年の瀬に

2017年12月31日 | 日記
今年もあと数十分となりました。一年間のご愛読、心より感謝申し上げます。
年賀状を書くにあたり、今年を振り返ってみようと試みたのですが、記憶がとぎれとぎれです。4月のリサイタルなんて本当にやったのかなあ、私。今年のこととは思えないほど記憶が薄らいでいます。5月には福井にも行ったのでした。さっき記録を見たら、福井のコンサートの直前にリンパ炎で声が出なくなって、当日歌えるかどうか危ぶまれた、と書いてありましたが、そんなこと、完全に忘れていました(笑)。今年は父の突然の入院と手術という大事件と、それに伴う住まいの改修という大仕事があったので、他のことの印象が相対的に薄くなってしまったのでしょうね。
我が身だけでなく、日本全体を見ても、世界を見渡しても、深刻な天災人災が相次ぎました。心を痛めつつ、自分の非力を痛感する中で、自分にできることは何かと考えると、せめてご縁のある身近な方々にはもっと真心をこめて接していかねば、と思うことしばしばでした。そうは思いながらも結局自分事にかまけてばかりですが、せめてもう少しまわりを見る心のゆとりをもちたいと思います。
さて、来年はどんな年になるでしょうか。皆様にとってよりよき年となりますよう祈ります。
それでは、来年もどうぞよろしくお願い致します。


クリスマス会終了

2017年12月24日 | 日記
一年のレッスン納め、恒例のクリスマス会を昨日、無事に終えました。
大学を卒業して熊本に帰ってきてから、(ドイツにいた2000年を除き)毎年欠かさず続けてきたこのクリスマス会、今年は30回目の節目に当たりました。
30年前、数人のピアノの生徒さんやお母様たちと一緒にレッスン室で行った、文字通りのホームコンサートから幾星霜。今年は高1から80歳以上まで25人の生徒さん方が集い、中学生ヴァイオリニストとメゾソプラノのIさんにも客演をお願いしました。今年のトピックスは、最初に合唱をしたことと、4組のデュエット演奏があったことです。レッスンを始めて2,3回目の方もデュエットで出演され、お友達同士やご夫婦、それに昔の教え子と先生(教え子さんの方も今や定年退職されています)という組み合わせで、ハートフルな歌を聴かせて下さいました。いつも澄み切ったハーモニーで皆の耳目を集める聖歌隊の皆さんが、今年はクリスマス礼拝の前日ということでご参加が叶わなかったのが残念でしたが、心のこもった花籠をお届けくださいました。
時節柄、体調不良で声にトラブルを生じた方もありました。デュエットのうち一組は、奥様が風邪で声が出なくなり、一度もレッスンできずに当日を迎えることになったため、私がお手伝いに入って3人で歌うことにしました。が、何しろ一度もレッスンしていない曲なので、当然私も初見(笑)。よくカラオケで二人で歌っておられる曲だそうで、私もあたふたしながら何とか最後まで歌いきりました。「歌って踊れるピアニスト」のMさんは、今年はベッリーニのオペラアリアに挑戦でしたが、リハーサルでは絶好調だったのに、その直後から急に調子を崩し、直前になって声が出なくなってしまいました。「もしダメそうだったら白いハンカチを投げて下さい(笑)」と仰って本番に臨まれましたが、その明らかな異変に、会場が異様な緊張感に包まれました。皆が祈るような気持ちでひたとMさんを見つめています。訴えるようなMさんのまなざしを感じながら、私は下を向いて祈っていました(笑)。やめるタイミングを逸したMさんは最後までピアニッシモで歌いつなぎ、カデンツのハイCも完璧な音程で歌い切られました。薄氷を踏むようなスリリングな、しかし見事な歌でした。
医学部6年生のOさんは、来春熊本を去り、研修医になります。今回でクリスマス会も卒業です。小柄な身体でスケールの大きなブラームスの歌曲を歌ってくれました。
このクリスマス会の特徴の一つは、皆さんがご自分で歌う曲を決められることです。たまに私の方から曲を提案することもありますが、基本的には歌いたい曲を歌って頂きます。結果、今年はポピュラーソングが2曲、イタリア古典歌曲が5曲、日本歌曲が3曲、イタリア近代歌が4曲、ドイツリートが6曲、アリアが3曲という構成になりました。計算したわけではありませんが、それなりにバラエティに富んだ良い配分だったと思います。
年配の方が多いわが教室ですが、皆さん年々上達していかれます。これはすごいことだと思います。私ぐらいの年でも、肉体的にはとうにピークを過ぎていますから、声は基本的には年々衰えていくのです。現状維持するだけでも大変なのに、60代、70代の方たちが上達し続けていらっしゃる。これは驚くべきことです。まっすぐな向上心を持ち続け、レッスンを続けられる姿勢には、私の方がいつも多くを学ばせて頂いています。
私が最初のご挨拶でいつも申し上げるのは、この会は「歌える喜びを分かち合うひととき」である、ということです。ともかくも今日まで歌ってこられたこと、今日ここで歌えること自体が素晴らしいことだと思うのです。皆さんさまざまな制約の中で、ご自分のペースでレッスンを続けていらっしゃいます。お互いそれがわかっているからでしょう、この会はいつも実に和やかで温かい雰囲気です。私も毎回最後に歌わせて頂いています。レスナーも生徒さんも、皆同じ歌仲間ですからね。
2時間半ほどのコンサートの後、30回記念の食事会をしました。自己紹介や一言スピーチをして頂いた後、皆さんと心ゆくまで楽しくお喋りをしました。声が出なくなったMさんに「あまり喉を使わないよう気を付けて下さいね」と何度か申し上げましたが無駄でした(笑)。
それにしても、今年はリハーサルから終演まで、あまりバタバタせず、落ち着いて一日を過ごせました。私もようやくこの会の切り回しに慣れてきたのかもしれません。30年目の境地です(笑)。

AT講習会

2017年12月21日 | 日記
カリオペくまもと主催のアレクサンダー・テクニークの講習会が終わりました。
やってよかった、というのが第一の感想です。ほぼ全員の参加者にとって初めての不思議体験だったわけですが、S先生の的確かつ親身なご指導で、皆さん確実に体が変わりました。
発声もそうですが、アレクサンダー・テクニークもやはり、言葉で説明したり誘導したりするのがとても難しい、体験しなければまずわからない世界です。しかし、たとえ話を多用しながらのS先生のガイドは見事で、聞きながら、私は聖書や仏典に出てくるさまざまなたとえ話を想起していました。言葉で人々に何らかの真理を伝えるのには、たとえ話が有効です。Iさんが「吉田先生のところへ行くと魔法にかかったように声が出るのに、自分の家では出ないんです」と言うと、S先生は「吉田先生は魔法をかけているのではなく、呪いを解いているのです」と仰ったのには膝を叩きました。つまり、Iさんは「もともとできない(のに、なぜか私のところではできる)」のではなく、「もともとできる(はずなのに、何らかの事情でできなくなっている)」のです。この状態を「呪いがかかっている」と表現されたのですね。しかも、「その呪いは、人ではなく自分がかけているんです」と仰るのです(笑)。
膝と股関節を使って立つ、腰かける、また立つ、腰かける、またまた立つ、腰かける...首に力を入れないこと、24個の椎骨の状態をキープすることを意識しながら、エンドレスにこれを繰り返します。私は9月以来、こればかりを毎日すべての生徒さんのレッスンで繰り返しているだけで、歩き方が変わり(靴底のすり減り方が変わりました)、お茶を淹れたり飲んだりする動作がうまくなり、疲れにくくなりました。1日に10人レッスンしても平気です。以前は5~6人続けてレッスンするとヘロヘロになっていたのに。この驚きと喜びは特筆に値します。
アレクサンダー・テクニークは純粋に体の使い方を合理的にしているだけなのに、Yさんが「声帯を息が通り抜けるのを感じながら、歌えることに対する感謝と喜びが湧き上がってきました」と言われたのも印象的でした。心と体は一体であることを再認識させられた次第。
数日経った今日、頭の位置が(もともと)かなり高いということが一日中意識されます。首の長さもですが、頭がこんなに高いところにある、などと自覚したことは今までありませんでしたから、妙に新鮮な気分です。首、大事ですね。もっと勉強したいなあ。欲が出てきました。私もアレクサンダー・テクニークの教師資格を取って、このボディ・ワークを歌に生かせるヴォイストレーナーになりたいです。
S先生は、次回は2月においでになるそう。また是非講習会をして頂きたいと思います。


発声雑感

2017年12月18日 | 日記
週末、久し振りにW先生のところへ行きました。ご高齢でもお気持ちはしっかりしておられますが、お身体があまり丈夫とは言えないW先生のことがいつも気に懸かっていますが、遠方なのでなかなかお顔を見に行けないのがつらいところです。
今回は、この前伺った時より血色がよかったので、「先生、お元気そうですね」と言うと、「実は、今月2回入院したのよ」とのこと。それでも、もうレッスンも再開したし、元気になったわ、と仰っていました。
まずは近況報告。先日熊本で、新作オペラの公演があり、準主役級で出演したバリトンのT君が素晴らしかった、という話をしました。T君は熊本出身で、お母様と親しくさせて頂いている関係で、発声に悩んでいたT君を私がW先生に紹介した経緯があります。もともと体格も声も立派なT君は、W先生のご指導でどんどん発声が良くなり、演技もうまいので今や引っ張りだこです。T君のお母様は「今の息子があるのは吉田先生がW先生を紹介して下さったおかげ」といつも仰って、熊本で彼が出演するオペラにはいつもご招待下さるのですが、そのたびに成長著しいT君の姿を本当に嬉しく拝見しています。T君を見ていても思いますが、やはり発声は歌の基礎。長く歌い続けようと思えば、常に基本に立ち返ることがとても大切ですね。
声帯や筋肉の質のことも話題に上りました。「筋力には個人差があるのよ。声帯筋も同じ。Hさん(W先生の愛弟子)なんか、何時間もワーグナーをガンガン歌っても平気なのよね、普通だったら、いくら発声がよくても声が嗄れちゃうんだけどね。あれも授かりものよね」と仰っていました。私は声が嗄れやすいのが悩みなのですが、それも声帯筋があまり強くないからだそうです。若い頃にあまり歌っていなかったことも一因とのこと。やっぱり筋肉だから使わないと衰えるし、若い頃から(正しく)使っていれば筋肉も育つのですね。それでもやはり、持って生まれた強さ弱さというのはどうしてもあるわけで、これは声質と同じく「個性」ととらえるべきかもしれません。私には以前、是非にと乞われてワーグナーを歌って声が出なくなった経験がありますが、Hさんなどは、私がよく歌うような軽いものを歌うと調子を崩すのだそうです。世界の超一流と言われた名歌手たちの中にも、声質に合わないレパートリーを(エージェントの意向で)歌って喉をこわして消えていった人がたくさんいると仰っていました。W先生のお弟子さんが「先生が「あの人、ああいう歌を歌っちゃダメよね、多分喉をこわすわよ」と仰っていた人はみんな、本当に表舞台から消えていきましたね」と言われたことがあるそうです。他人の意向に振り回されず、自分を大事にしないと長続きしない、ということですね。何事にも通じる真理かもしれません。
私の発声もチェックして頂きました。ほんのちょっとした口(の奥)の開け方の違いなのですが、側頭骨に声がちゃんと回ると、喉に負担をかけずにすっきりと、密度の濃い声が出ます。それには足からしっかり息を飛ばさないといけません。鼻筋と額の緊張も必須です。鼻の裏側を開けることと、声を出すとき、頭の後ろ、3メートルぐらい後方へ引っ張ることを同時にやります。うまくいっている時は下あごに全然力が入らず、足と骨盤底と顔の上半分に緊張があり、後頭部がジンジンする感じがあります。口の奥から側頭部にかけて、あくびのようにしっかり開け、下半身から息を垂直に飛ばしながら「ウィ~~~ン」と腹話術のような声を出すのですが、声が喉に引っかからず、側頭骨にうまく響けばとても爽快です。自分にはなんだか息っぽい声に聞こえるので、「スカスカの声みたいに感じますけど」というと、「そうなの?すごくよく響いているわよ」と言われました(苦笑)。自分の感覚はあてにならない、ということですね。
今日はアレクサンダー・テクニークの講習会の日です。このボディ・ワークをどのように発声につなげるかが、今後の私のテーマになりそうです。

夢、希望、憧れ

2017年12月04日 | 日記
「歌う女将さん」の年に一度のコンサートが昨日ありました。今回のテーマは「夢・きぼう・・・あこがれ」。還暦記念を皮切りに今年で8回目を迎える恒例の年中行事で、いつもながらアットホームな温かい雰囲気のコンサートでした。
この旅館のホールで月1回のレッスンをさせて頂くようになってから、もう何年経つでしょうか。Nさんのお声かけで生徒さんが増え、今では1泊2日の日程で行かせて頂くようになりました。皆さんとても熱心で素直で吸収力があり、どんどん上達していかれます。比較的年配の方が多いのですが、学ぶ気持ちさえあれば年齢は関係ないのだな、といつも思わされます。
旅館の切り盛りをしながら歌の勉強を続け、自主コンサートを企画し、定期的に開催するというのは、並大抵の努力でできることではありません。ご本人の気力はもとより、お身内やお友達の支えも絶大なものがあると思います。本当に素敵なご家族で、また良いお友達に囲まれていらっしゃるのは、ひとえにNさんの人徳のなせる業でしょう。
今年はちょうどお仕事の手がすいていて、良いコンディションで本番を迎えられました。先週のレッスンの時も良い仕上がりでしたから、あまり心配せずに客席につきましたが、予想にたがわず、1曲目からとても安定しています。前半のドイツリートと日本歌曲は、歳を重ねた人だけが持つ滋味にあふれた演奏で、どれも心から心に共振する歌でした。中でも立原道造の詩に木下牧子が付曲した「夢みたものは...」は素晴らしかった。思わず目頭が熱くなる絶唱でした。早世した詩人の純粋無垢な魂が結晶したような詩、そして、まさしく夢のようなメロディがついたこの曲は、ア・カペラの合唱曲としてもつとに有名ですが、伴奏付きの独唱曲にもなっているのですね。

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りをおどっている
告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたっている
夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

後半は、ソプラノの盟友Tさんとの二重唱、そして客席の皆さんが歌う時間、最後にオペラアリア、というプログラムでした。二重唱も格調高く素敵な演奏でしたし、みんなで歌った「七つの子」は、Nさんの2歳のお孫さんお得意の曲ということで、この坊やもパパと一緒に客席で歌ってくれました。「七つの子」と言えば、中学校で音楽を教えていた頃、同僚の国語の先生が「「七つの子」というのは「幼い子ども」という意味なんですよ」と教えて下さったことがありました。カラスは一度に七羽も子を産むことはないんです、七つの子というのは、人間で言えば7歳ぐらいのかわいい子ども、という意味なんです、と。だから「かわいい、かわいいとカラスは鳴くの」と続くんですね。この歌を、たくさんの大人たちが2歳の坊やと一緒に歌う姿は、絵に描いたような平和で幸せな光景でした。
最後のオペラアリアは、Nさん自身は最後まで「歌えるかしら」と心配していましたが、そんな不安を少しも感じさせない名演でした。ご本人はちょっと不本意だったようですが、私は花丸をつけて差し上げたい気持ちでした。
最後にアンコールの「落葉松」を歌われる時に、Nさんが「私が今こうして歌っているのは、一人で歌うなんて考えたこともなかった頃、所属している合唱団が訪問演奏をすることになった時、指揮者の先生がこの歌を「Nさんに歌ってもらおう」と仰ったことから始まっているのです」とご挨拶されました。師の一言が人生の節目に大きな意味を持つ体験は、私も何度かしています。その経験と重ね合わせて、人生の不思議に心が震える思いでした。

一日明けた今日は、島田真祐氏のお通夜でした。宮本武蔵ゆかりの私設美術館、島田美術館の館長にして小説家、熊本の文化界で知らない人はいない方です。私は島田館長には言葉に尽くせぬ恩義があります。15年前、どうしてももう一度歌を歌いたくてたまらなくなっていた頃、島田館長が私の歌を聴いて下さる機会があり、熊本県立美術館で定期的に開催されている「NHK・美術館コンサート」に出演するようにと推薦人になって下さったのです。その後、島田美術館でもリサイタルをさせて頂き、道路拡張工事のため美術館を一時閉館される時にもフェアウェル・コンサートをさせて頂きました。うちの姪と館長のお孫さんは幼稚園のお友達でもありました。
お通夜の席で、お孫さんのお一人が「外ではサムライと言われた祖父でしたが、私たちにとっては、たくさんの思い出を残してくれた優しいじーじでした。じーじの孫で本当によかった」とメッセージを贈られるのを聞き、思わず落涙しました。文化人として偉大な足跡を残され、たくさんの方に慕われ、尊敬された館長でしたが、館長の人生最大の成功は、よき家庭を築かれ、よき家族とともに人生を歩まれたことだと思います。昨日Nさんが歌われた「夢みたものは」の最後の一節、「ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここにある と」のフレーズが心の中によみがえりました。心からご冥福を祈るとともに、深く深く感謝申し上げます。