振り返れば、激変する時代に振り回され、多くの人々が
不条理で不本意な人生の結末を強いられたやに思われ
る。
森村誠一氏は、
老後が存在し、余生を過ごすためには条件がある。
それは、社会構造の中に組み込まれて人生をおくって
きたか、そうでないかだろう。
自分からその日暮らしの職業を選んだ人や、あるいは
自分の意志で定職につかなかった人、自由と引き換えに
社会構造の中に組み込まれることを拒んだ人などの場合は、
余生はない。
と言ったのだが。
どんなに誠心誠意、一生懸命で、生きても報われない人々が
多くいたことも事実だ。
どれだけ、多くの個人経営の店舗がつぶれたのだろう。
生涯積み上げてきたものの、自分の老いと共に、朽ちて
いく様を、目の当たりにして、悲しみで、胸も張り裂けん
ばかりだったのではなかろうか。
どれだけの会社が倒産したのだろう。
どれだけ多くの家庭が、想定もしない不条理な人生を
強いられたのだろう。
ビートたけしは、著書で、自分の人生の幸運に驚いた。
わたしも、退職までたどり着いたのを振り返れば、時代が
凡愚な己に味方してくれたことが、多かったとつくづく、
思うばかりである。
「何をしてもいい自由」に、戸惑う毎日も、実は、時代が
味方してくれた幸運の結果であり、自分の幸運に感謝
しなければならないことだろう。
その幸運に、報いるために、惜福の工夫をもって、運を
浪費しないように、愛おしむように、日々精進していく
ことが肝要かも知れぬ。
こんなに思いにふける日は、岩崎宏美 の愛燦燦 の
歌声が、似つかわしく思われてならない。
岩崎宏美の「愛燦燦」の歌声は、数々あるが、この
演奏が、一番柔和で、かつエレガントで綺麗な三連符
の演奏をしているように思われる。
彼女のそぞろ歩きでもしているようなリズムと、過ぎた
日々を愛おしむような歌声と相まって、心地よく、響い
てやまない。
我が人生の幸運に、感謝したいものだ。