宴の後

2013年11月30日 | 日記
ワーグナーのガラコンが終わりました。我らが合唱団にとっては最初で最後であろうと思われる体験でした。ドイツ語で歌うというコンセプトの我が団が、イタリア人マエストロの指揮で歌わせて頂く機会があろうとは想像もしなかったことでした。オケ伴で歌う機会も貴重でしたし、何より、ワーグナーのような大規模の作品には我が団単独では到底手が出ません。一緒に歌いませんかというオファーがあったからこそ実現したことでした。主催者ならびに関係各位に心から感謝申し上げたいと思います。
これだけの規模の催しとなると関係者の数が半端ではなく、様々な手違いや行き違いは避けられません。しかし、若い人の多い組織体には情熱を形にするだけのパワーがあります。様々なトラブルに臨機応変かつ機敏に対応する力もあり、結果的に素晴らしい公演になりました。とりわけゲストのソリストお二人の歌は驚嘆すべき演奏で、オケの後ろにいる私たちのところにも少しのムラも曇りもなく、ドイツ語の歌詞の一字一句まで完璧に聞こえてきました。あの響きの豊かさ、艶やかさは、お二人の年齢を考えると(失礼!)神技に思えます。絶頂期の声と言って過言ではないと思います。
すべてが終わり、打ち上げの席で一言挨拶を求められた私は、団長の代理として今回の経験に謝辞を述べた後、「熊本の片隅でこそこそと(笑)ドイツ語の歌を歌っている私たちの存在を、こちらの皆様がどうしてご存じだったのでしょうか。おそらくはI代表と私が大学の同窓であることから、同窓生の誰かを通じて情報が伝わったのだと思いますが...」と言うと、I代表が「えっ!?」と声を上げて立ち上がるではありませんか(笑)。何と、彼は私が大学の同窓である(それも2学年違いで、在学期間が重なっている)ことを知らなかったのです。この反応にはこちらが驚きました。だって、彼とは数年前、大学同窓会でモツレクをやった時にもご一緒したのですから。どうやら私は彼の記憶からすっかり消去されていたようです(笑)。道理で、何だかやけに私に対して他人行儀だった訳です。雑談の時に「これからはもう私を先生と呼ぶのはよして、名前で呼んで下さいね」と言うと、即座に「はい、李佳様」と来ました(爆笑)。ともあれ、これからも音楽仲間として良い関係を保っていきたいと思います。
一夜明けて今日、従妹の結婚式がホテルのチャペルで行われました。親戚たちと一緒に着席すると、女性2人のコワイアーの声が、どうもどこかで聴いたことのある声です。遠目から見る立ち姿も何となく誰かに似ています。退場する時に側に寄ってみてわかりました。2人のうち1人は、大学の同級生のMちゃんでした。もう1人も、時々Mちゃんとユニットを組んでいるOさんです。私は直接はOさんと面識はありませんが、うちの合唱団のメンバーにもOさんのグループの方がいらっしゃるし、彼女の歌は何度も聴いています。熊本は狭い!
そう言えば、前述のモツレクの打ち上げの席でI代表と親しくお話をした時、その場に一緒にいたのがMちゃんでした。昨夜そのことを思い出していただけに、ちょっと奇妙な気分になったことでした。

ゲネプロ

2013年11月28日 | 日記
ワーグナーのガラコンサート、いよいよ明日です。今日はゲネプロでした。
火曜日に東京から帰ってきたその足で練習に行き、昨日も今日も練習。他の方たちはその前の土日も練習していらっしゃいます。うちの合唱団の団員さん達には無理して全部参加しなくてもいいと言ってあるのですが、皆さん義理堅く出て来られます。一つにはマエストロの指揮やオケの響きに触れたいというお気持ちもあるのでしょう。
イタリア人のマエストロはパワフルで明るく、この大人数を確実に一つの方向へ導いていかれます。若い日本人の奥様が、大変的確にわかりやすく通訳して下さるのには感服します。奥様も声楽家で、今回もワルキューレのソリストとして出演されます。通訳と練習でさぞや大変でしょうに、全く自然体かつ配慮の行き届いた立居振舞で、毎回感心しきりです。今回はオケも合唱もワーグナーをやるにはやや編成が小さいのですが、オケは日増しに響きが豊かになっていますし、合唱も気合が入っています。気合だけではワーグナーは歌えないのですが(笑)、気合が抜けていては歌えないのがまたワーグナーです(笑)。こう言えば合唱の現状が多少は伝わるでしょうか(笑)。
さあ、明日は本番。マエストロから「明日はサウンドチェックと出入りの確認だけにします」とのお達しで、通し稽古は無しになりました。通し稽古と本番の2回も全プログラムを演奏するのは体力的に無理という判断です。助かりました(笑)。明日は午前中2コマ続きの授業なので、少しでも長く休息を取ってホール入りできるのは有り難いです。
公演は熊本県立劇場で午後7時からです。当日券もありますので、お時間のある方はどうぞご来聴下さい。

かぶせる

2013年11月26日 | 日記
久し振りに昨日W先生のお宅に伺いました。先週末、体調を崩していらっしゃるというお電話を頂いていましたが、お訪ねしてみると幸いにも復調しておられ、うちに来られている生徒さん達のレッスンについていろいろご相談できました。
最近うちには「話し声のためのヴォイス・トレーニング」に来られる方が増えていることをお話すると、「喋る時の息の高さ」の大切さを強調されました。喋り声の高さ(音程)は人それぞれですが、声が高くても低くても、息を上あごぐらいの高さにまで持って来ると声が嗄れないそうです。息をあまり高い位置に取り過ぎると鼻声っぽくなってしまうので、それよりちょっと下に。上あごあたりに緊張を作って、そこに声を集める感じです。声楽をやっている人でも、喋る声のポジションが低い人はそれを直さないとダメだとおっしゃっていました。「熊本弁は下あごや喉にとても強い緊張があるんです」と申し上げると、「長野弁(W先生の郷里)もそうよ」とのこと。方言にはそういう傾向があるのでしょうか。ちなみに、最近とあるコンサートで、イントネーションは熊本弁で息のポジションはドイツ語風(!)という影ナレを聞き、隣席の友人Iさんと2人で笑いをこらえるのに大いに苦労したことがありました(笑)。私の大学時代の声楽の師匠も熊本出身でしたが、やはりかなり高いポジションで話される方だったので、たまーに飛び出す熊本弁が不思議な言葉に聞こえたものです。
女性、特にソプラノが男性を教える時の難しさを訴えると、「息を思い切り速く飛ばして、声帯から瞬時に上へ抜いて地声発声をしてみせてごらんなさい」と言われました。私には地声を出すこと自体がとても難しかったのですが、何度かやっているうちにできるようになり、「その声でいいのよ、それなら男性にもわかるわよ」と言って頂きました。
最後に、最近のワーグナー漬けのせいか歌う時に下あごに力が入り、息が落ちてきて苦しくてたまらない、という私自身の悩みをお話すると、声を聴いて下さって「ああ、すごく息が落ちてる。声を伸ばしながら口蓋垂をもう一つ上へもっていかないと息が口の方に流れてきてしまうわよ」とおっしゃいました。一生懸命やってみてもなかなかうまくいかず、先生のお体にご負担をかけるのが申し訳なくて焦りまくってしまいました。あれこれやっているうち、先生がお声を出してみせて下さる時は、鼻の下を伸ばすような感じに上唇がかぶさっているのに気付きました。先生ご自身も鏡をごらんになって「あら、こんな顔して歌ってるなんて気付かなかった」とおっしゃり、ちょっとやってごらんなさい、と言われて試しにやってみると、これが功を奏し、口蓋垂を引き上げたままに保てるようになりました。「ドイツ系の先生はこうやってかぶせて歌えっておっしゃる方が多いのよね。ワーグナーはドイツ語だし、これでいきましょう」と言われ、やっと一筋の光明が見えた気持ちになりました。かぶせる、という技法です(ドイツ語ではデックングと言います)。それでも百発百中とはいかず、時々違う声が出てしまいます。声は両目の間あたりでしっかりつかまえておいて、それで後ろへ引っ張らないといけないのですが、声が落っこちたり、後ろへ引っ張るには身体を拡げればいいのですが、身体が固まってしまったり。「命門のつぼ(背中の下の方)のあたりをしっかり動かしてごらんなさい」と言われ、一生懸命背筋を動かそうとすると肩が前に出てしまいます。「前かがみになっちゃダメなの。これは筋トレが必要ね。でも、声を出しながらの筋トレでないと意味無いのよ」と言われました。
ともかく、自分の問題点とその対処法がわかったので大収穫です。やはり時々メンテナンスに行かないと発声が迷路に入ってしまいますね。W先生によると、何十年もレッスンに来ているプロの生徒さんでも、しばらく来ないとやっぱり発声が崩れてしまうそうです。楽器の演奏と違って、声は自分ではわからないのですね。
和太鼓の音に高周波がたくさん含まれているという話から、和太鼓奏者の林英哲さんの演奏の周波数を解析したTV番組の録画を見せて頂いたり、ご体調がすぐれない中、たくさんの示唆と指針を与えて下さいました。いつもながらただただ感謝です。

大も小も

2013年11月24日 | 日記
毎月1回レッスンに行っている県外の教会の聖歌隊が、先月からパレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」の中の「キリエ」に取り組んでおられることは、先月もこの欄に書きました。教会で聴くア・カペラの響きは格別なものですが、この聖歌隊は本当に素晴らしいアンサンブルグループです。先日、牧師さんの学生時代の先輩ご一家の訪問に際し、歓迎の意を表して聖歌隊が歌をご披露されたところ、ハーモニーの美しさに非常に感心されたそうです。曰く、女性3人の声の響きがとても揃っている、牧師さんの声が学生時代より柔らかくなっている、このハーモニーを聴くと30人以上もいるご自分の聖歌隊が「寄せ集め」のように思えてしまう、と。最大級の賛辞ですが、むべなるかなと思います。この聖歌隊は実質的に4人の声楽アンサンブルで、各人がご自分の力を出し切って歌われます。良い意味で緊張感に溢れていて、引っ込む気持ちや弛んだ気持ちは微塵もないのです。レッスンの間中全力で集中しておられますから、おそらく私が帰った後は皆さんぐったりしていらっしゃることでしょう(笑)。
毎月この響きを聴けるのは私の役得ですが、12月のクリスマス会に参加して下さるので、うちの生徒さん達が心待ちにしていらっしゃいます。今年は今のところ14人の方がソロでエントリーされていて、アンサンブルも、この聖歌隊を含めて2組。最後の合唱だけに参加される方も6名ほどいらっしゃるので、全部で25名前後の参加者になりそうで、この人数は新記録かもしれません。
来週はワーグナーのガラコンの本番です。昨日からオケ合わせの練習が始まり、イタリア人マエストロの目の覚めるような音楽づくりには圧倒される思いですが、大音量のオーケストラと合唱の迫力もさることながら、僅か4人の聖歌隊の歌の密度の高さもそれに勝るとも劣らぬものです。編成が大きくても小さくても同じように訴求力を持ち得ることは、音楽芸術の魅力の重要な要素だと思います。今、その両極を同時進行で味わっているのもやはり私の役得の一つですね。

裏声考

2013年11月22日 | 日記
一昨日の県南でのレッスンで、最近入門されたTさんが面白いことをおっしゃいました。
Tさんはバリトンの声楽家の方について勉強していらっしゃるのですが、レッスンで越谷達之助の「初恋」を歌った時、そのバリトンの先生から「ここ(←「アアーー」というメリスマの部分の跳躍しているところ)は裏声にして歌うんだよ」と言われ、実際に先生がお手本を示されたそうですが、その時先生は当該の部分をファルセットにして歌われた、と。男性は基本的に胸声(地声)で歌っていますから、その部分だけファルセットにする、ということができます。しかし女性はもともと裏声で歌っているので、「そこは裏声で歌うんだよ」と言われても意味がわかりません。Tさんは困って先生にお尋ねしたそうですが、Tさんが「(女性の自分は)どう歌えばそうなるのかわからない」ということが先生には理解できなかったようで、話がかみ合わなかったそうです。私はそのバリトンの先生を存じ上げているので、何となくそのやりとりの場面が想像できてちょっと可笑しくなりました。これは男性が女性を教える場合に問題になることの一つですね。女性が男性を教える場合も同様ですが。
私は女性なので、合唱団の指導をする時に時々困るのが、テノールの方が実声(地声)のまま高音域を歌おうとして音程がぶら下がったり声がかすれたりする時です。「そこはファルセットにして下さい」と申し上げても、どうしたらファルセットになるのかおわかりにならない方がいらっしゃるのです。ヨーデルやホーハイ節の真似をして頂くと良いのですが、うまくいかない方もいらっしゃいます。そう言えばTさんの先生も「ヨーデルのように歌えばいいんだよ」とおっしゃったとか(笑)。男性の場合、自分の声種の音域は大体地声(実声)のまま出せますが、女性は地声オンリーで出せるのは一点ヘ音ぐらいまでなので、特にソプラノは基本的に全部裏声で歌っているわけです。ですから、おそらくTさんの先生は「跳躍した音を、声帯をもっと薄く使ってppにしなさい」という意味でおっしゃったのではないかと思われます。男性のファルセットはいわゆる「芯の無い声」で、大きな声は出せませんから。Tさんは艶やかで強い声をお持ちなので、コントラストをつけなさいという意味で「ファルセット」という言葉を使われたのでしょう。
私たちは普段は地声で喋っています(たまに例外もいらっしゃいますが)。地声のまま音程を上げていくと、途中で声がひっくり返ります。そして、それより上の音域はそのひっくり返った声しか出ません。これは声帯の構造の問題で、声帯は引っ張って伸ばせば高い声を出すことができますが、声帯を伸ばすのにはおのずと限度があるので、限界まで引っ張った後それ以上の高音域を出すためには声帯の使い方を変えて、それまで声帯全体を振動させていたのを、今度は左右の声帯の合わさる縁の部分だけを薄く使って振動させるようにしないといけません。これが裏声で、声帯を少し厚めに振動させるのをミックスヴォイスと言っています。裏声、地声、ミックスといった言葉には概念の混乱があるようで、Tさんの事例のように時々話がかみ合わないことがあります。声を言葉で説明することの難しさを実感する例の一つです。