本日、日帰り出張の移動時間をフルに使って蒼穹のファフナー ドラマCD Vol.1
『-STAND BY ME-』を聞いておりました。
いろいろとプレゼンしないといけないのに、最終話までのファフナーのことをいろいろと思い出してしまって、感動したり切なくなったりと、仕事にならないんじゃないかと思いましたよ(実話)。
#そこは何とかflowの「DAYS」とか聞いて盛り上げて、事なきを得ているんですが(そういう回復の仕方でいいのか?)。
■STAND BY ME
傍に居て欲しい、このタイトルの想いが十分伝わったというか、ここがあるから最終話までの話が余計に輝く、そういう位置づけなんじゃないかなと思います。
きっとこの作品で冲方さんが思っていたのは、僕個人としてはパイロット7人と指揮官総士まで含めたみんなの「変化することへの戸惑い」であったり「受け入れることに対する戸惑い」を描きたかったんじゃないのかなと。
そのみんなの「戸惑い」の象徴が制服にあったんじゃないかな。
「制服」を着ることで何かが変わってしまうんじゃないか、そういう「戸惑い」が。
#逆に翔子の場合は「変わりたかった」という想いがあって、それは美しくカノンのテーマへと受け継がれていったのですが。
それを考えると、この「戸惑い」があるからこそ、カノン・メンフィスという名前が「変化」を司っていたように、カノン登場あたりから皆の意識が変化し始めて、最終話付近となる
第24話での「受け入れること」に対する理解につながっていったり、
最終話において乙姫が兄である総士に対して「受け入れることも一つの力」と諭していったことにつながっているかと思うと、またひとつこの「蒼穹のファフナー」という作品の奥深さを実感して、感動して、切なくなってしまうんですよね。
また、今回で言えばドラマCDのタイトルになっている「STAND BY ME」という部分についても、実は護というキャラが非常に重要なキャラになっていて、傍に居て欲しい、傍にいるよ、という大きな部分をさりげなく語るあたり切なくて、これが
第15話での一騎=マーク・ザインの復活のシーンにもつながっていたり、全体のテーマにかかっているかと思うと、より泣けてきます。
■パズルのピースのように
つまるところ、僕が思うにこのドラマCDの位置づけはドラマCD単体として成立しているんじゃなくて、このドラマCDがあるからこの先のストーリーに深みが増す、この先のストーリーを知っているからこそ、このドラマCDが切なく思えてしまう、パズルの小さなピースのように、そこにあるから意味がある、そういう作品なんじゃないかなと。
「Shangri-la」で始まり「Separation」で終わる、この仕組み自体で既に涙腺を刺激されてしまう構成をこの身に沁みこまされているような気もしますが(笑)、このドラマCDを聴きながら、この先に展開されていく数々の名シーン、感動シーン、切ないシーンにつながっていくのかと、その線がつながるような思いで聴いている、そういう感じでした。
■そこに至るまでのプロセス
小説版の「蒼穹のファフナー」でもそうなんですが、このドラマCDにおいても翔子や甲洋の心情面にスポットがかなり当てられているあたり、やっぱり冲方さんはご自分で前半パートの脚本やりたかったんじゃないかな、とか思ってしまいます(ファンとして是非ともそうして欲しいわけですが(笑))。
翔子と甲洋は(冲方さんが脚本を担当する前の)前半パートで既にその役割の半分を終えてしまうわけですが、そこに至るまでのプロセス、彼らが何を思っていたのか、何を考えてそういう行動を取っていったのか、やっぱりそこを描いてあげたいな、という思いがなんとなく伝わってくる感じがするんですよね。
そういう意味では冲方さんは最終話に至るまで、やっぱり各キャラをとても大事にしていたんだなと思ったり。
■Vol.2も期待しちゃいます
さて、今回は翔子と甲洋について、かなりの部分を小説とあわせて補完されてきたようにも思うので、次のVol.2では是非ともカノンあたりにスポットを当てて欲しいな、なんて思ってしまいます。
カノンというキャラが受け持ったテーマは作品全体のテーマにもなっていて、彼女が
第17話で「私の……、私の話を聞けー!!」と絶叫するところなんか、今思い出しても泣けます。
というか、カノンのここからの台詞はひとつひとつ思い返してみても単体で泣けますね。
というわけで、「RIGHT OF LEFT」が放送される年末まで、まだまだ僕のファフナー熱は冷めることはないようです。
Vol.2も楽しみです。
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SIDE STORY -STAND BY ME-