東京では天皇皇后両陛下も出席されて政府主催の「主権回復61年記念式典」が開催されたそうですね。
これは4月28日が、61年前の1952年、サンフランシスコ講和条約が発行し、日本が主権を回復、国際社会に復帰した、いわゆる「主権回復の日」にあたるため。
ただし、この時、沖縄・奄美・小笠原は、日本から切り離され、引き続きアメリカの施政権下に置かれました。
奄美群島の本土復帰は1953年の12月25日。小笠原列島の本土復帰は1968年。そして沖縄の本土復帰は20年後の1972年です。
そのため、沖縄では政府の開催した式典と同時刻に「4.28『屈辱の日』沖縄大会」が市民団体により行われたそうです。
「主権回復61年記念式典」で、「天皇陛下万歳!」と叫ぶ映像をニュースで見ましたが(政府関係者によると、突発的な出来事であり予定されていたわけではないそうです)、久しぶりに聞きました「天皇陛下万歳」
お正月の一般参賀くらい?
いや、ここだけの話、天皇陛下もけっこう大変みたいですよ。
なんか、お噂によると息子夫婦のことでいろいろあるみたいですし・・・・・・(苦笑)
そういえば少し前、「新潮45」という雑誌に掲載された、山折哲雄さんの「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という文章が話題になっていましたね。
それを意識したわけじゃありませんが、最近、ハルキ文庫の『三好達治詩集』を読んでいます。
三好達治は戦前、戦中、戦後に活躍した詩人で、戦中には戦争詩、愛国詩を書いたこともありましたが、戦後「なつかしい日本」の中で、昭和天皇の戦争責任に触れ、すみやかな退位を進言しました。
もっとも、彼の場合、奥さんとの関係が話題に上がることの方が多いかも知れませんが(苦笑)
私が三好達治を読み始めたのは、茨木のり子さんのエッセイの中で、戦後の精神的な飢餓を満たそうと、多くの人が三好達治の一冊の詩集を並んで買ったという記載があったから。
私のうたは砂の砦だ
海が来て
やさしい波の一打ちでくずしてしまう
こりずにそれでもまた私は築く
私は築く
私のうたは砂の砦だ
―三好達治「砂の砦」の一節―
人間は過ちを犯します。
愚かなのは、過ちを犯すことではありません。
本当に愚かなのは、同じ過ちを何度も繰り返すことです。
「天皇陛下万歳」とかつて叫んだ若者たちが、どういう運命をたどったのか・・・
どんなに波に洗われようと、どんなに壁に立ちふさがれようと、こりずに砦を築くことが大切なんです。それがたとえ砂の砦のように感じたとしても、声を上げ続けることで、前よりも高く、前よりも丈夫になっていくことを信じて。
今回のハルキ文庫の本には、残念ながら戦時中の愛国詩は収録されていませんでしたが、私が読んだ限りの中で「砂の砦」以外にもっとも気に入ったのは、やはり初期の作品でした。
祖母は蛍をかきあつめて
桃の実のように合せた掌の中から
沢山の蛍をくれるのだ
祖母は月光をかきあつめて
桃の実のように合せた掌の中から
沢山の月光をくれるのだ
―三好達治「祖母」―
巻末には、漫画家で絵本作家、やなせたかしさんのエッセイも載っています。
これから何度も引っ張り出しては読み返すことになるんだろうなぁ。
このつかの間の平和に万歳!
限りある命に万歳!
人生万歳!
さあ、明日の糧を得るために額に汗して働くか!!
高校生の頃、読みふけりました。
あの頃は「詩」が好きで。恥ずかしながら時代に乗って自分でも書いたりしていました。
新宿地下広場には、自作の詩集を売る若い人の姿があったのです。
もちろん私は自分だけ(笑)
素敵な思い出ですね♪
私は今でもたまに詩作しちゃいます(苦笑)
中学生から書き続けている日記には、他人には絶対に見せられない言葉が書き散らしてあります(笑)
三好達治は有名なものをいくつか知っている程度で、詩集を買ったのは今回が初めてでした。
短い言葉なのに、すごく想像が広がります。
詩集を売る若者・・・
そういうのも好きです。
応援したくなっちゃいます!