なんか出張やら何やらで大分お休みしてしまった『妖奇士』の感想ですが、ここから復活です。
今回のシリーズ(基本的に3話構成がベースだと思う)は、宰蔵にまつわるエピソードだったわけですが、3回シリーズが回って基本的なお話の構成が分かってきました。
この物語(各エピソード)の導入部分は、大体何らかのタブーとそれに関連したミステリアス部分のミスリードから始まるんだと思います。
それぞれのエピソードで何らかのタブーに触れて物語が始まって、ちょっと読んで見るとああ、こういうこと?みたいな感じで進むけれど、それ自体はミスリードを誘っていて、本当のオチは実は…みたいな感じ。
例えば第1エピソード(1~3話)では、飢饉におけるミスリードとして人身御供と言う名の口減らし、かと思えばこれがミスリードで、実は食人というタブーを犯したお話でした。
例えば第2エピソード(4~7話)では、妖異は雪輪と思わせておいて、実は別の妖異が存在してて、さらにアトルという江戸時代においてはその存在自体がタブーであることと、さらにさらにそれすら覆す主人公往壓の殺人というタブーを犯したという話でした。
例えば今回の第3エピソード(8~10話)では、狐が人を化かして芝居をしている=狐が妖異の正体かと思わせておいて、実は仮面そのものが妖異であり、宰蔵の名前の解釈であったり、ここにおけるタブーとは宰蔵そのものが、江戸時代における芝居という存在で既にタブーである、というお話でした。
で、それらのエピソードにおいて共通しているのは2つ。
1つは、妖異とは必ず人の想いに呼応する形で呼び出されていること。
アトルのケツアルコアトルしかり、往壓の雲七しかり、それぞれ人の想い、(それとなく後ろめたさを伴った)願望により呼び出されていること。
1つは、その呼び出された想い=妖異を退治することによって、それまでの罪やタブー、また届かないモノ・世界への憧れ、禁じていた想いなどを否定するわけでもなく、そして肯定するわけでもなく、ただ受け入れていく、受け入れることを学ぶ、という点にあること。
善・悪の二元論で語るのは簡単だけれども、実際人が世の中を生きていくにあたり、善・悪で割り切れることなど数えるほどしかなく、その基準も曖昧であれば、むしろ割り切れない気持ちのほうがたくさんある。
それでも人は生きていかないといけない。
白・黒つけて生きていくのではなく、そういうの全部背負って生きていかないといけない。
綺麗事だけで片付かないことの方が、人生多いよね、みたいな。
生きていくには食べていかないといけない。
だから食べる。
綺麗事なんかも全部飲み込んで、とにかく食べる。
食べないと生きていけないから。
そういう意味で、この『天保異聞 妖奇士』はとにかく食べるという表現が結構出てくる、そんな気がしますね。
……と、いうのが僕がこれまで観てきた『天保異聞 妖奇士』のベースとなるお話の作り方なんじゃないだろうか、と思うわけです。
#全然違うかもしれんけどねー。
こういう形で小笠原さん含めた全メンバーの過去と、それに対峙するエピソードが2クールくらいまで引っ張られるんじゃないかなぁ。
特に、ちょっと頭でっかちで、まだまだ周囲が見えてなくて、そのくせ自分のやりたいことは無理に我慢して今を生きている小笠原さんが往壓の背中なんかを見て、成長していくって感じがあっても良いかも。
と、こんな感じに書いてきたのですが、まあ個人的にも思うところはあるわけで、ここまで観てきてこういうのがあったらよいな、と思うところを少し。
■1.感情移入できるキャラが欲しい
往壓さんはやっぱり共感を得ていくタイプの主人公ではなくて、失った過去を回復していく過程(背中)を仲間が見て育つ、みたいな感じだから、それを後ろから眺めるキャラが欲しい。そしてそれは視聴者視点であってほしい。
というのが一番の思うところですかね。
そういう意味で今回の宰蔵なんかは分かりやすい例だったので、アトルとあわせて視聴者視点でいて欲しいなぁ。
で、宰蔵とアトルが往壓さんを取り合うという展開になるのd(殴)。
……そういうのがあっても良いですか?
■2.もちっと前向きな方が良いな
割り切れないこともあるよね、というのは共感できる部分も多々ありますが、やはり時間的には土曜日6時だし、視聴者の年齢を考えると僕なんかは圧倒的少数派だと思いますよ。
受け入れていかないと、それが大人の対応だ、みたいな部分って、僕らなんかの年代以降だとそういうことも多々あるよね、だけど、視聴者の大多数の年齢層を考えると分かりづらいんじゃないかな、なんて思ったり。
だからもうちょっと前向きなお話というか、オチをもう少し前向きにすると観終わった後に、何となく頑張ろうかな、と思える、そういう感じになるんじゃないかな、なんて思いますよ。
そういう意味でアトルとか宰蔵とかをもちっといじってキャラ立たせまくればある種のファン層を獲得できるんじゃないかt(略)。
……そういうのがあっても良いですか?
今回は宰蔵が前向きになれたのが良かったなと思いますね。
ということでやっぱり宰蔵を主人公にしないといけないとおもいm(蹴)。
と、色々と好き勝手書いてきましたが、何となく前半クールはこんな感じで進むんじゃないかなぁと思ったりしてますが、どうなりますかね。
後半(3・4)クールからはガラッと変わったりして(笑)。
#それはそれで楽しみなんですけどね。
来週からはまたちゃんとタイムリーに感想が書けますように。
今回のシリーズ(基本的に3話構成がベースだと思う)は、宰蔵にまつわるエピソードだったわけですが、3回シリーズが回って基本的なお話の構成が分かってきました。
この物語(各エピソード)の導入部分は、大体何らかのタブーとそれに関連したミステリアス部分のミスリードから始まるんだと思います。
それぞれのエピソードで何らかのタブーに触れて物語が始まって、ちょっと読んで見るとああ、こういうこと?みたいな感じで進むけれど、それ自体はミスリードを誘っていて、本当のオチは実は…みたいな感じ。
例えば第1エピソード(1~3話)では、飢饉におけるミスリードとして人身御供と言う名の口減らし、かと思えばこれがミスリードで、実は食人というタブーを犯したお話でした。
例えば第2エピソード(4~7話)では、妖異は雪輪と思わせておいて、実は別の妖異が存在してて、さらにアトルという江戸時代においてはその存在自体がタブーであることと、さらにさらにそれすら覆す主人公往壓の殺人というタブーを犯したという話でした。
例えば今回の第3エピソード(8~10話)では、狐が人を化かして芝居をしている=狐が妖異の正体かと思わせておいて、実は仮面そのものが妖異であり、宰蔵の名前の解釈であったり、ここにおけるタブーとは宰蔵そのものが、江戸時代における芝居という存在で既にタブーである、というお話でした。
で、それらのエピソードにおいて共通しているのは2つ。
1つは、妖異とは必ず人の想いに呼応する形で呼び出されていること。
アトルのケツアルコアトルしかり、往壓の雲七しかり、それぞれ人の想い、(それとなく後ろめたさを伴った)願望により呼び出されていること。
1つは、その呼び出された想い=妖異を退治することによって、それまでの罪やタブー、また届かないモノ・世界への憧れ、禁じていた想いなどを否定するわけでもなく、そして肯定するわけでもなく、ただ受け入れていく、受け入れることを学ぶ、という点にあること。
善・悪の二元論で語るのは簡単だけれども、実際人が世の中を生きていくにあたり、善・悪で割り切れることなど数えるほどしかなく、その基準も曖昧であれば、むしろ割り切れない気持ちのほうがたくさんある。
それでも人は生きていかないといけない。
白・黒つけて生きていくのではなく、そういうの全部背負って生きていかないといけない。
綺麗事だけで片付かないことの方が、人生多いよね、みたいな。
生きていくには食べていかないといけない。
だから食べる。
綺麗事なんかも全部飲み込んで、とにかく食べる。
食べないと生きていけないから。
そういう意味で、この『天保異聞 妖奇士』はとにかく食べるという表現が結構出てくる、そんな気がしますね。
……と、いうのが僕がこれまで観てきた『天保異聞 妖奇士』のベースとなるお話の作り方なんじゃないだろうか、と思うわけです。
#全然違うかもしれんけどねー。
こういう形で小笠原さん含めた全メンバーの過去と、それに対峙するエピソードが2クールくらいまで引っ張られるんじゃないかなぁ。
特に、ちょっと頭でっかちで、まだまだ周囲が見えてなくて、そのくせ自分のやりたいことは無理に我慢して今を生きている小笠原さんが往壓の背中なんかを見て、成長していくって感じがあっても良いかも。
と、こんな感じに書いてきたのですが、まあ個人的にも思うところはあるわけで、ここまで観てきてこういうのがあったらよいな、と思うところを少し。
■1.感情移入できるキャラが欲しい
往壓さんはやっぱり共感を得ていくタイプの主人公ではなくて、失った過去を回復していく過程(背中)を仲間が見て育つ、みたいな感じだから、それを後ろから眺めるキャラが欲しい。そしてそれは視聴者視点であってほしい。
というのが一番の思うところですかね。
そういう意味で今回の宰蔵なんかは分かりやすい例だったので、アトルとあわせて視聴者視点でいて欲しいなぁ。
で、宰蔵とアトルが往壓さんを取り合うという展開になるのd(殴)。
……そういうのがあっても良いですか?
■2.もちっと前向きな方が良いな
割り切れないこともあるよね、というのは共感できる部分も多々ありますが、やはり時間的には土曜日6時だし、視聴者の年齢を考えると僕なんかは圧倒的少数派だと思いますよ。
受け入れていかないと、それが大人の対応だ、みたいな部分って、僕らなんかの年代以降だとそういうことも多々あるよね、だけど、視聴者の大多数の年齢層を考えると分かりづらいんじゃないかな、なんて思ったり。
だからもうちょっと前向きなお話というか、オチをもう少し前向きにすると観終わった後に、何となく頑張ろうかな、と思える、そういう感じになるんじゃないかな、なんて思いますよ。
そういう意味でアトルとか宰蔵とかをもちっといじってキャラ立たせまくればある種のファン層を獲得できるんじゃないかt(略)。
……そういうのがあっても良いですか?
今回は宰蔵が前向きになれたのが良かったなと思いますね。
ということでやっぱり宰蔵を主人公にしないといけないとおもいm(蹴)。
と、色々と好き勝手書いてきましたが、何となく前半クールはこんな感じで進むんじゃないかなぁと思ったりしてますが、どうなりますかね。
後半(3・4)クールからはガラッと変わったりして(笑)。
#それはそれで楽しみなんですけどね。
来週からはまたちゃんとタイムリーに感想が書けますように。
>それでも人は生きていかないといけない。
往壓が言った台詞でしたね。
正に、この言葉に集約されている!!
雲七が雪輪に入る回は「ふ、深いぜ」と思いました。
だたし、燕。さんの仰る様に時間帯を考慮すると”重い?”と思います(汗)。
・・・
・・・
何故、キャラクターの目はキラキラなのでしょう。
少女漫画チックに見えてしまう時があります(笑)。
だから食べる。
綺麗事なんかも全部飲み込んで、とにかく食べる。
食べないと生きていけないから。
『食べる』ということがテーマのひとつ、と言われていましたね。
なるほどなぁと頷きました。
ただ、そういった深いテーマを根底に流しつつ、わかりやすい爽快さも欲しいなと思うのも事実なのでちょっぴり残念。
もしかすると、深夜枠の方が向くかもしれないですね。
>宰蔵とアトルが往壓さんを取り合うという展開になるの・・・・
そういう方向性に大賛成で!!(笑)
雲七が雪輪に入る回はきちんと感想書こうと思っていたんですがね~。
出張行っちゃって残念(いや、ヤル気があればいけるだろ!!)。
もうちょっと爽やかに説教して欲しいですね(笑)。
長丁場ですから今後どうなりますかね、方向性も若干変わったりもしますからね。
もうちょっと明るい方へ転換してくれると嬉しいです。
きっとキャラのキラキラ目はその伏線なんです(笑)。
■水瀬 涼さんへ
お久しぶりです~!!コメントありがとうございます。
そうなんですよね、テーマの置き方とか話の進め方、捻り方なんかは好みなんですが、もう少し前向きのお話の方が受けがよいと想うんですよね。
やっぱり何だかんだ言っても、前向きな話を視聴者としても求めていますからね(少なくとも僕は)。
>>宰蔵とアトルが往壓さんを取り合うという展開になるの・・・・
>そういう方向性に大賛成で!!(笑)
何か今週そんな感じなんですけど!!