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Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

巨星の死去

2010-09-02 12:30:56 | 日記
「土俵の鬼」
初代若乃花
  
元横綱初代若乃花(花田)不祥事続きで、混迷深まる角界を見つめながら
「天国に逝かれた」勝治氏に忘れることの出来ない出来事は、昭和31年9月
4歳だった長男の勝重君が、ちゃんこ鍋の、煮立った湯をかぶり、全身やけどで死去
その10日後に初日を迎えた秋場所で、連日場所入りには、首に数珠をかけ12連勝
しかし、場所中に大腸カタルで急遽入院し休場した。
最後まで出場を目指した、鬼気迫る姿に、憑いた「土俵の鬼」二つ名となった。
この「鬼」は当時の稽古を振り返り厳しかったと、特に自分の稽古も徹底した稽古で
地位を上げながら、この厳しい稽古の中で磨かれた技、相手ををほぼ裏返しにして
土俵に叩きつける「呼び戻し」(仏壇返し)だ。若乃花も、当時始めはこんな技がある
ことも知らなかったと、本人から聞かされたとある記者が語った。小さな体の若乃花も
人一倍のハングリー 精神の関取だった。当時同じ横綱栃錦(44代横綱)と、競い合い
多彩な技を磨きながら[人間辛抱」と言って、小兵の小さな体ながら、誇りある一つの
「時代」を作り、角界では常に話題の人であった。話題となった取り組みは、
35年の春場所、史上初の横綱同士の全勝対決など、この二人の名勝負は、始まった
ばかりのテレビ中継で、全国の相撲フアンの興奮を呼び、今日の大相撲を確固たる、
地位を築きながら多くの弟子の育成と、現在の両国国技館の建設に尽力された。

この花田勝治(初代若乃花)氏が、理事長としての最後の仕事となった土俵は、
自分の弟(2代目若乃花)の息子(甥)でもある、貴花田の優勝:平成4年初場所
史上最年少の19歳5ヶ月で平幕優勝した貴花田に、天皇賜杯を渡す折の「土俵の鬼」の
涙顔をフアンは忘れないことだろう。昭和の相撲を象徴する巨星だって伯父の死去に、
甥の現貴乃花は「私にとっては雲の上の存在、歴史の象徴を失った気持ち」と言葉を
かみしめながら相撲界としても、「我々が伯父の意思を、継承していくべきだと
改めて思いました」とコメントした。

この昭和の巨星(初代若乃花)の死去を期に、
フアンとしては、今日問題となっている、野球賭博など、一刻も早く正常化することで、
大相撲の新時代を築き、この栃若時代のような面白く、国民に愛された相撲を、
取り戻し世界でも認められる、日本の国技大相撲として、楽しみたいものです。