進化する魂

フリートーク
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率直に真実を語る重要性 ~コカコーラの失敗:カンザス計画~

2012-09-07 22:02:32 | AKB48_経営戦略・組織論系
[追記]

書き切った後、校正せずに今読み直したら、肝心なところが抜けていることに気づきました。
題名と中身の繋がりがイマイチ不明という・・面倒だから後で書こうと思っていたらそのまま忘れてしまっていました。
が、もう気力がないので、このまま抜けたままです(笑)

要約すると、リーダーをはじめとした組織が集団浅慮に陥っていることが、荒唐無稽なストーリーを立てるようなことに繋がるのであるからして、現実を否認するのではなく、対峙することが大切だということです。
その時、率直に真実を語る姿勢を持つことが重要だということですな。

あれ、三行でまとまっちゃいますね・・


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現実否認と夢 そして愛
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/20573f10f72f22c159495a6aee7bffdd

の続き


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1985年4月。

冷静時代には「資本主義の象徴」とまで呼ばれた世界で最もブランド力が高いと言われる企業「コカ・コーラ・カンパニー」は、1986年の創立100周年を前にして「カンザス計画」と呼ばれる計画を実行した。

コカ・コーラの味を根本的に変えて、「ニュー・コーク」を発売したのだ。

作家トーマス・オリバーがコカ・コーラ社の広報マンに「オールド・コーク」が復活する可能性について尋ねたところ、「未来永劫あり得ない」と回答された。

ところが、その未来永劫はわずか79日で終わった。

「ニュー・コーク」は消費者の不評を買い、コカ・コーラ社には抗議の手紙や電話が殺到する事態になったのだ。

1985年7月11日、コカ・コーラ社は味を元に戻し、少しだけ名前を変えて再投入するはめになった。

「コカ・コーラ・クラシック」だ。

(2009年1月30日、「コカ・コーラ・クラシック」の「クラシック」の文字を取った。)

「ニュー・コーク」は名前を「コークⅡ」に変えて再投入されたが、2002年に廃止されるまで不人気なままだった。

(正確にいうと、主戦場であるアメリカ・カナダでは人気がなかったが、第3国ではそれなりに人気が出たようだ。)

いまコカ・コーラ社に「ニュー・コーク」が復活する可能性を聞いたなら、こう答えるだろう。


「未来永劫あり得ない」




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当時「カンザス計画」を推進したのは、コカ・コーラ社のCEOであったロベルト・C・ゴイズエタと、ドナルド・R・キーオだった。

ロベルト・ゴイズエタは20世紀のアメリカ産業界を代表するCEOの1人である。

ゴイズエタは、コカ・コーラ社の社長となった1980年から1997年に本人の死去により経営者の座を降りまでの間に、時価総額を45億ドルから1800億ドルに押し上げた。

炭酸飲料というローテクの極みのような分野での業績にゆえに、その偉大さは一層輝いている。

その20世紀のアメリカを代表する偉大な経営者が、何故このような大失敗をしてしまったのか、興味深い問題だ。


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コカ・コーラ社の看板商品は、当然「コカ・コーラ」である。

その「コカ・コーラ」の味を変更して、「ニュー・コーク」を発売することになった背景を簡単に説明する。

当時、「コカ・コーラ」は1970年代半ばから「ペプシコーラ」にシェアを奪われ続けていた。

若者を中心に、「コカ・コーラ」よりも甘いペプシを好む消費者は増えていたのだ。

1975年には全世界の売上高は過去最高を記録していたが、国内売上高は前年を下回っていた。

さらに問題だったのは、「ペプシコーラ」のアメリカ国内市場でのシェアが伸びていたことだった。

挑戦者たるペプシコーラはありとあらゆることを積極的に試みた。

そして、事業のあらゆる面に遊び心があった。

たとえばペプシコーラのダイエット版は、「ダイエット・ペプシ」と名付けられた。

一方、その2年後に発売されたコカ・コーラ社のダイエット版コーラの名前は「タブ」である。

コカ・コーラ者では、コカ・コーラの全てが神聖化されており、神聖なる商品名を、他の商品に流用するなど許されなかったのだ。


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ペプシの勢いを決定づけたのが「ペプシチャレンジ」だ。

「コカ・コーラ」と「ペプシコーラ」でブラインドテスト(目隠しテスト)を実施しようというのだ。

当時ペプシ社内にはこんなジョークがあった。


「コカ・コーラ」を「ペプシ」のボトルに入れたら全く売れないだろうが、「ペプシ」を「コカ・コーラ」のボトルに入れたら大儲けできるだろう。



ペプシ側には、消費者が「コカ・コーラ」をブランド名で選んでいる確信があった。

ペプシは何度かブラインドテストを実施したが、勝ったのはペプシだった。


「あなた自身の味覚で決めてください。」



というキャンペーンを張った。

コカ・コーラ社の上層部は大層驚いたそうだ。

コカ・コーラ社では、主力製品の味をライバル製品と比較したことが一度もなかったという。

さらに追い打ちをかけたのは、コカ・コーラ社内部で実施されたブラインドテストでも、ペプシが勝ったことだった。

「ペプシチャレンジ」は、スーパーマーケットで買い物をする普通の消費者のロイヤルティを揺るがすだけではなく、マクドナルドのような大口契約を危険にさらすという意味でも、脅威であった。

この状況に危機感を抱き、コカ・コーラ社で、ペプシをライバルとして認め社内的議論をする許可を与えたのが、ゴイズエタだった。

1981年、ゴイズエタは幹部を集めて行われた会議にて「聖域のない改革」を訴えた。

その結果、「チェリー・コーク」という大ヒット、「ダイエット・コーク」、さらにこの間コロンビア・ピクチャーズ(現ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント)の買収といった成果が生まれた。

そして1985年、問題の「ニュー・コーク事件」は起きる。


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1985年4月23日、ニューヨークのリンカーン・センターで「ニュー・コーク」の発売イベントが派手に開かれた。

先述したように、コカ・コーラ社が「ニュー・コーク」を発売することになった理由は「ペプシ」の躍進なのは、誰の目にも明らかだった。

だが、ゴイズエタは、このシンプルな真実だけは口にできないと思い込んでいた。

実は、ゴイズエタとキーオは、イベントのリハーサル時に、自分たちが語ろうとしているストーリーがあまりに信憑性に欠けると気づいていたが、そのまま押し切ろうという判断をした。

仰々しく「これぞアメリカ!」という演出がなされたイベント会場でゴイズエタは説明をした。


最高の製品が、さらに美味しくなりました。

消費財の世界で、史上最も大胆な試みとお考えになる方もいらっしゃるでしょう。

私どもとしては、単に絶対確実な試みと申し上げておきましょう。

なぜなら、このコーラの新たな味わいは、消費者の皆様の嗜好に基づいて作られたのですから。


それからゴイズエタは、新たなコカ・コーラの製法がどのように生まれたかを語った。

1982年に発売され大ヒットとなった「ダイエット・コーラ」の開発過程で、社内のフレーバー調合担当者が「ニュー・コーク」の新製法を偶然発見したというのだ。

調査の結果、消費者が新製法の味を従来の「コカ・コーラ」よりも好むことが分かったため、何のためらいもなく製法変更に踏み切ったという、いかにも荒唐無稽な話だった。

実際、このストーリーには真実の欠片もなかった。

しかし、ゴイズエタの抱えていた問題の核心はそのことではない。

ゴイズエタとキーオの2人が報道陣に信じ込ませようとしていたストーリーが、偽りだっただけではなく、どうにも信じがたいものであったのだ。

この荒唐無稽な作り話には面白いところが一つもなく、報道陣が乗ってくる要素も一切なかった。


世界で最も価値のあるブランドを保有する企業が、偶然今より優れた製法を発見し、変更を決断したって?

そんな馬鹿なことが有り得るのか・・。


企業がこのような極めて重要な局面に差し掛かると、メディア(受け手)は味方に付くか、敵に回るかをすばやく決める。

この後に行われた質疑応答からは、メディアがどちらに決めたかは明らかだった。


報道陣:
これが大失敗に終わらないと、100%確信があるのですか?


ゴイズエタ:
さきほども申し上げました通り、これは消費者が決めたことですから。
絶対確実な選択です。

キーオ:
大ヒット間違いなしですよ。


報道陣:
「ニュー・コーク」と「オールド・コーク」の違いは何ですか?


ゴイズエタ:
味を説明するなら、詩人かコピーライターか、報道陣の皆さんにお任せした方がいいでしょうね。
飲んでみて、ご自身で判断してもらえませんか。


報道陣:
ご自分の言葉で説明してください。


ゴイズエタ:
そうですね、より滑らかで、えーと、まろやかで、えーとそれでいて、そう、骨太でもいいましょうか。
これまでより調和のとれた味ですよ。


報道陣:
(失笑)


キーオ:
飲む人を包み込むような味だと、私は思いますよ。


報道陣:
この製品は「ペプシ・チャレンジ」への対抗策なのでしょうか?


ゴイズエタ:
おやおや、何を言っているんですか。
えーと、ペプシチャレンジですか?
そんなことがいつあったんです?


報道陣:
要するに、この新製品にとって「ペプシコーラ」の存在は、ハインツの煮豆缶やハーシーズのキスチョコと同じくらい無関係だとおっしゃるのですね?


ゴイズエタ:
さぁ、どうでしょうなぁ。
あなたの方が間違いなく私より英語がお得意のようだから、あなたと言い争う気はありませんよ。
私が言いたいのは、新製品が念頭においているのは、消費者だけだということです。


会見は大失敗に終わった。
そして、ゴイズエタの言葉は許されざる嘘の典型だった。
誰にでもわかる現実を否認したのだ。


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ペプシコーラのCEOロジャー・エンリコは「ニュー・コーク」の情報を掴むと、歓喜してこう言った。


あいつら、本当にやりやがるんだ!
新製品を出すんじゃなくて、「コカ・コーラ」を市場から引っ込めるのか!!


エンリコはすぐ全従業員に向けてこう文章を打った。


ペプシコーラのボトラーと社員の皆さんへ

皆さんに心からお祝いを申し上げます。
87年間もじっと睨み合ってきた相手が、ついにマバタキをしました。

コカコーラは製品を市場から引き揚げ、コーラを「ペプシに似た味」に変えようとしています。
リプリーが世を去ったのが非常に残念です。
きっと大喜びしたでしょうから。

市場におけるペプシの長年の成功が、今回の動きの原因となったのは間違いありません。
正しいものを変える必要がないことは、誰でも分かります。
彼らもようやく、我々にはずっと前から分かっていたことに気づいたのかもしれません。
ペプシの方がコカコーラよりも美味しいと。

トラブルに陥った人間というのは、とんでもないことをしでかすものですから、彼らから目を離してはいけません。

しかし、今だけは、勝利とは甘美なものであり、我々にはそれを祝う資格があると申し上げましょう。
金曜日は祝日とします。
どうぞ楽しんでください!
では!

ペプシコーラUSA 社長兼CEO ロジャー・エンリコ


エンリコはこの好機を逃さなかった。

アメリカ中の新聞の広告枠を押さえたのだ。

それだけではない。

リンカーン・センターの目と鼻の先にあるコロンバス・サークルでパーティを開こうと提案した。

コカ・コーラ陣営とやりあった報道陣たちに「本当の本物の味」であるペプシを飲ませようというのだ。

1985年4月はペプシにとって大勝利の日となり、コカ・コーラにとっては惨敗となった。

この時、瞬間的にペプシのシェアがコカ・コーラを上回った。

先にも後にも、この時だけだ。


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『コカ・コーラ帝国の興亡』の著者、マーク・ベンダグラストは「ニュー・コーク」の失敗を以下のようにまとめている。


ニュー・コークの大失敗の結果、元のコークは400万ドル以上にも相当する宣伝効果に浴し、その効果と比べればコカ・コーラ社の下手な広告は役立たずも同然だった。

今や由緒あるコーラは復活し、再びアメリカ一の清涼飲料の地位を取り戻した。

ゴイズエタとキーオは図らずも、このマーケティングの失敗を見事なビジネス上の手柄に変えたのだった。



なんとまぁ、幾重にも皮肉な話である。

現実否認と夢 そして愛

2012-09-07 19:43:09 | AKB48_心の叫び

特定の何かについて意見したいのではありません。
一般的な観念論です。




自己欺瞞ほど易しいものはない。

真実であって欲しいことを、真実だと思い込めるからだ。

(デモステネス, 紀元前 322-384 )



「現実否認」

眼の前の現実を認めないという態度をいう。

明白な事実を無視する。

なぜかといえば、それと付き合いたくないからである。

心理学者ジークムント・フロイトは、否認を

知っていながら、知らないとする行為


と呼び、作家ジョージ・オーウェルは

自己防衛的な愚鈍


と表現した。



人が、いずれ明るみに出るかもしれない、それによって人生の計画を大きく変えざるを得ない状況に追い込まれる可能性の高いスキャンダラスな行為と知りながら、それでもスキャンダルを起こしてしまうのは、なぜなのだろうか。

「なんでわからないんだ」と無理筋な要求を子供に押し付ける親、「付き合う程度に飲むだけ」と頑なに言い張るアルコール中毒患者、事実に反して「作戦は成功に終わった」と宣言する政治家、「進捗は計画通り」と説明する事業家、否認は人間社会に遍く浸透している。

生活だろうがビジネスだろうが例外はない。



合理的かつ現実的で、思慮深く聡明である人々が、多くの場面で重要な現実を否認する。

当たり前のことだ。

彼/彼女らも人間だからだ。

痛みを避けようとする衝動も、痛ましい現実を避けようとする衝動も、人間の本能だ。

(ほら、だから愛は偉大だろう。愛は受け入れるだろう、現実を。)



誰しも「こうだったらいいな」という世界で暮らしたい。

時には、否認が役に立つこともある。

周囲にうまくいく訳がないと批判されながら、それでも成功を掴んだ起業家は大勢いる。

絶体絶命のピンチを潜り抜ける時、諦めない粘り強さの原動力は現実否認だ。

余命いくばくもない人と最後の一日を過ごすのに「今日は病気のことを忘れよう」という現実否認は素晴らしい時間をもたらしてくれることだろう。

「夢」は本質的に現実否認による「嘘」だ。


少年少女よ嘘をつけ!!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a4534769840e97713e977324b0abc3e


否認の魅力が、魔力ほどに強いのは、短期的にはそれでうまくいくことがあるからだ。

だが、否認によって長期的にうまくいく可能性はほとんどない。

状況が実態よりも良いようなフリをすることは、最終的にはほぼ確実に破滅的な状況に繋がる。

「夢」が真に有用なものとなるのは、現実を否認するのではなく、現実に対峙することを決めた時だ。



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参考図書:リチャード・S・テドロー『なぜリーダーは「失敗」を認められないのか』


懐かしき青春の苦味 ~チョコレートと成長痛~

2012-09-07 12:54:21 | AKB48_心の叫び

※追記:ちょっと文体が偉そうだったので、ところどころ変更しますた。

本エントリは、完全に勝手な妄想による独善的な意見です。



不祥事が起きた時、より強い話題によって掻き消されるとか、人の噂も七十五日とか、言う人がいますが、その考えは甘いと思います。

希望的観測として楽観したくなる気持ちはすごくよくわかるのですが、不祥事が起きた時のリスク管理を、話題性の問題だと決めつけるのは、チョコレートより甘い考えです。

芸能界はスキャンダルが日常茶飯事だし、むしろそれさえも武器になってしまう世界だから、一般的な企業のリスク管理とは内容が異なってしかるべしという意見もあるでしょう。

確かにマイナスな話題も寛容されやすいかもしれないし、芸の肥やしなんて言葉もあるし、炎上マーケティングも成立しやすい業界なのかもしれません。

しかし、不祥事を話題性の問題として決めつけるのは、非常に不適切な認識だと主張したいと思います。



問題の本質は「話題性」ではなく「信頼」なのだと思います。

話題性だけでビジネスが成り立つ業態であるならば、「話題性」に終始していればいいでしょう。

実際問題、芸能界はその点に集中して勝負している人々も多いかもしれません。

しかし、AKB48は話題性だけで成立するグループなのかといえば、全く違うと私は思います。

普段からサプライズだなんだと話題を振りまいてはいますが、それも全て顧客をAKB48のコアに誘導するためのものだと思うのです。

顧客との近接性と、その継続性を高めることで成功したグループなのであるという認識のもと、重要なのは「話題性」よりも「信頼関係」であると考えます。



AKB48運営は失敗を認められるか ~危機管理の模範的教材:タイレノール事件~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0a80eca62b4d07869cc1780d4e713a0c

バーグは、被害者や遺族の苦しみを軽んじたり、覆い隠そうとすることは一切しなかった。

たとえ無実だとしてもJ&Jがこの事件に関わったことに対し、バークはこの危機の核心に、「人間性」という要素があることを理解していた。


私がわかっていない苦労も多々あろうかと思いますが、最近のAKB48を見ていると、上記述べたようなAKB48の構造を理解していないのかと思うような古臭いマネジメントが目立つ気がします。

組織の構造も、組織の置かれている環境も刻々と変わっているのに、マネジメント側がそれに合わせてアップデートしていないのではないかと。

(もちろん勘違いかもしれません)

外部環境の変化に追い越されないようにとスピードを重視して変化し続けてきたが、それに見合った組織的な成長が出来ていないために、成長痛に悩まされている印象です。

走り続けるのはいいのですし、やって試すのもよいのですが、拙速過ぎてはだめです。

ただ「走る」のではなく、「走りながら考える」これが大事です。


rough consensus and running code
(David Clark)



メンバーもファンもスタッフも、みんなが全力で走るためには、お互いに信頼関係が構築されていなければなりません。

後ろを気にするようでは、全力で走れないからです。


釜石の奇跡 新世代のマネジメント
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b1cca0452ea5623a51e260c32726a97

不測の事態において、生死を分けるもの。
それは「信頼」なのかもしれない。
そして、その「信頼」は「個の自律」から生まれる。
1人ひとりが自分の命に責任を持つことによって、非常時にお互いを信頼して逃げることができる。

昔、武士の時代。
家族は、武士である夫や父が戦場で生き残るために自分たちに何ができるかを考えた。
その結論は、武士の家族たるものは、武士が後顧の憂いを持たぬように努めねばならないということだった。
戦場での迷いは一瞬であっても生死を分けるからだ。
家族は、夫や父が戦で思う存分に戦えるよう日ごろから準備をした。

現代においても、何か大業を成すために後顧の憂いをなくすという話がよくあるだろう。
「後顧の憂いをなくす」というのは、日常の話である。



これは完全に勝手な妄想による独善的な意見でしかないのですが、今、運営が考えなければならないことは、スマートなやり方や、皆があっと驚くような方法による解決策を見出すことではなく、まず、自分たちが理想とするところを目指すのに今何を学ばなければならないか、もしくは何を理想とすべきかを模索するために何を学ばなければならないのか、ということを考えて、仮説検証思考的な方法論を開発して取り組むことだと思います。

当Blogでは繰り返し述べていることなのですが、根本的な発想として必要なのは「解決策」ではなく「学習」だと考えます。

なぜなら、組織というのはその社会的意義を達成するために永続的に、少なくても継続的に存続(成長)していかなければならないからです。

問題というのは何をしたって無数に起きるものです。

病気をしない人生など有り得ないのです。

その場だけの解決策で乗り切っても、先が見ています。

根本的な基礎体力を向上させていかなければなりません。


そのためには、いっぱい試し、いっぱい失敗し、いっぱい学ぶことです。

より多くを学び、より多く適応したものが生き残るのです。

いっぱい試すためには、一つ一つの施策を軽くすることです。

大艦巨砲主義的に大きなサプライズを狙って大きな施策を狙うことは、成功すればリターンは大きいかもしれませんがリスクも大きいです。

特に、変化の速い環境では、その施策を準備中に時代遅れにのものになって、ついていけない可能性が出てきます。

(支配権争奪戦の主戦場が海戦から空中戦に移行している時に、戦艦大和を作っても仕方がないのです。)

話題を交わすための施策を打つのではなく、日常的で継続的な顧客とのコミュニケーションによって解決する術を模索するのが吉です。

失敗は学習の前提です。

いっぱい失敗して、失敗から学びましょう。

(先述したように、失敗をして失敗から学ぶ、この一連のサイクルを早めることが重要です。)


と、私は漠然と考えるのでした。


高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df


「永尾まりやに足りないもの」ではなく、戦略立案のやり方について ~変革ストーリーの作成~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/b203e0e05a1fefd9eaa8f96fd64d282a


■追記


インターネット時代の情報の流通に関しては、新しい発想が必要でしょう。

昔は、大衆にリーチできるメディアが、マスメディアしかなかったので、マスメディアをコントロールすれば話題の生死をコントロールできたわけですが、インターネットによって情報の流通経路が劇的に変化したため、この手はもう使えなくなっています。

「人の噂も七十五日」とは言ってられなくなったと考えます。

情報が誰の目にも触れることができる形でストックされるようになったことと、いつでもその情報を拡散できるようになったのです。



インターネットの力で情報へのアクセスコストが劇的に下がったので、標的を探している人々に情報が届きやすくなりました。

インターネットによってこれまで物理的に隔離されていた同種タイプの人々がコミュニティを形成しやすくなったため、ある程度の規模での議論形成がやりやすくなるということです。

これまで「情報の拡声器」役はマスメディアが担ってきたわけですが、マスメディアを通さずに情報をブーストして拡散できるようになったのです。

噂は、ずっと残り続け、攻撃のネタとして使われるのです。

そして、この種の噂は感染しやすいので、しぶとく生き残り続けます。



話題をかわすために使われてきた、これまでの手法はもう過去のものとなったわけです。

「今でも一般大衆はネットではなくマスメディアを信用しているから影響は抑え込める」という意見もあると思いますが、それは希望的観測でしかありません。

マスメディアもネットを重要な情報源として認識し始めていることもありますし、ネットの情報を掴まされリアルで行動を起こす人々も増えてきているからです。

また、それを見越して先回りする社会的な動きも出てくるので、このスパイラルはどんどん強化されます。

我々が住む社会は、ネットでのことが、もはやネットだけのことでは収まらないような世界に変貌してきているのです。



そして、最も難しい点は、一度失った信頼を取り戻すのは非常に難しいということです。

ちょっとでも心に影ができると、ここぞという時に一歩が出なくなります。

全速力の一歩手前で減速してしまうのです。

このほんの些細な違いの積み重ねが、塵も積もれば山となるで、後々に効いてくるのです。

ボディーブローのように。

特に、ファン側からの参加度を大きく引き出そうとするAKB48のような業態であれば、なおさらです。