ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

復活登山第4弾は日の出山から愛宕神社へ

2022年01月05日 | ハイキング/奥多摩

最近4回の登山を復活登山と称していますが、その意味するところを少しだけ説明しておこうと思います。「復活した登山」ではなくて「復活するための登山」なのですが、その復活の基準はこんな風に考えています。

2019年から2021年の3年間、全力を注ぐような登山はもちろん、それなりレベルの体力を要求されるような登山を実行していません。ですから、それ以前の2016年から2018年当時の山体力が戻るべき基準となるでしょう。それよりももっと若い2000年代や20世紀の自分にまで戻りたいとの過大な欲は持っていません。まあ、当り前ですけどね。そんな時代の山体力と比べると、5年前の自分は半分以下なのは確実ですからね。

いま所属している山岳会YYDには6年前に入会しました。ですから、YYDの山仲間たちに迷惑かけずに同行できるレベルの山体力が目指すべき具体的な復活基準になると思っています。当時は僕自身の山体力にも余力がありました。YYDの仲間にもひけを取らない自負心もありました。ただ、現状ではそこまで復活するのは困難でしょうから、迷惑をかけないレベルまでを目指すわけです。

 

で、復活登山第4弾ですけれど、昨年の12月26日に行ないました。急登コースを組み込むことにしました。昔の僕の感覚では気楽なハイキングですが、今の僕にとっては少しの苦役です。選んだコースは奥多摩の人気の入門の山、日の出山です。その山を日の出山北尾根から登ることにしました。この北尾根は昭文社の地図でも赤の破線になっています。標高差600mを一気に登って行きます。たかだか600mの標高差ですし、全体の距離も短いのですが、今の僕にはちょうどいいくらいのコースだと思われます。

 

▲8:22。御嶽駅で下車し、御岳渓谷の遊歩道に降りて来ました。渓谷にはまだ日差しが差し込まず、寒々としています。

 

▲8:24。ここは都内では有名なカヌーの練習エリアです。こんなに早く、水も冷たいのに、練習している人がいました。

 

▲8:36。神路(かみじ)橋です。

 

▲8:39。神路橋を渡って対岸へ行きます。

 

▲8:43。鳥居をくぐって、御岳山へ進みます。

 

▲8:45。御岳ケーブル終点駅のさらに上の展望台だと思います。

 

▲8:49。光仙橋横のこの階段が日の出山北尾根の登山口です。ところが、東京都森林組合の看板が出ています。「立入禁止 森林作業中につき立入禁止 危険」と書かれています。「こんな看板にびびってちゃあ山なんか登れね~ぜ」と強がって、階段を上り、ロープをくぐりましたが、・・・・

 

▲8:50。続いて出て来たこの看板には、僕の勝手な強がりもシュンとなってしまいました。「はい、分かりました。入山なんてもってのほかです」

 

▲8:53。道路から見える範囲の伐採風景。

 

▲9:14。御岳ケーブルの下の駅まで歩きました。復活のためのトレーニングですから、ケーブルカーは使いません。この鳥居の下の道を歩いて、御岳山へ向かいます。

 

▲9:37。その前に朝食にしました。ケーブル駅の駐車場の脇にあるベンチで食べました。トイレもすぐそばにあります。

 

▲9:42。歩き始めると、参道の両脇には杉の巨木が並びます。説明板を書き写しておきます。「青梅市天然記念物 参道の杉並木 滝本から山頂まで二十六丁(三キロメートル余)の参道は、江戸時代初期に整備されたものと伝えられ、両側に並んでそびえ立つ杉の巨木は、御嶽神社に参拝する人々に霊山の荘厳さを感じさせている。年間の雨量が多く多湿で肥沃な奥多摩の地形と地質は、杉の生育に最適であり各地に美林が多いが、このように巨木が群れをなしているところは少ない。幹回りが約六メートル、樹齢三百年以上と推定されるものもあって、その総数は六百本以上を数える。植物名 スギ科スギ 昭和四十三年十一月三日 指定 青梅市教育委員会」

 

▲9:49。途中、この部分だけ昔の道のまま残されていました。今の道は車も通れるようになっていますからね。ここのカーブが多い箇所はろくろっ首と呼ばれているんだそうです。説明板を書き写しておきます。「ろくろは細長い首が、左右に曲がっている、若い女性のお化けである。この付近の坂道は急で、左右に蛇行している。まるでお化けのろくろの首のように、曲がりくねっていることから、いつしか付近をろくろっ首と呼ぶようになったと伝えられる」

 

写真はありませんが、うまたてばの説明板もありました。

「たてばは、休息所である。参道は坂道が続くため、かつては数か所で、馬や駕籠を休ませながら、山上へ進んでいた。ろくろっ首付近は、特に急な坂道である。上がり終わったたてばで、人はもちろんのこと、馬も重い荷物を下ろして一休みし、元気を取り戻してから、山上へ向かっていた」

 

▲10:03。そんな急な坂道を自転車を漕いで登る人に会いました。凄い!

 

▲10:23。途中で1回、ケーブルカーの路線の下をくぐります。

 

▲10:24。横に立っていた説明板を書き記しておきます。「だんごどう かつて団子堂と言う御堂があり、地蔵様(八大地蔵)が祀られていたと伝えられる。地蔵様が困らないよう、地蔵様の膝下には、参拝する人たちが、団子をお供えしたことから、いつしか団子堂と称されるようになったと伝えられる。現在も祠があり、新しい地蔵様が道中の安全を願っている」

 

続いて、じゅうやっくぼとの説明板もありました。それも書き記しておきます。

「じゅうやくは漢字で書くと十薬、重薬で、薬草のドクダミの別名である。この谷間には、薬として利用できるドクダミが、たくさん自生している場所であったことから、いつしか、十薬窪と呼ばれるようになったと伝えられる」

でも、どうやらその谷間には杉が植林され、自生していたドクダミも育たなくなったみたいですね。

 

▲10:37。道の傾斜がなだらかになったこのあたりをだいこくのおと呼ぶのだそうです。これも説明板がありましたから書き記しておきます。「漢字では大黒の尾と書く。禊橋(みそぎばし)を渡った場所からここまで、急な坂道が多かった。ここでは尾根を横切り、ここから先は勾配が緩やかな参道となることから、気を楽にして歩けるようになったのは、大黒様のおかげと感謝の意を込め、大黒様の尾根と称されるようになったと伝えられる」

 

その先の途中にやまのかみとの説明板もありました。書き記しておきます。

「禊橋を渡ったこの参道は、北側から御嶽神社へ向かう参道なので、北御坂と呼ばれている。山ノ神は、山に宿り、そこに棲むすべての生物を支配する、神霊の総称である。往来する人たちは、山地内での安全を、山ノ神に祈願する」

 

もうひとつ説明板がありました。昔、門があった場所なのだそうですが、今はその痕跡もありません。

「くろもん 江戸時代、それぞれの集落(街)の出入口には、夜間、外部からの訪問客を防ぐため、黒門が設けられ、番人が見張っていた。この場所は山上の御師集落の出入口にあたるため、黒門が置かれていたと伝えられる。しかしながら、番人がいたかどうかについては、不明である」

 

▲10:50。御岳の集落の道に合流しました。コースタイム1時間のところ、1時間10分くらいでの到着です。ゆっくりと歴史や民俗を味わいながら歩きましたから、まあ、そんなものでしょう。説明板のお陰で退屈せずに、いいトレーニングが出来ました。

 

▲11:05。御岳ビジターセンター。中でトイレを使わせてもらいました。それから展示物を見ていたら、学芸員さんが来て、について説明してくれました。苔には葉緑素があって、葉や茎のようなものがありますが、根はないみたいです。動物で言えば精子みたいなものが水の中を泳いで移動し、動物で言えば卵子のような存在と合体して胞子となるようです。胞子で増える点はキノコなどと同じですが、キノコは菌類ですが、苔は原始的植物なんだそうです。不思議な存在なんですね。(この文章はネット等で調べ直して、僕なりの理解で適当に構成したものです。間違いがあるかもしれません。学芸員の方も同様のことを説明してくださったのですが、詳細は忘れてしまったものですから)

 

▲11:09。御岳の山上には集落があります。多くは御師(おし)の集落です。御師とは現代で言えば、ツアーコンダクターや旅行会社のようなものでしょうね。日本中から御嶽神社に参拝する御嶽講を引率し、お参りしてもらい、宿の手配等を行なってくれるのです。伊勢講や富士講が有名ですが、現代でも比較的活発に活動しているのは、ここ御嶽講だけだと言われています。

 

▲11:15。神代欅(けやき)です。国指定天然記念物で、幹回り8.2m、樹高約30m。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に植えたとの伝説があるそうです。

 

▲11:39。御岳の集落を抜けて、日の出山へ向かいました。途中に鳥居があります。振り返って写真を撮りました。この鳥居の向こう側が神域になるのでしょうね。

 

▲11:56。ほとんど標高差のない登山道を歩いて来ると、日の出山直下に到着します。右は巻き道で、階段は山頂へ向かいます。右の建物はトイレ。

 

▲12:00。日の出山902.0m到着。いつ来ても、この山頂には人が多いですね。写真には写っていませんが、東屋の向こう側に何十人もいるんです。

 

▲12:02。関東平野が眼下に広がっています。空気が澄んでいればスカイツリーも見えるそうですが、この日は少し霞んでいて見えませんでした。

 

▲12:21。左は鍋割山1084m、右が御岳山929m。鍋割山の右手前には奥の院、御岳山山頂には武蔵御嶽神社が建っています。

 

▲12:24。日の出山を離れ、三室山へと歩き始めました。最初は急な下りが続きます。

 

▲12:48。奥多摩ではの茂みが減っています。シカが増え、冬の間のシカの食糧が笹ですから、食べ尽されてしまったからのようです。僕が奥多摩を歩き始めたころは、奥多摩の山の斜面は笹の蜜藪でした。温暖化が進行し、厳しい冬期間を生き延びるシカが増えると、笹が急激に減少していきました。この写真のように笹藪が残っている場所は珍しくなっています。

 

▲12:52。登山道下の斜面が伐採されて明るくなっていました。登山道沿いの杉は残されていますね。登山道が崩れるのを保護するためなのかもしれませんね。有難いことですね。

 

▲13:19。梅野木峠手前の鉄塔。何かの電波塔のようですね。

 

▲13:26。ここが梅野木峠。

 

▲13:30。峠からしばらくも見晴らしのいい登山道が続きます。

 

▲13:34。この写真中央の杉の幹に説明板がくくりつけてありました。重爆撃機「飛龍」墜落地という説明板です。内容は「北側の谷底に、昭和20年8月11日夕刻、四式重爆撃機「飛龍」が墜落しました。機体は全幅22.5m、全長18.7m、全高7.7mの大きさで、双発です。静岡県浜松基地から、埼玉県熊谷基地へ向かう途中の墜落でした。原因は不明です。搭乗していたのは春日改造大尉ほか12名で、墜落で全員が死亡しました。全員の遺体は軍や地元住民たちによって収容された後、荼毘に付されました。機体もほとんど回収されましたが、エンジン冷却部の片側が谷底に取り残されていたので運び出され、青梅市郷土博物館に展示されています。同郷土博物館には飛龍の遺品のほか、昭和20年4月2日に柚木町2丁目に墜落した、米軍機B29のエンジンも展示されています。これらに関する資料は、青梅市郷土博物館に保存されています。西多摩地方の戦争遺跡を調べる会」

 

墜落したB29について調べてみました。

このB29は空襲終了後に高射砲弾を受け、炎上し、墜落、爆発したもののようです。愛宕山山腹に墜落したのですが、破片は麓の吉野街道付近まで散乱したそうです。5人は機体とともに墜死、遺体は火葬し即清寺に埋葬されました。当時、近くに疎開していた吉川英治が、「死ねば敵も味方もない。丁重に葬るべし」と提言されたそうです。パラシュートで降下した5人のうち4人は憲兵隊へ送られたのち、戦後、アメリカに帰国しました。1人は重い火傷を負っていて、回復の見込みなく死亡。小石川の陸軍墓地に埋葬されました。そして、最後にもう1人。数日間、山中に隠れていた米兵もいました。空腹に耐えきれず里に出て来たところを捕らえられ捕虜となりました。東京陸軍刑務所に移送されましたが、5月26日の空襲による火災で死亡しました。その後、2001年には墜落現場にB29搭乗員の慰霊碑が山林所有者によって建立されたそうです。

こんな小さなひとつひとつが歴史なんですね。実際に飛龍が墜落したすぐそばの山林を通り、この日最後あたりでは、B29が墜落した近くの愛宕山も通ります。ただ、本で読んだりする以上にほんの僅かではあるのでしょうが、実感を伴うことが出来るように感じました。

 

▲13:41。左を登ると三室山646.7m、右は巻き道です。この日進む愛宕神社方面はここから左下に下ります。

 

▲13:43。三室山への登りは巨岩がごろごろありました。

 

▲13:46。山頂には三角点が設置されていました。2万5000図では646.7mになっています。この山名標識では646.9mになっていますが、何か理由があるのでしょうか? 単なる悪戯なんでしょうか? (三角点のある地点がその山の最高地点でないケースも時々ありますからね)

 

▲14:20。三室山でしばし休憩し、愛宕神社方面へ下山開始しました。

 

▲14:29。愛宕神社の奥の院です。ここが愛宕山山頂584mでもあるようですね。

 

▲14:31。僕にはこの石像が何なんだか、誰なんだか、さっぱり分かりません。奥の院の左後方にあったのですが、左の石像は羅漢さんのようでもあります。ネットで調べると、石仏専門家のブログがありました。偏平足 石仏111愛宕山(東京)の記事です。結論を言えば、役行者の可能性が高いようですね。

 

▲14:50。途中、幸せの鐘という表示があったので、寄り道してみました。昨年出来たみたいですね。鐘の鳴らし方の説明がありましたから、その通りに、1打目はそっと自分のために鳴らしました。2打目は心を込めて、S子のために鳴らしました。3打目は世界中の人々の平和を祈りながら鳴らしました。

 

▲14:50。幸せの鐘の前には長閑で平和な里の景色が広がっていました。

 

▲14:55。昔、この尾根を登ったことがあるので、知ってはいたのですが、四国のお遍路道を摸したミニ四国八十八ヶ所札所巡りがあるんです。下っていますから、最初は八十八番から。

 

▲15:04。七十番前後はまとまって設置されています。

 

▲15:20。この標識から下にはありませんでした。僕は愛宕神社へ下りますからね。即清寺方面には一番まであるのでしょうね。いつか、即清寺から登ってみたいと思っています。

 

▲15:29。愛宕神社です。

 

▲15:30。愛宕神社からの眺め。青梅丘陵が広がっています。左端の山は雷電山494m、中央の形のいい山は三方山454.3mだと思います。

 

▲15:31。愛宕神社の前の階段です。

 

▲15:51。この日のゴール、二俣尾駅に到着しました。

 

復活登山の第4弾でしたが、なかなか容易には山体力の復活はないことが今回自覚できました。3年間のブランクは数回の山行で取り戻せるような簡単なものではないようです。今後は復活などと気負わずに、自分の大好きな登山を続けていくだけにしたいと思います。そうする中で、衰えきった山体力も少しは戻ってくるはずだと考えるようになりました。


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