徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーミャンマー・日本人墓地ー1月4日

2012年01月12日 | インドシナ3国
ミャンマーのヤンゴンからバンコクに戻る前に、どうしても行きたいところがあった。

 それは「日本人墓地」だ。

 ビルマ戦線での戦没者は13万7千人だそうだ。

 相変わらずですが、その戦争については、詳しい話は自分で調べてくださいね。

 ただ、ワタシとしては、一兵卒として「お国のため」に召集され
 帰らぬ人となった人たちに、素直に「頭をさげる」ためだ。

     
     

     手書きの「日本人墓地」の門。

     
     門を入ると、すぐ右手に仏像がある。

     左には「休憩所」と「トイレ」がある。
     普段トイレには鍵が掛っているが、
     トイレ使用の際には管理人さんが開けてくれる。

      
     墓地の正面に「ビルマ平和祈念碑」があります。
     
     
     ここに進むと、管理人さんが お線香を渡してくれます。
     お焼香して、頭を下げます。
     他の墓地と違って、
     ここの管理人さんは、お金をせびったりしません。
     ノートに記帳します。
     
     この記念碑の周りには色々な碑や墓石があります。
      
      
      杉 良太郎さんの寄贈した「碑」もあります。
     
     ここの「戦没者霊苑の由来」には、
     第二次世界大戦のビルマ戦線で亡くなった戦没者と
     タモエとチャンドゥの旧日本人墓地の代替として
     この地に新たに造園されたのだそうです。 

      
      鳥取県の慰霊碑。
      
       これは『ビルマの竪琴』のモデルになった方が
       建立した「慰霊碑」

       そのほかに「安兵団 野砲兵 第53連隊」の慰霊碑などがある。

       ちょっと調べたところ、
       この兵団は関西(大阪・京都など)出身者の兵団で、
       一番弱いと言われた兵団だ。
       73名が亡くなったという。

       で、ちょっと調べていたら、顔と名前を存じ上げている
       ビルマ研究家のお父様が、この隊に従軍していたということも
       分かったりした。
       
       この「安兵団」の対極をなすのが
       「菊兵団」だそうだ。これは九州福岡県出身者が多く、
       武勇に優れていたそうだが、その方たちの戦没慰霊碑もある。

       この戦争ではビルマの人たちが、日本軍に対して親愛の情で
       接してくれたなどと好意的に受け止めている日本人が多いが
       ビルマ人側から見ると、必ずしもそうではない。
  
       ビルマでは、日本軍お抱えの「従軍慰安婦」が不足して、
       日本兵がビルマ女性を強姦した話しというのも
       調べていると発見する。


       これらの慰霊碑と共に、ここには、ビルマで亡くなった
       日本人の墓石もある。
         
       
        墓石に「故 藤田某之墓」とある。
        大正元年 35歳で没。

        きっと、「藤田さん」とかいう呼称で呼ばれ、呼んでいたのだが
        実際の「名」が分からなかったのだろう、
        このような墓碑銘になったのだろう。

        
        「故 ナカ子之墓」明治44年 26歳没。
        
        「故 オヨシ之墓」
        この「オヨシ」さんの墓には、もう没年が風化してしまっている。

        この、「ナカ子」さんや「オヨシ」さんは、
        「カラユキ」さんだったかもしれない。

        「名字」まである女性の墓石には
         出身県などが刻まれている墓石がある。
         九州の長崎や福岡などが多い。

         「カラユキ」さんを調べると、この地の人が多い。

         貧しいが故(ユエ)に、異国に流され、
         そして亡くなる。

         なんと可哀そうな運命だよな~~~。

         それに引き換え、その当時、アジアに出かけた無頼たちは
         「女郎屋」を経営し、50%はピンはねして
         「女郎屋」から「輸出入業」まで経営し、
         「総合商社」(笑)として
          一代で財をなした人も多いらしい。

         
         この墓地には、もう墓碑銘が風化して読めない墓石も数ある。

         ワタシが訪れた時は午後だった。

         ワタシは静かに頭を下げ、
          「みなさん、やすらかに」と祈った。 

          
      

         

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