徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人のひとりごと 「インド夢枕 第9回」(1992年) 再録7

2021年10月20日 | 南アジア
        「インド夢枕 第9回」  再録7

   汽車の旅 その4  車中で会った人々

 汽車の旅だけではなくどんな旅でも人との出会いは楽しい思い出につながる。
 僕のインドの旅もそうだ。今回はインドの旅で出会った人との会話や楽しい思い出や驚いた
 ことなど断片的に綴ってみよう。

  サンチーからグワリヤールまでの列車は夜汽車となった。運悪く座る場所もない。
 しかたなくデッキに立つことにした。同じようにデッキにいる中年の労働者らしき人と話しを
 すると彼はグワリヤールに住んでいるという。どこかに安くていいホテルがないでしょうか?
 と尋ねると、そのホテルまで送ってくれるという。見知らぬ土地に夜着くのは不安だ。
 でもこの人は僕を空気のあまり入っていない自転車に乗せてそのホテルまで送ってくれ、
 そしてホテルの前で「もし、部屋が空いてなかったら汚くて狭い家だが私の家に泊まって
 ください」と僕を待っていてくれたのだった。運よくそのホテルには空き部屋があり僕は
 その人に迷惑を掛けずに済んだ。
 ある年の12月31日のことだった。

  列車による長旅ではよく同じ座席に座った者同士仲良くなり会話が弾む。
 インド人の話し好きは有名だ。やはりベナレス方面に旅に出たときだったと思う。
 3人位子供を連れた婦人の大きな声のおしゃべりには驚いてしまった。
 あと2人子供がいたけれどどこかに行ってしまい行方不明だと言う。でも大きいから家出した
 子供達はちゃんと自分で食べていけていると思うと平然としている。同じ席の他の人が
 「でも子供でしょ?」と訊くと「ああ10歳くらいの時でね。でも暮らしていけるわよ」と
 泣き叫ぶ子供の一人に平手打ちを食わせながら平然と答えたのには驚いた。
 貧乏人の子だくさん。ひとりやふたりいなくなっても大勢に変化がないということか。

  ラクナウから生まれて初めて一等車に乗った時、同じコンパートメントに(4人で一つの部
 屋)では猟銃を持った初老の夫妻が一緒だった。僕が日本人だと分かると日本のことを質問
 したりしていたが、なんと極め付きの質問は、日本で一番いい猟銃はなんという名前の猟銃で
 なんという会社で製造しているかというものだった。
 個室で猟銃を持った人と一緒のところを想像していただきたい。こちらは丸腰でへっぴり腰だ。
 このような飛び道具については、一度、インドの国会議員に「日本ではリボルバーの弾が
 手に入るかね?」と訊かれたことがある。
 インドでは政治家同士の抗争で殺人事件なども頻繁に起きる。
 自分の身の安全は自分で守るというインドならではの話しだ。

  ビジノールからアーグラへの列車の中でも驚いた。
 アーグラ(アグラ)はタージ・マハルのあるところで世界的に有名であるが、インド国内では
 パーガル・カーナー(精神病院)のあるところでも有名だ。そして少し前までは中央刑務所が
 あったところでも有名だった。
  さて、その日はアーグラ大学の友人の田舎に招待されての帰途だった。二等寝台の通路を
 隔てた側には6人のグループらしき人達がひとりの大男をなだめすかしたりしながら
 「薬、睡眠薬を飲ませろ」などと言いながら大男を押さえ込もうとしていた。
 乗客は何事かと周りを取り囲み事の成り行きを見守る。
 やっと薬を飲ませると大男はやがて静かになったが、グループのみんなは彼をアーグラの
 精神病院に連れて行くところだと言う。
 翌朝、大男が目を覚ますと突然演説を始めた。
 「みんなー、よく聴け、広島に原爆が投下されてから、日本の広島には空気がない。
 だから、草木も生えなければ人間も住めない。このことは誰も知らないのだ。
 わかるか?! おい!聴いているのか?!」
 間が悪いとはこのことを言うのでしょう。
 この列車(メーター・ゲージと言われる狭い幅の線路を走る支線)には外国人はおそらく
 僕ひとり、ましてや今、演説している人のテーマの日本人は僕ひとりなのだ。
 僕はネパール人になりすまして知らないふりをすることにしたのだった。
 昨夜、隣り合わせた人達と話をしなくてよかったと胸を撫でおろしたのだった。
 話をしていれば日本人とバレてしまっていた。
 そしたら今頃はあの大男の友達に無理やりされていたに違いない。

 南インドのプリーからブバネシュワルまでの車中で南京豆を食べ、その殻を新聞紙に包み
 捨てようとする妻を見て、向かいに座っていた親子連れも真似して自分たちの食べた
 南京豆の殻を集めて新聞紙に包んで捨てた。
 妻もその親子もニコリと笑った。
 僕達の座席の下にはゴミひとつなかった。

  ゴアからボンベイまでの列車待ちでゴアの安い食堂に入った。
 向かいに座っていた勤め帰りの男性と同じ物を注文したいのでその料理の名前を訊くと
 その男性は顔をほころばせてゴアには外国人観光客が沢山来るが自分は今日初めて外国人と
 話した。それもヒンディー語で。
 これから家に帰ってこのことを家族に話しても信じてくれないだろうと言いながら
 コーヒーをごちそうしてくれた。

 ※情報誌『Suparivaram』所収 (発行所:JAYMAL, 1992年)には「インド夢枕第7回」に
 なっているが、訂正して第9回とした。
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