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リタイアーのよもやま話

BS おかあさんといっしょ 『赤いやねの家』

2009-10-08 23:45:22 | 音楽
BS おかあさんといっしょ 『赤いやねの家』


「遠い空」を聴いたら、「赤いやねの家」を思いだした。

昔、ピアノやギターでよく弾き語りをした。
又、絵カードを添えたりして、楽しんだこともある思いでの曲。



歌われている情景は、やはりわたしたちの原風景だ。

わたしたちは、田舎の貧しい畑仕事の世界にあって、
どんなにか、大都会の世界を憧れていただろう。

子どもの頃、わたしたちの世界で、一番大きい建物は、
学校だった。二階ほどの建物が一番大きい建物だった。

ひろい場所もやはり学校だった。中庭であり、運動場が
一番ひろい空間だった。

この世で、一番珍しく、不思議なものは、理科室にあった。

いつも、雨の日も風の日も、テクテクと歩いて通った。
(今では、保護者が車で送迎している。皆、お坊ちゃん、
お嬢ちゃんになった。)

時代は進み、望んだ都会風の生活が手にはいった。

と思ったら、あまりにも変わりゆく時代に、今度は、
自分の心の中で、ついていけなくなるものを感じ
だした。そして、人生は、行き詰まってしまった。

心のよりどころを探し立ち止まってみたら、懐かしい
はずの風景は、目の前からことごとく消えてしまって
いた。

その時の取り返すことのできないショックは、今でも
覚えている。

時代が進み、何かをたしかに得たような気がした。
しかし、膨大な何かを失っている現実に気がついた。

嬉々として過ごした「小川」、「池」、「田んぼのあぜ道」、
「路地」、「学校の行き帰りの道」、「セミをとった藪」
みんなみんな消えた。

頭のどこを探してもおぼろげになってしまった。

あまりにも時代は急変し、みんなみんな翻弄された。
不条理続きの日々に疲弊している。

悲しいかな、望みはしないのに、どこからともなく
わき起こる猜疑心に苛まれて生きている。



この歌の世界に、自分の原風景をダブらせている時間、
荒んだ時代にいる自分を、一瞬ながらも忘れさせてくれる。





三浦和人 - 遠い空

2009-10-08 22:30:50 | 音楽
三浦和人 - 遠い空


You Tubeでなにか聴いてみたいと思った。すると、「遠い空」を
思い出した。

(途中までしかないのは、残念だが。うまく、音楽を切っているのが
救われる。)

(どこかに、CDもあるはずだが)



わたしたちの原風景、「遠い空」。

わたしにとって、「卒業写真」と対をなす。

麦わら帽子の少年は、わたしたちのことだ。
麦わら帽子をかぶって泣いている少年もわたしたちのことだ。

見つからない捜し物、なくしたはずの数々のことがら。
ただ呆然としているばかりの存在も、わたしたちのことだ。
(もはや、人生の時計の針は、夕刻を示しているのに)


猛烈な勢いで、時代は想定もできないほどに、変化してきた。

自分の手に負えないほどに変わり果てた様を見て、
うろたえている。

(親族殺人が日常茶飯事になった。まさか、こういう
時代がくるとは。

必死になって、家庭をこさえてきたはずなのに。)




わたしたちの原風景は、地平線の彼方に消えかから
んばかりだ。

いや、わたしたちの頭の中からでさえ、薄れかけて
しまっている。

寂しい話しかな。


ところで、最近、自分の人生を、選択肢ごとに、シュミ
レーションしてみた。

すると、たいした人生でないと思ったこれまでの日々が、

凡愚の人生として、とんでもない躓きもなく、実は、
あまりにも幸運で、出来の良い最良の人生でなかった
かというとんでもない見方ができるようになった。

激変した時代に、できる奴もできない奴もみんな翻弄
されて、いったい誰が勝ち組か負け組かも、実は分から
なくなってしまった。

わたしちは、当面まだ余力がある。

わたしたちが、各々に「死への旅立つ日」に本当の
評価はなされると思うが。

誰が捜し物を見つけられるのだろう。
誰が、なくしたものに素直に、分かれを告げることが
できるのだろう。