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リタイアーのよもやま話

年金の申請書類の提出

2009-10-13 22:52:07 | 日記
年金の申請書類の提出のために、書類の点検と最終仕上げをしている。

ビリー・ジョエルのピアノマンを聴きながら。

この書類大分前に届いたが、満60歳の誕生日を過ぎないと提出できない。

そろそろ時分なので、提出することにした。それで、作業を急いでいる。

いざ、この書類の処理をしていると、なんとも言えない気分になる。

とうとうリタイアーになるのだと。


退職して3年目に入った。

最初の1~2年は、自分が無職であることに、苛立ちを覚えた。

空焚きしている風呂と同じだ。

しかし、今はあの苛立ちが嘘のようだ。

諦めか、それとも納得か。

少しずつ、気持に変化が起こっているようだ。

この3年間で、少しずつ、自分のこれまでの人生を違う視点で評価が
できるようになったのは、予想外のことであった。

嬉しい誤算である。

その点では、60歳を待たず、早めにこのような認識の変化を迎えたのは、幸運なことかもしれない。

より、精神的にも体力的にも余力をもって、次へのステップを前倒しに、生きていくことになれるという思いがあるからである。
通常に退職を迎えた仲間が、一息ついた頃には、
こちらは、次へのステップを踏み出すことができているのではと思うからだ。


それにしても、この書類を封筒に詰めながら、
神妙な気分になっていく。

とうとう引き返せないという気分である。

例えは、悪いが、死人でも、棺桶に入っている間は、何度も何度も、生き返らないものか、奇跡は起こらないものかという思いにかられるが、いよいよ火葬の釜に入っていくとなると、これで、いよいよ生き返らないことが確実になってしまうのだ。どうしようどうしよう火葬を留め置けないものかという気持がわきおこる。

(弟が、30代に入って、自殺をした。その時に思ったことであるが)


この先、もう引き返せないという哀しみ。
どこかしら、似た気分である。

わたしは、送別会の場所で、退職後は余生ではなく、上下2巻ものの小説とみたてて、話しが盛り上がる下巻のようにありたい。とかなり、テンションのあがった挨拶をしたが、さて、実際問題として、どのような展開になるのだろう。

先は、まったく見えない。