蒼穹のぺうげおっと

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天保異聞 妖奇士 説二 「山の神堕ちて」

2006-10-14 21:33:50 | 天保異聞 妖奇士
第1話が静かな立ち上がりだったんですが、第1話とこの第2話、セットで1時間でやった方が面白かったんじゃないかと思いました。
当然話の流れも第1話と第2話で一つの物語になっているのでそう思ったのですが、第1話が謎を布石しておく表面で、第2話が謎解きにあたる解答編でしたね。

面白いなぁと思ったポイントは2つ。

一つ目は冒頭に解答編と書いたのだけれども、第1話の感想で「主人公の居場所の無さ」が面白い、(現実世界に)居場所が無いから逃げるしかないと書いたところを、第2話の冒頭で雲七がまさにそのままの台詞を言ったところですね。
やっぱりこの物語のポイントは主人公の居場所の無さにひとつ面白さがあると思うのです。
これがどうやって居場所を回復していくか?みたいなところが観て見たいですね。
特に今回は少年を登場させていましたが、主人公がかなり大人ということは、誰かを助けることで自分が失った大人像を回復していく、そういう展開が見て見たいですね。
#全然違う展開したりして(笑)。

もう一つは雲七の存在ですね。
これは明らかに他人には「見えていない存在」でしたね。
主人公は居場所がない、それに対して「見えていない」、これが面白いですね。

小野不由美さんの『十二国記』では主人公陽子の影として、蒼猿が登場して主人公の不安な心情を投影させるわけですが、この雲七も主人公竜導往壓(りゅうどうゆきあつ)の精神面を反映させた存在だったりするんじゃないか、そんな風にも思えます。
もしくは…、と色々妄想が先行するのですが、この辺は本編を観ながら追々妄想していきたいと思います(笑)。

あとは、少し分かりづらい表現かなぁと思ったところがあって、そこの解釈が自分でもちょっと微妙。
今回登場した少年とその父にまつわるエピソードなんですが、竜導は合点がいったと言うのですが、そこが少し分かりづらくて自分なりに解釈したんだけど自信なし。

民俗学的に観ても飢饉のときに生贄を捧げる風習というのは宗教的な意味合いと食い扶持を減らす意味合いがある、というのは宰蔵からも説明されていましたが、今回はそれだけではないんですね、きっと。

山の神は何らかの理由で神籍から外れてしまった、というわけなんですが、あれは少年の父を取り込んでしまったがため、ということですよね。
その後、山ノ神から妖夷へ堕ちてしまい、少年を執拗に追いかけるわけですが、恐らくこれは取り込んだ父の妄執だったんでしょうね。

ここからが完全に妄想の領域ですが、少年の父は3年前の飢饉のときにも娘を生贄として差し出しているわけですが、ひょっとするとこのときの飢饉は本当に危機的で、食べるものすらなかったのかもしれません。
そのとき「狂ってしまった」と言っていた少年の父は、ひょっとすると自分の娘を食べてしまった…。
ゆえに今回の飢饉でも「米や麦はあるのに」少年を生贄として差し出した。自分が食べるために。
この食人の妄執に駆られて山の神は堕ちてしまう…。

少年はこの時点で自分が父に殺されることを覚悟するわけですが、同時に自分はこの世界ではいらない人間である、実の親からもいらないと言われてしまう、ゆえに居場所を喪失してしまった、だから異世界へ行くしかないとかたくなに思っている。

だけれども、少年は往壓との会話の中で、この世界にいることを決意する。
それが少年の台詞の中の「オラ、ここにいるよ、カカ(母)と一緒に」ということだと思うんですね。
最初聞いたときは、父親に自分の存在を主張しているのかと思ったんですが、話が繋がらないのでもう一度その部分を見直して考え直しました。
で、さっきまでは居場所がこの世界には無いから異世界へ行こうと思っていたけれども、やはりこっちの世界で生きていくしかない、と思った、だから母と一緒に「ここにいる」と言ったんでしょうね。

だから往壓が最後に向こうの世界へ心が揺れるんですが、少年が引き止める、そういう描写だったんじゃないかなぁ。

父親が食人の妄執に囚われる、というところが最大の僕の思考の飛躍になっちゃってるんですが、そう考えてつじつまを合わせたりして(笑)。


…短い感想書こうと思ったんですが、長くなってしまいました。
でも、あれです、あの漢字から本当の姿を取り出す、というのは面白いと思います。
#あの字も上手いですし。

ああやって毎回種明かしのときにトリビアを入れてくれると勉強になりますね。
#種明かしって書いて思ったんですが、やっぱりこれは伝奇・ミステリーというカテゴリで見たほうがいいんでしょうね。