オーディオ再開!レコードで音楽を楽しもう

オーディオ、シアター、ゴルフ、etcみんな中途半端な趣味だった、もう一度このブログと共にオーディオを再開!

発展するオーディオ産業、analog

2024年02月26日 21時36分34秒 | オーディオ
流行り廃りが繰り返されて、文化となる
 
そんな気がします
 
 
 
 
以前も書きましたが
 
産業が流行を作るのか
流行が産業を生むのか
 
どちらなのでしょうか?
 
 
 
 
 
かつて
 
音楽を聴く「楽しみ」
 
オーディオ機器を所有する「喜び」
 
 
 
オーディは私にとってそんな「楽しみと喜び」の欲求を満たす
 
最高の娯楽でした、その娯楽を得るためにも働きました
 
人其々で様々な「楽しみ・喜び」があると思いますが、
 
それを得るために皆頑張っているのだと思います
 
 
 
 
 
 
さて
産業と需要がブームを作った70年代までのオーディオ産業黄金時代
 
この時代にはメーカーとユーザーの一体感があったと思います
 
 
80年代以降、メーカー・ユーザー共に、産業と需要が築き上げたオーディオ産業は
 
 
メーカーの独りよがり技術が発達して、メーカー主体のオーディオ産業となり
 
本来のユーザーの得るべき楽しみや喜びは蔑ろにされていったと思います
 
 
特性の良さが音質の良さと「メーカーが位置付け」
 
コンパクトで手軽も備えて、特性の優れたモノが良い音だと勝手に位置付けられた
 
 
 
当たり前だがユーザーは「楽しくもなく喜びもない」オーディオだったが
 
ソフト・ハード共にメーカーは手間のかかるモノを提供することを辞めてしまったため
 
 
それを得るすべがない、ユーザーは「楽しさ・喜び」を諦め
 
時代の流れの中で、メーカー主導のオーディオで時を過ごし
 
やがて離れていった
 
 
 
 
メーカーに騙されていたモヤモヤに、皆気がついていた事だったが
 
 
ある人が
 
やはり時代が変わって技術が進んでも
 
何時の時代も「楽しさは」変わらない
 
 
 
たとえ機会的に特性が良い音でも、デジタルで音楽を聴いては「楽しくない」
 
楽しくない音で聴く音楽は「音楽ではない」と声を大にして語った
 
 
 
そう感じていた人がまた一人「その通り」と声を出し始め
 
小さなコミュニーや、オーディショップの片隅で同じ思いの人々に伝わった
 
 
その叫びはパワーが有り、やがて「思いは」エネルギーをうみ、
 
レコードや真空管ブームとなった
 
 
やがて、そのブームが素晴らしいと感じた方々が
 
ある一定の基準を超えた瞬間、そのブームは
 
 
一つの文化となった
 
これがアナログ・オーディオ文化の誕生であった
 
 
 
その文化は、かつての全盛期70年代を、全く知らない世代の方々も
 
「これは素晴らしい楽しい音楽の世界だと」
 
絶賛し、すんなりと受け入れる「文化」となった
 
 
因みに、この現象は”生命潮流”または100匹の猿で検索してほしい
(簡単にいうと、ある離島で殆どの猿が汚れた芋を食べていたが、ある1匹の猿が海水で芋を洗って食べたら美味しかった、その美味しそうな姿を見てか、周りに居た猿も同じように海水で芋を洗って食べるよになった、周辺でブームが起きた、そのブームに乗った猿が100匹を超えたら、なんと接することも見ることも出来ない他の島の猿や本島の猿も一斉に芋を海水で洗って食べ出したと言われる現象、写真の温泉猿も同じ現象と云われている)
不思議な超常現象だが
 
101人目では足りなかっただろうが
 
 
メーカーの作ったオーディオに不満を募り出した方々が作った
 
 
「超常現象の果てに誕生したのがアナログ・オーディオ」だと思う
 
超常現象とは、
 
オーディオ産業の誰一人もが、望んでいなかった形のオーディオ文化
 
産業が捨て去って廃棄してしまった、過去の遺物のオーディオ文化だったから
 
注、高慢なハイエナよのうなショップは別として
 
 
 
産業が全く望んでいなかった文化を
 
ユーザーが再び「楽しみ・喜び」を得るために作り上げた
 
それが、現在のアナログオーディオだと思う
 
 
 
・・・・・・・
 
如何でしょうか?
注、勿論今夜も沢山飲んで書いてます(笑)
 
 
 
 
101匹目の猿現象が起こしたアナログオーディオは
 
レコードや真空管の黄金時代を知らない人々にも
 
何故かすんなりと、その音の良さが伝わっています
 
 
かたや、メーカーやデジタル技術至高論者の方々からすれば
 
今のanalogブームはメディアによって作られた、一過性の単なるブームに過ぎない
 
 
「デシタルの方が優れていて高音質だ」、と主張される方々
 
 
でもその方がは、何故か口を揃えて
 
オーディオの衰退、オーディオは終わった、と語ります
 
 
 
 
 
 
アナログは本来のオーディオの楽しみである
 
聴く楽しみ、所有する喜びを持ち合わせています
 
 
大きな袋から出して、レコード針を下す事は、余分な手間とは誰も思っていないのです
 
メーカーが簡単に大量に作れるので、場所を取らずにコンパクトで音が良いと作り出したのがCDです
 
 
 
レコードや真空管主体のアナログ機器を所有する喜びは
 
現在の傲慢な技術主体のメーカーの姿勢では叶わないので
 
 
ユーザーは古い製品を選ばざるを得ない状態です
 
 
 
もし、メーカーの方々にオーディオの将来を語れるなら
 
一言言いたいです
 
 
 
 
 
メーカーの作る、現時点の「至高の音」にユーザーは何の興味もありません
 
 
ユーザーは「楽しい音を奏でる製品」を望んでいます
 
 
楽しく所有し、その楽しさがチョット飽きたら、楽しさを変えて、また楽しむ
 
 
そんな楽しく音楽を聴き、所有すると喜びが湧くような
 
製品をユーザーは待ち望んでいるのだとおもいます
 
 
 
 
 
もし、私がオーディオメーカーだったら
 
産業が流行を作れると確信しています(笑)
 
 

良い音とは「綺麗な空気の振動」

2024年02月22日 12時42分13秒 | オーディオ

皆さんわかっていると思うが

このブログは酒飲んで泥酔状態で、妄想を書いているブログです(笑)

 

 

何度か書いてきましたが

私はオーディオの音は、五感の感性で感じるものだと思っています

 

 

「良い音」、「良いとは思えない音」の判断は、聴きての感性次第で変わります

(注、このブログを書いて大人になったな~、と思う瞬間が有りますが、かつては良い音、悪い音と書いていたのがこのような言葉が出るようになったのも進歩があったようです(笑))

 

まあ味覚と同じように年齢や年代によっても好みは変わるし

 

外の天気や気候によっても違いが出るし

聴くときの気分によっても違うと思います

気分、気持ちで音が違うのは奏でる音の違いなのか、聴き手の問題なのか・・・

それも含めてですが

 

 

私は、音を聴くのに大切なのは「気」だと思っています

 

 

一見、関係ない事のように思われますが、この「気」は

オーディオでは最も大切にしなければならない要素だと思っています

 

 

 

巷でよく聞く話ですが

「この製品は雑誌の評価と音が違う、あの評論家は適当なこと書いている」

なんて言葉を時々耳にすることがあります

 

また、同じオーディオ機器を使っても、鳴らす人が違えば

まったく違う音を奏でることも有りますよね

一つの特徴的な音色の機材を(WE618B)、知人宅に持ち込んで鳴らしても

 

素晴らし~い、と音が良くなるお宅と、なにこれ?ニセモノじゃないの?

と、言った具合に全く鳴らなくなるお宅も有ります

 

 

同じ機器なのに鳴らす環境で大きく音が変わる理由は何だと思いますか?

 

 

 

アナログは「オーナーの人間性を奏でる」それは間違いないと思います

うちの音は人間性悪いですから煩いですよ~、耳栓持ってきてくださいね(笑)

 

でもなぜ?そんなものが音に反映するのか、不思議だと思いませんか?

 

一つの妄想の仮説ですが

私は「空気」を揺らし奏でるオーディオでは

その方の醸す「気」が音になって現れ、奏でるのだと思っています

 

 

オーディオで大切な「気」とは・・・、まずは

「雰囲気」が良いと感性が感じれば

その音が悪いはずは有りません!

 

 

くれぐれも妄想の持論ですが、この雰囲気はとても大切だと思っています

 

雰囲気が良い音とは、気持ちの良い綺麗な音だと思います

 

「綺麗な音」を奏でたければ

綺麗な空気を揺らさなくては無理だと思っています

 

 

綺麗な空気を造るには

先ずは鳴らす、オーナー本人が発する「気」が最も大切ですね

「元気」で「活気」が有り

それを醸し出すことが大切だと思っています

 

 

この醸し出すことはとても重要だと思います、気持ちを自分の中だけに留めず

外へ、自分の周りに「良い気」が漂うこと、これが理想だと思います

 

「あいつが」いるだけで雰囲気良いよな

 

こんな雰囲気が醸せる人になれたなら、何処に行っても大丈夫

もしオーディオショップの店員さんなら、何を視聴に持ち込んでも

その製品を買ってもらえますね(笑)

 

 

逆に、あいつがいると雰囲気が悪くなるとは言われたくない

 

「邪気」や「陰気」が漂っていたり

気力を失い「意気消沈」しては、周りに綺麗空気は生まれず

当然ながら良い音はしないと思っています

 

 

 

オーナーの発する「気」が奇麗で、「気力」があること、まずこれが一番大切

力のある空気のゆれは、それだけで「音」に説得力があると思います

 

 

そして、「空気を奇麗」にするには

見た目も大切ですね「美的な空間が作る気」

 

オーディオ機器はわりと無骨で美的とは言えないかもしれませんが

それでもオーナーの気持ち次第で、「機能美」は作れると思っています

見た目の汚れた部屋からは、綺麗な音はしません!

 

 

 

バカタレ~、散らかっていた方が音が良いんだ!

「音の拡散が出来て、フラッターも、定在波も消えてこれがいいんだ!」

 

 

 

と、主張する貴方!

 

みっともない言い訳はやめなさ~い

 

機能美に満ちた綺麗な空気が出来たら

いよいよそれを鳴らす「機器」に灯を入れますが

 

 

オーディオ機器に「気」を入れる事も、大切だと思います

「気合」をいれてスイッチを入れる(笑)

ぼ~っとスイッチ入れちゃダメです

 

 

手を合わせて、お祈りをしてからでもいいのですが

そこまでやると、流石に変人扱いされるので考えものですが

 

少なくともプロの職人は、職人技のモノを作るのに必要な愛着の道具を使う前に、「気持」を込めているようにも感じます

 

 

オーディオ機器に「気持ちを込める儀式」スイッチオン!

「今日もいい音を奏でてね!」と祈りながら「気合」でスイッチを入れる

 

この気合が大切、自分の気持ちと、機械の気持ちが合う

だから「気合」を入れる!

 

この気合を入れてスイッチを入れると、何か調子が悪い、ノイズが多い、ノイズの音が悪い等々(すみません我がオーディオはノイズが友達なので、ノイズありです)

そんなオーディオ機器の「気色の悪さ」も伝わってきます

 

 

 

気合が入ってオーディオ機器に気合が灯ったら

気合を入れて、そ~と針を下します

 

気合を入れすぎると針先を壊しますから、

気合は気持ちで、行動は優しくレコードをかければ

 

 

 

如何でしょうか?

そんな気合の入ったオーディオ機器で、奇麗な空気を揺らせば

これでもう、悪い音が鳴るはずは無いと思いませんか?

 

 

 

 

因みに余談ですが「病気」

これは漢字の通りで、身体が病む状態ではありませんよね

 

気持ちが病んでいるので、それが身体の不調に及ぶのだと思います

身体の調子が悪くなる時は「気持」ちが病んでいるのだと思います

 

 

 

良い気持ちを造り、それを醸し運んで

他の人にもそれを感じて貰えるようになれば・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが理想の俺なんだがな~(深酒による妄想です)


蕎麦の香りを惹きたたせる、汁=オーディオ

2024年02月20日 00時10分45秒 | オーディオ

 


いつもながら訳の分からないタイトルですみませんね

 

先日、新そばとまではいかないですが

まだまだ蕎麦のいい香が漂う「赤城深山ファームそば」を買ってきました

 

そばの香りと書きましたが、細かい蕎麦粉ほどその「香りは淡い」ですね

多少粗引きのほうが、蕎麦の香りは強いと言われています

 

香りを言葉にするのは難しいですが、蕎麦の香りってどんな香りがしますか?

 

実はほとんど蕎麦の香りってわからないんです、私も打つようになって知ったのですが

通常蕎麦の香りと思っていた「香ばしい香り」は、殆どが蕎麦皮の匂いでした

 

乾麺で売っている、ちょっと黒い「十割蕎麦」あれは殆ど全て×△モノです

 

乾麺の「香ばしい香り」の正体は99.9%は蕎麦皮の香りだと思います

 

自分で打つ十割蕎麦の香りはビミョーで、僅かに香る程度ですが

野菜の臭いと言ったらいいのかな?香ばしいというより、フレッシュな香りなんです

 

ちょっと古くなると、すぐに粉の匂いがしてきます

 

その挽きたての蕎麦の淡い香りなんですが、打っているときや、茹でているときは香っても

ツユにつけて食べると、その淡い香りは消えちゃって、「香りがしない」時もあります

 


粗く引いた粉は、また違った香ばしい蕎麦の皮の香りがしてきます

香ばしい皮の香りも、いい香りで私は嫌いではありません、力強く香る粗引きの蕎麦も大好きです

 

でも「新蕎麦特有の香りは」粗挽きの「香ばしい香りではなく」

ちょっと青臭い野菜の様なフレッシュに優しく香るものだと私は思っています

 

素人ですから繋げるのも細かい粉の方が上手くいくので、私は細かい粉が好きですが

香ばしい香りも好きなので、秋新以外は粗挽も加えたりと、粉の調合も楽しんで蕎麦を打っています

 

また、もう一つ蕎麦の香の話になると

「鰹風味の出汁の香り」が良いよね〜、と言われる方もいます

 

確かに鰹の香り漂う、濃い目の汁は美味しいですよね

でも、あの鰹のいい香りがした汁につけて食べると、

 

魚の香りが強ければ強いほど「蕎麦の淡い香り」は消されちゃいます

 

追い鰹で付け足した香りだと尚更、しかもそこにネギやワサビなど入れたら

蕎麦の香りは全く無くなってしまいます、なんでネギやワサビが載るのか意味不明です

 

あの鰹の香りに負けない蕎麦の香りに対抗するには、

蕎麦の外側の香ばし皮の香りを強烈に出さないと対抗できません

 

秋新のフレッシュな青臭い蕎麦の香りが鰹の香りで消されたも

勿論味が落ちるわけでは無いんですが、何か違う

 

では汁を薄めて作れば蕎麦の香りが経つのかというと

これは大間違い、味の薄い蕎麦ツユにつけたのでは、蕎麦は不味くなります

 

秋新の香りを失わず、おいしい蕎麦汁の作り方は、私の習った蕎麦教室で教わりました(足利の織姫神社にあります)

熱湯に鰹節を入れて45分煮詰めて、香りを飛ばして「旨味を凝縮する」のだそうです

これで、香りの少ない旨味たっぷりの出汁が出来上がるそうで、私もこれを真似ています

 

無論鰹節の香りが嫌いなわけじゃありませんから、時々薫り高い出汁も作ります

因みに私は煮干しは入れません、昆布も少々で、キノコを少々入れて鰹たっぷりです

鯖節や土佐の宗田節も美味しいです〜

 

お蕎麦屋の香りと味は、このへんのさじ加減の違いが、

味に出てそれがお店の特徴といったところでしょうか

 

皆さんの行かれる蕎麦屋の香りはどんな香りがしますか?

醤油と鰹の強烈な香り?

香ばしい蕎麦の香り?

香りが有るのか無いのか分からないがとにかく美味しい蕎麦屋?

 

まあ香りはなくても美味しければ良いですよね、お好みですからね・・・・・・・・、

 

 

 

淡く香る蕎麦を、美味しく食べるのには欠かせない醤油と鰹の香りの蕎麦ツユ

 

受けるツユが強ければ、蕎麦を消してしまう

かといって薄くすれば、蕎麦が美味しくない

 

 


オーディオの「レコードと音響装置の関係」とよく似ているな〜と

思いながら、そばを食べ音楽を聴いています(笑)

 

レコードの素材に入った、素晴らしく繊細な音色を再生するオーディオ装置が

 

この音色を壊すような固有の音色を持っていて、本来の音色を壊してはいけない

 

 


かといって、ハードが無色透明な色付けで、レコードソフトに味付け無しで奏でても面白くないサウンドを奏でる

 

蕎麦(レコード)の味を引き出す、出汁(ハード)とがうまく調和が取れて

初めて美味しい蕎麦(楽しい音楽)になるのだと思います

 

 

さてさて、やっと本題に入りますが

 

最近わが

ステレオ再生用のカルテット・スピーカーシステムや

 

モノラル専用のトリオ・スピーカーシステムは

 

蕎麦の香りを削ぐはないように

出汁の調合を行っています

 

各ユニットのアッテネーターで量(濃さ)の調合もちょこまかやっていますが

それ以外にも

 

 

 

潔くスキッとした蕎麦を食べたければ

硬めに茹でた麺を、濃いめの出汁にちょこっと付けて食べるような

 

モノ・スピーカーの、ツイーターを外してツーウエイでスッキリ力強くしたり

更に高域を少し絞って、全体のボリュームを上げてる、濃いめ音の食べ方や

 

 

ステレオでも、サッパリ食べたければ

中高域の594パラゴン ホーンを外して、キレの良いセッションを

 

 

柔らかめで優しく食べるように、甘い歌声を色濃く奏でるには

 

高域597ツイーターを外し、中高域594をツイーター代わりにして

音のレンジを少し狭めて密度を上げる

 


外すと言っても信号端子を外すだけ、中高域は出しっぱなしですから帯域的にも問題なし

 

 

わがカルテットやトリオスピーカーは、

其々のユニットの濃さの調整だけではなく

合わせる出汁の素材の数も、ソフトに応じて変えることができるのです

 

 

そんなことせずに自分の味を決めて、変えることなく

その出汁で全ての蕎麦を食べるもよし

蕎麦に合わせ出汁を調合して食べるもよし

 

 

蕎麦と出汁が旨く合わさった時の味は忘れられない味ですが

困ったことにレシピの記録が曖昧で調合の割合は忘れてしまいます

 

蕎麦もサウンドも同じ味がなかなか出せないです(笑)

 

うちに食べに来るお友達へ、音か蕎麦何方かが不味くても、

何方かが美味しければそれで満足してね

 

 

何方もお口に合わなかったらゴメンなさ〜い

 

 


御法度のカルテット・スピーカーシステム

2024年02月14日 10時55分56秒 | オーディオ

 

WE597Aがトランペット

E594&パラゴンホーンはピアノ

287ーT&WE22Aはウッドベース

Lansing415&TA7396はドラム

 

そんなイメージなか・・・・・

 

でも、スピーカーの世界では

の多重奏の考え方は、ご法度なんです

 

 

数回にわたりホーンの説明をダラダラとかいてきましたが

今は個性的な音を奏でるホーンを

創意工夫しながら楽しく使いこなして音楽を奏でています

 

楽しい音は「個性の塊」、「個性が強ければ強いほど」楽しさも増す

 

かもしれない、と思っています(笑)

 

 

素直な丸型ホーンは、素直で音は良いが、「何か魅力に欠けるモノ」がある

 

その何かを埋めるために個性的な変形ホーンを使いこなして

好みの音を奏でるのもオーディオの楽しみと思っています

 

我がスピーカーシステムは

カルテットシステム(フォーウエイ)をイメージしています

 

オーディオでは、ソロ(シングルスピーカー)

が一番バランスが良いと云われる方も多く、私もシングルスピーカーは好きですがやはり

本気で音楽と向き合うと「物足りなさが有り」ツイーターを付けて

 

ツーウエイ(デユオ)となりますが

音楽の世界では二つの楽器で演奏した場合、「二重奏」と呼ばれていますが

オーディオのスピーカーの世界では

楽器のように帯域が重なり合わないように殆どが工夫されています

 

低域はハイカットして、高域はローカットして、二つのユニットの帯域が混ざらないように

ネットワークで音の帯域を分けて通常は使います

フルレンジにツイーターを付け足す場合は、ネットワークでは無く

殆どがウーハーはそのままで、ツイーターのみローカットして付け足す場合が多いです

 

 

他にも、パワーアンプ手前の音楽信号自体を分ける

マルチアンプ方式も有ります、

 

賛否あると思いますが

マルチ方式は確かに一つ一つのユニットの音は良いのですが

 

音楽を聴くには、全体の纏まりが悪く

私は上手く「音楽を奏でられない」ので断念しています

 

さて、このネットワークですが、各ユニットの能率やインピーダンスが分かれば

お好みの帯域で簡単にクロスできます

 

6DBでクロスする方式と12BDでクロスする方式が有り(24も可能)

奏でるオーナーの好みによっても様々なネットワーク方式が存在します

 

 

オーディオのスピーカーの基本は

楽器の二重奏や三重奏のように音を重ねません、その理由は

 

低域や高域の其々のユニットが受け持つ帯域の音が被ると

その被った音域の音が大きくなったり、音が濁ったりして

 

音が悪くなると言われています

 

この「被った音を排除する」のがネットワークの役割で

先ほどの6DBカット、12DBカットとはその被り具合の量が違うと思って下さい

 

6DBは被る量が多く、色濃い力のある音ですが、ぼやけるという方も多いです

12DBはスッキリとして音が良いと言われています、因みに位相は反転します

 

音の良いスピーカーは12DBクロスネットワークで

お互いの能率の違いや、周波数特性を出来るだけフラットに合わせて

クロスする(重奏)する部分は少ないほうが、音の良いスピーカーと言われています

 

ソロ・デュオ・トリオ・カルテット・クインテット等、楽器では様々な重奏が有りますが(10重奏迄)

オーディオの場合は各ユニット2オクターブの5ウエイが最も多い構成となります

 

各ユニットに多くの帯域を任せないほうが歪が少ないですので

綺麗な音を好む方は、5ウエイマルチアンプ方式をとる方が多いです

 

また、音は粗くて馬力が有ったほうが楽しい

と言われる方は、チョットかけ離れた2ウエイ方式

ウーハーとツイーターの方も多いです

 

 

さて我がシステムですが

もともとはウーハーと中高域ドライバーの2ウエイこのころは500HZでクロスしていました

高域にWE597Aツイーターが足されて、スリーウエイ、ウーハーとドライバーのクロスも250Hzに変更

高域と中域の間に、中高域594が足されてフォーウエイとなったのですが

当然、緻密な計算の元実完璧なネットワークを作ろうかな~とは思ったのですが

 

以前も、このち密な計算のもと、いくつかのネットワークを作ったのですが

これがなかなかうまくいかない

 

計算通りに上手く特性が出ても、結局奏でる音が満足できない

 

 

あそこを変更、ここを交換して、やっぱりこれは無いほうが良い・・・・

てな感じで全てバラバラにばらされてしまう結果に(笑)

 

結局は、私は音はかぶったほうが良い、

それも其々個性的な音が・・・

 

278,594,597の高域ユニットが壊れないように

入ってはいけない低域信号をカットするくらいで

 

中域以降は出しっぱなしの三重奏

 

おまけに低域も適当に切ってあるので、四重奏を奏でる

とんでもないスピーカーなんです(笑)

 

流石に中域の278&22Aホーンの組み合わせでは

クラシックのバイオリン等の楽器が複数奏でられると

 

拒否反応からかホーンが暴れだすので

そのレコードに合わせて高域をカットする場合も有ります

287ドライバーの入り口にぶら下がったコイル3個

 

パス全開、1300、3000、8000HZとレコードによって切り替えています

殆どパスでいけます(笑)

勿論各ユニットで能率は違いますから

 

能率合わせのタップ出しコイルは各ユニットについています

特性を合わせてフラットに抑えるより

 

お前の好きな好きな音を奏でなさい

邪魔はしないから~

 

ん~そのパラゴンホーン縦置きの個性的な音ステキ~

 

などと言いながら

 

6DBでカットしてたっぷり重ね合わせて

各ユニット高域出しっぱなし、鳴らしっぱなしで楽しむ

 

禁断のカルテット・スピーカーシステムなんです

 


虚像を描くのが、ステレオフォニック

2024年02月05日 17時56分51秒 | オーディオ


今更、馬鹿な質問ですが

再生音楽と、生演奏の違いは何を感じますか?

 

当然人其々で、様々な違いを感じると思いますが

 

 

私は、五感で感じる生演奏と

「音を描く再生音楽」の違いもその一つだと思っています

 

あのピアニストが奏でるハーモニ

あのベーシストの弾ける低音

あのサックスが奏でる官能的なメロディー

あのドラマーが叩くエネルギー

目で見ながら、他の感性でもそれを感じると「記憶に残る音楽」となると思います

 

生演奏は、「五感の全て」を使ってそれらの音楽を楽しめます

 

香りに惑わされ、熱気に触れて興奮し、お酒の味に酔いしれ・・・

嗅覚、触覚、味覚でその場の臨場感を感じます

 

 

そして最も大切なのが目で見て「視覚で確認し」ながら、音を「聴覚で感じ」ますよね

視覚と聴覚が一致した音楽を生演奏では楽しめますが

 

 

オーディオ再生では視覚で音源を確認しながら音楽を聴く事は出来ません、

注、AVなら出来ますが、実はこれも一部のLIVE以外は、ほとんどが虚像です

 

オーディオ再生で重要な要素は

あたかもそこに居る様な雰囲気を奏でることが大切なのですが

 

 

残念ながら、ステレオフォニックで描く音像の殆どは

 

エンジニアの作り出す架空の音像

「虚像」でしかありません

 

 

我が家では、ステレオ装置の真ん中に「モノラル・スピーカー」が鎮座しています

 

ステレオ装置でも、モノラル装置でも。「モノラルレコード」を聴きますが

その奏でるサウンドは全く別物です

 

 

ボリューム感のある「ゆったりと描かれた音像」の

ステレオ装置が奏でるモノラルサウンド

 

タイトに引き締まった滲みの無い「リアルなサウンドを奏でる」

モノラル装置の奏でるモノラルサウンド

 

 

同じレコードですが、音のリアリティーが全く違います

 

その一つは

 

音源の無い処に描かれた音像と

そこから発せられる音像の違いです

 

生演奏とまでは絶対に行きませんが、

モノラル装置は、当然ながら実際に音が出ている場所にスピーカーが有ります

これは視覚と聴覚の一致もあると思いますが、リアリティーが凄いですね

 

 

それともう一つ、以前から感じていたのですが

特に低音は二つ使わないほうが、キレが良いと感じたソフトが多いのです

 

音の波は、重なり合うと大きな波になりますが

ぶつかり合うと打ち消しあう特性が有ります

 

ステレオレコードでも

ソフトによっては低域信号がモノラルの物が有るようにも感じます

 

そんな低域モノラル信号を、二つのスピーカーで一つの音像を奏でると

先程の二つの特性からか「音像がふやけます」

 

オーディオ的には、ふやけた音像もときには

ホール感の演出などに効果があり、音が悪いとは言いませんが

 

ふやけた音像は、「明らかにリアリティーに欠けます」

 

 

そこで弾くウッドベースは一つ

ドラムも1台

そんな演奏なら、低域は一つにしたほうがぜんぜんリアルになります!

 

と書くと、

3D方式は・・・・、と返されるので、それ以上は書きませんが

 

少なくとも、モノラル・レコードを二台のスピーカーで鳴らすのは

オーディオ的には有でも、「リアリティーは失せます」ね

 

 

最近またMONOシステムが楽しくて仕方ありません

 

LIVEに行ってきて、我が家で音を聴くと

ステレオフォニックが描く、わざとらしい虚像が気になります

 

虚像には力がない、だから説得力が無いので、聴いた満足感もない

何か虚しい音なんですよね

 

 

モノラルシステムだと、その虚像感を感じません

昔からモノシステムは使ってきましたが

 

モノラルを、本気で鳴らそうとすると

 

どんどん大げさになっています

この時はラ・スカラBOXを使い、515励磁スピーカーを4本使った

バーチカル・ツインシステムむでした

 

 

 

違う!、

今あなたは「バ~カタレが二乗のシステム」とか言ったでしょう~

 

 

 

まあ、否定できなくて悔しいが・・・

 

とにかく、モノシステムに一生懸命取り組んできたですが

 

その、中高域のホーンは、常にALTEC 805に励磁改良した288-16G

を取り付けたものでした

 

「マルチセルホーンは家庭では使い物にならない!」と、散々書いてきながら

長いこと使っていたのは、

 

カッコいいから(笑)

 

それと、805ほーんはとても軽いんです



今回また新たにモノラルサウンドを奏でようと、その使い物にならに805から
 
ALTEC 311-90ホーンに交換しました
 
 
 
とにかく、重い~
 
 
休み休みやっと載せられました
 

塞いでいたフロントダクトも一旦全て外してみましたが、

 

やはりこれは私には膨らみすぎ

二つのダクトを塞ぎました



WE597Aツイーターも載せてスリーウエイにしましたが

 

ウ~ん、微妙

 

 

ツイーターは無いほうが良いかも・・・・、

まだまだ、311-90に変えて調整はこれからですが

 

 

モノラルシステムの力のあるピントの合った「リアルな音像の魅力」

 

これはステレオでは絶対に出せない

 

 

音の世界ですね