特定の何かについて意見したいのではありません。
一般的な観念論です。
自己欺瞞ほど易しいものはない。
真実であって欲しいことを、真実だと思い込めるからだ。
(デモステネス, 紀元前 322-384 )
「現実否認」
眼の前の現実を認めないという態度をいう。
明白な事実を無視する。
なぜかといえば、それと付き合いたくないからである。
心理学者ジークムント・フロイトは、否認を
「知っていながら、知らないとする行為」
と呼び、作家ジョージ・オーウェルは
「自己防衛的な愚鈍」
と表現した。
人が、いずれ明るみに出るかもしれない、それによって人生の計画を大きく変えざるを得ない状況に追い込まれる可能性の高いスキャンダラスな行為と知りながら、それでもスキャンダルを起こしてしまうのは、なぜなのだろうか。
「なんでわからないんだ」と無理筋な要求を子供に押し付ける親、「付き合う程度に飲むだけ」と頑なに言い張るアルコール中毒患者、事実に反して「作戦は成功に終わった」と宣言する政治家、「進捗は計画通り」と説明する事業家、否認は人間社会に遍く浸透している。
生活だろうがビジネスだろうが例外はない。
合理的かつ現実的で、思慮深く聡明である人々が、多くの場面で重要な現実を否認する。
当たり前のことだ。
彼/彼女らも人間だからだ。
痛みを避けようとする衝動も、痛ましい現実を避けようとする衝動も、人間の本能だ。
(ほら、だから愛は偉大だろう。愛は受け入れるだろう、現実を。)
誰しも「こうだったらいいな」という世界で暮らしたい。
時には、否認が役に立つこともある。
周囲にうまくいく訳がないと批判されながら、それでも成功を掴んだ起業家は大勢いる。
絶体絶命のピンチを潜り抜ける時、諦めない粘り強さの原動力は現実否認だ。
余命いくばくもない人と最後の一日を過ごすのに「今日は病気のことを忘れよう」という現実否認は素晴らしい時間をもたらしてくれることだろう。
「夢」は本質的に現実否認による「嘘」だ。
少年少女よ嘘をつけ!!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1a4534769840e97713e977324b0abc3e
否認の魅力が、魔力ほどに強いのは、短期的にはそれでうまくいくことがあるからだ。
だが、否認によって長期的にうまくいく可能性はほとんどない。
状況が実態よりも良いようなフリをすることは、最終的にはほぼ確実に破滅的な状況に繋がる。
「夢」が真に有用なものとなるのは、現実を否認するのではなく、現実に対峙することを決めた時だ。
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参考図書:リチャード・S・テドロー『なぜリーダーは「失敗」を認められないのか』

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