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大井河源紀行 25  3月22日 智者山

(庭のガクアジサイも咲きだした)

3月22日、旅に出て9日目である。藤泰さん一行は雨も止んで、八草の智者大権現の神主宅を出て、三たび、四辻に登る。

廿二日、雨霽(は)れて快晴なるまゝに、神主の宅を辰の下に立ち出る。時に主の物語に、余可が先祖、明暦中の頃の古墳あり。三十三年の年忌を弔い、供養木を建つ。この卒都婆に根を生じ、今は大木となり、かしこにありというによりて、そこに立ち寄り見るに、二抱ばかりのつがの木、枝葉繁茂して欝蜜たり。石碑を根の内に巻抱へたる、珍しき事にこそ。
※ 明暦年中 - 1655~1657年、この旅の年は1812年だから150年以上昔となる。三十三回忌の時に植えたというから、およそ120年前のツガの木ということになる。

今日は梅地に至るべしと、こゝより、きのう降りし坂に登り、道すがら、谷川の流れを臨めば、山葵(わさび)夥しく生い繁りたり。登り/\、かの四辻の岐路に出たり。右手折れて過ぎ行くに、東の方を臨めば、八草をはじめ、藁科奥の山里遥かに見ゆ。歌に、

    白雲の たえず棚引く 峰にたに 住めばすみぬる 世にこそありけれ

とは、かようのすがたを詠(えい)ぜしなるべし。その山のかいに富士の山は半ば見えたり。山中、ここにてはじめて見たりき。これまで凡そ四十町ばかりの上り坂なり。

※ かい(界)- 空間を分けた区切り。物事のさかい目。

こゝより篠原の細路に入りて、嶺つづき数十歩して、また坂にかゝる。左右萩、萱の野山を数百歩登り、嶺にいたり、木立の繁きに入らんとせしが、後の方をふりかえり見れば、山中より始めて、南海はるかに大井河の下流、海に注ぎ入るを見る。これ高山の巓(いただき)なる事知るべし。ここは智者山の北嶺にあたれり。

智者山には昔、千頭から登ったことがある。初冬のある日、葉が落ち切った落葉樹林の中は、日ざしが暖かく、自分の乾いた落葉を踏む音だけが聞こえていた。地上からはかすかに選挙カーの声が聞こえてきた。そんな情景が記憶に残っている。

林中、猿滑(さるすべり)、欄(あららぎ)、欅(けやき)、楓(かえで)、油樺(あぶらかんば)、椹(さはら)、栂(つが)、橅(ぶな)、唐檜(とうひ)、松、海棠(かいどう)の類い、何れも大木にして、深林幽暗、衆木翁欝として、更に四隅の眺望なし。老樹数囲み、所々に臥し倒れて、上に緑蘿莓苔を帯び、老葉地下に舗(しき)つみて、足心うごも(墳)てり。深林人跡絶えて、寂々寥々たり。
※ 衆木(しゅうぼく)- 多くの樹木。
※ 翁欝(蓊鬱、おううつ)- 草木が盛んに茂るさま。
※ 緑蘿(りょくら)- 青々とした、つたかずら。
※ 莓苔(ばいたい)- こけ。
※ 足心(そくしん)- 足の裏の中心。つちふまず。


折ふし、聞きつけぬ鳥の声あり。

    遠近の たつきも知らぬ 山中に おぼつかなくも 呼ぶ小鳥かな

と古今集の歌、思い出られて、心さびしく、そぞろに涙をぞ催しける。路次に深山芣苣(みやまおおばこ)とて毒草多く生えたり。

※ たつき(方便)- 事をなすためのよりどころ。たより。よるべ。

「聞きつけぬ鳥」とは何の鳥だろうと考えた。そして、「つき、ひ、ほし」と鳴く、サンコウチョウが相応しいと思った。ちなみに、サンコウチョウは靜岡県の県鳥である。
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