Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

「新田次郎・岩倉政治とイタイイタイ病」

2013-03-07 | 富山

 旅行から帰った翌26日(月)は、わかっていたことだが大忙しだった。まず、お寺のお参り。除雪をしなければならない。どうやら間にあい、8時半ごろお参りに来られた。
 その後、車検のため車を取りに来られ、代車を置いて行かれた。午後、ウイングウイングで講座。夜はMiTUの合唱練習だった。さすがにクタクタだった。

 ウイングウイングの講座は、米田憲三先生の「文学の舞台を読む 41・新田次郎と岩倉政治 イタイイタイ病」だった。岩倉政治は想像できるが新田次郎とイタイイタイ病の関係は知らなかった。(写真はすべて、映像からなので不鮮明だが
 ↓は、富山市友杉の「イタイイタイ病資料館」。昨年4月に開館したばかりだ。ニュースで聞いたが、まだ行ったことがない。
        

 ネットで見つけた、資料館のURLを紹介します。 http://itaiitai-dis.jp/

 神通川流域の農業被害が報道されたのは、明治時代からだそうだ。昭和の初め、旧婦中町熊野地区の女性に奇病が発生。昭和30年初めて「イタイイタイ病」と言う病名がついた。30代以後の女性に多く、骨と筋肉が痛み縮む、それまで日本にない奇病だった(米田先生は、この頃の新聞記事をいくつも紹介された)。

 萩野昇医師が、「神通川の上流にある三井金属神岡鉱山から排出されるカドミウムが原因」と言う鉱毒説を発表。昭和43年厚生省が「イタイイタイ病は公害」と認定した。水俣病、四日市ぜん息などと共に「4大公害病」の一つとなった。当時、私はN中に勤めており、教材に取り上げた記憶がある。

 トップ写真は、神通川の冬景色。「神の通る川といわれた神通川冬景」とある。      

 ↓は、新田次郎氏。気象学者でもあり山岳小説を多く書いている。(妻は藤原てい、息子は正彦彼が「神通川」と言うタイトルの小節を書いている。主人公の医師、熊野正澄は萩野博士がモデル。復員して、廃墟となった富山に戻る場面で始ったいる。当時、新田氏は2週間ほど富山に滞在し、詳しく取材、主人公と近所の人や患者との会話は冨山弁で語られる。最初の部分だけプリントされ、それを読まれた。高岡市立図書館にあるそうだ。

 ↓は、本の表紙。川の流れが表表紙になっている。高岡市立図書館にあるそうだ。      

 もう一冊は、井波町出身の作家、岩倉政治の「ニセアカシアの丘で」に収められている「尋問」という短編だ。これは、イタイイタイ病裁判の中での法廷場面だ。患者の中井タカが裁判長から証人尋問を受ける。
 神通川がどんな時濁ったか、その水を飲んだか、いつ発病したか、どんな痛みか・・・と、それに飾らぬ冨山弁で訥々と答えるタカ。米田先生が一部を朗読されるのを聞いているだけで胸が一杯になる。これも図書館にあるそうだ。いつか読んでみよう。↓は、岩倉政治氏。
         

  最後に、岩倉氏の有名な「イタイイタイ病」の詩を、心をこめて朗読された。長いが、ネットで見つかったのでコピーしました。 知っている方も、ご存知ない方も一度読んでみてください。イタイイタイ病対策協議会が結成された頃の作品です。あの頃、くまさん達と一緒に読んだ記憶があります。

  詩 「イタイイタイ病」          岩倉政治

 

おれの大好きな おばばが死んだ

まつりになると おれの手に

飴玉をいっぱいにぎらせたおばば

一俵の米をかるくかついで 男に負けなんだ

力もちの おばばが 死んだ


やさしかった 母親も死んだ

おっぱい臭いふところにもぐると

何が起ろうと 安心だった

はだかのおれを 素肌の背中におぶって

暗くなるまで 田んぼをした

働きものの 母親も死んだ

おばばも 母親もおなじことをいうて 死んだ

イタイ イタイ イタイ

暗いなんどの ねどこは

すっぱい堆肥のにおいがした

ふとんの外へ 火ばしみたいな足が一本

折れて はみ出て

ぼろきれの上にのせてあった

それを見るのがこわかった


  --おとと かんにんしてや

  おら かかさまのつとめも

    ろくに せなんだちゃ

そのとき おれには

なんのことか わからない

母親も おやじも 泣いていた

死にたい 死なしてくれとおがみながら

泣いて もがいて 死んだ


神様が通る 神通の川

とりわけうまい 水と魚たち

神の水で育つ 米と野菜

うまいうまいと 押しいただいて

食べて 村じゅうの 罪のない

おばばと おかからが 死んだ

カドミウムの毒とは知らず

「業病」の責め苦の日々を

ひとりで耐えて 死んだ


三井が 神通へ毒を流した

三井が 神の川を 悪魔に変えた

三井が おばばを 母親を殺した

今度は おまえの 母親と兄弟をねらっている

三井が 緑の村に 地獄をつくった


山をこがし 坑(あな)を掘り

ハッパを ぶっかけ

カドミウムの青い死の沼で谷々をみたし

戦争のたびに おやたちを殺しながら

ふくれあがった 三井

その三井の とまらぬ笑いが

イタイイタイの 叫びとなり

売れない 婦中米の嘆きとなった


むすこよ おぼえておけ

ふるさとの この悲しみと怒り

神通から 神を追い出した

三井を 胸にきざめ

緑の田に 毒をもった

下手人を ゆるすな

たたかいはよしながくても

おやたちの 恨みのながきをおもえ

いのち守り 田を守ると

こぞり立つ ひとびとのちから

真実の つよさと勝利の

たしかさを 信ぜよ


さあ

おまえと おまえが迎える妻のため

おまえらの 子どものために

おやじの おれにつづけ

おれを 乗りこえろ

たたかいに組んだ 手をほどくな

怒りを もやせ

三井が ひたいを地につけるまで

神通の水 とりかえすまで 


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10 コメント

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Unknown (なは)
2013-03-08 16:11:09
清姫様
初めて聞いた事ばかりです。
新田次郎もイタイイタイ病のことを書いていられるのですね。丁寧に取材して行かれたのですね。萩野医師が「イタイイタイ病」を見つけてくださったのがせめてもの慰みでしょうか?
罪の無い人々がずっと原因も分からないで苦しんでこられたのですね。
新田次郎の作品も岩倉政治の作品も読みたいです。
この詩ですざましい苦しみがよく分かります。最初はまるで、自分達の責任のように言われたのでしょう。どんなに苦しかったか?想像を絶するものでしょう。
米田先生も良く調べられて、皆さんの講義してくださるのが良いですね。富山県の人間として後世に伝えていきたい話しです。
紹介して下さってありがとう。
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Unknown (清姫)
2013-03-08 18:55:43
なはさん
米田先生は情熱の歌人ですね。先生の歌は知らないのですが、どの作品に対しても情熱をもって話されます。
N中の頃、公害問題が新聞をにぎわせていました。その頃からずっと補償などの裁判が続き、昨年ようやく「土壌復元」が完工したのだそうですよ。そして資料館が建ったようです。
図書館でも本を借りられるし、17日3回分のプリントを持って行きますね。
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Unknown (茶々姫)
2013-03-08 21:10:22
清姫さん
イタイイタイ病についてもう一度本を読んで知りたいです。資料館のできたことは知っていますがまだ見ていないです。たくさんの人のおかげで今の私たちがあるのですね。
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Unknown ()
2013-03-09 00:29:20
近くにいながら、知らないことばかりです。
新田次郎まで、書いておられるのですね。
疲れているのに、よく行かれましたね。
あなたのおかげでいろいろわかりました。
この詩は、悲惨な苦しみを絞りだすように書かれ、胸を打ちます。
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Unknown (清姫)
2013-03-09 09:40:00
茶々姫さん
地元にいながら当時はあまりよく知らなかったですよね。水俣病の方が大きく扱われていましたから。
夫が高教組でよく資料をもらって来ていました。
資料館開設は、昨年のニュースで知事が挨拶していたのを覚えていますが。
本は両方ともそう長くないようですよ。
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Unknown (清姫)
2013-03-09 09:45:13
姫ちゃん
さすがにだやかったです。でも、YAさんも来ておられました。
最初は、新田次郎が神通川について本を書いているのかと思っていました。萩野医師をモデルに小節とはあまり知られていないのでは?
地元では岩倉さんの方が有名だから。
この詩、特に前半はインパクト強いですよね。闘争が始まった頃でしょうね。
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Unknown (森のくまさん)
2013-03-09 10:03:13
清姫さま
米田先生は短歌のみならずですね。
岩倉政治さんも幅広く、世の不正とたたかわれた人。ついでに熱心な仏教(真宗)信者でもありました。母もそうでしたから、岩倉さんの名前がよくでました。
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Unknown (風子)
2013-03-09 10:10:57
清姫さん
長い間原因が分らず、苦しみ亡くなられた人々、公害に認定されたのはやっと昭和43年だったのですね。
茶々姫さんのおっしゃるように、沢山の方々の犠牲の下に
今の私達があるのですね。
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Unknown (清姫)
2013-03-09 10:25:15
森のくまさん
数年前この講座に参加し始めてから米田先生を知りました。
最近ようやくお人柄が少しわかるようになりました。岩倉さんを尊敬しておられます。
岩倉さんは、仏教学者でもあったのですね。信念を貫くところ、くまさんのお母さんと通ずるところがあるように思います。
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Unknown (清姫)
2013-03-09 12:25:31
風子さん
昔は、業病と言う言葉をよく聞きました。
そんなものだと言う諦めから来ていたのでしょうね。それに科学のメスを当てた、そう思うと世の中は少しずつ良くなってきているのでしょうか。
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