基地を差し出せと強制されるのだから、怒りだすのも当然である。

ゆえに、与党(自民・公明・維新)の知事候補が敗れたからと言って、日本に民主主義が残っていたとは言えない事情がある。当然のことだが、共産・社民・立憲などが勝利したわけではなく、あくまで、沖縄(琉球)のアイデンティティが勝利したと言うべきである。本土における国政選挙において、「あなたの重視する政策は?」と尋ねた場合、60%が経済景気雇用、50%が社会保障制度、外交安保や地球温暖化、難民問題、司法制度など一桁台で、金カネ金とあいかわらずのゼニニスト状態なのだ。

つまり、本土の日本人の多くは、守銭奴状態の人間が多いと云うことで、すべてが銭に繋がる民主主義しか判らなくなった人間の群れなのだ。こういう国民達を支配するのは簡単だ。安倍政権のような手法を、あらゆる面で適用していけば、官僚のトップに事務次官でも、検察組織の検事らも、最高裁判所を牛耳る法務省の役人たちをも、裁判官も、すべて意のままに操れるのだ。善悪、公正公平の観念を失うことは“凡庸の悪”にすぐに染まることであり、損得勘定で生きると云うことは、最終的には虚しさだけを残すに過ぎない。

筆者は、安倍晋三が飛びぬけて酷い人間だと決めつけるつもりはない。安倍のような薄汚いクズ男の自民党を勝たせ続けている本土の国民に(俺を含めて)罪があると云うのが、現実だろう。俺はそんなことはないと言い放つ人々も多少はいるのは知っている。しかし、概ねは、安倍晋三と哲学的には同等に薄汚い国民だと言わざるを得ないのが現実だ。筆者の言葉が不愉快であるのなら、自民党を下野させて見せて欲しいものだ。最近では、立憲民主党よりも、日本共産党の方が、理念的で、政治的情熱が真正直に思えてきた。国民が飽きないうちに、立憲も野党統一の狼煙を上げるべきだろう。

日本本土の国民は、無意識の中の同調圧力に、とても弱い。かなり堅固に見える社会の支配システムが存在しているように思わせられているきらいがあり、嫌われたらどうしよう、面倒だから長いものには巻かれていようか、つまりは山本七平の「空気」が存在していると云うエクスキューズもあるのだが、事実は銭に汚いだけで、何も理念らしきものを持たないことが、いかにも美徳のように思われている。しかし、現実は、理念やイデオロギーを持ちうるだけの学びすら実行していないのが本土の日本人だ。

テレビの画面からは、馬鹿タレントの馬鹿笑いと、雑学のようなクイズ番組と、ネットショッピングや健康長寿番組が、日がな一日茶の間を占領している。報道ニュースと云うのは恥ずかしくなるようなゴシップや、そもそも愚鈍の輩であるスポーツ団体の幹部や相撲取りに道徳を求めたり、アホ臭くてみるに堪えない。こんな国の中で、民主主義が成立する可能性は、ゼロに等しい。その意味で、日本をどん底に落とそうとしている、安倍や日本会議の改憲の企みは、日本が通過しなければならない、民主主義の通過儀礼なのかもしれない。今夜は、幾分辛口だった。

魂の政治家 翁長雄志発言録
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追跡 日米地位協定と基地公害――「太平洋のゴミ捨て場」と呼ばれて
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徹底検証 神社本庁: その起源から内紛、保守運動まで (ちくま新書 (1361))
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