5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

コミセン図書館の文化財

2019-11-06 21:35:19 | 歴史

「羽田」は「はねだ」と読むのか「はだ」と読むのか。こんなことが気になった今日の夕刊ニュースは「三英傑書状 本物と確認」というリードだ。

地元の三英傑だというのも気になったが、書状が見つかったのが豊橋の「羽田八幡宮文庫」とあって、ハネダだろうか「はたまた」ハダだろうかと疑問符が浮かんだわけだ。ところが記事にはふりがながない。困った時のウイキ頼み。ググルと「羽田八幡宮」の項が見つかり、「はだはちまんぐう」とルビが付いていた。なるほど「ハダ」なのか。

ついでにウイキを読み進むと、豊橋にある神社。社格は旧郷社。嘉永元年(1848)に羽田八幡宮文庫が、当時神職だった国学者の羽田野敬雄によって開設されたとある。この文庫、知る人は知っている訳だ。ウイキにはさらに、信長が出兵に際して寄進した太鼓が現存し、家康の参拝記録もあるという。三英傑には縁がありそうだ。

記事に戻ると、豊橋図書館の調査グルークがこの羽田八幡宮文庫所蔵だった三英傑の書状などを本物だと確認して今日発表したのだという。

信長が大和郡山の筒井順慶に出した朱印状
秀吉が朝鮮出兵についての詳細を記した書状
家康が上杉景勝に宛てたとされる書状

豊橋図書館が引き受けたらしいこれらの書状を文化財として指定するために、地元の愛知大学の協力を得ながら今年の8月から調査していたもので、筆跡や花押から本物だと確かめられたらしい。

羽田八幡宮文庫の開設には地元民たちの協力もあったようで、書籍の閲覧や無料貸し出しを始めた日本最古級の文庫で、図書館のさきがけとされるともあるが、明治40年(1907)には閉鎖されてしまい、大半の蔵書が流出した。幸い三英傑の書状は八幡宮に移されて宝蔵され、一般には公開されなかった。ために、地元の研究家や一般にはその存在自体が知られておらず、当然、書状の真贋鑑定も実施されなかったということのようだ。

羽田八幡宮は何処にあるのかとグーグルマップを探ると豊橋駅の新幹線口を出て西に2ブロックほどの近さだ。少し離れたところに文庫跡の表示も読める。いわば明治の地元民たちが使ったこのコミセン図書館に戦国武将たちの真筆が残っていたということは非常に珍しいことだと思う。

三巻の書状写真が記事内に載っている。信長と家康の文は短いが、秀吉の文は箇条書きで書かれており長い書面になっている。豊橋市図書館で公開することもあるのだろう。内容が分かれば知りたい。韓国のJさんも興味を持って読んでくれるはずだ。




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