本震

2016年04月17日 | 日記
「無事です」とご報告しましたが、その後もっとすごい揺れが来ました。マグニチュード7.3、これが「本震」で、前回のマグニチュード6.5は「前震」だったとの報道。東京やドイツやウィーンからの安否問い合わせに「無事です」と返事をしたばかりでしたが、今度は本棚も倒れ、グランドピアノも動き、家中のすべてのモノが落下飛散した上に停電、断水。真夜中でもあり、まったく身動きできませんでした。有難いことに父も私も怪我はありませんでしたが、これを「無事です」と表現してよいのかどうか少々頭が混乱。余震も続き、震度3ぐらいでは驚きもしなくなっています。
被害のひどい益城町はうちから車で20分ぐらいのところです。そんなに近くで死傷者が多数出ていると思うと、何ともいたたまれません。それに阿蘇。数年前の豪雨被害からやっと立ち直りつつあったところでしょうに、再びこの大災害です。阿蘇大橋が崩落したというニュースには呆然としました。大分の方も大きな被害が出ているとのこと、どうぞ少しでも早く終息しますようにと祈るばかりです。自然の脅威の前には人間の何と非力なことでしょう。うちのあたりはまだましな方ですが、それでも近くの水前寺公園は鳥居が倒壊し、県重要文化財のジェーンズ邸が全壊、池の水も底が見えるほど水位が下がっていると報道されています。
夜が明けると、何はともあれ断水に困りました。顔も洗えなければトイレにも行けません。幸い、近所の金物屋さんが井戸水を無償提供して下さっていて、トイレもどうぞお使い下さいと言って下さったので大変助かりました。食事は、金曜日の日中に作り置きしておいたものがある程度ありましたが、父も私も一向に食欲が湧きません。友人知人や生徒さん達の安否が気になってメールをすると「避難所にいます」という返事が多数。弟一家も近くのパチンコ店の駐車場に車で移動したとのこと。停電でテレビがつかないので情報難民状態で、毎日のように温泉に行く父は、どこか開いている温泉を探すと言って出かけて行きました。夜になって、校区の小学校で充電サービスをやっているらしいとわかり、父と行ってみると何十人もの順番待ちで「今日中には無理です。明日は11時頃から始めますので、また来て下さい」とのこと。一応リストに名前を書いて帰ってきました。夜になると雨が降り出しました。無聊をもてあまし、ろうそくの明かりで本を読んで過ごしました。
一夜明け、弟宅で電気が通じたというので、父が携帯電話を充電しに出かけて行きました。父の帰宅と入れ替わりに、溶けてしまった冷凍の肉や作り置きの料理などを持って弟宅に出かけ、子ども達の元気な顔を見て安心。タブレットを充電させてもらっていると、父から「電気と水が復旧した」と少し興奮した声で電話がありました。弟宅は水道が復旧していないので、高校生の甥を連れて帰宅、ポリタンクに水を入れて再び送り届け、今度は洗濯ものを預かって帰宅。幸い今日は好天なので、すぐに洗濯機を回しました。弟たちは無料開放している温泉に行くと言って出かけて行きましたが、父は疲れが出たのか、一緒に行くとは言いません。うちはまだガスが復旧していないのでお風呂が沸かせないのですが、金曜日からお風呂に入っていない私は我慢できず、風呂場で水浴びしました(寒!)。
電気と水が復旧すると随分違いますね。パソコンも使えるし。反面、文明生活がどれほど電気に依存しているかを痛感させられます。鹿児島の川内原発がこの活断層の延長線上にあることを思うと、電力消費者の一員としての責任を感じないわけにはいきません。「今のところ影響は出ていない」からと言って、この状況下で原発の稼働を続けていいものでしょうか??

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