世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●朝鮮戦争近し?“政権放り投げ解散疑惑” 自己欺瞞のなれの果て

2017年09月23日 | 日記

 

独裁国家・北朝鮮の実像――核・ミサイル・金正恩体制
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朝日新聞出版
そうだったのか! 朝鮮半島
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美しい国への旅
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集英社


●朝鮮戦争近し?“政権放り投げ解散疑惑” 自己欺瞞のなれの果て

 何を勘違いしたのか、内閣改造で支持率が数%上昇したと云う曖昧な事実が安倍晋三に解散総選挙を決意させたと云うことであれば、日本と云う国の内閣総理大臣の格も失墜したと云うことになる。首相の解散権に関して、そもそも憲法違反だと云う議論もあるが、それはさておき、今までの慣習で考えれば、国民的判断を必要とする国家的課題が生まれたので、解散総選挙を実施して、国民に信を問う、そう云うものと解釈されていた。

 信を問うものとして、アベノミクス、安保法制、北朝鮮対応、森友加計問題等々が頭には浮かぶが、それらの問題は、現在2/3議席を有している自民公明与党+日本維新で充分フォロー出来ているわけで、信を問うと言っても、事後承諾に過ぎない。憲法改正もスケジュールありきではない態度を自民党が見せれば、自党が出している醜悪な改憲案を大幅に修正し、妥当な改正案さえ提示すれば、公明、維新の協力を得ることは充分可能だ。

 つまり、以下朝日新聞の記事のように、解散の大義が何であるか判らない解散だと云うことになる。となると、どうにも情けない理由で解散の決意をしたと疑いたくなる。折角「仕事人内閣」なんてネーミングの内閣改造を行い、何ひとつ仕事もせずに5%以上内閣支持率が上昇したのだから、この機を逃す手はない。本当に仕事を始めたら、ボロが出るのは確実なのだから、国民に幻想を抱かせたまま選挙をするのが得策と考えた。

 或いは、臨時国会で質疑を受ければ、森友学園や加計学園の問題で支離滅裂状況になり、加計孝太郎が参考人招致で馬脚を露呈して、内閣不信任案を提出され、党内から大量の造反者を出して、解散に追い込まれる危険があると恐れたのかもしれない。否、安倍首相はもっと前向きに、改憲草案をより自民党的にする為に、公明をあてにせず、維新+小池新党で公明の穴を埋める戦術に出たのかもしれない。

 或いは、以下の芥川賞作家・田中慎弥氏の小説『美しい国への旅』の司令官のように、自己欺瞞を鉄の鎧で隠し、自己満足に耽る小心な目的があるのかもしれない。筆者が思い当たるのは、北朝鮮情勢のことだが、もしかすると、本当に“朝鮮戦争”が再開される危機を感じとった故の解散なのかと訝る。朝鮮半島で南北朝鮮の戦火が切られれば、安倍晋三が自らマッチョに準備した安保法制が機能し、日本は米国の属軍として参戦を余儀なくされる。多くの自衛官が朝鮮半島に赴き、多くの死傷者を出すことになる。日本本土も、北朝鮮から無差別なミサイル爆撃を受け、多くの民間人犠牲者を出す。

 金ロケットマンは、ならず者トランプと口先晋三が、国連で口汚く自分を罵った事実を忘れることはないので、自爆的に両者に鉄槌を下そうと試みる。現実の戦争では、米国本土にミサイルは届かないので、確実に届く日本を標的にするのは合理的戦術だ。つまり、トランプとロケットマンの罵り合いで戦火を交えた場合、戦場は朝鮮半島と日本の間で起きると考えておくべきだ。案外、韓国での戦火は小さいものと考えておくべきだ。同胞への攻撃は限定的。

 こう云うことを書くと、本当に起きる現実のように思えてくるから不思議だ。朝鮮戦争は、北朝鮮と米国の鍔迫り合いと、両国の司令官のパーソナリティーを考えると、かなりの確率で起こり得る想定ではないだろうか。となると、日本本土が戦場になる。ここまでは戦略的に想定できる。戦争だから、どこかの段階で終戦を迎えるだろうが、戦争に加担し、多くの自国民や自衛官の犠牲を積極的に生みだした内閣総理大臣であることへの責任問題を堂々受けとめられるかどうか、安倍晋三が利益損得勘案したとしても不思議ではない。

 平和が維持されていたから、マッチョに好戦的ファイティングポーズを取っていたのだが、戦時がリアルな状況になった途端、伸びきった勃たないペニスが縮みあがり、体内に呑み込まれたと考えることも可能だ。つまり、安倍晋三は、日本軍司令官として戦場に赴く勇気がなく、まさに敵前逃亡の一環として、今回の解散総選挙を決意したと云うことも考えられる。この場合、自民党が解散前議席を大きく下回ることは想定内なので、その責任を取り、さっさと官邸から逃げ出そうとしていると云うことになる。逆に言えば、このような場合、近く戦争があり得る切迫した状況にあることを示唆しているのだが……。


≪改憲停滞、解散で打開狙う 安倍首相、公明の慎重論受け
 臨時国会冒頭で解散、10月22日投開票の公算が大きくなったことで、与野党とも準備を加速させる。安倍晋三首相が年内解散を決めた背景には、悲願とする憲法改正への公明党の慎重姿勢があった。野党側の態勢が整わない間隙(かんげき)を突くことで、改憲の主導権を取り戻す筋書きだ。
 公明の支持母体の創価学会は17日、東京都内で緊急会合を開いた。幹部が年内解散の可能性を報じる新聞を読み上げ、「冒頭解散の可能性が高い。準備する段階だ」と全国から集まった約80人に号令をかけた。
 今回、首相の解散判断に影響を与えたのは改憲に慎重な公明の動きだった。
 首相にとって解散は局面を打開し、憲法改正を前に進めるという意味を持つ。
 都議選の大敗を受けて首相の求心力が低下するなか、公明は首相の描く来年の通常国会での改憲発議という日程に公然とブレーキをかけ始めていた。
 自民党関係者によると、公明は「衆院選を経ないと発議は認めない」との考えを自民に伝え、首相の改憲日程にクギを刺していた。公明幹部からも「2020年までに安倍さんが提案したような改正が実現するか見通すことはできない」(山口那津男代表)など相次いで慎重論が飛び出した。
 衆参3分の2の賛成が必要になる発議には公明の協力は不可欠で、首相は改憲スケジュールの練り直しを迫られていた。閣僚の一人は「公明が改憲に慎重になったのが痛い。そういう自公関係もあっての判断だ」と首相の改憲戦略の「転換」を解説する。
 ただ、選挙後の改憲をめぐる思惑は一様ではない。
 与党内には、政権にこれまでのような勢いはなく、14年衆院選より野党共闘が進めば、自民、公明、日本維新の会による改憲勢力が3分の2を維持するハードルは高いという見方もある。公明中堅は「ここでの解散は『憲法はいったん、あきらめる』ということだ」と語る。
 一方、首相ら改憲推進派は、細野豪志・元環境相ら民進党離党組や、小池百合子・都知事に近い若狭勝衆院議員らでつくる新党の協力を期待。ある自民幹部は「彼らを含めれば、いちかばちかで3分の2に届く、という首相の見立てだ」と語る。
 新党を含めた新たな改憲勢力で3分の2を確保できれば、参院選がある19年夏までは改憲発議の環境が残り、18年の通常国会発議より1年間の余裕ができる。
 もっとも自民党内には、憲法改正にこだわるべきではないとの考えが根強い。
 多くの自民議員が年内解散を支持し、冒頭解散を待望するのは、政権維持が最優先との考えからだ。  閣僚の一人は「今の民進党には誰も投票しない。新党も準備が間に合わない。今なら自民の傷が浅い」。閣僚経験者は「臨時国会で質疑を受ければ、森友学園や加計学園の問題で、また支持率を落とす」と言う。
 党執行部からはこんな本音も漏れる。「本気で憲法改正したい議員なんて少数派だ。勝つというより、負けないということだ」
 ≫(朝日新聞デジタル)


 ◎シリーズー安倍晋三の問題は政治性でなく人間性だ!
≪なぜ安倍首相はここまで身勝手になれるのか? あの芥川賞作家が、そのグロテスクなマッチョ性の正体を洞察
 無責任かつ自分勝手さをここまで極められるものなのか。安倍首相が臨時国会冒頭に解散する方針を固めた件だ。
 本サイトでは、この解散の裏側には、北朝鮮の危機を煽ることで支持率を回復した安倍首相が加計学園問題の国会追及を封じるだけでなく、森友学園の捜査をも潰す目的があると伝えた。つまり、何度も繰り返してきた「丁寧に説明していく」という国民との約束など心にもない「口からでたらめ」に過ぎず、安倍晋三という人は、ただただ自分の保身のためにしか動かない男であるということだ。
 稀代のエゴイストが総理大臣──。
 だが、安倍首相のパーソナリティについては、あの芥川賞作家がさらに掘り下げ、興味深い分析をおこなっている。
 その作家とは、2015年に安倍首相をモデルにした小説『宰相A』(新潮社)を発表し、話題を呼んだ田中慎弥氏だ。田中氏は、今年1月に発売した長編小説『美しい国への旅』(集英社)で再び安倍首相を自作のモチーフに選んだ。
 実際、『すばる』(集英社)2017年3月号で、同じく芥川賞作家の柴崎友香氏と対談した田中氏は、同作について「明確なイメージとしてあったのが現在の総理大臣」と話し、つづけてこんなことを言っているのだ。 「あの人の顔が、私には勃起しないペニスにしか見えないというのが、取っかかりのイメージです」
 安倍首相の顔が勃起しないペニスにしか見えない、そのイメージが創作の取っかかりになった──。これは一体、どういうことなのか。いざ『美しい国への旅』を読んでみると、なるほど、その通りだった。
 この小説が「美しい国」という言葉をタイトルに冠していることからも安倍首相を意識していることは明白だが、物語は核兵器を使った戦争により、「濁り」に汚染され荒廃した近未来の日本が舞台という、『宰相A』にも通じるディストピア小説。母を亡くした主人公の少年は、司令官を殺すために彼のいる基地を目指し旅に出るのだが、この司令官こそが、安倍首相をモデルにしていると思われる人物だ。
 司令官は〈首相候補と言われている若き男の政治家〉であり、〈代々政治や軍務に関わって来た名門家系の血筋〉。〈男は現代の政治家として、また輝ける一族の跡取りとして、歴史を逆転させようと考えた、あの兵器による負けを、あの兵器を取り戻すのだと。幸い国民は落ち着きをなくしていた。基地建設に関して積極的に動き回り、金を集め、男は司令官に納まってしまった〉とある。

 ■田中慎弥が、安倍首相の顔がアレにしか見えないと
 現実の安倍首相も、核兵器保有に前のめりだ。北朝鮮には核の放棄を迫りながら、核保有国であるアメリカとともに核兵器禁止条約には反対の姿勢を取りつづけ、国際社会の核廃絶の流れに完全に逆行した態度を取っている。
 しかし、小説でもっとも気になる部分は、主人公の少年が旅の果てで目にした指令官の正体である。指令官は〈人間の形をしたもの〉にしか見えない状態で、鉄の服に覆われて吊されている。しかも異様なのは、両脚の付け根から指令官の3倍はある大きな何かが伸びている。その描写は、男性のペニスを思わせるものである。
 なぜ、田中氏は安倍首相と男性のペニス──しかも勃起しないそれと重ね合わせたのか。前述した『すばる』で、田中氏はこう話している。 「それは彼の顔だけではなくて、日本とアメリカの関係性においても言えることです。アメリカがすごいマッチョな男で、日本がそれにくっついている娼婦だという人がいますが、私はそれは逆だと思っている。アメリカが高級娼婦、日本はちゃちな男で、高級娼婦が頑張っていろいろ刺激してくれても、ちっとも勃たない。なぜ勃たないかといえば、高級娼婦にもともとの力を抜かれているから。
 そうしたイメージが今の国の指導者とどうしても結びついてしまう。勃とうとして、しゃかりきになればなるほど、限界が見えれば見えるほど、限界ぎりぎりまで向かっていかざるを得ないという……」
 現在の状況は、このときの田中氏のイメージと似た状況になっていると言えるだろう。いま、日本はトランプ率いるアメリカからは軍事力の強化を急き立てられ、安倍首相はその通りに動いている。それはアメリカに隷属しているようにみえる。だが、安倍首相の北朝鮮に対する言動は、挑発を受けている当事国のアメリカ以上に強硬だ。本来ならば各国同様、平和的解決に向けてトランプを諫めなければならない立場であるにもかかわらず、安倍首相は「異次元の圧力をかける」などとひたすら焚きつけている。“勃起できないけどマッチョになりたいちゃちな男”たる日本、いや安倍首相が、いまどんどん限界に向かっている──田中氏の指摘は現況とたしかに当てはまる。
 じつは田中氏は、以前にも「週刊新潮」(新潮社)に寄せた寄稿文のなかで、安倍首相を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現していた(詳しくは既報参照)。血筋というプレッシャーのなかで、本来の弱い自分を、自分自身が認められない。その安倍首相へのイメージは、今回の「勃起しないペニス」というものと相通じる。
 そして、田中氏のイメージの鋭さに唸らされるのは、安倍首相をモデルにした指令官の台詞にある。『美しい国への旅』のなかで、その勃起しないペニスそのものである指令官は、機械の声で、こう語る。

 ■「美しい国を取り戻す」のかけ声も、自己正当化の道具
「美シイ国ヲ復活サセナケレバナラナイ。甦ラセナケレバ、取リ戻サナケレバナラナイ。イマコソ、美シイ国ヲ復活サセナケレバナラナイ。性器トナリ、兵器トナリ、爆発シ、濁リモロトモ、敵対スル国モロトモ、我ガ国ヲ吹ッ飛バシテ一度ゼロノ状態ニ戻シ、ソノ中デ生キ残ッタ純粋ニッポン人ダケガ新タナ時代ヲ作リ、美シイ明日ヲ掴ムノダ。ソノ時コソ、美シイ国ヲ取リ戻スコトガデキルノダ」
 男性は強靱さの象徴として勃起せねばならないと強迫される。強さを求められ、そのなかで勃起しない、すなわち強くなれない彼は、ファンタジーの「本来の美しい国」を取り戻すために、国を、そこに生きる人を、すべてを吹き飛ばそうとするのだ。
 これはまさに、安倍首相のパーソナリティを的確に写し出したものではないだろうか。「美しい国を取り戻す」という掛け声は正当化の道具でしかなく、ほんとうの目的は、強い自分を誇示すること。それは対北朝鮮の姿勢を見ていると痛いほどよくわかる。
 そして、強い自分に執着するあまり、自己保身に走る。今回の臨時国会での冒頭解散だってそうだ。どれだけ説明不足だと言われても、国民との約束も果たさず不誠実で無責任な態度だと受け取られるリスクがあると側近が忠告しても、責任追及から逃れたい、捜査を潰したいという自己保身が優先される。ここでもやはり「本来の自分の弱さを認めたくない」という安倍晋三という人の素顔が見え隠れしている。
 人は多かれ少なかれそうした弱さをもっているものだろう。しかし、安倍首相が生まれ育った環境はあまりに特殊だ。田中氏は前述の「週刊新潮」の寄稿文でこう綴っている。
〈祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ〉
 わたしたちは虚勢を張るこの男をいつも見てきた。選挙では聞こえのいい言葉を吐き、悪法を次々と勝手につくり、弱者の暮らしには目も向けず軍備増強に邁進し、政治の私物化が発覚すると勇気ある内部告発者の醜聞をリークしてまで徹底的に握り潰そうとし、まともな説明ひとつなく逃奔。その上、大義もなく解散しようというのだ。
 田中氏は、〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉という。臨時国会での冒頭解散の先に待っているのは、そのタカの姿なのだということを、わたしたちはよく覚えておかなければならない。 ≫(リテラ:水井多賀子)

 ≪安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ
「(賞を)もらっといてやる」──『共喰い』(集英社)で第146回芥川賞を受賞した際にこんな発言をして注目された作家の田中慎弥。そんな田中の新作が、いま、話題を呼んでいる。
 というのも、話題の小説の題名は『宰相A』(新潮社)。タイトルから想像がつくかと思うが、このなかで描かれる“宰相A”のモデルが安倍首相ではないか、と見られているからだ。 『宰相A』は、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義国家を描いた、いわゆるディストピア小説。物語は、小説が書けないでいる主人公の作家が電車に乗り、母の墓参りに向かうところから始まるのだが、作家が辿り着いたのはアングロサクソン系の人間たちが「日本人」だと主張する世界。──第二次世界大戦後、敗戦国となった日本をアメリカが占領・統治を行い、アメリカ人たちが入植し、日本人は「旧日本人」と呼ばれ、監視された居住区で押さえ込まれるように生活をしている……そんなパラレルワールドのような“もうひとつの”日本を描いている。
 その世界で、旧日本人の反発を封じるために選ばれた首相こそが、旧日本人の「A」である。 〈緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象がある〉
 顔立ちといい、態度といい、どう考えても安倍首相を描写したとしか思えないAという人物。しかし、げに恐ろしいのは、Aが口にする演説内容だ。
「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。」 「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。(中略)平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」
 現実の安倍首相は、ことあるごとに「積極的平和主義」という言葉を持ち出しては日本を交戦国にしようと働きかけるが、宰相Aはその未来の姿にも見えてくる。本来、平和学では、戦争がなく、差別や貧困による暴力のない状態を指し示す「積極的平和主義」という言葉を、いま、安倍首相はアメリカと協調し、軍事的に他国に介入する意味として使用している。現実の安倍首相が言う「積極的平和主義」とは、小説内のAが口にする「戦争主義的世界的平和主義」そのものではないか。
 このように、決して笑えない世界の姿を叩きつける『宰相A』。作品は文芸評論家からも高い評価を受けているが、一方で読者からは「話題づくりで安倍首相をモデルにしたのでは」という声も上がっている。  だが、田中が安倍首相を小説のモデルにした理由は、話題づくりではないはずだ。それは、田中は以前より安倍首相に対して関心を寄せ、その強気の姿勢に危惧を表明しているからだ。
 田中が「週刊新潮」(13年1月17日号/新潮社)に寄稿した、『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は「安倍晋三」』という原稿がある。題名にある通り、田中は安倍首相の選挙区である山口県下関市に生まれ育ち、現在も在住している。この寄稿文によれば、田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。
〈(安倍は)田中さんの本は読んだんですが、難しくてよく分かりませんでした、と言う。私は思わず、読みづらい本ですので、とかなんとか適当に返したように記憶している。(中略)面と向かって、よく分かりませんでした、と言うとは、ずいぶん正直な人だなと思った。怒ったのではない。(中略)作家としてはむしろありがたいくらいだった〉
 だが、田中が気になったのは、安倍の〈うつろ〉さだった。 〈私が顔を見ても安倍氏の方は視線を落として、目を合わせようとしなかった〉〈政治家っぽくない人、向いてない仕事を背負わされている人という印象だった〉  このときの印象が『宰相A』での描写に通じていることを思わせるが、田中はさらにテレビ越しに見えてくる安倍の性質について洞察。〈いいですか、いま私が喋ってるんですから、などとどうしようもなく子どもっぽい反応を示す〉ことや、〈自分と意見が違うその人物をせせら笑うという不用意な顔〉を見せてしまうことを挙げて、〈これは、ルーツである山口県の政治風土の表れではないかと私は思う〉と述べている。
 しかし、こうした県民性以上に田中が強く指摘するのは、安倍の〈弱さ〉である。
〈相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。だったら、あるがまま生きればいい。弱いことは、人間として決して悪いことではない。だがここで、血筋の問題が出てくる。(中略)祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ〉
  「戦後レジームからの脱却」と称し、安倍首相が憲法改正や自衛隊の国防軍への移行を主張するのは、自民党の意志でもある。だが、ここまで強気に進める理由を田中は〈そういう党の中にいる安倍氏が、偉大で強い家系に生まれた弱い人間だからだ〉と見る。そして、タカ派に分類される安倍を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現するのだ。
 〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉
──ここまで田中が憂虞するのは、政治的・軍事的な理由からではない。幼くして父を亡くしたことのせいか、田中は〈男性的でマッチョなものが、根本的に怖い〉のだという。男であることが不潔に感じ、〈何度も死のうとした〉ことさえある。そのときのことを〈死んでみせることで、周囲に強い人間だったと思わせることが出来るのだと、勘違いしたからだろう〉と田中は振り返るが、だからこそ、弱い自分でいることを許されない安倍は危険な状態なのではないか、と田中は案じるのである。
 この田中による指摘は極めて重要だ。安倍首相の強硬姿勢が彼の政治的信条に基づいた行動なのであれば、まだ議論の余地もある。だがそうではなく、安倍自身の血筋というプレッシャーや、本来のパーソナリティである弱さを隠すために過剰に強くあろうとして偉大な祖父が成し得なかった偉業に挑んでいるのであれば、それは暴走だ。しかも、こうした暴走への危惧は、きっと安倍首相には通じないだろう。なぜならそれを受け止めることは、自分の弱さを認めることになるからだ。
 自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である。 ≫(リテラ:水井多賀子)


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