遅ればせながら「城端曳山祭」を紹介します。 昨年同様、ようこ姫さんと出かけ、ほぼ同じスポットを回ったので、内容もほぼ同じで恐縮ですが。
彼女の同級生で日本舞踊の先生、Geさんも同行と聞き、今年も出かけることにした。たまたま「城端ラプソディー」(新聞記事)を読んだ後で、心中ひそかに”また行きたいな”との思いがくすぶっていたのだろう。そんな私の思いは、城端に生まれ育った者にとって当然だが、ようこ姫さんが同級生を誘ってまで、また城端へ行きたい、と言ってくださると嬉しくなる。 彼女も、祭に魅せられた一人? と言うわけで、今年もいろいろ新しい発見があった。
5/5(祝)は、「合唱団MiTU」の会計監査の日だった。 駅南ココスに、代表のSaさん、事務局長Iさん、監査のTaさんと会計の私が集まり、領収書などのチェックと会費の相談をし、雑談も含め約2時間、ドリンクバーだけで済ませた後、佐野で2人と落ち合った。
町へ着いたのが、2時過ぎ。 西新田の駐車場はすでに満員。 町営グランド駐車場へ入る。 狭い町だからそこから歩いても5,6分だ。 「じょうはな座」でトイレをすませ、今年度のパンフをもらい、行動開始。
ちょうど、宗林寺から「坡場(はば)の坂」を降りて大工町の狭い道を、今年の2番山、出丸町の唐子山「布袋」さんが出てくるところだ。 写真は左から:
* 屋根をたたみ、両側の人が民家の壁を支えながら、進んでくる。
* 上手く通り抜けた!!
* 奥へ入ると、4番山、東上町の鶴舞山「寿老人」が待機中だ。 山車の横についている鷲の飾り物を町の世話役の人が大事そうに持っておられる。
* 通り抜けて飾りをつけた山車。
次に、曳山会館の前。 観客用の椅子が並べられ(無料)、最前列に市長や招待客。 ボランティアガイド「機の声」のメンバーが、和服姿でプロアナウンサー並みの解説で山車や御神像を紹介、からくり人形の披露、庵唄の演奏がある。
270年の伝統を誇る優雅な祭は、絢爛豪華な彫りと塗りを施した6基の山車(上には御神像)、それぞれの山車に庵屋台が付き、街中を練り歩く。 庵屋台は、京都祇園の一力茶屋などを模した精巧なもので、中に町内の若連中が入り、笛、三味線にのせて江戸端唄の流れをくむ城端独特の「庵唄」を唄う。 毎年1月頃から町内ごとに練習を積む。 左から:
* 寿老人の脇人形「綾織り人形」が扇子と毬を持ち、手と顔を動かしながら舞う。
* 同じく東上町の庵唄、「我がもの」。 ♪我がものと思えば、軽(かろ)き傘の雪… ♪ と渋く唄う。
* 大工町の庵屋台。 在原業平の別荘を模したもの。 前後の庵を風流な橋で結び、周りに鴛鴦(おしどり)と杜若(かきつばた)を配し、池畔に面した公家屋形の趣をかもし出している。
ここで、和服や小物のお店を見ながら街中散策をし、早めの夕食。 いよいよ出丸坂のUターンを見に行く。去年は、出丸町の同級生の家の庵唄所望に同席させてもらい、正座して庵唄を聴いた。 街中でも何人も紋付袴姿の同級生に会ったが、今年は不思議に一人も会わなかった。
城端は坂の町だ。 急な坂がいくつもある。 出丸坂は緩いスロープだが、ここでUターンするのが曳き手の腕のみせどころ。
左から、手前の車に重力をかけるため、曳き手が飛び上がっている。 向こうの車は持ち上げるのだ。 ぎゅーっとターン。 180度回転して坂を上っていく大工町の千枚分銅山の後ろ姿。
次は、西上町の竹田山「恵比須」さんの曳き手衆。 ターンする時の力強い姿、上手く回転しホッとした表情など見てください。
Uターンした山車から順に提灯をつけ、夕食。 町の北端の新町まで練り、城端庁舎横でもう一度Uターンをして「帰り山」となる。 夜10時、提灯山行列の引き返しは圧巻とのことだが、最近これは見たことがない。
私たちはここまで見て、帰途についた。
写真はサムネイルになっているので、クリックして拡大して見てください。
彼女の同級生で日本舞踊の先生、Geさんも同行と聞き、今年も出かけることにした。たまたま「城端ラプソディー」(新聞記事)を読んだ後で、心中ひそかに”また行きたいな”との思いがくすぶっていたのだろう。そんな私の思いは、城端に生まれ育った者にとって当然だが、ようこ姫さんが同級生を誘ってまで、また城端へ行きたい、と言ってくださると嬉しくなる。 彼女も、祭に魅せられた一人? と言うわけで、今年もいろいろ新しい発見があった。
5/5(祝)は、「合唱団MiTU」の会計監査の日だった。 駅南ココスに、代表のSaさん、事務局長Iさん、監査のTaさんと会計の私が集まり、領収書などのチェックと会費の相談をし、雑談も含め約2時間、ドリンクバーだけで済ませた後、佐野で2人と落ち合った。
町へ着いたのが、2時過ぎ。 西新田の駐車場はすでに満員。 町営グランド駐車場へ入る。 狭い町だからそこから歩いても5,6分だ。 「じょうはな座」でトイレをすませ、今年度のパンフをもらい、行動開始。
ちょうど、宗林寺から「坡場(はば)の坂」を降りて大工町の狭い道を、今年の2番山、出丸町の唐子山「布袋」さんが出てくるところだ。 写真は左から:
* 屋根をたたみ、両側の人が民家の壁を支えながら、進んでくる。
* 上手く通り抜けた!!
* 奥へ入ると、4番山、東上町の鶴舞山「寿老人」が待機中だ。 山車の横についている鷲の飾り物を町の世話役の人が大事そうに持っておられる。
* 通り抜けて飾りをつけた山車。
次に、曳山会館の前。 観客用の椅子が並べられ(無料)、最前列に市長や招待客。 ボランティアガイド「機の声」のメンバーが、和服姿でプロアナウンサー並みの解説で山車や御神像を紹介、からくり人形の披露、庵唄の演奏がある。
270年の伝統を誇る優雅な祭は、絢爛豪華な彫りと塗りを施した6基の山車(上には御神像)、それぞれの山車に庵屋台が付き、街中を練り歩く。 庵屋台は、京都祇園の一力茶屋などを模した精巧なもので、中に町内の若連中が入り、笛、三味線にのせて江戸端唄の流れをくむ城端独特の「庵唄」を唄う。 毎年1月頃から町内ごとに練習を積む。 左から:
* 寿老人の脇人形「綾織り人形」が扇子と毬を持ち、手と顔を動かしながら舞う。
* 同じく東上町の庵唄、「我がもの」。 ♪我がものと思えば、軽(かろ)き傘の雪… ♪ と渋く唄う。
* 大工町の庵屋台。 在原業平の別荘を模したもの。 前後の庵を風流な橋で結び、周りに鴛鴦(おしどり)と杜若(かきつばた)を配し、池畔に面した公家屋形の趣をかもし出している。
ここで、和服や小物のお店を見ながら街中散策をし、早めの夕食。 いよいよ出丸坂のUターンを見に行く。去年は、出丸町の同級生の家の庵唄所望に同席させてもらい、正座して庵唄を聴いた。 街中でも何人も紋付袴姿の同級生に会ったが、今年は不思議に一人も会わなかった。
城端は坂の町だ。 急な坂がいくつもある。 出丸坂は緩いスロープだが、ここでUターンするのが曳き手の腕のみせどころ。
左から、手前の車に重力をかけるため、曳き手が飛び上がっている。 向こうの車は持ち上げるのだ。 ぎゅーっとターン。 180度回転して坂を上っていく大工町の千枚分銅山の後ろ姿。
次は、西上町の竹田山「恵比須」さんの曳き手衆。 ターンする時の力強い姿、上手く回転しホッとした表情など見てください。
Uターンした山車から順に提灯をつけ、夕食。 町の北端の新町まで練り、城端庁舎横でもう一度Uターンをして「帰り山」となる。 夜10時、提灯山行列の引き返しは圧巻とのことだが、最近これは見たことがない。
私たちはここまで見て、帰途についた。
写真はサムネイルになっているので、クリックして拡大して見てください。