昨日の補足
「努力と結果」のイデオロギーからの脱却こそ「マジ」 AKB48の神髄
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1fdb9f4aa28287548cbf6f689fdb0bd6
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前回、『「努力と結果」のイデオロギーからの脱却』の重要性と、そのイデオロギーが近代思想のフレームワークだと説明した。
しかしながら、誤解してはならないのは、そのイデオロギーは必要だから、重要だから我々にとって当たり前のことになったのである。
近代における人間社会の飛躍的発展の背景には、「勤勉であることが有効である」と信じる人々が一定多数必要だったのだ。
不確実性を排除して、結果がある程度に見通せること、つまり、「がんばれば未来は明るい」とする信仰がなければ、今の不遇に耐えながら努力することができたであったであろうか。
「努力と結果」の関係が見えることは、非常に重要なのだ。
だが、情報通信技術の発展が、勤勉であることの意味を変えた。
人々が多くの情報を触れることが可能になると、ある意味で人々が賢くなると、未来を見通すことがより簡単になる。
すると何が起きたか。
人々は「諦め」はじめた。
本質的に現実は不確実で不可知なものであるのだが、情報は(人々の不安を回避したい欲求もあいまって)不確実性を排除して未来を可知可能なものに変える。
ここで重要なポイントは、「技術の発展により入手可能になった情報を処理するだけの十分な能力を人間が先天的には有していない。」ということである。
(このあたりについては、当Blogの行動経済学シリーズをどうぞ)
また、人間は様々な意味で学習し、成長する生き物であるのだが、ここに学習のジレンマがある。
現在という位置から、将来自分が何を学び、どう成長するのかを見通せないというジレンマである。
学ぶ前に、学んだ後の自分のことがわかるわけがないのである。
今自分が見る世界と、10年後の自分が見る世界とは異なるであろうことは、誰にでも予想できるにも関わらず、人間は未来を見通すとき、今の自分から見える世界を基にする。
今の自分から見えるもの、今の自分にできることを基にして、未来を考えるというわけだ。
端的に言うと、状況は常に動的に変化するものであるから、未来を見通すことは非常に難しいものだのだが、人間は未来を単純なものとして決め込んでしまう習性を持っているとうことだろう。
近代社会において「努力と結果」の関係が見えることが社会善として求められたわけだが、その弊害として未来は単純なものとなった。
このジレンマが、現代の閉塞感に繋がっている。
社会には「諦め」と「冷笑」が溢れている。
こんな環境においては、アイドルなどというのは茶番でしかなかった。
そこに颯爽と現れたのが、AKB48という「マジ」であろう。
今日のジレンマを乗り越えるためには、「努力と結果」のイデオロギーから脱却し、「マジ」になることが有効であり、それがAKB48が老若男女問わず熱狂的に支持される所以である。
それゆえAKB48は、「マジ」を素晴らしいとする美意識を礼賛し、崇め奉らなければならない。
「マジ」から外れることは、なんであれ軽蔑し、排除するべきである。
以上の視点から「恋愛禁止条例とはルールではなく理念である。」ということを考えれば、多少は理解されるのではないだろうか。
AKB48とは、アイドル教AKB48派なのである。
「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している ~ アイドル教AKB48派 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb518f6221cfa532af9d4b1469b53676
「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している [補足説明]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ba840f94f972945974968a742e827fc9
「努力と結果」のイデオロギーからの脱却こそ「マジ」 AKB48の神髄
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1fdb9f4aa28287548cbf6f689fdb0bd6
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前回、『「努力と結果」のイデオロギーからの脱却』の重要性と、そのイデオロギーが近代思想のフレームワークだと説明した。
しかしながら、誤解してはならないのは、そのイデオロギーは必要だから、重要だから我々にとって当たり前のことになったのである。
近代における人間社会の飛躍的発展の背景には、「勤勉であることが有効である」と信じる人々が一定多数必要だったのだ。
不確実性を排除して、結果がある程度に見通せること、つまり、「がんばれば未来は明るい」とする信仰がなければ、今の不遇に耐えながら努力することができたであったであろうか。
「努力と結果」の関係が見えることは、非常に重要なのだ。
だが、情報通信技術の発展が、勤勉であることの意味を変えた。
人々が多くの情報を触れることが可能になると、ある意味で人々が賢くなると、未来を見通すことがより簡単になる。
すると何が起きたか。
人々は「諦め」はじめた。
本質的に現実は不確実で不可知なものであるのだが、情報は(人々の不安を回避したい欲求もあいまって)不確実性を排除して未来を可知可能なものに変える。
ここで重要なポイントは、「技術の発展により入手可能になった情報を処理するだけの十分な能力を人間が先天的には有していない。」ということである。
(このあたりについては、当Blogの行動経済学シリーズをどうぞ)
また、人間は様々な意味で学習し、成長する生き物であるのだが、ここに学習のジレンマがある。
現在という位置から、将来自分が何を学び、どう成長するのかを見通せないというジレンマである。
学ぶ前に、学んだ後の自分のことがわかるわけがないのである。
今自分が見る世界と、10年後の自分が見る世界とは異なるであろうことは、誰にでも予想できるにも関わらず、人間は未来を見通すとき、今の自分から見える世界を基にする。
今の自分から見えるもの、今の自分にできることを基にして、未来を考えるというわけだ。
端的に言うと、状況は常に動的に変化するものであるから、未来を見通すことは非常に難しいものだのだが、人間は未来を単純なものとして決め込んでしまう習性を持っているとうことだろう。
近代社会において「努力と結果」の関係が見えることが社会善として求められたわけだが、その弊害として未来は単純なものとなった。
このジレンマが、現代の閉塞感に繋がっている。
社会には「諦め」と「冷笑」が溢れている。
こんな環境においては、アイドルなどというのは茶番でしかなかった。
そこに颯爽と現れたのが、AKB48という「マジ」であろう。
今日のジレンマを乗り越えるためには、「努力と結果」のイデオロギーから脱却し、「マジ」になることが有効であり、それがAKB48が老若男女問わず熱狂的に支持される所以である。
それゆえAKB48は、「マジ」を素晴らしいとする美意識を礼賛し、崇め奉らなければならない。
「マジ」から外れることは、なんであれ軽蔑し、排除するべきである。
以上の視点から「恋愛禁止条例とはルールではなく理念である。」ということを考えれば、多少は理解されるのではないだろうか。
AKB48とは、アイドル教AKB48派なのである。
「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している ~ アイドル教AKB48派 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb518f6221cfa532af9d4b1469b53676
「恋愛禁止条例」はAKB48の理念を表している [補足説明]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ba840f94f972945974968a742e827fc9
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