ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



魂なんて、あるのかな。あるって考え方もあるし、ないという考え方もある。どちらかは分からない。それでいいんじゃないの? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 思想は自由です。学問も自由です。しかし、真理は一つです。
 「人間は霊的な存在である」という命題の真偽について、結論は一つであり、「真でもあり、偽でもある」という立場はありません。
 私が「魂」と呼んでいるものは、人体様の姿をとって人間の肉体に宿っている霊的な存在のことですが、実際、各人の肉体の形状に合わせたかたちで、霊的なエネルギーが人体様の姿をとっています。
 オーラが肉体から五センチぐらいはみ出したかたちになっていることも多いのですが、だいたい人体様の姿で、魂が肉体のなかに納まっています。
 そのように、人体様の姿をとって存在している霊的なエネルギーのことを、魂と呼んでいるのですが、「魂という、肉体の中身、肉体の真なる支配者が、存在するのか、しないのか」ということは大きな問題です。
 もし魂が存在しなければ、肉体という“入れ物”だけが生きていることになり、人間は機械とほとんど変わらなくなります。魂がなくても動いているロボットと同じになってしまうのです。
 ただ、機械は、それを動かす人がいるから動いているのであって、機械がみずから動いているわけではありません。一定の目的のために使う人がいて、機械というものは動いています。機械を動かそうとする人、機械の支配者は存在するのです。
 同じように、人間にも肉体の支配者が存在します。肉体だけが存在し、漂っているわけではありません。(中略)
 みなさんは自分の意志で人生を生きているでしょう。人生は、自分の思うように選ぶことができるでしょう。「右に行くか、左に行くか。何を善と思い、何を悪と思うか。自由とは何か」ということを、みなさんは、自分で求め、考え、決定し、生きていけるはずです。そこが機械とは違うところです。
 したがって、肉体の真実の支配者を見抜くことは、人生にとって、いちばん大事なことなのです。
 これを抜きにして外側の肉体の部分だけを追究すると、みなさんが、「自分である」と思っているものは、単なる脳の作用や神経の作用になってしまいます。
 それが、はたして、人間の尊厳になるのでしょうか。民主主義の基礎にある、「各人は尊い」という考え方になるのでしょうか。
 民主主義のもとにある「各人の尊さ」とは何でしょうか。民主主義のもとには、「人間は、仏神から与えられた生命を持っているがゆえに尊い」という考えがあるわけです。
 それがなければ、民主主義は、「単なる機械としての人間、肉体としての人間を、平等に取り扱う」というだけのもの、「どのように不揃いなリンゴでも、リンゴ一個の値段は同じである」と主張するようなものになるでしょう。
 しかし、その考え方は正しくありません。
 人間は、仏の子、神の子としての生命が宿っているから尊いのです。仏の子、神の子としての生命は、磨けば燦然たる光を放つからこそ、尊いのです。それが人間の尊さです。
(167~171ページ)

魂はある。霊はある。

人間は霊的な存在である。

人間は、仏の子、神の子としての生命が宿っているからこそ尊いのである──。

人間の尊厳とは何か。

これは、価値観がどうだというような話ではなくって、人生の真理とは何かってこと。

やっぱり、人間の体が機械といっしょなんて考えには、ついていけないほうがまっとうであるのだと私は確信しているのです。

『生命の法』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )