リラックスのメソッド

2014年01月30日 | 日記
昨日、県南にレッスンに行きましたが、暮からお正月にかけていろいろ忙しくて練習するヒマがなくて...とおっしゃる方が多かったのが印象的でした。そういう方は身体が固まっていますから、歌の練習より身体をほぐすことが先決です。「リラックスして!」と言葉で言うのは簡単ですが、声を出すためには様々な神経、筋肉、骨をすぐに動かせる状態でなければならないので、当然ある程度の緊張は必要です。緊張し過ぎてフリーズした筋肉と神経をゆるめて活性化するために、いくつかの方法があります。それを少しご紹介したいと思います。
まず、横隔膜の緊張をゆるめます。神経が疲れると呼吸が浅くなります。つまり、横隔膜が緊張してあまり動かなくなるのです。横隔膜は「膜」ではなく骨格筋で、肋骨と腰椎にくっついていますから、横隔膜を動かす横隔神経もその近くにあるのかと思われるでしょうが、意外や意外、横隔神経は頸椎の2番と3番の間から出ている第3頚神経と、その下の第4、第5頚神経の枝が集まってできているのだそうです。なぜかと言えば、昔々まだ私たちが魚類だった頃、つまりえら呼吸をしていた頃の名残なのだとか。えら呼吸から肺呼吸になる過程で、肺を動かす横隔膜も首の付近にでき始めたため、それを動かす神経も首の付近にできたわけですね。横隔膜がだんだん胴体の下の方に下がっていき、胸郭(肺と心臓の入っている部分)と腹腔(その他の内臓の入っている部分)を仕切る筋肉になったわけです。ですから、声を出す時も頚椎を意識してみると横隔膜の動きや支えが活性化すると言われます。「首で歌え」とおっしゃる先生もいらっしゃるとか。
それはともかく、横隔神経の活動は立っている時は弱まり、仰向けになっている時に活発になるので、仰向けに寝ると腹式呼吸(横隔膜呼吸)が活発になります。ですから、床の上にあおむけになって両足を肩幅に開き、両手を体側から少し離して掌を上に向け、全身の力を抜いてリラックスすると横隔膜がよく動くようになります。気持ちよくなってきたら、少し低めの声で軽くハミングをします。その時、全身に響きが拡がっていくようなイメージを持ちます。両手で顔を覆って、掌に顔からの振動を受け取り、そのままゆっくり手を元の場所に戻します。手には振動が残っています。次に両手を組んで首の後ろに差し込み、両膝は立てます。首の後ろから背骨や腰骨まで振動が伝わります。片膝ずつ伸ばして足の裏まで振動を伝えます。
これをすると身体がほぐれるのを感じますから、最後に大きく伸びをして、あくびのような声を出します。
横隔膜の緊張を取らないと深い呼吸はできません。また、全身の筋肉は連動しています。疲れている時は練習の前にこのリラックスメソッドをお試し下さい。

人間愛

2014年01月28日 | 日記
昨日、県南にお住まいのMさんが主催するチャリティコンサート「歌の街」がありました。Mさんは「歌って踊れるピアニスト」。とてもアクティヴな方で、そのお人柄が引き寄せるのでしょう、たくさんの心温かいお仲間をお持ちです。地元で「歌の街」という弾き語りのコンサートを定期的に積み重ねてこられましたが、記念すべき20回目のコンサートは、昨年ご一緒に訪問した東日本大震災の被災地の一つ、釜石保育園の園長先生をお招きしてチャリティコンサートにすることを思い立たれ、実行されたのです。
結婚式場を貸し切りにして行われたコンサートには、平日の昼間にもかかわらず190名余の方がお集まり下さり、実行委員さん達の水も漏らさぬ手厚いサポートのもと、ヴァラエティ豊かなプログラムが次々と展開されました。前半は冬にちなんだ歌をメドレーで。会場のお客様も常連さんが多いので、「ご一緒に」と言われるとすぐに一緒に歌い出します。「冬の星座」、「冬の夜」、「かあさんの歌」、「雪の降る街を」、「ペチカ」など、私たち世代までだったら皆知っている歌ばかりです。平日の午後なので若者はあまり来ていませんから(笑)、スクリーンに映し出された歌詞を見ながら会場中が一つになって歌いました。プロジェクターの操作は、市の文化まちづくり課というセクションの職員さん2名がやって下さいました。歌詞の打ち込みなどの事前作業もこの職員さん達が請け負って下さったとか。市を巻き込む民間力!素晴らしいことです。「ペチカ」はお二人の二胡奏者の演奏とともに歌いました。そして前半最後の曲「ソレアード~子供たちが生まれる時」に至ると、隣席の釜石保育園の園長先生は感極まってずっとすすりあげていらっしゃいました。スペイン語で「陽だまり」を意味する「ソレアード」というタイトルに寄せて、Mさんは「F先生の保育園の園児たちにとっては、きっと保育園が陽だまりだと思います。たくさんの陽だまりがあり、たくさんの子供たちが大人たちの愛に守られて幸せに成長できる、そんな世の中でありますようにと願いを込めて歌います」と語られました。あの恐ろしい大震災の日、赤ちゃんから年長児まですべての園児たちを連れて避難し、親御さんたちの安否も自分の家族の安否もわからない中で子供たちと4日間を過ごされた保育園の先生たち。そんな極限状況の中で園児たちや先生たちを守り抜く責務を負われた園長先生。その時園長先生の心を支えていたものは、「何としても子供たちを守り抜く」という一念ではなかったかと思います。「ソレアード」が終わった後で壇上に演台が設けられ、15分ほどF先生のお話を聞かせて頂きました。被災当時のこと、その後のこと、そして現状。当事者のお話はひしひしとした臨場感をもって心に響きます。中でも私が一番心を打たれたのは、震災直後に全員で避難した時、子供たちが(赤ちゃんも含め)誰一人泣かなかった、という話です。坂を上って避難する時は、市内全域からその場に避難してきた見知らぬ市民の方たちに、赤ちゃんを一人ずつ託して上ってもらったそうですが、その時も誰も泣かなかったというのです。「赤ちゃんでも、今が非常事態だということは大人と同じにわかっていたんだと思います。そして、私たち大人を信じて身をゆだねたのだと思います。その後避難場所で過ごした数日間も泣く子は一人もいませんでした」とおっしゃいました。保護者が次々と現れ、最後の園児が引き取られていった時、先生方はどんなに安堵されたでしょう。しかし同時に、先の見えない不安感やご自分のご家族に対する思いも増幅されたに違いありません。あれからやがて3年。様々な困難があるでしょうが、被災地の復興とともに、保育園がよりよい形で存続していってほしいと祈らずにはいられません。
後半のプログラムはピアノソロあり、フラダンスあり、アコーディオンとギターのアンサンブルあり、合唱あり、それもヴァイオリンのオブリガート付きだったりして、百花繚乱の楽しさでした。最後に皆で東北支援ソング「花は咲く」を歌い、F先生に義捐金をお渡しし、熊本の保育士さんが釜石保育園の園児たちのために手作りしたメダルの贈呈もさせて頂き、大きな感動をもってコンサートは終了しました。お客さま方は、ロビーに貼られた現地の写真や保育園の園児たちの笑顔の写真を見ながら、またF先生と直接言葉を交わしながら、胸をいっぱいにして会場を後にされていました。
終演後、ケーキとコーヒーでの打ち上げ。「来てよかったです。もう何日もここにいるような気がします」と言い残してF先生は釜石に戻って行かれました。
こんな形の社会貢献のあり方と、「私たちは東北のことを忘れませんよ」というメッセージを発信し続けることの大切さを改めて胸に刻んだ一日でした。Mさん、本当にありがとうございました。そして、お疲れさまでした!

天使の歌声

2014年01月26日 | 日記
昨日、私がかつて在籍した熊大博士課程の今年度修了予定者による公開発表会があったので、隣県から5年に亘って研究のため熊本に通われたIさんの発表を聴きに行きました。少年合唱の指導者であるIさんは「ドイツ音楽史における少年合唱の意義と役割」という題目で発表をされ、大変興味深く聴かせて頂きました。
日本での少年合唱ブームは、「天使の歌声」と評されたウィーン少年合唱団の初来日時に巻き起こった「ウィーン・ショック」がその嚆矢であったとのこと。我が師匠W先生の師であったグロスマン教授もウィーン少年合唱団の発声指導者で、発声の神様と呼ばれた方だったそうです。
発表の内容とは別に、「天使の歌声」の発声、つまり少年たちの裏声発声が当時の日本人に与えたカルチャーショックはいかばかりだったか、という思いが去来しました。かつて日本の音大に招聘されたヨーロッパ人声楽家たちが日本の伝統音楽に接し、口を揃えてその発声を「terrible」と評した、というのは語り草になっていますが、裏声発声の伝統を持たない日本人は喉を振り絞るようにして高音域を出すのが常で、それをドイツ人教師たちは「Knoedelstimme」(団子声=喉に団子が詰まったような声)と名付けて嫌った、という話を音大時代によく聞かされたものです。
私は小学生の頃、歌う時に「軽く」歌えばラクで「一生懸命」歌えば苦しい、という法則を発見し、家で一人ひそかに歌う時は「軽く」、学校でちゃんと歌わないといけない時は「一生懸命」歌う、という使い分けをしていました。或る時学校の休み時間にうっかり「軽く」歌っていたら友達から「りかちゃん、歌うまーい!」と感心され、それを聞きつけた先生が「もう一度歌ってごらん」とおっしゃったので、これはマズイと思って「一生懸命」歌い直し(笑)、先生が「なーんだ」と期待はずれの顔をされて去って行かれたことがありました(爆)。
今思えば、「軽く」歌うというのは喉の力を抜いて声帯の縁だけを振動させる、いわゆる裏声発声だったわけですが、学校では「大きな声で元気よく歌いなさい」と言われていたので、喉に力を入れて歌わないといけないのだと思い込んでいたのです。
変声した後の男性の声楽発声は、声帯の使い方としては基本的に喋り声と同じ、つまり地声ですが、一点ホあたりから少し頭声を混ぜて芯のあるファルセットに切り替え、高音域に行くに従って頭声の割合を増していきます。女性の声楽発声は基本的にすべて頭声(裏声)で、音域的に響きにくい低音部で地声とのミックスにします。その変わり目をパッサージョ(転換点)と言いますが、ここをスムーズに切り替えるためにも呼気を垂直に強く上げ、全身の筋肉を協働させないといけません。
女性の歌声は基本的に全部頭声(裏声)。子どもの声は音域的に大人の女性と同じですから、子どもには「歌う時は裏声」という訓練を徹底させる必要があります。日本語の場合、喋り声と歌声は声の出し方が違うのだという基本認識が肝心ですね。

デュアル

2014年01月24日 | 日記
発声には身体の使い方のバランスがとても大切です。身体というものはどんな動きをするにしても必ず様々な筋肉が連動しますが、その際、必ず反対の動きをする筋肉、即ち拮抗筋が働きます。或る方向に動こうとすれば、それを引き止める働きが生じます。これは「デュアル」ということですね。dualとはつまり2つあることです。
先週だったか、朝のTV番組で「美脚をつくる」という特集をしていました。何気なく見ていたら、足を肩幅に開いて立った状態でつま先立ちを連続30回やって下さい、と言っていました。バレエの基礎練習風ですよね。そこで私も早速やってみましたが、これがなかなか大変。10回までは平気なのですが、20回ぐらいになると疲れてきて、30回やるとふくらはぎが痛くなります。でも、30回やった後は足の裏が床に吸いつくような感じになり、重心も安定して下半身がどっしりとした感じになります。これを1日3回、1ヵ月から3ヶ月ぐらい続けると美脚ができるそうですが(笑)、それはともかく、息を高く上へ飛ばすには下半身の筋力が不可欠なので、これはヴォイトレにも使えそうだと思って福祉サービス事業所のヴォイトレでやってみました。やはり皆さん30回はかなりキツイみたいでしたが、息の抜けが良くなり、息モレが減った分だけ声の響きが明るく輝かしくなりました。これは良い!それ以来、個人レッスンや合唱のレッスンでもやっています。息のポジションを高くしようと思えば、上半身の呼吸筋だけでなく足の筋力も必要なのですね。
足の使い方ではもう一つ注意することがあります。踵の方に重心をかけ、足の指で床をつかむようにして膝を少し緩め、高音域になったらぐっと重心を下げるのです。すると息が喉の後ろの方を通り、声が顎に引っかかりません。その時は背筋や後頭部にも緊張があります。
発声時に息を十分に持続させる、即ち息を支えるためには、軽く胸を張り続けて吸気筋を使い、下がった横隔膜が元に戻らないよう腰の周りの筋肉も動員します。この拮抗し合う感覚を覚え、それを維持することで「支え」ができるわけです。バランスよく拮抗させれば身体はプラスマイナスゼロの状態になり、「あれ?これで筋肉使ってるのかな?」というぐらいラクな感じになります。そして不思議なことに、歌っている曲のキーが低く感じられるのです。
デュアルを体得するにはバランス感覚を磨く必要がありますね。どんなに気をつけていても、人間のすることにはどうしても偏りややり過ぎが生じます。バランスの取れた身体の使い方ができているかどうかは声を聞けばわかりますが、悲しいかな自分の声は客観的に聴くことができないので、よい耳を持った第三者にチェックしてもらうことがどうしても必要です。かのドミンゴやグルベローヴァでさえ定期的にヴォイトレに通っているというのですから。そしてまた、自分自身も良い耳を養うことが大事です。美しい響きというものは器楽にも声楽にも共通ですから、歌だけでなく弦楽器や管楽器の良い演奏を聴くこともためになると思います。よい音楽会、よいCDをたくさん聴きましょう。

日本語の特徴

2014年01月22日 | 日記
音声学的に見た日本語の特徴は、声楽発声には不利なことばかりです。声楽を志す人はまずそのことをしっかり認識する必要があります。
日本語は子音にすべて母音が付くので、喋っている間ずっと声帯が鳴っています。つまり声帯にかかる負担が大きいのです。また、口の奥は開けず口先だけで喋ります。当然ながら口の中が狭くなるので、強弱に乏しく平板な感じになります。共鳴が少ないので、はっきり発音しようとするとどうしても下あごに力が入ります。下あごが緊張すると声帯も緊張します。声帯に力が入っているので硬めで高めの声になりますが、響きの豊かな声ではありません。
「カロ・ミオ・ベン」という有名なイタリア歌曲があります。声楽の初心者がよく歌う曲ですが、世界中の著名な声楽家の喉を診てこられた耳鼻咽喉科医の米山文明先生のご著書の中に、日本人の声楽家たちがイタリアでこの曲のレッスンを受けた時のことが書かれていました。最初の「カ」の出し方ばかり何度もダメ出しされ、それだけでレッスンが終わってしまったのだそうです。このエピソードを読んだ後、中高生の独唱コンクールを聴きに行ったことがありました。課題曲の中にこの「カロ・ミオ・ベン」が入っていたのですが、中高生たちの歌う「カロ・ミオ・ベン」がまるでお謡いのように聞こえました。口の奥が開いていないのと、響きのポジションが低く、胸に響いているのが原因でしょう。
今日久し振りにレッスンに来られたMさんに、そんな話をした後で「カロ・ミオ・ベン」を歌って頂きました。まず口の奥を開けます。口蓋垂の後ろがこちらから見えるように口の奥行きを深く、上あごもしっかりと上げて頂いて「アー」と発音して頂きます。それができたら「カー」です。舌背を上あごに一旦付けて離すのですが、クッという無声の子音からアーという母音に移行する時、口の奥がちゃんと開くようにします。腹筋や背筋を使わないとできません。カーローミーオベーーーンと下行する音型は身体が緩みやすいので、アスリートのトレーニング用のゴムチューブを軽く引っ張りながら身体の筋肉の伸長をキープします。イやエの母音は口角が横へ開いて下あごに力が入りやすいので、なるべく口角を動かさずに舌の動きだけで母音を変えるようにします。ワンフレーズ歌うだけでも相当に身体を使うので、Mさんは途中でヘロヘロになりながら頑張って下さいました。
口の奥をよく開いて発音する時、横隔膜やその拮抗筋はずっと使いっぱなしになります。イタリア語やドイツ語などは、日本人にとっては喋っているだけで筋トレになるとも言えますね。今や日本声楽界のホープの一人となった旧友のO君が、イタリア留学から帰ってきて久し振りに会った時に「そもそも喋っている言葉が違うからね」と言っていたのを今でも覚えています。欧米で活躍した日本人声楽家も、帰国してしばらく経つといつのまにか息のポジションが下がってしまう例をよく見聞きしますが、喋っている言葉の影響というのはそれほど大きいのですね。
蛇足ですが、これはあくまで声楽発声の見地から見た「音声的な」日本語の問題点であって、私は日本語の美しさに深く愛着する日本人の一人です。俳句も短歌も散文詩も、美しい響きと深い心情を持つ優れた文学だと思いますから、日本語の歌を美しく歌うための工夫も大切にしたいと思います。しかしそれも、あくまでも口の奥がしっかり開き、下あごの力みが取れてからの話です。