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天保異聞 妖奇士 説四 「生き人形」

2006-10-28 23:28:37 | 天保異聞 妖奇士
第1話~第3話をかけて主人公往壓(ゆきあつ)の立ち上がりを描いて、この第4話からは新エピソードスタートとなったわけですが、新キャラのアトルは今後も重要な役割になりそうな予感ですね。
第1クールは起承転結の起ですが、1から3話が起なので、ここからは承の扱いかもしれませんね。

さて、この天保異聞妖奇士のお話しの作り方の特徴が少し分かってきたのですが、これは非常に注意してみないと結構構成としては難しいんじゃないかと感じてます。
というのも、まず最初に問題提起があるんだけれども、それに対してミスリードを誘う表現を入れてきて、実はそうじゃなくて…、みたいなミステリー小説形式になっているところがありますね。
ゆえに、明確に説明せずに絵での描写のみであったりとか、いくつかの台詞に引っ掛けがあって、真の意味を炙り出す形式になってるっぽいですね。

さらっと流し観しようとすると???な状態になるので、気になるところは少し色々と妄想してみるとひょっとして!?とかそういう見方ができるかもしれません。

例えば第1話と第2話ですが、ミスリードさせる表現として、飢饉があって子供を山の神に供える=これは昔からの食い扶持減らしの方法の一つということに知ってる人はすぐに気が付くわけで、作中でもその解説が入るわけですよ。
だから最初に観ているときは、ああ口減らしのためか、なんて思うんですが、実はそうではなくて、食人の禁を犯していた、というのが真相だった!という方法を取っているんですね。
#しかもこれは結構作中にヒントが隠されていて、決定的だったのは飢饉の話をしていてそれでもその年は飢え死にするほどではなかった、という話をしつつ、その背景では屋台で色々な食事を作っている描写がなされているんですよね。
#つまり人を食べてしまった、そういう解答をそこで出しているわけです。

ということがあるので、今回も中々に理解が難しいところもあったんですが、じっくりと観ちゃいました。

今回のポイントとしてはやはりミスリードを誘うようにできている点と、往壓(ゆきあつ)の思いが転換して、自分の名前から戦うための武器を出現させるところでしたね。
特に自分は自分、ということを思い出して、自分の名前から武器を出す、というところまでの流れは熱かったですよ。


まずミスリードを誘うように出来ているところからですが、これは雪輪が妖夷ではないのか!?と作中何度も描写されている点であり、往壓ですらそういう言い方をしているところですね。

序盤でこういう言い方をするときには必ず裏があるわけですが、今回のケースでも多分雪輪は妖夷とは「異なる存在」で、しかももうちょっと高位の存在なんじゃないのか?という感じですね。

第3話で鳥居側は妖夷とは別の高次の存在「神々」の存在を匂わせていて、今回「蛮社改所」よりも先にアトルと雪輪に目をつけていた点と、量産型?妖夷である遊兵(アソベ)が自制心を保ちきれなかったことから考えても、やはり妖夷とは「異なる存在」なんだろうなぁなんて思います。
#遊兵が取り込まれるシーンはあれこそミスリードで雪輪が吸収させたようにも見えるんだけど、僕はあれは直感的に違うんじゃないかな、と思うんですよね(で、違ってたらどうしよう(笑))。
#雪輪の力が強すぎて遊兵の自制心が効かなくなった結果、生き人形に取り込まれちゃった、みたいな。

またあのサーカス?が来たときから人がいなくなる事件が発生したんだけども、それとアトルはそれ(怪しい気配)を追って入ったのが前後しているのか?それとも雪輪の力が強くて生き人形に影響してしまったか?というところだと思うんですが、この辺もミスリードを誘う小細工として上手く作用させてる気がします。

OPを観ても馬が空を虹色に駆け上っていく描写があったりするんで、きっと雪輪はそういう高次の存在なんじゃないかなぁ。


さて、上記はトリックみたいなところなんで、それよりも面白かったのは、往壓の気持ちが転換して、自分の中から戦うための武器を出現させたところですね。
ここが一番の見所だったと思います。

最初に往壓は自分の境遇を重ねてアトルに対して思い違いをしてしまうんですよね。同情という思い違い。
これは第1話~第3話では同じ境遇の央太という少年に重ねて上手く事を成したのとは正反対に描かれているわけで、それだけでもアトルという存在がちょっと違うという意味かなぁなんて思ったりして。

常々、自分に対して自分らしくありたい、そして奇士になってからはもう逃げないと決めていた往壓が、自分の境遇を重ねたことによって、人と違うから居場所がないことに対して勝手に同情してしまう、自分(相手)を無視してしまう、というのが最初の面白いポイントでした。
#冒頭の刺青を消す消さないだの武士だ武士だからどうのというやり取りはその辺への伏線的に使われてる気もしますね。身分とかじゃなくて、自分らしくありたいってことでしょ、みたいな。

それに対して(その前に宰蔵からジャブ有り)アトルが同情していることが既に異なっていると言っているのと同義だと、そういう風にしか見れないのか、と訴える、そしてそこで往壓がはたと気付く、というのが良いですね。
一本取られた、みたいな。

そこから思い出したように、自分は自分、つまりみんな違うんだから、それで良い、それを証明するために、自分の中から(自分の名前から)武器を取り出すところが熱いポイントでしたね。
ここがやっぱり一番の見せ場ですね。

しかも浮民の証である刺青を見ながら、自分の中から取り出した文字が「王」の権力を持つ意味だったというのがまた熱いですね。
この辺も大きな伏線になりそうな気がするなぁ…。往壓は実は何らかの「王」の力を持ってます、みたいな。

このバトルの後、どうなるかがまた楽しみですね。


あと気になるところでは、色々とあるのですが、本庄辰輔(ほんじょうたつすけ)が率いていた遊兵ですね。
鳥居側は妖夷を配下に置くことに成功してるんですね、これ。ちょっと驚いた。
第1話の感想でも、西洋文明に対して行く行くは妖夷を西洋文明に対する対抗策として利用するんじゃないか?みたいなことを考えていたのですが、既に使役するレベルにあるみたいです。
むしろ第3話を観るに、妖夷よりももっと高次の存在を狙っている、それが鳥居側の狙いで、その高次の存在にアクセスできるのが往壓みたいな感じなのかも。
#漢神(あやがみ)を使うことで、今回も往壓自身が言っていたように、何らかの扉が開かれる可能性があって、それを使わせるために鳥居側としては往壓を「蛮社改所」に入れさせた、という気がしますね…。

ここも表現に仕掛けがあると僕は勝手に思っているわけですが、鳥居耀蔵は蘭学を厳しく取り締まる方にあるのに、その実蘭学者を囲っている、という表現をしていました。
これは今回の本庄辰輔率いる遊兵が登場したのとタイミングとしては狙っているとしか思えません。

蘭学者を表向きの会話で語っておいて、裏の表現として妖夷を厳しく取り締まるはずの幕府が実は妖夷を配下に置いている、みたいな。
鳥居耀蔵は蘭学にも理解がある、鳥居耀蔵は妖夷にも理解がある、そういうシンクロ。

今回の花井虎一はそういう暗喩があったんじゃないか、なんて考えすぎか・・・。

これに対して小笠原が実は蘭学者だったというのがわかってまたビックリ。
つまり自分の主張を完全に押し殺しているわけですね、この人。

この小笠原にしても、また往壓を通して色々ありそうなんで、これはこれで楽しみですね。

……ああ、もっと短く書こうと思っていたのに、こんなに長くなってしまった(反省)。