goo

大井河源紀行 23  3月21日 智者大権現

(アジサイ「隅田の花火」が咲き出した)

東海地方も昨日、梅雨入りした模様とのニュースがあって、今日はお昼頃より雨となり、夜になって雨音が聞こえるほどの降りになった。昨年より10日ほど早い梅雨入りである。思い返せば、昨年の今頃はお遍路の結願にあと数日というところであった。

次兄夫婦は、昨日東京より戻り、一晩泊って、今朝帰って行った。この年になって、一反近い畑を借りて、野菜作りに一生懸命で、出来た野菜は5人いる子供たちの家庭へ送るのが楽しみらしい。夕方三時頃から、夫婦で畑へ出て、暗くなる午後七時頃まで、農作業に勤しむと話していた。旅も畑が気になって、ゆっくりして居れないのか、慌ただしく帰って行った。

   *    *    *    *    *    *    *
   
藤泰さん一行も、梅雨にはまだ早いが、ここに来て雨に降られて、山道を苦労して歩いている。3月21日(旧暦)、出発から8日目、旅の半ばを過ぎたところである。宿泊した洗沢の舗舎は小楢安の焼畑から南へ下った所にあったから、北の智者山へは、下ってきた道を、小楢安まで登り返して、北へ進むことになる。

廿一日、今朝は雨少し晴れまなるに、いざや智者山に登りて権現を拝し奉らんとて、立ち出て、元の道、辻地蔵のもとにのぼり、二十歩ばかり過ぎて、奥泉の方への傍示を見て、右の方に分け入る。山荻原を打ち過ぎるに、雨頻りに降り出でぬ。木立あるは篠原の内を過ぎ行くに、この際は少しずつ昇り上り、降り下り、右に転じ、左に旋じて、数十町過ぐ。大雨盆を傾け、雲霧地に布(し)きて、咫尺(しせき)も更に分かたず、四方糢糊として、大湖を臨むが如し。

篠原の繁りたる、きわめて細き路次を、かき分け/\たどるにぞ。あまりに雨霧の強くて、面(おもて)も向きがたく、蓑笠もたまりあえず、膚(はだ)へもいたくうるおいて、辛苦堪えがたく、漸く四辻に出たり。これより左のかたに入ること数百歩して、横苅道のさゞれ岩の上を過ぎるに、泉の流れて幽渓に落ち注ぐ。ここに丸木の投げ渡しあり。この上を顛踣せんばかりして、ようやく渡りすまし、数十歩過ぎれば、杉の村立ちたる深林に入る。金剛力士の門あり。これ智者山の霊場なり。
※ 顛踣(てんぼく)- 転げ落ちる

(そもそも)山中の躰相を見るに、高頂岩嶢、老樹百圍、雲雱、常に木末に掛り、葱蘢森々然たり。地下茂草森布(りんぷ)し、緑苔滑なり。正面に千手薩陲(ぼさつ)の仏殿ふりたり。右手の高邱(たかおか)に智者大権現の宮祠あり。御広前に賽謁(さんけい)して後、千手の古殿に入りて、雨衣解きて、暫時雨やどりす。洪雨頻りて、扉外雲霧に咽(むせ)び、あたかも朧夜に異ならず。鬱々森々陰々然として、人倫通うべき巷とは、更におもわれず、所謂(いわゆる)崑崙山上、仙の幽栖の地にやと、あやしまる。時刻はわかたざれど、食籠(じきろう)を取り出し、午時の飯を弁ず。
※ 躰相(ていそう、体相)- ありさま。ようす。
※ 高頂岩嶢(以下下線部分)- 巨岩と立ち並ぶ大木に霧と雨が掛かって、恐ろしいような森のようす。
※ 雲雱(うんぽう)- 雲と霧。
※ 葱蘢(そうろう)- 青くしげるさま。
※ 森々(しんしん)- 樹木が高く生い茂っているさま。
※ 茂草(もそう)- 生い茂った草。
※ ふ(旧)りたり - 古くなっている。年をへて古びている。
※ 洪雨(ごうう)- 豪雨。大雨。


この辺りは表現が漢文調になって、理解が難しいけれども、雰囲気は分かる気がする。登山途中、大雨に遭ったことも何度かあるから、雨中の山道がどんな風になるか、想像できる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )