私的図書館

本好き人の365日

「本は友達」

2003-12-16 23:31:00 | 日々の出来事
本を買う時の信条として、私が大切にしていることの一つは「出会い」です。

この世には、それはそれは数え切れないほどの本があふれ、日々増え続けています。
嬉しいことなんですが、かといって、全ての本に目を通すわけにもいかない以上、ある程度「運命」にまかせるしかない。

幸いにも私は本の神様に目を掛けてもらっているらしく、自分の中で必要としている時に、必要な言葉を本の中に見つけることができました。

ラッキー♪

実はこれが本の魅力なんですよね。
言葉は読む人によって色々な意味を持つものだから、欲しい言葉を自分で見つけようと探してしまう。
本の神様に感謝するとしたら、それを見つけられるくらい本が好きな自分がいる、ということかな。

だから、あえて書評や広告などを見たり、注文することはなるべくしないようにしています。
本屋さんに行ったら、「出会い」を求めてとにかく歩く。
で、何か感じたら手に取って、まず読んでみる。
気に入ったら買う!
たとえ懐がさみしくっても無理して買う(笑)
読む暇がなくってもとりあえず買っておく。
今しか出会えないと思えばお金なんか惜しくない。(…惜しいときもあるけど)
本はいつまでも待ってくれます。こちらに読む準備ができるまで辛抱強く☆



ナフタリが尋ねた。「お話の本がなかったら、子どもたちはどうするの?」

レブ・ツェブルンが答えた。「がまんするさ。物語はパンとはちがう。物語がなくても生きていける」

ナフタリが言った。「ぼくだったら、生きていけないな」

     ―アイザック・B・シンガー「お話しを運んだ馬」―



とはいえ、無制限に買える程、お金も置き場所もないものですから、自分なりの規制が必要になります。
どうしても欲しい作品(「赤毛のアン」シリーズ計十冊とか…)は別として、少しでも琴線に触れた物については、自分で勝手に値段をつけてみます。不必要に装丁にお金をかけている本とかありますからね。
(この内容なら、1500円出してもいいな)
と思ったら値段を確かめ、それ以下なら購入決定。
それ以上なら、文庫化を待つか、諦めます。
でも近頃はハズレが少なくなりました。
裏を見ると1400円だったり、笑っちゃうくらいかけ離れていたり。(出版社ぼったくりすぎ!)

今日、立ち寄った本屋で、久しぶりに値段も確かめずにレジに直行しました。

ドイツの児童文学作家コルネーリア・フンケの『魔法の声』という作品です。

さて、当たりと出るか、それともハズレか…
値段は税別1900円。う~ん、微妙なところ。
でも『指輪物語』で有名なトールキンの『シルマリルの物語』という作品に比べれば良心的でしょう。上下巻で630ページ足らずに合計4800円は高すぎ!
ファンを見越しての値段設定ではないかと疑いたくなります。(『魔法の声』は一冊で約630ページ)
…でも、結局買いましたけどね。

昔、ギリシャの哲人プラトンの『饗宴』という作品を読んだ時、その内容と共に、400円という値段の安さに感動したことを憶えています。
二千二百年以上昔の、しかも遠くギリシャで書かれた物を、たった(!)400円で買えるんですよ。
かつて知識が一部の特権階級だけのものだった事を考えると、それを大変な努力で一般市民の側に「引きずり下ろした」先達の苦難の歴史に感謝せずにはいられません。

もちろん、その闘いは今でも続いています。

とりあえず、今日買った本をさっそく読んでみます。
気に入ったら、このページでまた紹介しますね☆

二十四の「歌声」

2003-12-16 23:19:00 | 日々の出来事
仕事の帰り道、華やかに飾られたイルミネーションが目に付くようになりました。
クリスマスなんですね☆

この時期は、多少落ち込むようなことがあったとしても、長続きしません。
街に輝く色とりどりの光に、流れてくるクリスマスソング。どうしたって気持ちがウキウキしてしまう♪
ケーキも予約したし、車内のBGMも携帯の待受けもクリスマス仕様。
待望の雪もこのぶんだと明後日には降ってきそう。

うちのばあちゃんが言ってました。
「お山に三回雪が降ると、里にも降りてくるんじゃ」(←こんなしゃべり方じゃないけどネ☆)

クリスマスで思い出すのは中学生の時。
音楽の時間にクリスマスソングを英語で歌うことになり、みんなで英語の歌詞にルビをふって練習しました。
みんなといっても一クラス24人(学年全部でも49人♪)しかいないので、パート分けしちゃうと本当誤魔化しがきかない! いま思うとうらやましいほど懸命に歌っていました。

忘れられないのが、十二月も押し迫ったある日の授業。
先生が一人一人にキャンドルを渡してくれて、教室のカーテンを閉め切った中で歌ったんです。
キャンドルの明りに浮かび上がるクラスメイトの顔と、響く歌声。先生がこっそり配ってくれたお菓子の包み。
火を使うというので場所は理科室だったり、表から体育の授業の声が聞こえてきたりしていたけれど、楽しかった♪♪

習った楽譜はみんな忘れてしまったけれど、この授業のことだけはいつまでも記憶にありますね。

いまの先生方は、「ゆとり教育」だとか「基礎学力の向上」だとか、やんや、やんや言われて大変ですが、子供としては人間として扱ってくれたことは忘れないものです。

…少しは勉強した内容のほうも、忘れないでいられたらいいのだけれど(笑)