ハロウィーンに寄せて

2015年10月31日 | 日記
今日はハロウィーンですね。7年前の今日、今年と同じホールでリサイタルをした時、司会進行と解説をして下さった熟女に「今日はハロウィーンですね」と振ってもらおうと思って打ち合わせでお願いしたら「ハロウィーンって何ですか」と訊かれたものですが、今では仮装イヴェントとして日本にもすっかり定着したようです。もともとケルト民族のお祭りだったのが、カトリックの万聖節の前夜祭としてキリスト教に習合されたのだそうですが、私が留学していたドイツではハロウィーンはあまり盛んではなく、カレンダーには10月31日は「宗教改革記念日」と書いてありました。
今日は実は私の誕生日です。そうとは知らないはずの生徒さんたちから、おとといはハロウィーン仕様のケーキを、昨日はもみじ饅頭を、今日はいわしのすり身揚げを頂きました(笑)。そして今日は新しい生徒さんを2人お迎えしました。一人は中学生、もう一人は近所のお寺の住職さんです(爆)。牧師さんの生徒さんはいますが、お坊さんは初めて。あの世との仲介役である宗教者がハロウィーンに入門されるというのも何となく不思議な気がします。帰り際、なぜか「先生のお誕生日はいつですか」と訊かれ、「実は今日なんですよ」と言うと、驚かれながら「これもご縁というものですね」とお坊さんらしいコメントを下さいました。
ご縁という言葉は含蓄が深いですね。今日も2人の生徒さんとご縁がつながったわけですが、生徒さん方とのご縁は私の人生の中で大きな割合を占めています。先日も不思議なご縁がありました。うちの生徒さんがお友達を誘って発声セミナーに参加して下さったのですが、そのお友達が、首都圏在住の私の親友の従姉さんだったのです。偶然と言えばそれまでですが、「偶然」を仏教的に言い換えれば「ご縁」ですよね。人生は様々なご縁で彩られているわけです。
ともあれ、頂いたご縁を大切に紡いでいきたいと思います。

歌う女将さん

2015年10月25日 | 日記
県南で旅館の女将をなさっているNさんが今日、還暦記念の「うぶごえコンサート」から回を重ねて6回目の「バースデイコンサート」を開催されました。女将業と歌の両立には強い意志と大変な努力が必要だと思いますが、Nさんは倦まず弛まず研鑽を重ね、毎年きっちりとコンサートを開いて成果を披露していらっしゃいます。同居しておられる高齢のお義母様の体調が不安定で、そちらも気が抜けないし、団体のお客様があれば歌どころではないでしょうが、どんな状況でも愚痴一つ仰らず、精一杯ご自分の本分を尽くしながら歌い続けられるお姿には本当に頭が下がります。
今日は早めに伺って最後の調整のお手伝いをするつもりでしたが、JRの駅周辺の駐車場がどこも満杯で車が停められず、予定の列車に乗り遅れたため、十分なレッスンができませんでした。昨夜もお義母様の具合が悪く、介護で睡眠をしっかり取ることが叶わなかった由。しかし先週レッスンに伺った時は余裕のある歌が歌えていたし、あまり心配しないことにしました。
今日のプログラムの前半は「おかあさん」、「母のこえ」、「夕方のおかあさん」、「母の教え給いし歌」など、母をテーマとした歌でした。もうすぐご長男夫妻に赤ちゃんが生まれるそうで、お嫁さんへのエールという意味も籠もっているようです。休憩を挟んで後半は、いつも友情出演して下さるお仲間との二重唱で「猫の二重唱」、「犬が自分のしっぽを見て歌う歌」、「ロマンチストの豚」の3曲。被り物などで扮装して笑いを取っておられました。ご来場のお客様皆で一緒に「まっかな秋」と「里の秋」を歌う時間もあり、その後が本領のリートとアリアでしたが、最後に歌われたドヴォルザークのアリア「月に寄せて」とアンコールの「落葉松」は圧巻でした。終演後、ご来聴のお姉様が「最後の2曲で涙が出た」と仰っていましたが、全く同感。こういう抒情性はやはりある程度年を取らないと出てこないでしょうね。心に沁みる歌でした。
終演後は恒例の打ち上げで、お身内やお仲間たちとの楽しい語らいの時間となりました。私も途中まで参加させて頂きましたが、生憎とどうしても家でしなければならない作業があり、早めにおいとましました。
Nさんの演奏活動を心から応援している方がたくさんいらっしゃいます。Nさんの頑張りに刺激され、元気をもらっている方もたくさんいらっしゃいます。Nさんご自身も、本業はもとよりご家族や周りの方々の土台となって日々奮闘されています。こうして周りの人たちと支え合いながら、本分を全うしつつ自分の世界も大切に一生懸命生きる、これぞ平和で心豊かな生活の象徴のような姿だと思わずにはいられません。「幸せ」」というものの本質をしみじみと実感させてくれるひとときでした。

中学生たち

2015年10月23日 | 日記
中2の姪の通う中学校の校内合唱コンクールを聴きに行って来ました。今高2と高3の甥と姪も同じ中学校だったので通算6年聴き続けている訳ですが、今年は1年生がどのクラスも感じの良い丁寧な歌いぶりでした。2年生、3年生と学年が上がるごとにどんどん大人の声に近づいていきますが、クラスごとに多少ばらつきが目立ってきます。しかし全体的な水準はかなりのものでした。姪のクラスは歌声のバランスが良く、伴奏も指揮もきちんとしていて、気持ちもしっかり伝わってきてなかなかの出来だったのですが、惜しくも学年優勝は逃しました。帰宅後、「楽しく一生懸命取り組めたので悔いはありませんが、できれば優勝したかった(-_-;)」という内容のメールが来ました。中学生ってひたむきでいいですね。
この学校には、うちにレッスンに来ている3年生の女の子が2人いて、クラスは違いますが2人とも3年生の課題曲「流浪の民」のソリストに選ばれて歌っていました。一人はソプラノソロ、もう一人はアルトソロです。ソプラノの子は響きが素晴らしく、1800人のホールの隅々にまで届く声でした。後で頂いたお母様からのメールによると、体調不良で前日には喘息の発作を起こし、薬で抑えながらの本番だったとか。そんな事情を露ほども感じさせない見事な歌声でした。アルトの子は、本当はソプラノの声なのでアルトソロは本領ではないのですが、さすがに手堅くしっかり歌っていました。3年生の課題曲のソロは下級生たちの憧れの的です。中学生活の貴重な思い出の一つになったことでしょう。そういえば、テノールのソロに素晴らしい逸材が一人いました。これからも歌い続けてくれるといいな。
この学校は私の母校でもあり、かつての職場でもあるせいでしょうか、身内の身贔屓感覚もありますが、小姑根性で(笑)ついつい細かいことが気になってしまいます。中でも毎年気になっているのが2年生の課題曲「グローリア」。私たちが中学生の頃からずっと2年生の課題曲ですが、私たちの頃と違って今は全部ラテン語の歌詞で歌っています。この曲はモーツァルト作曲となっていますが贋作らしいです(私も昔から「どう聴いてもモーツァルトらしくないよなあ」と思っていました)。それはともかく、この曲、ソプラノと男声の音程が必ずぶら下がり、それが何とも言えない違和感を醸し出します。それに、前奏なしの曲なので最初の1音をピアノで鳴らして音取りをするのですが、そのピアノの音が大き過ぎます。軽く短く単音で弾けばよいのに、「ダーン!」とフォルテで鳴らすのはいささか興ざめ。もう少しデリカシーが欲しいなあ。
良くなったなと思ったこともあります。以前は生徒たちの指揮が少々「格好付け過ぎ」でしたが、今年は随分清潔な指揮になっていました。くねくね身をくねらせたり、拍子をきちんと刻まないで雰囲気だけで手を振り回したり、止め方が雑だったり、という指揮が少なかったのは大変結構。また、生徒会役員の開会の挨拶やクラスごとの一言コメントも、知性と素直さを感じさせる中学生らしい内容でした。
惜しむらくは詩人や作曲者の名前の読み間違いです。いろいろ準備が大変でそこまで手が回らないのかもしれませんが、人名は正確に読む習慣をつけてもらいたいですね。
休憩時に外に出ようとしたら、客席の妙齢の美女から声をかけられました。この方どこかで見たことあるなあと思ったら、大学院時代に同じ研究室の修士課程にいた方でした。そういえばその研究室では3人の社会人院生が同じ年に出産し、「子宝研究室」という異名がついていたのでしたが(笑)、そのうちのお一人でした。あの時生まれたお子さんがもう中1なのだそう。月日の経つのは早いものです。
3年生の全員合唱で歌われた「流浪の民」は迫力があって素晴らしかったのですが、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は戴けません(-_-;)昨年もブログに同じことを書いた記憶がありますが、やっぱり曲の雰囲気が場にそぐわなさすきます。160人の中学生がコンサートホールで歌うのにふさわしい曲は他にいくらでもあるでしょうに。
そんなこんなで、身内感覚が強いゆえにいろんなことを感じながらも、中学生のひたむきな姿に大いに元気をもらった合唱コンクールでした。前途洋々たる彼らに心からのエールを送りたいと思います。中学生たちよ、歌を生涯の友とすべく高らかに歌え!歌い続けよ!歌から大いなる慰藉を汲み、歌によって自らの魂を鼓舞せよ!潤いある豊かな人生の一助とせよ!

入門編

2015年10月20日 | 日記
このところ新しい生徒さんが数名入門されました。合唱の経験もなくいきなり「声楽発声」に触れられる方の場合、理論からではなく「体を使って声を出す」というシンプルな導入の方が入りやすいようです。今日2回目のレッスンに来られた若い女性は、お仕事の関係か、尋常でないほど背中が凝っています。ご本人曰く「体に緊張が残っているので眠りが浅く、夜中に何度も目が覚めるし、朝起きた時から疲れている」とのこと。かつて私もそうだったのでよくわかりますが、こういう方は体をほぐすことが先決です。この方の場合、「胸を軽く張ったまま息を前歯の間からスーッと吐き、吐き切ったら脱力すれば反射的に空気が入ってくる」という呼吸の練習がうまくできませんでした。息を吐き切っても背中が凝っていて脱力ができないので、空気が入って来ないのです。そこで背中のマッサージやストレッチを十分にして、少し柔らかくなったところでもう一度やってみたら何とか少しできました。次に舌や下あごの力を抜く練習をしようとしましたが、下半身に筋力がないので、リップロールも舌のストレッチもすごく苦労していました。あの手この手奥の手猫の手孫の手で(笑)いろいろやっているうちに少しずつ体の感覚が目覚めてきたようです。すぐにひっくり返ってしまう声も、お腹と背中を拡げるように使っているうちに、だんだんしっかりした声になってきました。本人も私も汗だくですが、少し快感を覚えられたらしく、次回を楽しみに帰っていかれました。
ビギナーさんが声を出す快感に目覚められる様子はいつも感動的です。この手応えをお互い大切に、一歩一歩前進していきたいと思います。

セミナー終了

2015年10月12日 | 日記
久し振りに連日の更新となります。
秋の発声セミナーが無事終わりました。このシーズンは何かと行事が多いので、何人ぐらい参加して下さるか心配していましたが、最終的には34名のご参加を頂きました。40名を超えるとちょっと窮屈ですが、これぐらいだと空間的にも精神的にも多少ゆとりがあります。今回は第1部をレクチャー中心にして、パワーポイントのスライドも前回から少しリニューアルしました。リピーターさんたちにはお馴染みの内容ですが、説明の仕方を少し変えるだけで理屈が腑に落ちたりするものですから、「呼吸」、「発声」、「共鳴」の3本立てという枠組みはそのままで、新しいスライドをお見せしながらお話をしました。特に皆さんが反応されたのが、地声の時と裏声の時の声帯の動き方の違いや、ソプラノ・アルト・テノール・バスそれぞれの声種の声帯の太さや長さの違いを視覚化した写真のスライドでした。声は目に見えないので、発声の仕組みを理解するのはなかなか難しいものです。解剖学的なアプローチも大切だと改めて思いました。
第2部はバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」をドイツ語で歌いました。歌う前にまず母音と子音の発音の場所を説明し、母音を軟口蓋に、子音をそれぞれ当てるべき場所に当てる練習をしました。kとgは軟口蓋、hは硬口蓋、t,d,lは前歯の裏、sとzは上下の前歯の間、p,b,mは唇、f,vは下唇と上の歯の間。子音と母音の組み合わせは当たる場所が2か所になります。この練習をしてからドイツ語の歌詞を読む練習をすると、かなりドイツ語風な響きになります。その上で歌の練習に入ります。4小節がワンフレーズなので、フレーズごとにソプラノ、アルト、テノール、バスの全パートを全員で歌った後、自分の一番歌いやすい音域のパートを歌ってもらうと、ちゃんと4部合唱になりました。このやり方で最後のフレーズまで練習して、最初から最後まで通したところでちょうど時間となりました。最後に「今ソプラノを歌われた方、手を挙げて下さい」と言うと、何と8割ほどの方が手を挙げられました(笑)。アルトは数名、テノールは2名、バスは1名。こんなにアンバランスなのに結構さまになっていたのは不思議ですね。
こういう練習の仕方は頭も体もフルに使うので、そろそろガス欠(笑)というところで茶話会に移行しました。初めての方たちに「どうでしたか?」と伺うと「難しかったです」と仰る方もあれば「勉強になりました」と仰る方もあり(同じことかな?)、楽しんで頂けたのかどうか少々気になりましたが、次はもうクリスマス会です。年が明けたらまたやり方を考えたいと思います。アンケートを取るのを忘れてしまいましたので、ご参加下さった読者の方、ご質問、ご感想、ご意見がありましたらコメントを頂けると嬉しいです。