「あるけばかつこういそげばかつこう」
旅する山頭火らしい初夏の句である。山の中に行けばかっこうかっこうと聞こえてきそうな季節になった。「カッコが鳴く」というのが金田一春彦先生の「ことばの歳時記」6月の始めの項に載っている。
郭公を別名で閑古鳥というのは、昔はカンコ鳥といった郭公の鳴き声をたまらなくもの寂しいものと聞いたところから生まれた表現だと先生は云う。あの独特な鳴き声が昔の人にはカンコウ、カンコウと聞こえたから、そう名付けたのだろうというわけだ。
郭公というと直ぐに思い起こすのが「かっこうワルツ」。鳴き声を模した旋律や、さえずりを模したトリルなど、一度聞けばすぐに覚えてしまう。日本語の詞をつけて唱歌になっていたはずだ。この曲は、スエーデンの作曲家、ヨナーソンの作曲だといわれる。タイトルはスエーデン語だとゲックヴァルセン。スエーデンのかっこうはゲックゲックと鳴くらしい。イギリスならもちろんクックーだし、ドイツだとクックック、フランスはククー、イタリアになるとククーロと鳴くわけだ。カンコやカッコウとも音感が似ているではないか。
「かっこうワルツ」にしてもキャンプソングの「静かな湖畔」にしても、いかにものどかで、こころが休まる感じの表現になっているのだが、これが「閑古」という漢字語になると俄然、寂しさをイメージしてしまう。ことばの不思議である。
「うき我をさびしがらせよかんこ鳥」
これは、金田一先生が引用している芭蕉の句だが、明るい山道を感じる山頭火の最初の句とはずいぶん違うのがわかる。金田一説によると、現代人はカンコ鳥とかっこうは違う鳥だと思っているようだ。寂しい様子を形容するのに「閑古鳥が鳴くような」と平気で使っているのはそのせいにちがいないという。
「友老いぬ吾また然り閑古鳥」
上村占魚のように詠われるとたしかに寂しいが、阿波野青畝のように
「み吉野の青ハ重垣や閑古鳥」
と詠ってくれれば、閑古鳥もずいぶん明るく感じるではないか。要するに詠い方、読み方次第ということで、郭公にも閑古鳥にも責任はないのだ。
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