昨夜も帰宅が遅く、またまた一日遅れの更新です。
今年のレッスンも明日で終わります。今年は例年に増して忙しい年だったのに加え、身体を養うのに随分苦労した一年でもありました。春のリサイタル前のひどい更年期障害と、夏に経験した3度のぎっくり腰。若い頃には想像もつきませんでしたが、歳をとるというのはこういうことなんだと痛感した年でした。
歌は心身の活性化に役立つ、と常々宣伝している当の本人がこれではいけない、と焦っていろいろな治療を試し、幸いにもそのすべてが大いに健康回復に役だったのですが、そんな一年を過ごす中で思ったことは、身体の声に耳を傾け、その要求に素直に従うことの大切さでした。
私を含め、現代人は大体において自然の欲求をかなり抑圧していると思います。電磁波や環境ホルモンなど目に見えない物理的ストレスのせいで身体の声が聞こえにくくなっているのかもしれません。ともかく、疲れたら休む、というごくごく基本的なことをなおざりにしていたのが体調不良の根本原因だったと思います。そもそも体調が悪いと言うことは「休め!」というサインですものね。とは言え、疲れたらすぐに休むことのできる人はそうそういないでしょう。大人には浮き世のしがらみというものがありますから(笑)。それでも努めて「身体を養う」よう方向づけることはできます。生きるとは変化の中に身を置くことですから、「身体を動かしたい」、「横になりたい」、「食べたい」、「食べたくない」といったその時々の内側からの欲求に努めて応える。そして、休む時は心静かに休む。休んでいることに罪悪感を覚えると本当には休まりません。休むことは生物としての義務と心得るべし。これが今年得た最大の教訓でした。
またそれは声に如実に反映するのですね。疲れている時はなかなかよい声が出ません。これは厳然としています。少々の疲れは正しいフォームで発声すれば吹き飛んでしまい、心身共にリフレッシュできますが、ある一定の限界を超えるとダメです。これは発声が純然たる肉体的活動だからです。昨日師匠のW先生と電話でお話した時、「その後お体はどう?」と訊かれたので、「お陰様で筋肉の弾力性を保つことがどんなに大事かよくわかったので、先日のクリスマス会の日も午前中に整体治療に行ったらとても声がラクに出て、曲のキーが低く感じられました」と言ったら、間髪を入れず「そうなのよ。あれは不思議よねー。身体が十分に使えないとキーが高く感じられるの。いくら発声を訓練しても体の筋肉が思うように動いてくれなければ発声の技術は生かせないの。どんなヴァイオリンの名手でもヴァイオリン自体にひびが入っていたら上手に鳴らせないのと同じよね」とおっしゃいました。なるほど。
来る年は「無理をしない」ことをもっと肝に銘じようと思います。持病のある人は「これが限界」というラインにかなり敏感だと思いますが、私はもともと鈍感なので、放っておくとゆでガエルになってしまうのです(笑)。来年は断捨離の年にしようと思っていますが、さてどうなりますやら。
今年のブログはこれにて終了とさせて頂きます。皆様、どうぞよいお年を!
今年のレッスンも明日で終わります。今年は例年に増して忙しい年だったのに加え、身体を養うのに随分苦労した一年でもありました。春のリサイタル前のひどい更年期障害と、夏に経験した3度のぎっくり腰。若い頃には想像もつきませんでしたが、歳をとるというのはこういうことなんだと痛感した年でした。
歌は心身の活性化に役立つ、と常々宣伝している当の本人がこれではいけない、と焦っていろいろな治療を試し、幸いにもそのすべてが大いに健康回復に役だったのですが、そんな一年を過ごす中で思ったことは、身体の声に耳を傾け、その要求に素直に従うことの大切さでした。
私を含め、現代人は大体において自然の欲求をかなり抑圧していると思います。電磁波や環境ホルモンなど目に見えない物理的ストレスのせいで身体の声が聞こえにくくなっているのかもしれません。ともかく、疲れたら休む、というごくごく基本的なことをなおざりにしていたのが体調不良の根本原因だったと思います。そもそも体調が悪いと言うことは「休め!」というサインですものね。とは言え、疲れたらすぐに休むことのできる人はそうそういないでしょう。大人には浮き世のしがらみというものがありますから(笑)。それでも努めて「身体を養う」よう方向づけることはできます。生きるとは変化の中に身を置くことですから、「身体を動かしたい」、「横になりたい」、「食べたい」、「食べたくない」といったその時々の内側からの欲求に努めて応える。そして、休む時は心静かに休む。休んでいることに罪悪感を覚えると本当には休まりません。休むことは生物としての義務と心得るべし。これが今年得た最大の教訓でした。
またそれは声に如実に反映するのですね。疲れている時はなかなかよい声が出ません。これは厳然としています。少々の疲れは正しいフォームで発声すれば吹き飛んでしまい、心身共にリフレッシュできますが、ある一定の限界を超えるとダメです。これは発声が純然たる肉体的活動だからです。昨日師匠のW先生と電話でお話した時、「その後お体はどう?」と訊かれたので、「お陰様で筋肉の弾力性を保つことがどんなに大事かよくわかったので、先日のクリスマス会の日も午前中に整体治療に行ったらとても声がラクに出て、曲のキーが低く感じられました」と言ったら、間髪を入れず「そうなのよ。あれは不思議よねー。身体が十分に使えないとキーが高く感じられるの。いくら発声を訓練しても体の筋肉が思うように動いてくれなければ発声の技術は生かせないの。どんなヴァイオリンの名手でもヴァイオリン自体にひびが入っていたら上手に鳴らせないのと同じよね」とおっしゃいました。なるほど。
来る年は「無理をしない」ことをもっと肝に銘じようと思います。持病のある人は「これが限界」というラインにかなり敏感だと思いますが、私はもともと鈍感なので、放っておくとゆでガエルになってしまうのです(笑)。来年は断捨離の年にしようと思っていますが、さてどうなりますやら。
今年のブログはこれにて終了とさせて頂きます。皆様、どうぞよいお年を!