国家はなぜ衰退するのか
権力・繁栄・貧困の期起源(上)(下)
ダロン・アセモグル&ジェイムズ
・A・ロビンソン
鬼澤忍〔訳〕
を読み終えた。
上巻の本の帯には、このようなことが書か
れている。
ノーベル経済学賞の歴代受賞者が絶賛!
ジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞した
MIT教授と気鋭のハーバード大学教授が
国家盛衰の真因に迫る。
ノーベル経済学賞の歴代受賞者が
絶賛する全米ベストセラー!
下巻の本の帯には、このようなことが書か
れている。
『銃・病原菌・鉄』に比肩する新古典。
《ワシントンポスト》
《エコノミスト》
《フィナンシャル・タイムズ》
各紙誌の年間ベストブックに選出!
下巻には坂本龍馬や大久保利通も登場。
以上。
確か、新聞の書評欄で紹介されて、読む気
になったと思う。
読み終えてから、半月以上は経ったかも
しれぬ。今では、いつ読み始め、いつ読み
終わったかについては、記憶が定かでは
なくなった。あまりにも、情報量が多くて
遅々として、読書が進まなかった。わたし
の知力が低すぎたせいである。
最初は、西欧の植民地の話が一杯あって、
悪びれることもなく微に入り細に入り書い
ている様は、あまりにもえげつないものを
感じ、非西洋人として、怒り狂う思いもし
て、放り出そうと思ったが、なんとか堪え
ているうちに、
「いまから2世紀後、わたしたちの曾曾┄
曾孫がアダム・スミスの『国富論』と同じ
ように、本書を読んでいることだろう」
―ジョージ・アカロフ
(2001年度ノーベル経済学賞受賞者)
と、称される本だということを思い知らさ
れることになった。
西洋人が「自らの歴史的な恥部」について
公にするという真摯な姿勢にうたれてしまっ
た。
『銃・病原菌・鉄』を読んだ時もショックを
覚えたが、今回のこの本は、この『銃・病原
菌・鉄』とセットで読んだ方が面白いと思っ
た。
『銃・病原菌・鉄』で、スマトラあたりにつ
いて書かれていたが、今回のこの本で、修正
されそうな感じがして、面白く思った。ここの
ところは、読み比べたら面白いと思う。
資本主義がどうして、西欧で起こったのか
わたしも、若い頃から興味を持っていて、少
なくとも、封建主義の存在が共通項ではと思
っていたが、今回のこの本で、詳細に分析し
ていたのは、圧巻だった。
なかでも、ペストの流行が、資本主義の発達
にとって、必要不可欠だったという評価は驚い
てしまった。
ところで、ローマ帝国の滅亡についても、や
はりずーっと関心があったが、この本で、詳
しく分析されていたのは、分かりやすくて、
嬉しく思った。
なかでも、カエサルの出現は、ローマ帝国の
「終わりの始まり」だという見方は、驚いてし
まった。その点、塩野七生氏は、どう反応
するのか興味深い。
この本で、長い間、待ち続けてきた「答え」
が見つかった気がして、喜んでいる。
興味深い内容が、盛りだくさんである。
第五章
「私は未来を見た。うまくいっている未来を」
―収奪的制度のもとでの成長
ここでは、ソ連について語られている。
ソ連は、崩壊したのだが、かつては、輝かしい
未来を期待されていたようだ。
そのソ連の限界について、詳しく分析して
いる。
この点は、わたしは、輝く未来を語られて
いる今の中国とオーバーラップして、興味深
い。
著者の見解を踏襲すると、いずれ中国はソ
連の後を追っていくやに思われてならない。
以下に、著者の考えがまとめられていると思
われたので、抜粋してみた。
本書で著者たちはまず、長期的な経済発展
の成否を左右する最も重要な要因は、地理的
・生態学的環境条件の違いでも、社会学的要
因、文化の違いでも、いわんや人々の間の生
物学的・遺伝的差異でもなく、政治経済制度
の違いである、と主張し、それを歴史的な比
較分析でもって論証していく。
それでは、その制度的な違いとはどのよう
なものか? 本書の第二の主張は、包括的in
clusiveな政治制度―その極限が自由民主制
―と、包括的な経済制度―自由な(開放的で
公平な)市場経済との相互依存(好循環)、
それと裏腹の収奪的extractiveな制度―権威
主義的独裁的等―と収奪的な経済制度―奴隷
制、農奴制、中央指令型計画経済等―との相
互依存(悪循環)というメカニズムが存在す
る、というものである。ある社会を支配して
いる制度的枠組みが収奪的であるのか、それ
とも包括的であるのか、の違いが、その社会
において持続的な経済成長が可能となるかど
うかを左右しているのだ、と著者たちは主張
する。
まとめるならば、継続的技術革新(創造的
破壊)を伴う経済成長は、長期的には包括的
経済制度≒自由な市場経済の下でしか持続可
能ではない。しかしながら包括的な経済制度
は、包括的な政治制度―つまり「法の支配」、
そして究極的には自由な言論に支えられた民
主政の下でしか持続可能ではない。収奪的な
政治制度≒権威主義的独裁の下では包括的
経済制度は長期にわたっては存続できず、
早晩、収奪的な経済制度に移行してしまう
―アセモグルらはこう主張している。
以上。
ヤフーのニュースである。
習近平氏「改革小組」トップに就任 李首相
外し? 権力集中進む
【北京=矢板明夫】中国国営新華社通信によ
ると、中国共産党中央政治局は30日、習近
平国家主席が新設される「全面改革指導小組」
の組長に就任することを決めた。来年発足す
る国家安全委員会の初代トップにも習主席が
就任するといわれており、李克強首相らが現
在持っている権限が次々と習主席に奪われる
形となる。共産党内から「急速な権力集中は
派閥バランスを崩す恐れがある」といった懸
念の声が上がっている。
全面改革指導小組は、内政や金融、司法な
ど各分野の総合改革を進めるため、11月の
党中央委員会第3回総会(3中総会)で設立
が決まった新組織。李首相が主導する国務院
の仕事と多くの部分で重なっており、初代ト
ップには李首相が就任するとの見方もあった。
しかし結局、習主席が組長に就任し、「最高
指導者は実務を担当しない」という江沢民時
代以来の不文律を破る格好となった。
また、もし習主席が国家安全委員会のトッ
プも兼任すれば、経済も外交も安全保障もす
べて、習主席が直接担当することになり、李
首相のほとんどの仕事が奪われる事態となる。
共産党筋は「保守派の習主席と改革派の李
首相の考え方は合わないが、強引なやり方で
李首相から権限を奪えば党内にしこりを残す
ことになる」と話す。
別の共産党筋は「多くの肩書を持つことと、
その政治家が持つ実力とは関係ない。改革開
放を進めた小平も副首相の肩書しか持たな
かった」と話し、習主席に権力が集中したと
の見方に懐疑的な考えを示した。
以上。
習近平氏への権力集中が、問題視されている
が、個人的な感想としては、「秦の始皇帝」と
オーバーラップしてくるのだがどうだろう。
昔、中国の歴史ものをよく読んだ。
とりあえず、ネットのデータを利用して、思い
だしてみたい。
あるとき劉邦が韓信に訪ねた。
「そちは数百万の将兵を一糸乱れることなく統
率して百戦百勝だが、わしはどのくらいの兵を
率いて統率できるか?」
韓信曰く、「陛下は将軍の力量で言えば1000人
隊長がせいぜいでしょう。
私は10万でも100万でも、多ければ多いほど
自在に扱えます。」
劉邦はムッとする。
韓信は「しかし陛下は、そうした将軍を使う
将の将たる器なのです。」
後々の劉邦の言葉に次のようなものがある。
「帷幄で作戦を練り、千里の遠くにいる敵を
打ち破る手腕では、私は張良には及ばない。
国内をよく治め、万民を撫育する才能では、
私は蕭何には及ばない。
戦場でかならず敵を撃破する能力では、私は
韓信に及ばない。
この三人は天才である。
しかし、私には彼らを超えた才能がある。
それは、このような天才をつかいこなすという
能力だ。
項羽にも范増という良臣があったが、そのひと
りも使いこなせなかった。
だから項羽は敗れたのだ。」
何をさせてもスーパーマンの項羽を打ち破った
劉邦であるが、各分野の専門性を考えると劉邦
の能力はどのスタッフより遥かに低かった。
しかし周囲に集まった天才やスタッフが劉邦を
助けて目標を達成しようと一丸にさせる人望が
あったのだ。
以上。
30代には、このような内容の本をよく読んで
いた。懐かしいものがある。
さて、習近平氏、自国の古典である。この話を
どう聞くのだろう。
最後に
「いまから2世紀後、わたしたちの曾曾┄
曾孫がアダム・スミスの『国富論』と同じ
ように、本書を読んでいることだろう」
―ジョージ・アカロフ
(2001年度ノーベル経済学賞受賞者)
というのがあったが、「いまから2世紀
後」と言わずに、すぐにでも読まれて
ほしい本と思った。
大げさだが、人類の必読書に、なって
ほしいものだ。