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森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

蕎麦屋が塗り箸を!

2006-09-08 23:08:42 | 木製品・建築

昨日から福井に行っていた。

 

今日は小浜を訪ねる。実は知る人ぞ知る、小浜は塗り箸の王国だ。なにしろ日本の塗り箸の8割を供給している。そこで割り箸に続いて塗り箸の世界をかいま見たのだが…割り箸の世界とあまりによく似た構図があったので、驚いた。

 

ところで、もう一つ驚いたのは、某蕎麦の名産地が、この小浜を視察していたこと。なんと、その地域の蕎麦を塗り箸で供する計画が進んでいるのだという。環境に配慮していることをアピールしようというのだろうが、これは由々しき事態。割り箸産地よ、怒れ!


おいおい、和食なら塗り箸も結構だが、蕎麦なんて、割り箸の最後の牙城ではないのか。パシッと割り箸割って、ずるっずるっとすする、これが醍醐味ではないか。それを塗り箸でさせようというのか。ちょっと信じられない。

 

残念ながらデジカメが不調で写真がアップできない。またの機会を。


彫刻の町 井波

2006-08-28 13:31:25 | 木製品・建築

朝のワイドショー「とく ダネ!」の中のコーナー「日本の夏」で、富山県南砺市の井波の町を取り上げていた。

 

ここは、昨年末に訪れたことがある。チェンソーアート関係の視察だったのだが、まさに彫刻の町である。木彫り職人が300人からいて、仏像から欄間、看板まで手彫りで作っている。

 

テレビには、覚えのある顔の人も登場していたが、今も徒弟制度の中で、全国から注文が来る様子が描かれていた。私らが訪れたのは冬の、雪に包まれた町だったが、夏は八日町の通りを開け放して、彫刻している様子が見学できるそうだ。カンカン、トントンと木を削る音がする町なのである。

 

驚いたのは、「彫刻で難しいのは荒削り。師匠が粗削りをしたものを弟子が細かく彫る」と紹介していたこと。そうか、仕上げより輪郭が重要だったのだ。

 

この町には、徒弟制度を含めて職人を育て生きていくシステムがあるし、その技量は全国から注文が途切れない強みにもなっている。多少の浮き沈みはあっても、神社仏閣や純和風建築がなくなることはないし、優秀な木彫技術は廃れない。いわば粗削り(構造)の部分がしっかりしている。

ただ仕上げに相当する商品の内容は、時代とともに変化するだろう。得意の欄間などは、かなり減ったそうだ。そこで洋式扉への彫刻など、新しい商品開発もしていることを語ってくれたっけ。スタジオでも、ホタルやバッタが彫り込まれた茶托が紹介されていた。

 


割り箸不要論の歴史

2006-08-19 10:56:21 | 木製品・建築

熱帯雨林伐採反対運動について調べている中で、「割り箸不要論」についても調べてみた。

 

割り箸は資源の無駄遣い、という主張は、これまで幾度も起きている。有名かつ大規模だったのが、90年前後の熱帯雨林問題と連動したものだが、決してこれだけではない。

古くは戦時中。「ぜいたくは敵だ!」の掛け声の中で、割り箸が取り上げられている。
その後も何度も起こるのだが、私が把握できたのは、

1978年
1984年
1989年~91年
(熱帯雨林伐採反対運動)
2000年

2000年に論争が起きたことを覚えている人はいるだろうか。結構、局地的ではあるが、割り箸産地の吉野と、塗り箸産地の輪島がぶつかったものだ。

 

そして今年2006年。これは不要論というより、割り箸が輸入できなくなる→割り箸がなくなる→割り箸に代わるものを……という流れか。

 

いずれにしても、マスコミが火をつけて、賛否の論争が起きた後に、否定報道が出て消えるという、マッチポンプ(^^;)。
実は2006年版の論争も、早くも消えつつある。今では、中国が本気で割り箸輸出をストップすると信じている人は少ないのではないか。

 

さて、私はどうしたもんかなあ。


つまようじの節

2006-08-12 13:47:14 | 木製品・建築

つまようじ資料室を訪れた。

割り箸の世界に顔を突っ込んでいたのに、とうとうつまようじである(^^;)。どんどん木材利用としては末梢的な分野に入っていく気がする。

そこで室長に延々とつまようじの解説を聞かされたのだが、まあ、健康とつまようじの関係などはどうでもよろしい。木材利用の点からすると、素材は、基本的に白樺。この点は中国産割り箸と同じ。白樺を煮て、ロータリーでかつらむきしていく。それを型に入れるように成形する。

 


今や割り箸以上に中国依存が進んだ世界だった。国産メーカーは幾つも残っていない。日本製のつまようじは、コンマ以下である。ただ、日本独自のものではなく、昔から世界各国にあったということがグローバルだ。

 

ちなみに、現在日本で知られるのは、基本的に妻楊枝(歯の掃除に使うもの)ではなく、菓子楊枝(和菓子やタコ焼き、フルーツなどを突き刺して取るもの)で、2つを混乱させているのだという。海外で妻楊枝と言えば、平たい、3角形のもので丸くはない。

 

なぜ日本で丸い楊枝が広がったかというと、それまでの手製の楊枝は、節があったり不揃いだった。それを白樺で均一・白い美しいものが登場して、ほかを駆逐したという。別に楊枝に節材を使ってもよいと思うのだが、それを嫌がったのが日本人。

 

こんなところに無節信仰が生きているとは。


無節材より節材

2006-08-11 11:20:06 | 木製品・建築

先日、京都環境建築研究会というところに顔を出した。

よくわからない(^^;)のだが、ようするに国産材を使った家づくりを研究・実践していく場らしい。

 

そこで、当日発表をした一人が、京都の某材木店の経営者。実物を持ち込んでの説明だったが、今や無節の板より節ありのものの方がよく売れる、という話だった。見せられたのは幅三〇センチばかりの板。ほんのりピンク色に染まり見事に無節だったが、その面を見せるより裏側の3つ4つ大きな節がある面の方が喜ばれるという。節がある方が自然だとユーザーは感じて、デザイン的にもよいと思うのだ。

 

この傾向は、『だれが日本の「森」を殺すのか』でも紹介したが、いよいよ世間にも広がってきたようだ。これまで苦労して無節にしてきた林業家にとっては、なんてこった! という気分だろう。

 

ただし、裏がある。節がある方がよいと言っても、その節は生き節でないといけない。死に節では商品にならない。節は圧倒的に死に節が多い。

そして、よく売れると言っても、価格は無節材の数分の1。たとえば節材が4枚売れないと無節材1枚の利益に追いつかないとすると、じっと無節材が売れるのを待つのとどちらがよいか思案のしどころだ。

 

それにしても、無節がよいという観念が広がったのは、実は最近である。江戸末期には珍重されたようだが、それが世間に広がることはなかった。庶民まで無節の方がよいと思い込み出すのは、戦後である。勃興した住宅メーカーの戦略だったという事実を考えると、一つのトレンドが移り変わったというだけのことかもしれない。


手作り吉野杉箸のサイト

2006-08-05 15:30:34 | 木製品・建築

暑くて頭が働かない。実は今日は地元・生駒の夏祭。なぜか私も出店の手伝いを仰せつかっているのである。

 

先に紹介した手作り吉野杉箸を販売しているサイトを発見した。森田商会という販売店のサイトで、私が出会った数少ない手削りの箸職人の作品を扱っている。

その名も「手づくり 吉野杉箸

 

ここで、手作りの箸がどんなものか味わってください。気になったら購入してください。価格は、高いようでそうでもない。

 

さて、国産割り箸持って、祭を覗きに行くか。

 


オリジナル・マイ杉箸!

2006-08-03 21:34:50 | 木製品・建築

とうとう、割り箸を手作りする職人を訪ねることができた。

実は別件で五條市を訪れ、下市町に足を延ばしたのだが、そこで以前より噂を聞きつつ、訪れる機会がなかった職人宅に押しかけたのである。電話ではアポも取りにくかったので、ぶっつけの押しかけ(^o^)。

 

そして、とうとう機械ではなく、かんなで削る割り箸の現場を見ることができた。これまで訪れた割り箸工場では、機械の動く音が絶え間なく響いていたが、ここではかんなで削るわずかな音だけだ。

幸い突然訪ねたのに歓迎してくれた。そしていくらか話をしているうちに、なんと、私専用の箸を作ってくれるという。

もともと、そこではランチュウや角箸など割り箸というよりバラ箸を手削りで作っているのだが、私用に寸法や太さを決めてくれた。ささっと削ってもった赤柾の杉箸。これは手に持った感覚が絶品! 軽くて柔らかくて、物を挟んだ感覚がビビッドに手に伝わる。

 

もちろん割り箸のように1回では捨てられず、しかし塗り箸のように何年も使わない、年間3、4度交換するのがよいとのこと。つまり1膳で3~4カ月は使える。赤柾だから香りもよく、酒に漬けると木の香が移る逸品だ。

面白いのは、このような箸を、「マイ箸」として売り出せないか」と言われたのだ。マイ箸と言えば塗り箸で、割り箸の敵かと思いきや、ここまで達した箸は、塗り箸を越えるのである。近くインターネットに店を開くそうだから、乞う、ご期待。

 

写真が手づくり割り箸(杉箸)。箸の下に並べたのは、全部杉の赤柾ですが、箸に製造する前の半製品というわけではなく、これを酒に浸すと木の香が酒に移る…という商品なのでした。早く、試さねば!


木の杖

2006-07-18 18:02:51 | 木製品・建築

友人に、京都愛宕山を追いかけているカメラマンがいる。
愛宕山は、火の神様を祀り、全国に名を馳せている信仰の山。明智光秀が本能寺の変の前にも参ったところだ。

 

この夏、愛宕山に関するイベントが行われ、登山が行われる。そこで主催者は木の杖を売ることを考えた。信仰の登山につきものの、太い八角形の杖である。豪華な錫杖までいかなくても、白装束に杖をつけば、行者気分になれる。これは売れるはずである。たしか600本を用意するとか。

 

ところが、春から頼んでいた業者が、この期に及んで、「作れない」と投げ出したそうだ。半分くらいしか納められないとか。材料が足りないのか、製作の手が足りないのか、はたまた責任感の欠如か。

 

私のところにも相談に来られたのだが、寸法や材質、形状を知らないと作れるところを探すこともできない。
そうこう言っているうちに、奈良の吉野、つまり大峰山(修験道のメッカ)の行者向けに杖を作っている業者が引き受けてくれて、なんとか間に合ったそうだ。

 

それにしても、注文を受けても数を揃えられないとは、なんだか国産材の世界みたいではないか(笑)。この杖も、ヒノキ製だそうだが、間伐材の使い道にもってこいだと思う。そういうチャンスを逃すと、次から米材を使った中国製の杖が出回るぞ。


割り箸最高値

2006-07-17 23:14:48 | 木製品・建築

一膳2000円の割り箸があった! と聞いて探している。

各地で聞くと、バブルの頃はあったかも、という声。もっとも、この値段は、京都の料亭クラスの料理に出る割り箸らしい。末端価格だから、製造卸しではそんなにするわけではない。それでも、どんなものか知りたいではないか。

と、先日訪れた割り箸問屋で見ると、なんと二膳で3000円というセットがあった。一膳1500円である。かなり近い線まで行った。
それは赤柾のらんちゅうだそうである。辺材ではなく赤い芯材で作っているから、香りがよいものだ。ただし、その箸は手漉き和紙の袋に包まれている。それに金線の水引つき。(写真)

 

どうも、値段の大半は包装紙のよう(^^;)(^^;)。
割り箸本体の値段はどれくらいだろうか。原価で30円くらい?

 

売り方次第で割り箸の付加価値は変わる。
これって、木材全体について言えるのではないか。曲がった幹をうまく利用した住宅は高いからね。


マイ割り箸!

2006-07-15 17:15:42 | 木製品・建築

割り箸の取材をして、天削の10本セットをもらった。

 

午後は別のところの取材だ、と思って昼飯を食べに、近くのレストランに入った。

当然のごとく、割り箸がついて出てくる。竹製だ。もちろん中国製だろう。
ここで中国製の割り箸を使うわけにはいかないではないか。
さっそく、もらったばかりの割り箸を取り出す。封を切るのはちょっともったいないような気がしたが、1膳抜き取り、それで食す。マイ割り箸だ!
あまりに料理とバランスが合っていないけど(^^;)。

それでもちょっと豊かというか、贅沢した気分。国産の箸を使った証拠に、それを皿に残し、竹箸も残しておいた。杉の天削箸は、一回使用だけで捨てるのは惜しいが、ここはアピールのつもりである。

 

取材した人が言っていた。

「私らが組合で旅行に出たら、宴会についてくる箸を見て、国産割り箸か塗り箸なら黙っているけど、輸入箸だったら、持参した自分の作った割り箸とみんな交換してくる。でも、町長や議員は、地場産業振興とか言っているけど、そんなことしているかい。口先だけじゃないか」

 

本気でマイ割り箸運動をしようかな。

 


らんちゅうの帯

2006-07-12 15:42:43 | 木製品・建築

昨日のチェンソーアート取材受けと同時進行させていたのが、割り箸製造現場の取材なのだけど、そこは高級な「らんちゅう」を作っていた。

 

らんちゅうは、すでに割れているもの(ようするにバラの箸)を紙の袋や帯で束ねたもの。どうやら千利休が作った割り箸の原型というべきものに近い。
もちろん現代の「らんちゅう」は機械で作っているが、それでも各工程の一部に手作業を含む。結果的に3割くらいは手作業ではないかという。

 

仕上げの検品では、かんながけをしたり紙やすりでこすったり。これじゃあ量産なんて夢のまた夢。それで卸し原価は6~7円らしい。それにいくつもの問屋のマージンが加わり、帯や袋に入れる手間とコストがかかる。エンドユーザーのところに届くの頃には、いくらになっているだろうか。

 

写真は、ちょっとオシャレな帯で、これも手作業で作られたもので、1封2円なり。

 

 


幻の割り箸!

2006-07-09 21:22:39 | 木製品・建築

探していた幻の割り箸がある。

 

それは、東季利という職人の作った吉野の杉箸だ。手削りの最高級品である。20年ほど前まで「吉野創作割り箸」として、ネーム入りで売られていた。

ぜひ見てみたいと思っていたが、東さんも今は亡き人となってしまった。もはや幻なのである…。

 

と、ところが、今日取材に行ったところで、本題よりずれて割り箸の話題を振ったところ、その人はちょっと奥に引っ込んだと思うと、なにやら箱を持ってきた。

 

「創作吉野杉ばし逸品集」とある。中を開けると…割り箸が並んでいる。そして、そこには「東季利」の名が!!!(写真)

 

どひゃあ、とびっくりしてしまった。し、しかも

「これ、あげるよ」

なんと、箱ごと、幻の割り箸を私にくれたのだ
こんなことってある?? もちろん私は喜んでもらいました

 

ちなみに、この箸は、割り箸と入っても、1本1本手で削るから割れた状態にある。それを2本組にして紙で帯封してあるもの。「らんちゅう」という種類である。

 


割り箸の寿命

2006-06-29 14:10:33 | 木製品・建築

昨夜は、あるNPO団体の人と会合。というかお呼ばれしたのだが、入った料理屋では、国産割り箸が出た。

 

利休箸。スギ製のなかなかの最高級品だった。こういう箸で食べると、料理も気持ちよい。和食の世界では、欠かせないだろう。

そのためか、話題も割り箸になったのだが、そこで出た発言。
私の家では、割り箸は一度割ったら1年くらい使っていますよ

 

1年か(笑)。これでは割り箸の需要は増えないかも。

もっとも我が家でも似たようなものだ。いつも割り箸を使っているが、だいたい1~2週間は使う。下手すると1カ月くらい交換しないこともある。だから一人当たり割り箸使用量は、年間20膳~30膳くらいではないか。

 

割り箸の寿命とはどれくらいだろうか。
折れることは滅多にない。だから物理的な寿命というよりは、使い勝手や見た目だろう。私は、まず黒ずんだりささくれ立ってきたら替え時かと感じている。素の木であるから、洗った後にカビが生えることもある。たまに焼き物や天ぷらなどの菜箸代わりに使って焦げたりしても替え時。

 

しかし、不特定多数の人が使う料理店では、割り箸を使い回しできない。いっそ、割れた割り箸を消毒して、もう一度くっつけることはできないか。

利休箸も、元は割れているというか、バラの箸である。今でもそれを紙で止めた「らんちゅう」という高級割り箸もある。もちろん、手作業だから大変なのだが。

 

もっとも、割った箸を何度も使うという考え方は邪道かもしれない。実は食の作法の世界では、塗り箸より割り箸の方が格式が高いのだそうだ。使い捨てだからだろう。

 

この「使い捨て」の魅力と、「もったいない」という感情、そして資源論が割り箸問題の永遠のテーマかもしれない。

 


割り箸のチェンソーアート作品

2006-06-20 20:58:57 | 木製品・建築
出来杉さんより、先に紹介した割り箸をチェンソーで彫刻したブライアンの作品の写真が送られてきた。(流庵の塚原吉智さん提供)

ちょっと小さいのでトリミングして拡大して掲載する。わかるかな?
本人は「ちょっと首が太い」とお気に召さなかったそうだが……ほんま、ようやるわ。

割り箸ワールドカップ

2006-06-20 10:20:02 | 木製品・建築

本ブログで取り上げることの多い割り箸とチェンソーアートの話題だが、この二つを合体させた話題があった。

 

なんと、割り箸をチェンソーで彫刻する人がいるのだ!

 

その人は、幾度か紹介したブライアン・ルースである。割り箸で鶴を彫ったという。これって??? 神業だ。

これも、ワールドカップで披露してもらえないだろうか。巨大作品だけでなく、日本人にはウケると思うが。
いっそ、丸太をチェンソーで削って割り箸を作ってもらうとか(?_?)

 

いやいや、割り箸のワールドカップを開くのはどうか。いや、思いつきなんで、どんな競技ができるか、全然頭に浮かばないのだけど(~_~;)。
そういえば、昨夜のテレビで、割り箸を手裏剣代わりにして、ベニヤ板に突き刺す人(甲賀忍者)が登場していたな。

 

考えてみれば、割り箸とチェンソーアートは似ているところがある。どちらもパッと見には、木材の無駄遣いと思われがちな点だ。一度割ったら捨てられる、丸太の大半をおが屑に削ってしまう……。しかし、その裏に環境への配慮と、有効利用の思想、そして地域経済への寄与がある。

世間へのアピールも含めて、連携することは可能かもしれない。