楽曲解析13.愛の夢

2019年09月28日 | 日記
プログラムの最後はリストの「愛の夢」です。これってピアノ曲じゃないの?と思われる方が大半でしょうが、もともとは歌曲として作られたものなんです。3曲から成っていますが、第3曲が一番有名で、今回歌うのも第3番です。

O lieb, so lang du lieben kannst!  おお 愛しうる限り愛せよ!
O lieb, so lang du lieben magst!  おお 思うさま愛せよ!
Die Stunde kommt, die Stunde kommt,  やがて時は来る
Wo du an Gräbern stehst und klagst!   墓の前に佇んで嘆く時が。

Und sorge, daß dein Herze glüht  だから君の心が燃えるよう
Und Liebe hegt und Liebe trägt,  愛を抱き、愛を育むよう心を尽くすのだ、
So lang ihm noch ein ander Herz  彼の心が
In Liebe warm entgegenschlägt!   愛に満ちて暖かく脈打つ限り!

Und wer dir seine Brust erschließt,  君に心を開く人を
O tu ihm, was u kannst, zulieb!  能う限り愛せよ!
Und mach ihm jede Stunde froh,  その人を常に喜ばせよ、
Und mach ihm keine Stunde trüb!   決してその人の心を曇らせてはならない!

Und hüte deine Zunge wohl,  そして口を慎みたまえ、
Bald ist ein böses Wort gesagt!  心無い言葉は口をついて出るものだ、
O Gott, es war nicht bös gemeint  おお 神よ 悪気はなかったのです(と言っても)
Der Andre aber geht und klagt.  人は嘆き、去ってゆくのだから。

歌詞はリストの友人フライリヒラートの作です。とてもきれいな曲ですが、粘り気の強いメロディなので、私のような薄くて軽い声帯にはちょっと負担が大きい。最高音はそんなに高くないのですが、高揚してくると全体のキーが高めで推移するので、体力的にかなりきついのです。でも、「愛の諸相」というテーマで展開してきたプログラムの掉尾を飾るには最適の曲かと思って選びました。この歌詞は、「愛とは何か」という大きな問いに対する一つの簡明な答えになっているように思われます。単なる好悪の情を超えて愛を育むには意志の力が必要です。相手を喜ばせること、不用意な言葉を慎むこと、覚悟を持って愛を貫くことを真っ向から直球で説く歌詞と、この上なく甘美なメロディの取り合わせが絶妙です(と思うのは私だけでしょうか)。私は、いわゆる男女の愛にはかなり疎いのすが、この世の全てを大きく包む愛との類比で、またヒューマニズムの極みとして、感謝と祈りをこめて歌いたいと思います。

これで楽曲解析は終わります。最後までお付き合い頂き、大変有難うございました。

楽曲解析12.落葉松

2019年09月27日 | 日記
日本人声楽家でこの曲を知らない人はいない、というぐらい超有名な「落葉松」。作曲された小林秀雄先生は一昨年亡くなられましたが、私が高校生の頃、合唱部の練習中に小林先生が突然音楽室に現れ、100人ほどの部員とともにひとときを過ごして下さったことがあります。声楽家の奥様が私たちの高校の出身で、奥様のお里帰りに同行されたついでにお寄り下さったのではないかと思います。たしかその時、コンクールに向けて小林先生の合唱曲を練習していたので、顧問の先生が小林先生にご指導を依頼されたのかもしれません。気さくで優しい先生でした。

落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる

落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる

落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる

落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる

軽井沢を愛した詩人、野上彰の2連8行の短詩がテキストです。落葉松の木は九州人にはあまり馴染みがありませんが、数年前に東北に行った時に「あれが落葉松の林よ」と言われて納得しました。何というか、繊細な感じの木ですね。熊本で見慣れているクスの大木などはだいぶ趣が違います。軽井沢の落葉松林には、きっと格別な風情があるのでしょうね。
この詩、「濡れる」という言葉にすべての感情を託した、切り詰められた表現が心に迫ります。小林先生もこの詩に「激しい感動を覚え、一気に作曲した」そうです。曲の方も、シンプルなモチーフといくつかのバリエーションが何度も繰り返され、次第に高揚して、最後は沈静します。小林先生ご自身が「曲は高原の霧雨の中からやってくる。やがて激しく心を揺さぶり、再び高原の秋の、雲叢の彼方へと去ってゆく。」と語っておられますが、さすがに作曲者本人の言葉だけあって、曲のイメージが見事に言い表されています。テキストは思い切り抒情を排した表現ですが、曲はひたすら抒情的で、若い頃の私は、こういう抒情性に憧れつつも一種の忌避感を抱いていました。溺れそうになるので、自己抑制が働いていたのだと思います。ショパンのピアノ曲に対しても似たような気持ちを抱いていました。20代、30代の頃はなかなかこの曲には手が出ませんでしたね。
今回も伴奏をして下さるM先生は、生前の小林先生ご夫妻と親しくしていらしたそうで、初演時の直筆譜をお持ちです。その後伴奏が改訂されたのですが、今回は初演時の楽譜に基づいて弾いて下さることになりました。間奏部がもっとスケールの大きな感じになります。
この曲の難しさは、「落葉松の」の「の」が強くなりがちなことです。助詞は弱くしないとイントネーションがおかしくなるのですが、「の」に長い音符が付いているので、つい押してしまいたくなる。「濡れる」の「る」も同じです。しっかりコントロールして歌わねば。
高校時代の話に戻りますが、後日、小林先生に部員全員が一通ずつお礼状を書いてまとめて送ったところ、「こんなにたくさんの女性から一度に手紙をもらったのは初めてで、ドキドキする胸を押さえて「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら読みました」という返信とともに、一言メッセージの書かれた色紙を部員全員分送って下さいました。裏には「〇〇さんのために」と一人ひとりの名前を入れて。今でも家宝にしています。私の色紙には「友情が音楽を生み、音楽で友情が生まれます」と書かれています。





楽曲解析11.さくら横ちょう

2019年09月25日 | 日記
今日から2曲、また日本歌曲が続きます。今日は「さくら横ちょう」。加藤周一の詩で、中田喜直と別宮貞雄が付曲していますが、私は昔から別宮貞雄の方が好きで、今回もこちらを歌うことにしました。

春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
想いだす 恋の昨日
君はもうここにいないと

ああ いつも 花の女王
ほほえんだ夢のふるさと
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう

会い見るの時はなかろう
「その後どう」「しばらくねえ」と
言ったってはじまらないと
心得て花でも見よう
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう


高校生の頃、中田喜直の「さくら横ちょう」が好きな友人が多くて、私も伴奏の練習をしてみたりしましたが、この歌詞がどうもしっくりきませんでした。内容はわかるのですが、書きぶりが何だかギクシャクしていてすっと心に入ってこない感じがしたのです。
かなり経ってから、別宮の付曲の方を本番に乗せる機会があって調べてみたところ、この詩はフランスの詩形であるロンデル形式を日本語の詩でもやってみようという実験的な試みで書かれたことがわかりました。ロンデル形式というのは、2つの四行連+1つの五行連(あるいは六行連)=全13行(あるいは14行)という形で、第1連の最初の2行は、第2連の最後の2行と第3連の最後の1行(あるいは2行)にリフレインになるのだそう。 なるほど、「春の宵 さくらが咲くと / 花ばかり さくら横ちょう」という冒頭2行が、第2連の最後の2行と第3連の最後の2行に繰り返されていますね。
ロンデル形式の押韻は「ABba abAB abbaA」あるいは「ABba abAB abbaAB」だそうですが、この点も抜かりありません。各行末が「と」か「う」で終わっていますが、「とーうーうーと」「うーとーとーう」「うーとーとーうーとーう」で,第3節だけちょっと変則ですが、ほぼ規則通り。音節に関しては、元来のロンデル形式は1行8音節ですが、日本語の定型の五七調を基調としているようです。
なるほど、この形式に当て嵌めて詩を作ろうと思えば、多少のギクシャク感は仕方ありませんねえ。この枠組みの中で言いたいことを言うのは大変です。ヨーロッパの詩にはこういう厳密な形の縛りがあるので、日本のように小学生でも自由に詩を書くというわけにはいかず、小学校ぐらいではもっぱら古典的な名詩をたくさん暗誦させる、と聞いたことがあります。その点、日本は自由律の詩をどんどん書かせたり、俳句や短歌なども子供たちが自由に作りますよね。五七五(七七)ぐらいの字数なら子供でも作れますからね。

さて、この技巧的でありつつ哀愁を漂わせた、「さくら」という日本情緒のシンボルを基調にしたハイブリッドの詩に、別宮貞雄はきわめて日本的な、つまり拍節にとらわれず、横の流れを重視した朗誦調の、「こぶし回し」を多用したメロディをつけました。琵琶法師の語る平家物語もかくやと思わせます(琵琶法師の語る平家物語を聞いたことはありませんが)。別宮はパリ音楽院のダリウス・ミヨーのクラスを受験した時にこの曲を提出して合格したそうですが、その時ドイツのシュトックハウゼンも一緒に受験し、別宮が合格したのでシュトックハウゼンは落とされたのだそう。フランス人の審査員たちは「さくら横ちょう」をいたく気に入り、「あの曲のおかげで合格できた」と別宮は言っていたそうです。私も今ではこの曲が大好きです。

2019年秋の発声セミナー終了

2019年09月24日 | 日記
楽曲分析はちょっとお休みして、昨日の発声セミナーを振り返りたいと思います。
今回は17名の方のご参加を頂き、無事に秋のセミナーを終えることができました。常連メンバーの合唱指導者Mさんや調律師のHさんがたくさんの方にお声かけ下さって、合唱経験者の方が多数おいで下さいました。懐かしいリピーターさんのお姿もあり、嬉しかったです。
前回のセミナーでは会場附属のパソコンが不調で、途中で何度もスクリーンから画面が消えてしまったため、今回は画像はプリントして資料として配布し、ボディワークを中心とした構成にしました。苦肉の策でしたが、結果的にはこれが良かったようです。最近カリオペくまもとで講座を主催したアレクサンダー・テクニークやオイリュトミー、私が最近個人的に始めた合気道などのメソッドを適宜取り入れながら、まず体づくりから入りました。というのも、普段は「呼吸」の練習からやるのですが、呼吸筋そのものの筋力や、呼吸を支える下半身との連動が弱くて、深い呼吸が持続できない方が案外多いことがわかったからです。まず、筋力は筋トレ以外の方法でもつくことを、さまざまな所作とその直後のパワーテストで確認していただきました。これには皆さん関心を惹かれたようです。特に、ガッツポーズをすると筋力が落ちるという実験結果は、ちょっとした衝撃だったようです。首の緊張を緩和するためのボディマッピングや、肩甲骨周りのコリをほぐす肘〇体操、肋骨を拡げるための、壁を使ったねじりの運動、ヨガマットに仰臥位になって片足の膝を曲げ、もう片方の足を伸ばしたまま踵を1㎝だけ挙げ、その時に使っている筋肉を確認し、座位や立位でもそれを再現する方法(上半身と下半身を有機的に連動させる方法)など、いろいろやってみました。その中から、それぞれの方が自分に必要な、もしくは自分に合ったやり方を吸収して頂ければと思います。
第2部では合唱をしながら、言葉やリズムや音程に影響されずに体と声を保つ練習をしました。音程が下がる時に息が一緒に落ちないためには、胸郭を少し開いた状態を保つ必要があります。手を挙げて歌えばいいのですが、実際には楽譜を持っていたりしますので、脇を少し開けてみると案外うまくいきます。発音は、イ母音で響きが変わってしまいやすいので、口の奥をなるべく広く保ちます。音程は同音連続の時に下がりやすいので、呼気圧を強くします。トランペットのマウスピースを吹いてみると効果的です。
あっという間に2時間が過ぎ、茶話会に残られた4人の方とのお話も弾みました。そのうちお2人は現職の小学校教師で、かなり喉に負担のかかる毎日のようです。現場は大変ですね。何とか工夫して乗り切って頂きたいと思います。それに、発声はやはりマンツーマンでないと委細が尽くせないので、単発でも個人レッスンを体験されることをおすすめしておいたところ、初参加だった方からトライアルレッスンのお申込みが来ました。皆様のお役に少しでも立てたなら、そして、これをきっかけに声のお悩みを解決して頂けたら嬉しいです。

楽曲解析10.ズライカの歌

2019年09月23日 | 日記
ゲーテが70歳の時に刊行した『西東詩集』全13巻の中に「ズライカの書」という1巻があります。ゲーテが東洋詩人ハーテムに扮して恋人のズライカと相聞歌を交わす、という仕立てになっていて、ズライカの詩もハーテムの詩もゲーテが書いた、と長いこと思われていました。ズライカの詩には素敵なものがいくつもあって、シューベルトやメンデルスゾーンも歌曲にしています。このズライカのモデルは、後にゲーテの友人ヴィレマーの妻となるマリアンネという女性なのですが、近年、ズライカの詩のいくつかはこのマリアンネの作であることがわかりました。シューマンが曲を付けた「ズライカの歌」のテキストも、マリアンネの作だそうです。

Wie mit innigstem Behagen,  どんなに満ち足りた思いで
Lied,empfind' ich deinen Sinn,  歌よ、私はおまえの心を感じることでしょう、
Liebevoll du scheinst zu sagen,  おまえは優しく言ってくれているようだわ、
Daß ich ihm zur Seite bin;  私はあの方のお側にいるのだと。

Daß er ewig mein gedenket,  あの方はいつも私を想ってくださり、
Seiner Liebe Seligkeit,  あの方の愛という無上の喜びを
Immerdar der Fernen schenket,  遥かな者に絶え間なく贈ってくださっているのだと。
Die ein Leben ihm geweiht.  あの方に命を捧げているこの私に。

Ja,mein Herz es ist der Spiegel,  そう、私の心は鏡。
Freund,worin du dich erblickst,  愛しい人、そこにはあなたが映っているのよ、
Diese Brust,wo deine Siegel  あなたが口づけを重ねて封印した
Kuß auf Kuss hereingedrückt.  この胸には。

Süßes Dichten,lauter Wahrheit,  あなたの甘美な詩と、その明らかな真実が
Fesselt mich in Sympathie,  私を魅了し、同じ想いを抱かせてくれます。  
Rein verkörpert Liebesklarheit  清らかな愛が詩の衣をまとって
Im Gewand der Poesie!  真の姿を現しているのですもの!

相聞歌ですから二人は離れているわけですが、離れていても思いは通じ合っていて、交わし合う詩の中に愛を確かめ合うことができる。このゆかしい愛の姿、少し日本的な感じもしますね。そして、歌(ドイツ語では詩のことも「歌」と言います)に対して「Du あなた」と呼びかけています。このDuの使い方も良いですね~。きっと、この詩の前にハーテムから届いた詩の内容が、お互いに相手が自分の側にいるように感じられる詩だったんですね。そして第3節では恋人に直接Duと呼びかけ、詩と恋人が重層してきます。
それにしても、シューマンはなんと幸福感に満ちた美しい曲を付けたことでしょう。さすがに「ミルテの花」に収められているだけあります。「ミルテの花」はシューマンがクララとようやく結ばれた年、まさにその結婚の前夜にクララに捧げられた歌曲集で、ミルテの花というのは花嫁のブーケに使う花なんだそうです。白い小さな香りのよい花。なんてロマンチック!
歌曲としては、第1連が最後にもう一度繰り返されるので、全体が5部構成になります。幸福感にあふれた美しい歌ですが、レガートに歌うのはなかなか難しい。ドイツでマスターコースを受講した時、年輩の男の先生がすごく上手にこの曲を教えて下さいました。言葉のニュアンスの出し方が絶妙でした。もうだいぶ前のことですが、その記憶をたどって練習しています。