進化する魂

フリートーク
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NMB48城恵理子卒業 城に100点満点を贈る

2012-09-04 05:06:35 | AKB48_メンバー

城ファンの方は読まないでください。



【速報】NMB48城恵理子卒業
http://akb48matome.com/archives/51840385.html



驚きはしなかった。

興味がないわけでも、冷めているわけでもない。

もう限界だなと思っていたから。

笑顔が痛かった。(いつも城の笑顔が苦しいと言っていたのだ)

彼女の笑顔は、彼女の努力そのものだったが、同時に自分自身を騙すことのできない不器用な人の笑顔でもあった。

彼女自身が、その努力の意味を、努力の向かう先を理解できていなかったのだろう。

屈託のない笑顔には、いつも迷いが入り混じっていた。



私は、人の笑顔は木の年輪のようなものだと思っている。

笑顔には、その人の人生なり経験なりが出ると感じていて、笑顔に接すればその人がだいたいどんな人かがわかる気がする。

城の笑顔を見るにつけ、もう一回り成長しない限り、このまま続けるのは難しいと思っていた。

誰にでも、解決できない悩みや迷いといったものがあるものだ。

しかし、一つひとつを真剣に考えていたら前へ進めない。

解決できないのだから。

そんな時に使われるのが「問題の先送り」だ。

今解決できない問題を将来へつけ回す。

決して悪いことではない。

我々は、常日頃そうやって生きてる。

全ての問題を解かなければならないとしたら、どれだけ時間があっても足りなくなるし、そもそも人生には解けない問題ばかりある。

また、自分も状況も変わり続けるから、先送りしている間に、問題が解決される(問題が問題でなくなる)なんてこともよくある。



ただ、「問題の先送り」には一つ問題がある。

先送りしたものは、すべて「心の会計」にたまり続ける。

借金額は増え続けるのだ。

これと折り合いをつけなければならない。

知らないフリをするか、計画を立てて返済するか(今は払えないけど、将来的には完済できるとか)、etc...。

真面目すぎる人は借金をすることさえ嫌がったりもするが、ある種の器用さが必要だ。



中学生に大学生用の課題を与えたら、時として混乱するだろう。

馬鹿になれ(知らないフリをしろ)というのは容易いが、城にそう言うことが適切だとは思えない。

彼女には、彼女に合った学習の仕方というものがある。

それは、人それぞれにある。

その場にいれば、言えることはいろいろあるのだが、

どんな言葉も考えも、彼女の「学習の視座」から見える範囲内でしか意味を成さないのだ。

これは誰でもない彼女自身が責任を負っている彼女の人生についての決断として、今は場所を変えるべきだと考えたのなら、それを尊重すべきだとしかいえない。


高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df




それと、彼女が感じていたプレッシャーだが、私はNMB48という組織内にある淘汰圧力であろうと私は思う。

チームMのセンター、そしてNMB48選抜のチームM枠として城が選抜されると、その分、非選抜になる人がいる。

城恵理子が背負わされていたのは、「出れない人の分を代表している」という責任感であろう。

叱咤激励のつもりの言葉も、本人の力をはるかに超えた要求は口撃になる。

NMB48の中には、我こそはというメンバーがいるから余計にプレッシャーがかかる。

その場その場に相応しいメンバーでなければ、どんな施策も持続し得ないという意味での淘汰圧力は、組織としては歓迎すべきものかもしれない。


正直なところ、城が辞めてこれはチャンスだと考えているメンバーもいるだろう。

それは決して悪いことではない。

悪い均衡を是正して正しい均衡を目指す力は、運営の意思決定の誤りを正し、組織の新陳代謝を高めるためには、必要な圧力なのだ。



切ない力だが。



■追記


アイドルだけが人生じゃない。

小さい頃に「プロ野球選手になる」「日本代表としてワールドカップに出場する」「お嫁さんになる」といった夢を持った少年少女は大勢いることだろう。

その内、どのくらいの人が、本当にその夢に向かって進んだだろうか。

ほんの一握りではないのか。

多くの人は、知らず知らずのうちに今いる道へと進んできたのではないか。

夢なんてそんなもんだ。

そして、そんなもんだということを、我々はもっと知るべきだろう。

それを知った上で、教育とは何かということを考えたいのだ。



「夢を」とか「アイドルとして」とか「プロとして」なんて言葉を度々見かけるが、私から言わせれば、そんなものはあやしい。

彼女達は、AKB48グループに入るときに既に「自分の人生はこうだ」と決めておかなければならないのだろうか。

もしAKB48グループに教育機関としての役割を背負う覚悟があるのなら、そんなことは求めてはならない。

「教えを育む」という言葉の通り、教育とは、子供達が自分自身で人生について考えることに付き合うことだろう。

(与える側の思うとおりに、与えられる側が育つなんていえないわけだから。その理由が↓)

彼女達が、誰でもない自分自身の一生を、自分自身の責任で歩もうとするところまで付き合ってあげるのが、教育というものだ。

なぜなら、教育が持つ根本的なジレンマは、「それを知る前にはそのことについては知り得ない。」ということだからだ。

わからないから学ぶのである。

しかし、わからないのに、学んだ後のことがわかるわけがない。

学び終えてはじめて学んだことの意味がわかるのだ。

つまり、アイドルを目指す前に、アイドルになった後のことなど本質的にわかるわけがない。

だが、現代教育のせいなのか、ビジネス習慣のせいなのか、人は前もってそれをわかったものにしたがる。

知らないでいる状態が不安で仕方がないあまりに、不可知を可知に変えたがる。

知らないのに、知っているつもりにしたい。

だが、それは無理な相談というものだ。

だから、いいんだ。

城恵理子が卒業する。

「今の私には乗り越えられない壁があった。でもそれを学べたことが収穫です。」と言われたら、私は彼女に100点満点を上げたい。

何の意味もない100点だが、私は「これ以上ない、いい学びをしたね」と言ってあげたい気持ちでいっぱいだ。



高校球児たちによる甲子園での活躍に大人たちがあたたかい声援を送るのは、彼らがプロ野球選手の卵だからではなく、彼らの人生において彼らのその一生懸命さが、必ず有意義なものとなるという想いからであろう。