歌う人のためのオイリュトミー・クラス

2019年01月27日 | 日記
福岡からU先生をお招きして、初めてのオイリュトミー講座を開催しました。
この講座を企画した理由は、自分が受講したいから(笑)。かねて知己のU先生は、お人柄も経歴もよく存じ上げています。とてもソフトな優しい方ですが、オイリュトミー発祥の地ドイツでも注目されている気鋭のオイリュトミストです。今日はうちの生徒さん方を中心に13人の方が受講して下さいました。
最初に受講者全員のお名前と受講動機を伺い、その後U先生が自己紹介を兼ねて、オイリュトミーや創案者シュタイナーのことをいろいろな角度からお話して下さいました。シュタイナーという人は、大きく括れば哲学者とか思想家と呼ばれますが、実践の人でもあり、教育、医療、農業、建築、経済、共同体のあり方にまで新しい息吹を吹き込んだ人です。今日の参加者は、オイリュトミーって何だろう?という方が殆どだったので、そのあたりからいろいろお話下さった後でいよいよ実習に入りました。
歩き方から始まって、シュタープ(細い銅製の棒)を使った動き、丸く輪になって身振りを伴いながら大きくなったり小さくなったりする動き、個々の母音や音程の性質とそれに対応した身振りなど、その動きがどんな意味を持っているのかを常に意識しながら動いていきます。動かしているのは身体ですが、動いているのは身体だけではない、ということがとても強く感じられます。東洋的に言えば「気」、シュタイナーの言うところのエーテル体とかアストラル体、わかりやすく言いかえれば生命力とでも言うべきでしょうか、そういうものが賦活されるようです。
私は気の動きが鈍いタイプなので、ある意味では疲れました。しかし、それは重だるい感じではなく、胸のあたりにエネルギーが集まってくる感じです。午前中のレッスンが終わった段階でかなりの変容を感じました。レッスンの時間を通じて、身体だけではない何かが常に動いていることはわかりましたし、その「何か」の動きと、他の人たちのそれが影響しあっているのも感じました。目には見えませんが、生命は見えるものと見えないものの総合体なのだ、ということをリアルに実感する時間でした。
ドイツではシュタイナー医療が国に認可されており、医師が患者の治療にオイリュトミーを処方することもあるとか。治癒オイリュトミーという分野も確立されています。私は以前、治癒オイリュトミーを受講したこともあるのですが、今回の芸術オイリュトミーも、私にはじゅうぶんに治癒的に作用しました。
帰宅後、いろいろな感情が未分化にもつれあいながら湧き起こってきました。激しい感情ではありません。水面下に隠れていた感情が浮かび上がってきて、静かにさざ波を立てている感じです。身体は柔らかくなっています。心も柔らかくなろうとしているのでしょうか。
しかし、1回だけではすべてがあまりにも謎めいたままです。継続的に学び、もっと変化を感じたいと思いました。次回は5月に来て頂く予定です。

合唱歌い初め その2

2019年01月14日 | 日記

母校の国立音大の熊本同窓会が主催して在学生と卒業生が出演する「くにたちコンサート」が、今年は3月に行われます。昨年に引き続き、私も合唱で参加することになり、今日はその第1回目の練習でした。曲目は、国立音大の卒業生である久石譲の作品で、スタジオジブリのメドレーと、「坂の上の雲」で有名な「Stand Alone」、そして「旅立ちの時」。今日はStand Aloneと「旅立ちの時」を練習しました。Stand Aloneは歌ったことがありますが、旅立ちの時は初めての曲でした。ヨナ抜きのアジアンテイストな曲です。何しろ本番まで練習が5回ぐらいしかないので、皆がよく知っていて譜読みがすぐにできる曲が選ばれていたようで、参加者は5名(女性4人)と少なめでしたが、さすがに音取りはすぐにできました。少人数でも、ハモる楽しさは何とも言えません。皆さん素敵な先輩方で、とっても楽しかったです。
練習会場はうちから歩いて7~8分という近場。お天気も良かったので歩いて行きましたが、道々、振り袖姿の若者たちとすれ違いました。今日は成人式ですね。そういえば、大学生の甥も今年が成人式です。でも帰省もしないし、成人式にも出ないとのこと。私も成人式には出ませんでしたね、学年末試験の最中でもあったし、あまり興味もありませんでしたから。今になると、一生に一度ぐらいは振り袖を着ておいてもよかったかな、と思わなくはありませんが(笑)。
甥姪たちを見ていて思いますが、若さとは可能性そのもの。未来を切り拓く逞しさをもって人生を歩んでほしいと切に思います。そして、彼らの良き先達でありたい、とも。私もさんざん道に迷い、回り道もしてきましたが、それが無駄だったと思ったことはありません。ともかくもいつも一生懸命でしたし、不思議と導きの糸というものはいつもどこかにあるものです。来し方を、あの時があったから今がある、と感慨をもって振り返ることができる、そのことを改めて幸せに思いながら帰宅しました。

合唱歌い初め

2019年01月07日 | 日記
昨日は、年が明けて初めての合唱団の練習日でした。昨年末から始まった「愛唱歌集録音プロジェクト」、わが団で編集した「ドイツ愛唱歌集」の中から、毎回2曲ずつ練習して録音します。暮れにクリスマスの歌を4曲入れたので、年明けは春の歌にしようと思い、「春の挨拶」と「5月が来た」の2曲を選びました。まだお正月気分が抜けない時期なので、最初なかなか女性軍の声が出てきませんでしたが、身体が温まってくるにつれ少しずつ響きがついてきました。うちの団はソプラノが少し弱いので、ソプラノを募集しなくてはと思っています。うちは高齢者が多いので、クオリティを上げるためにはどうしてもある程度は数の力が必要です(もちろん、歌を楽しむことが第一の目的ではありますが)。
その後、昨年後半からやっているハイドンの『天地創造』の中の「天は御神の栄光を語り」の練習をしました。以前に本番にも乗せた曲なので、一応何とか全体を通せるようにはなりましたが、それこそ問題はクオリティです(笑)。もう少し皆の納得のいく仕上がりにしたいと思います。
合唱っていいですね。やっぱり、一人で歌うより皆で歌う方が何倍も楽しいです、私は。指揮者は原則として歌えないので(笑)、いつもムズムズします。今週のM先生のメサイア練習が待ち遠しいです。

新年雑感

2019年01月03日 | 日記
新年おめでとうございます。皆様お健やかに年を越されたこととお慶び申し上げます。本年もカリオペくまもとをどうぞよろしくお願い致します。
お正月と言えば、除夜の鐘を聞きながら、ある一瞬を境にして今年が去年になる、ということがどうにも不思議だった子供の頃を思い出します。時間を一直線に伸びる永続的なものだと思っていて、そうだとすると、なぜ夜が来て朝が来るのか、なぜ春が過ぎて夏が来て..と季節が巡るのか、森羅万象のリズムや移り行きというものをどう理解してよいかわからず、そんなことを誰に訊いたらよいのかもわからず、一人で物思いにふける変わった子どもでしたね。元日に一家9人で大挙してやってきた弟家族を見ていると、下は小学3年生から上は大学2年生まで5人の子どもたちは、皆(幸いに?)昔の私のようなタイプではないようで、ただただ「あけましておめでとう」の溌剌とした生気に満ちています。子どもは元来そういうものなのでしょう。
今年の干支は「イノシシ」。高校時代、友人から時々「イノシシにならないように」とくぎを刺されておりました(笑)。興奮すると抑えが効かなくなるタイプで、良くも悪くも前進あるのみ、何かに派手にぶつかるまで止まれない、周りが見えないタイプでもありました。しかしまあ、その結果として今があるわけですし、年とともに性格も少しはマイルドになり(?)、そうそう走りっぱなしでは息切れするようにもなりましたが。でも、前進するということはやはり大事なことです。お正月にちょっと立ち止まって来し方を振り返るのも、軌道修正とともに再び前を向いて進むためですものね。今年も多少なりとも進化、深化していきたいと念じています。
年頭に当たり、今年が皆様にとって良き一年でありますように、また、世の中が少しでも明るい方向に進みますように、衷心よりお祈り申し上げます。