年末雑感

2012年12月28日 | 日記
昨夜も帰宅が遅く、またまた一日遅れの更新です。
今年のレッスンも明日で終わります。今年は例年に増して忙しい年だったのに加え、身体を養うのに随分苦労した一年でもありました。春のリサイタル前のひどい更年期障害と、夏に経験した3度のぎっくり腰。若い頃には想像もつきませんでしたが、歳をとるというのはこういうことなんだと痛感した年でした。
歌は心身の活性化に役立つ、と常々宣伝している当の本人がこれではいけない、と焦っていろいろな治療を試し、幸いにもそのすべてが大いに健康回復に役だったのですが、そんな一年を過ごす中で思ったことは、身体の声に耳を傾け、その要求に素直に従うことの大切さでした。
私を含め、現代人は大体において自然の欲求をかなり抑圧していると思います。電磁波や環境ホルモンなど目に見えない物理的ストレスのせいで身体の声が聞こえにくくなっているのかもしれません。ともかく、疲れたら休む、というごくごく基本的なことをなおざりにしていたのが体調不良の根本原因だったと思います。そもそも体調が悪いと言うことは「休め!」というサインですものね。とは言え、疲れたらすぐに休むことのできる人はそうそういないでしょう。大人には浮き世のしがらみというものがありますから(笑)。それでも努めて「身体を養う」よう方向づけることはできます。生きるとは変化の中に身を置くことですから、「身体を動かしたい」、「横になりたい」、「食べたい」、「食べたくない」といったその時々の内側からの欲求に努めて応える。そして、休む時は心静かに休む。休んでいることに罪悪感を覚えると本当には休まりません。休むことは生物としての義務と心得るべし。これが今年得た最大の教訓でした。
またそれは声に如実に反映するのですね。疲れている時はなかなかよい声が出ません。これは厳然としています。少々の疲れは正しいフォームで発声すれば吹き飛んでしまい、心身共にリフレッシュできますが、ある一定の限界を超えるとダメです。これは発声が純然たる肉体的活動だからです。昨日師匠のW先生と電話でお話した時、「その後お体はどう?」と訊かれたので、「お陰様で筋肉の弾力性を保つことがどんなに大事かよくわかったので、先日のクリスマス会の日も午前中に整体治療に行ったらとても声がラクに出て、曲のキーが低く感じられました」と言ったら、間髪を入れず「そうなのよ。あれは不思議よねー。身体が十分に使えないとキーが高く感じられるの。いくら発声を訓練しても体の筋肉が思うように動いてくれなければ発声の技術は生かせないの。どんなヴァイオリンの名手でもヴァイオリン自体にひびが入っていたら上手に鳴らせないのと同じよね」とおっしゃいました。なるほど。
来る年は「無理をしない」ことをもっと肝に銘じようと思います。持病のある人は「これが限界」というラインにかなり敏感だと思いますが、私はもともと鈍感なので、放っておくとゆでガエルになってしまうのです(笑)。来年は断捨離の年にしようと思っていますが、さてどうなりますやら。
今年のブログはこれにて終了とさせて頂きます。皆様、どうぞよいお年を!

今年の10大イヴェント

2012年12月25日 | 日記
昨夜は忘年会で帰宅が深夜となり、一日遅れの更新となりました。
今年はとても本番の多い年だったという印象です。自分としてはレスナーの仕事だけで十分なんですが、ステージを踏んでいないと成長も止まってしまうし、何と言っても本番の機会があることは光栄なことなので、どのステージも有り難く精一杯務めさせて頂きました。今年を振り返って総括する意味で、時系列で今年の私的10大イヴェントを挙げてみます。

1.1月14日 ハイデルベルク・デーにて合唱団が演奏。
2.1月22日 パレア「生涯学習フェスティバル」で発声セミナー開講。
3.2月24日 みなみのかぜコンサート「歌でめぐる世界の旅」に出演。
4.4月30日 自主リサイタル「春に寄せて」開催。
5.7月7日 老健施設職員合唱団が初めて外部会場で「七夕コンサート」を開催。
6.9月22日 八代にてチャリティコンサートに出演。
7.11月18日 合唱団創立10周年記念コンサート開催。
8.12月2日 「パレアdeぱれあ」で発声セミナー開講。
9.12月4日 自主リサイタル「クリスマス音楽の夕べ」開催。
10.12月22日 クリスマス会

これ以外にもウェルパルでの発声セミナーも何度もやりましたし(11月にはあいぽーと文化祭にも参加しました)、合唱団はオハイエくまもとにも出演しましたから、随分と公衆の面前に姿をさらしたのですね。来年も1月早々にハイデルベルク・デーがあり、2月には非公開ですがステージのオファーも頂いています。
外に出ることの意味は、自分の世界に籠っていては知りあうことのできない人たちに出会えることです。人との出会いによって自分の生き方や考え方の幅も広がり、それがまた歌の肥やしになる。有り難いことだと思います。外に出るたび、人は無数の他者に生かされて生きていることを実感します。そういうことを毎度毎度感じるのは、私が本来は内向型の人間だからでしょう。内向も外向もそれぞれの良さがありますが、内向型の人は外向に向かって少し努力すると収穫が多いです。逆も真かもしれません。
来年もまたいろいろな出会いがあることでしょう。楽しみです。

クリスマス会

2012年12月22日 | 日記
今日は毎年恒例のクリスマス会でした。音大を卒業して熊本に帰って来た1987年から、ドイツに留学していた2000年を除いて毎年続けてきたこのミニコンサート、数えてみれば今回で25回目になります。4半世紀!
今日は中1の男の子から60代まで合計20名の生徒さんが出演して下さいました。ギターの弾き語り、男声1人・女声3人のヴォーカルアンサンブル、ピアノ独奏が2人と独唱が6名、合唱のみの参加者が8名。聴きに来られたご家族やお友達も含めると30名ほどの人が集まり、素敵な時間が流れました。
合唱に参加して下さった男声の助っ人さん2名も含めると、今回はニューフェイスが8名もいらっしゃいましたが、アシスタントのSさんが「レベルが上がりましたよね」と言う通り、私も「うちの生徒さんたち、かなりいい線行ってるんじゃないかな」と思いました。もちろん本番というのは練習の通りには行かないものですから、ご本人たちにしてみれば不本意な点もあったでしょうが、私から見れば皆さん長足の進歩です。とりわけア・カペラのヴォーカルアンサンブルと最後の「ハレルヤ」の合唱は素晴らしかったと思います。これは、手前味噌ですが発声の方向が揃っているからです。ソリスト集団の合唱というのは得てしてひどくまとまりのないがさつな感じのするもので、特にバロックものはあらが目立ちます。その良い(悪い)例を音大時代に経験しました。大学3年の時、私たちの音大の声楽科3年生全員(男声は全学年)がバッハの「マニフィカト」をNHK交響楽団と共演したのですが、200名もの声楽科の学生(すなわちソリストの卵たち)がフルヴォイスで歌うバッハのかしましかったこと!ラジオの実況生中継の解説者であったバッハの専門家の先生が、「今の演奏、いかがでしたでしょうか」という進行役のアナウンサーの質問に対して「えー、バッハがこの作品を作曲したのは...」とさりげなく(?)作品解説に話題を転換されたことを鮮明に覚えています。解説をされたI教授が後日、あのバッハはひどかった、とおっしゃったことも。合唱の授業を担当された先生も「これじゃヨハン・セバスチャン・ヴェルディだ」と嘆いていらっしゃいました。
今日の演奏者の皆さんは、声を張り上げるのではなく、一人一人がしっかり身体を使って密度の高いよい響きで歌おうとされるので、合唱でも声がぶつかって喧嘩することがありません。他人によりかかってラクをする人も、美声を張り上げて突出する人もいない、押しつけがましさのない爽やかでひたむきな合唱は、耳にも心にも心地よく響き、もっと聴きたいという気持ちになります。
予定を少しオーバーして80分ほどの演奏となりましたが、適度な緊張感と明るく温かい雰囲気に包まれた楽しい時間でした。演奏して下さった皆様、ご来聴下さった皆様、お疲れさまでした。来年がまた楽しみです。

クリスマス会近し

2012年12月20日 | 日記
何だかんだとやることがいつも目の前にいろいろあるので、「本番まであと○○日」ということをうっかり忘れてしまうのが私のいつものパターンです。特に今週は「今年の授業(練習、レッスン)は今日でおしまい」という日が多く、気持ちがそちらに行ってしまっていたためでしょうか、気がついてみたらクリスマス会まであと2日です。駆け込みレッスンに来られる方、とうとうレッスンに来られないまま当日を迎える方、風邪をひきかけている方、治りかけの方、それぞれの生活ぶりが透けて見えるような本番直前の風景です。例年この会では私も歌うのですが、今年は12月にリサイタルをしたから今回はパスするつもりでいたら、Iさんから「この前合唱に出た方たちは先生の歌を聴いていないんだから、先生も歌って下さいよ」と言われたので、Iさんが今年歌われたリストの「愛の夢」を歌うことにしました。Iさんの伴奏者のM先生が伴奏をお弾きになれるし、私もこの曲は今年の夏に一度ステージに乗せているので、まだ何とか記憶に残っていそうです。自分の練習をする時間はほとんどありませんが、Iさんのレッスンの時に少し伴奏合わせをさせてもらったので大丈夫でしょう。
内輪の会ではありますが、昨年は発声セミナーに参加された方たちにもお声をかけました。しかし今年は告知をする余裕がなかったので、この欄を借りてお知らせします。日時は12月22日(土)14:00から1時間ほど、会場は水道町のギャラリーキムラです。お聴きになりたい方はどうぞご一報の上ご来場下さい。ギターの弾き語り、独唱、重唱、ピアノ独奏、全員合唱の「ハレルヤ」もあります。終演後は茶話会を予定しています。楽しく和やかに今年のレッスンを締めくくりたいと思います。

母音

2012年12月18日 | 日記
日本語と西欧語で特に顕著に発音が違う母音はuでしょう。日本語のuは口の奥を閉めたまま発音します。イタリア語やドイツ語のuは口の奥を開けて発音するので、日本語のuはイタリア人には「ユ」、ドイツ人にはウムラウト付きのウ(唇はuの形、舌はiの位置で発音する母音)に聴こえるようです。語学の教科書には、ドイツ語のuは唇を尖らせて発音せよ、と書いてあったりしますが、むしろ口の奥行きを深くして発音する方がよりドイツ語らしく聴こえるように思います。
iとeの発音は、口角をスマイリーのように横にひっぱって発音しがちですが、歌の時は口角を少し寄せ気味にする方が顎に力が入りにくく、口角から息が漏れるのも防げます。無論、これも程度問題で、表現のためには口の中を少し横広にして甘い音色を作ることもありますが。
普段日本語を喋っている私たち(つまり口の中が半分しか開いていない日本人)にとって、ヨーロッパ語の母音の発音は意外と難しく、よほど意識しないと日本語的な発音になってしまいます。ヨーロッパの歌を歌う時、私たちはfやvやrのような日本語にない子音をしっかり発音しなければ、という意識が先に働きます。子音は口からスーッと出て行かずにどこかで引っかかって抵抗がかかっているので、母音よりも発音にエネルギーが要ります。それだけに意識化しやすいのですが、母音は案外盲点で、子音ほどの意識は無しに発音できてしまうので、日本語的な発音のままで済ませてしまっていることが多いのです。しかし、そのまま歌い続けるとなぜかだんだん重心が浮いてきます。母音の発音に気をつけるだけで体に必要な負荷がちゃんとかかるようになり、発声が安定するのです。
Se tu della mia morteというイタリア歌曲があります。今日この曲をレッスンに持って来られた方がありました。この曲の冒頭部分にeとuの母音が続きますが、ここがちゃんとイタリア語に聴こえるように発音に気を付けるととても身体を使っている実感があるそうです。日本歌曲も、喋る日本語とは違って子音の弾きを少し強くしたり、eやiであまり口角を動かさず舌の動きで発音を作るようにすると、発音が明瞭になるだけでなく、体がきちんと使えるので発声が安定します。