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リタイアーのよもやま話

オイラも66歳だ。「生きる」ってことにもうそれはどの執着はないよ

2014-01-24 20:54:18 | 読書

ビートたけしが、「ヒンシュクの達人」で
言っていたことだ。

 

 オイラも66歳だ。「生きる」ってことに
もうそれはどの執着はないよ。大人になるっ
てのは、自分の限界を知るって意味じゃない
かって思うんでさ。

 これから先、これまでの自分にできなかっ
たことが突然できるようになるわけではない
し、逆に自分にできることはだいたい見当が
つくようになったわけでね。だから今後の人
生に過度な期待をするってこともないんだよ
な。


 その点、若い頃はそうはいかないよね。最
近、昔の自分を振り返って無性に恥ずかしく
なるんだよな。女にモテようとバンドをやっ
てみたり、ジャズ喫茶で働いてみたり、洒落
たレストランに通ってみたり、仕事で虚勢を
張ってみたり……。それは全部、自分っても
のの限界が見えてなかったからなんだよね。


「オレはまだまだこんなもんじゃない」って
期待するから、執着する。それが「若さ」な
んだよ。

 「若い」つてことがいかに恥ずかしいこと
だったか、それがわかるのが大人の男なんじ
ゃねエかって思うね。

 自分の限界がわかって、「できること」と
「できないこと」が判断できるようになると、
自然と胆が据わる。「人はいずれ死ぬ」という
当たり前のことを受け入れられるようになっ
て、少々のことでは動じなくなる。この歳に
なって、ようやくそんな気がしてるんだよな。

以上。

 

ビートたけしは、幼少の頃、筆舌しがたい貧し
さを経験している。

しかし、才能を発揮し、これまた、わたしのような
凡俗な者の理解を超える筆舌しがたい贅沢、酒
池肉林の生活を経験している。(大分変な言葉づ
かいなのだが、洒落としたい。)

彼は、

自分の限界がわかって、「できること」と
「できないこと」が判断できるようになると、
自然と胆が据わる。

と言っているが、

わたしのよう者からすると、「できたこと」が
一杯あったはずで、羨望の人生である。

しかし、彼の経験した貧しさには耐えられない
し、時代を味方にする才能もないので、羨望す
るというのは、よく考えてみると、まことに、
失礼なことなのだろう。


彼は、

「できないこと」が判断できる

と言ったのだが、

何だかんだ言っても、やはり、できることも
多々期待できる人生のはずだ。

わたしのような凡俗な者からすると。

こんな話を彼がすると、神妙な気分にさせら
れてしまうが、そこは、雲の上の存在、真に
受けるのもどうかと思ったりしないこともな
い。

それはそうとして、「若さ」ついての、コメ
ントは、同感できる話で、何かしら、彼に
親しみを感ずるものがある。

それにしても、森村誠一氏は、「何をしても
いい自由」といったが、ビートたけしは、

その才能、周囲がほっておかないので、やる
ことは尽きないはずだ。

才能ある者と、凡俗な者の第二の人生は、
雲泥の差のあることだろう。

やり残した思いがあるのだが、何をやり残し
たのか思い当たらないのが、なんとももど
かしい。


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